第9章 俺を追放したのも、あの男だったのか
公開攻略の朝、律は剣の柄を握って鞘から少し抜き、刃を確かめた。
芙実は隣のベンチで手袋を締めていた。今日は黒いドレスではなく、動きやすい上着に細身のパンツ姿だ。
「今日も俺が先に敵に向かう。氷魔法を使うときは、先に声をかけてくれ」
「分かっています。マナを残しておくことも」
「それは助かる。お前、全部凍らせようとするからな」
「最初の頃だけです」
芙実が防具の位置を直すと、律は留め具が緩んでいないか確かめた。
二人は先日の休みに参加を決めていた。
特別チームのほかにも数組の参加枠があり、律たちは外周の通路を進むことになっている。中央の空洞に入る前に、脇から近づく敵を減らす役目だ。
目立つ役目ではないと分かっても、芙実は参加すると言った。
「脇から来る敵がいなくなれば、あの人のチームも楽になりますわね」
「誰かが襲われるのを待つよりいい」
「ええ。でも、手柄まで譲るつもりはありませんよ」
律はうなずいて立ち上がり、入口に向かった。
通路の前では、赤い腕章をつけた女性がこちらに手を振っていた。
「笠松さん。また会えましたね」
律は小型の盾を見て思い出した。
初めて一人で潜った日に、アーマードッグから助けた冒険者だ。
「あのときの。もう一人の怪我は治ったか?」
「はい。今日は別の仕事に行っています。私は大橋紗季。今回は地下で負傷した人の誘導を担当します」
紗季は芙実にも挨拶した。
芙実が名乗っても、不審がる様子はなかった。彼女の靴を見て、氷のあるところは滑りやすいから気をつけてと教えてくれた。
「先に入って待っています。帰りは二人とも、自分で歩いてくださいね」
「そのつもりだよ」
紗季が地下に下りた後、律は入口の中継画面を見た。
画面には、地上の展示ホールに集まった観客が映っている。
夏帆にとっては、待ち望んでいた舞台だろう。
「笠松君も参加するんだね」
背後から声をかけられ、律は振り向いた。
護衛を連れた慶介が歩いてきた。貸与された胸当ては真新しく、隣の千帆も軽い防具を着けていた。
「冒険者ですから」
「それは知っているよ。ただ、追放された男が今さら何をするつもりなのかと思ってね」
律は何も答えず、入場を待つ列に戻った。
芙実も続こうとしたが、慶介に呼び止められた。
「君まで入るのか。前にも危ないからやめておけと言ったはずだ」
「今はもう、あなたに止められる筋合いはありません」
「巻き添えになる人がかわいそうだと思っただけだよ」
「誰を巻き添えにするというんです?」
「困ると周りを責める癖は、変わっていないだろう」
芙実が慶介の前に戻ろうとしたので、律も隣に立った。
「俺たちの担当は聞いてるでしょう。そちらの邪魔はしませんよ」
「僕は芙実と話しているんだが」
「私には、もう話すことはありません。失礼します」
芙実は律より先に歩き出した。
その行く手に、柚葉が近づいてきた。
「ちょっと、律。やめなさいよ」
「何を?」
「慶介に逆らっても、いいことないわよ。今日ここに入れるのだって、誰のおかげだと思ってるの」
「攻略する人間を集めたのは、向こうだろ」
柚葉は律の腕をつかもうとした。
律が一歩よけると、柚葉は空振りした手を握りしめた。
「そういうところが駄目なの。慶介が私たちをどれだけ支えてくれてるか、分かってない」
「世話になってるのは、お前たちだろ」
「いい装備も、活躍の機会も用意してくれてるのよ。あなたも少しくらい、慶介に合わせてくれたって――」
「どうして俺まで、あいつの言うとおりにしなきゃいけないんだ」
柚葉は声を荒らげた。
「あなたを外せば、もっと成功できるって、慶介は言ってくれたのよ! 実際、ここまでしてくれたじゃない!」
律は柚葉の顔をまじまじと見た。
「……外せばって、言ったのか」
柚葉は口を結んだ。
律は慶介に目を向けた。こちらを見てはいるが、柚葉の言葉を否定しようとはしない。
「お前たちは、それを聞いて俺を追い出したんだな」
「私たちにだって、先に進む権利はあるでしょう」
「それなら、そう言えばよかった。俺が危ないとか、役に立たないとか、そんなことを言う必要はなかっただろ」
慶介の後ろから、小春がこちらを見ていた。
夏帆はカメラをいじり、千景は目をそらさなかった。
誰も何も言おうとしなかった。
「千景。お前も、その話を聞いてたんだよな」
「聞いたわ。律がいる限り、私たちはいつまでも守られる側でしょう。私は、自分の力を試したかったの」
「それをあの日、言ってくれればよかったんだ」
千景は新しい杖を握り直した。
千景は律の実力を分かっていて、それでも出ていってほしかったのだ。
四人とも、律に戦い方を直してほしかったわけではない。追い出せば、慶介から欲しいものをもらえる。あの日、何を言っても聞いてもらえなかった理由が、ようやく分かった。
柚葉が口を挟んだ。
「勘違いしないで。無理に言うことを聞かされたわけじゃないから」
「分かってる」
律は柚葉に向き直った。
「俺を捨てたのはお前たちだ。その責任まで、あいつに押しつけるなよ」
柚葉は顎を引いた。
子供の頃、柚葉は言い争いに負けそうになると、決まって剣の練習を始めた。剣で勝てば話を終わらせられると思っていたのだろう。
今日も剣の柄に手をやったが、抜きはしなかった。
律は自分の剣には触れず、芙実と列に戻った。
入場が始まった。二人が順番に階段を下りていっても、後ろから声はかからなかった。
◇
地下では、壁の照明が濡れた岩肌を照らしていた。
律は外周の細い通路に入り、後ろから芙実がついてきているか確かめた。
「大丈夫ですか」
「何が?」
「先ほどの話です」
「ああ。腹は立ってる」
律がそう答えると、芙実は少し近づいた。
「同じ相手だったんですのね」
「俺を外すのが、支援の条件だったとはな」
「あの人は、私のときも自分が正しいと信じていました。今もそうでしょうけれど」
律は足元の段差を越え、芙実に手を貸した。
芙実は律につかまって下り、そのまま隣を歩いた。
「あなたまで、あの人のせいで嫌な思いをしていたなんて」
「お前が謝る話じゃないからな」
「謝りません。怒っているんです」
芙実は律を見た。
「私があなたと組めたのは、あの人たちがあなたを追い出したから。でも、感謝する気にはなれませんわ」
「俺も、もう戻る気はない。それだけは確かだな」
律は彼女の手を軽く握り返し、離した。
通路の先に、薄い氷が張っていた。
天井には爪痕が続いている。この奥の空洞をフロストワイバーンが飛び回っているはずだ。地上で見た映像から想像していたよりも、冷気が強い。
律は壁際に寄り、岩と岩の間を確かめた。
ゲームでも、この区画にはゴーレムがいた。ワイバーンの冷気を避けて壁際に逃げ込むと、そいつが動き出すのだ。
知らずに壁沿いに退けば、両側から挟まれてしまう。
「芙実。大きな岩の前で立ち止まらないでくれ」
「敵が隠れているんですか」
「ああ。足元の岩と比べて、壁の形がおかしいところには近づくな」
芙実は足元を見て、一歩離れた。
律は剣を抜かず、氷を踏まないように進んだ。
中央の空洞が見えるところまで来ると、向こうにも明かりがあった。
慶介たちが主通路を下りてきている。紗季は後方の待機区画で、救護用の毛布を広げていた。
芙実は慶介を見ると、律の袖に触れた。
「あの人、こちらを気にしています」
「見られたところで、俺たちの仕事は変わらないよ」
「気をつけて。人前で逆らわれると、何としても従わせようとしますから」
律はうなずいた。
元婚約者のことなら、芙実のほうがよく知っている。
◇
慶介は外周の通路にいる律に気づき、立ち止まった。
芙実が律の袖に手を添えている。あそこからなら、中央の空洞で何が起きるかよく見えるだろう。
ちょうどいい。
こちらが先に倒せば、律は脇で見ているしかない。
後ろでは、小春が柚葉に話しかけていた。
「律くんと連携したほうがいいんじゃないかな」
「今日は私たちの攻略でしょ」
柚葉の返事は硬かった。
慶介は柚葉の隣に立ち、剣の柄を握る彼女の手に自分の手を添えた。
「頼りにしているよ。僕が選んだリーダーなんだから」
「任せて。先に見つければ、負けないわ」
慶介は後方で撮影している夏帆を呼んだ。
「これからいい場面になる。僕と柚葉を撮ってくれ」
「了解。千景、ちょっと右に寄って」
夏帆が撮影する位置を決めると、慶介は中央に進んだ。
氷の奥で、大きな翼が動いた。
護衛が後ろから制止したが、慶介は手を上げただけだった。
「笠松君!」
律がこちらを向いた。
「フロストワイバーンは僕たちが先に倒す。君は、残った敵を片づけてくれると助かるよ」
外周の岩棚から、律が声を返した。
「壁際にもバルクゴーレムがいる。下がるなら、岩の前を通らないでくれ」
「分かっているよ。君は自分の担当を頼む」
慶介はそれ以上聞かず、柚葉を見た。
柚葉が剣を抜くと、慶介もその背中を追って深い空洞に足を踏み入れた。




