第10章 最強主人公の無双と、悪役令嬢の最初のざまぁ
柚葉は頭上を飛ぶワイバーンを目で追い、剣を握り直した。
フロストワイバーンはまだ高く飛んでいる。柚葉は以前、律が翼を焼いたときを思い出し、夏帆に声をかけた。
「右の翼だけ狙って。下りてきたら私が受ける」
「分かってる。今、慶介の位置を――」
「カメラは後でいい!」
夏帆は肩のカメラから手を離した。
夏帆が射撃具を構えると、ワイバーンが旋回した。追って狙いを定めようにも、慶介がその前に出てきた。
「ここから見えるね。柚葉、頼むよ」
柚葉は返事をし、前に駆け出した。
まずは自分に注意を向けさせる。首を持ち上げている間は喉に剣が届かない。ならば下から脚を狙い、地面に引きずり下ろせばいい。
ワイバーンが翼を畳んだ。
降下してきたワイバーンの腹にブレイクセイバーを叩き込んだ。鱗は割れたが、敵は痛みに暴れ、尾を横から振り回した。
剣を引き戻す暇がない。
「柚葉さん!」
小春の叫びと同時に、横腹を強く打たれた。
柚葉は地面に転がり、起き上がろうとして膝をついた。剣を杖代わりに、どうにか体を支える。
千景のフレアランスがワイバーンを追う。
炎は翼の下を抜けて岩壁にぶつかり、その表面を砕いた。すると、岩の奥から巨大な指が現れた。
バルクゴーレムだった。
千景はワイバーンからゴーレムに標的を変えた。夏帆もその場にいられず、小春の後ろまで下がった。
「誰か、あっちを止めて!」
柚葉の叫びに、慶介の護衛がゴーレムの前に出た。
護衛は岩の腕を盾で受け、踏みとどまった。ところが、慶介が背後から肩を引く。
「戻ってくれ。僕と千帆を先に出すんだ」
「ですが、あちらの方たちが」
「君の仕事は、誰を守ることだ?」
護衛は一度柚葉を見た。
護衛が盾を引くと、ゴーレムが通路に向かって進んできた。
小春は柚葉の脇腹に両手を当てていた。
ハイヒールで傷は治りつつある。それでも、動くと肋骨の辺りが痛んだ。
「慶介、待って! 私たちも戻るから!」
「早く来るんだ。何をしている」
慶介は振り返りもしなかった。
柚葉は小春に肩を借り、剣先が地面につかないように持った。
千景は防壁を張り、その後ろから夏帆が撃っていた。だが、空にはワイバーン、地上にはゴーレムがいる。一方を警戒すれば、もう一方が迫ってきた。
◇
律は外周で倒したグラスマンティスから剣を引き抜き、中央を見た。
近くで岩の崩れる音がする。芙実も通路の縁から奥を見ていた。
「あちらに逃げています」
「壁際に寄るなって言ったのに」
律は帰り道に使う通路を駆けた。
中央と外周を結ぶ岩棚の下には、待機区画がある。慶介と護衛がそこに駆け戻ってきたが、すぐ後ろにはバルクゴーレムが迫っていた。
紗季は避難する人々を奥に誘導していた。
千帆はその脇をすり抜けようとしたが、狭い通路でつかえてしまう。紗季が待つように手を出した。
「一人ずつ! ここは滑りますから!」
千帆は紗季の腕を払いのけ、無理やり通ろうと両手で肩を突き飛ばした。
「どいて!」
紗季は踏ん張れず、凍った床に倒れた。
盾を持つ腕が体の下敷きになった。起き上がろうとする間にも、ゴーレムは迫ってくる。
律が岩棚から飛び下りるより早く、芙実が駆け下りた。
「アイスバインド!」
ゴーレムの足が床ごと凍りついた。
巨体が止まり、振り下ろしかけた腕が紗季の手前に落ちる。芙実は紗季の上着をつかんだものの、一人では引きずれなかった。
氷が軋んだ。
ゴーレムは片足をねじり、もう一方の腕を芙実に伸ばした。
律はブリンクステップで二人の前に割り込み、ハイガードを構えた。
岩の指がハイガードに当たって砕ける。律は飛び散る破片を剣で払い、芙実に叫んだ。
「後ろに下がれ!」
「この方の腕が――」
律は紗季の盾に乗った岩片を蹴り飛ばした。
紗季が腕を引き抜くと、芙実はその体を抱き起こし、肩を支えて後ろに下がった。
律は再びゴーレムに向き直った。
足を封じた氷魔法は、もう壊れかけている。律は敵が体勢を戻すより早く、斬りかかった。
胸を横一文字に斬り、できた隙間にクロスブレードの返しを叩き込んだ。コアが割れ、巨体が膝から崩れる。
律は二人の前に戻り、倒れてくる岩の腕を押しとどめた。
芙実と紗季が離れたのを確かめ、腕を横に倒した。
中央では、フロストワイバーンが低く飛んでいた。
柚葉たちは岩陰に退き、千景が防壁で正面を守っていた。しかし、その陰には全員が入りきれず、小春が身を縮めている。
律は芙実を振り返った。
「ここで待っててくれ。あれも終わらせる」
「私は、この方を見ています」
芙実の返事を聞き、律は中央に向かって駆け出した。
ワイバーンが律に目を向けた。
柚葉たちがワイバーンの背後にいるため、炎で翼を焼けば巻き込みかねない。以前と同じ攻め方をする必要はなかった。
律は壁から張り出した岩棚に跳び乗った。
同じ高さに現れた律に、ワイバーンが首を伸ばしてくる。開いた口の奥には、冷気を吐く直前の白い光が見えた。
冷気を吐く直前なら、硬い鱗に覆われていない口の中が見える。
ゲームで最深部に一人で潜ったとき、盾で受ける手間を省くために狙っていた場所だ。
律は開いた口に手を向けた。
「フレアバースト!」
炎が喉の奥に突き刺さる。
白い光が消え、ワイバーンが頭を跳ね上げた。羽ばたきが乱れ、巨体が岩棚の脇に傾く。
律は岩棚から踏み切った。
首の付け根に剣を振り下ろす。ワイバーンが岩棚に爪を掛けて体を引くより早く、すかさず刃を返した。
翼の動きが止まり、巨体が地面に落ちた。
律は着地すると、ワイバーンが動かないのを確かめ、周囲を見渡した。
柚葉は膝をついたまま律を見ていた。
夏帆も射撃具を下ろし、肩のカメラを律に向けていた。
誰かがすごいと叫び、少し離れた通路からも、倒したのかと声が飛んだ。
「こっちは終わった! 怪我してる人を通してくれ!」
律の声に、外周から来た別のチームが退路を空けた。
もう飛んでくる敵はいない。冷気も弱まり、千景は防壁を解いた。
律は剣を拭って鞘に収め、芙実のいる待機区画に戻った。
紗季は壁にもたれて座っていた。
紗季は下敷きになった腕を動かし、骨は折れていないと言った。芙実が彼女の盾を持ち上げ、そばに置く。
「立てますか」
「少し待てば。ありがとうございました」
紗季が芙実に頭を下げると、千帆が近づいてきた。
千帆は先ほどよりずっとゆっくり歩き、紗季の前で膝を折った。
「大丈夫ですか? 私、怖くて……」
「触らないでください」
紗季は千帆の差し出した手を避けた。
「あなたが押したんでしょう」
「そんなつもりじゃないんです。前に出ようとしただけで」
「一度、待ってと言いました。肩を押されたとき、あなたの顔を見ていました」
千帆は口を開きかけた。
周りの冒険者も、千帆に道を譲ろうとはしなかった。
「私も怖かったんです」
紗季の声は低かった。
「それでも、あなたを先に通そうとしていたんですよ」
千帆が顔を背けると、そこに芙実がいた。
芙実は千帆の前に立った。
「自分より前に人がいるのが、そんなに邪魔でしたか」
「御園生さん、そういう言い方はやめてください」
「この方の邪魔ですから、離れてください。今は、あなたが泣いても慰めてくれる人はいません」
千帆は慶介を探すように辺りを見回した。
律は黙って紗季に手を貸し、芙実と二人で立たせた。紗季は痛む腕を抱えながらも、自分で歩けた。
◇
地上に戻った律は、出入口に集まった人の多さに足を止めた。
中継画面には、まだ地下から上がってくる別の班が映っていた。画面を見ていた客たちが律に気づき、近寄ってくる。
「一人で倒してたよね。どこのチーム?」
どう答えるか迷った律は、芙実を見た。
芙実も困った顔をしたが、律のそばを離れなかった。
別の撮影者が芙実に声をかけた。
「氷魔法を使って助けたのは、御園生さんですよね。お話を伺えますか」
「少し待ってください。先に、この方の腕を診ていただきたいので」
芙実は紗季を救護係に引き継いだ。
律も預けていた携行袋を受け取り、鞘ごと剣をしまった。
少し遅れて、柚葉たちが出てきた。
肩のカメラを外した夏帆が、スマートフォンを見て動きを止めた。すぐそばの律にも、画面を流れる文字が見えた。
『なんであの人を追い出したの』
『さっき、置いて逃げたよな』
夏帆はスマートフォンの画面を胸に伏せた。
撮影者たちが律の周りに集まるのを見て、夏帆は何か言いかけた。しかし、声にならなかった。
慶介も護衛を伴って地上に出てきた。
中継係が近づき、攻略について尋ねようとした。
慶介は手で制すると、柚葉を呼んだ。
「どうしてあんなことになった?」
「相手が二体になって、守りが足りなくて……」
「任せてと言ったのは君だろう。僕に恥をかかせて、どうするつもりなんだ」
「でも、あのとき護衛の人を戻さなければ――」
慶介が柚葉を睨んだ。
小春は二人の間に入ろうとして足を止めた。慶介は小春にも目を向けない。
「僕は君たちを信用していたんだ。装備まで用意したのに、これでは困るよ」
柚葉は剣の鞘を押さえた。
律は柚葉の脇を通り、慶介の前に出た。
「負傷して動けない人を置き去りにして、自分の護衛を先に引かせたでしょう」
「君は黙っていてくれ」
「俺が黙ったところで、そこにいた人たちは見てますよ」
中継係は慶介に向けたカメラを下ろさなかった。
後ろにいた冒険者も、退避路を開けたのは律だと口を挟んだ。
慶介は撮影者に顔を向けた。
それから話は後だと言い、護衛と出口に向かった。
「待って、慶介!」
柚葉が呼び止めても、慶介は歩き続けた。
千帆は歩きづらそうに後を追ったが、慶介は手を貸そうともしなかった。
律のそばで、芙実は二人を見送った。
鞄を持つ手は、もう震えていなかった。
「いい気味です」
小さく、はっきり言った。
「あの人たちも、人前で立っていられなくなるんですのね」
芙実は救護用の椅子に座った紗季を一度見て、律に向き直った。
「今日のことだけで、許してはあげません」
「分かってる」
律が答えると、芙実は彼の腕を取った。
◇
芙実は律の腕に体を寄せ、まだ熱の残る袖に頬を当てた。
地下でゴーレムの腕を受け止めた律は、今もすぐ隣にいる。
「あなたがいてくだされば、私は何も怖くありません」
律が芙実を見た。
人前だからか、少し困ったように笑っていた。
「助かったのは、紗季のほうだろ。お前が先に止めたんだ」
「あなたが来てくれると思ったからです」
「そう言われると、ずっと見てなきゃいけないな」
芙実は律の腕をいっそう強く抱いた。
見ていてほしい。そう言いかけたとき、向こうに小春の姿が見えた。
小春は律を見つけると、足を速めた。
芙実は袖から頬を離し、律の腕を抱いたまま小春の前に出た。
「律くん。今日は、本当に――」
「お礼なら、もう済みましたでしょう」
「私、律くんに話があるんです」
小春は芙実越しに律を見ようとした。
あのときと同じだ。小春が手を伸ばせば、律に触れられる。
芙実は退かなかった。
「この方には、もうあなた方など必要ありませんわ」
小春は足を止めた。
ひどい言い方だ。律にも聞こえている。
それでも、取り消す気にはなれなかった。
「御園生さんには、関係ないでしょう」
「今、一緒に帰るのは私です」
律が芙実の手に触れた。
止められるのかと思って、律の顔を見た。
「俺からも、もう話はない。小春、戻るつもりはないって言ったはずだ」
小春は律を見たまま動かなかった。
芙実は緩みかけた手に力を込めた。律もその手をほどかず、出口に向かって歩き出した。
会場を離れても、芙実は律に歩調を合わせた。
もう小春はいない。腕を放して、普通に歩いてもいいはずだ。
「芙実。それだと、歩きにくくないか」
「少しだけ我慢してください」
「まだ、誰かに取られると思ってる?」
「……思います」
律は足を止めた。
芙実が見上げると、律は抱えられていた腕を抜き、代わりに彼女の手を握った。
「俺は、お前と帰りたいんだよ」
芙実は律の指に自分の指を重ねた。
律の言葉を信じたかった。それでも、小春が諦めないと言ったことが頭から離れない。
次にあの女が来たら、律が断るより先に自分が追い返してしまうかもしれない。
それを悪いと言われても、きっと言い返してしまうだろう。
芙実は手をつないだまま、律の半歩前に出た。
「帰りましょう。今日は、私が夕食を作ります」
「手伝うよ」
「ええ。そばにいてください」
律はうなずいた。
芙実は律の手を引き、二人で暮らす家に向かった。




