第11章 悪役令嬢に、二度目の恥をかかせてやる
慶介は会場の正面に並べられた二脚の椅子を見た。
一脚は自分のものだ。もう一脚はまだ空いている。今日は千帆を呼ばなかった。先日の公開攻略で、彼女が人を突き飛ばした件を蒸し返されては困る。
「御園生さんは、参加されるそうです」
慶介は係員の報告を聞いて、口元を緩めた。
「そう。救助で活躍した人だからね。皆も見たいだろう」
「対戦相手は予定どおりで?」
「うん。怪我をさせないように、よく言っておいて」
係員が立ち去ると、慶介はスマートフォンを取り出した。
画面には一週間前の記事が残っていた。笠松律が魔物を討伐したときの短い記事で、添えられた写真には芙実も写っている。律の腕につかまり、顔を寄せていた。
芙実は、以前なら人前でこんなことをする女ではなかった。
慶介の隣では背筋を伸ばし、彼に話しかけられるまで待っていた。嫉妬して文句を言うことはあっても、慶介が怒れば言葉を選び直したものだ。
ところが今は、こちらを見ようともしない。
芙実一人で何ができるというのか。先日の攻略でも、笠松律に助けられただけだ。今日はその律も見ているしかない。何もできないところを、皆に見せつけてやる。
慶介は記事を閉じ、空いた椅子の背を指で叩いた。
「終わったら、少し話そうか」
今度は芙実のほうから頼みに来る。
人前で惨めな思いをすれば、強がってもいられないだろう。
◇
芙実は更衣室の鏡の前で、上着の裾を確かめていた。
袖は手首が出るくらいにまくってある。買ったばかりの防具が脇に当たるので、留め具を少し緩めた。これなら腕も上がる。
慶介から誘われたのは昨日だった。
救助での活躍を紹介したいという話だった。芙実のために模擬戦も用意していると言われた。
会場の壁には鷹取グループの旗が掛けられ、対戦相手の名前の横にはCランクと書かれていた。経験の浅い自分を、格上と戦わせるつもりなのだ。
廊下に出ると、律が待っていた。
「動きにくくないか」
「大丈夫です。少し緊張していますけれど」
「やめてもいいんだぞ。あいつに呼ばれたからって、付き合う必要はない」
「あなたは、私が負けると思います?」
「相手は毎日潜ってる。剣の間合いに入られたら、きつい」
律は取り繕わずに答えた。
芙実は会場の扉に目を向けた。中から、練習剣が防具に当たる音が聞こえてくる。
「それでも、やります。あの人が私を笑おうとしていると分かっていて、帰るのは嫌です」
「意地だけで戦うなら止める」
「……相手が踏み込む瞬間に、足を狙います。近づかれてからでは遅いですから」
律は扉の窓越しにフィールドを見た。
「床は見たか?」
「石ですね。あまり凹凸はありません」
「氷が薄いと、相手は靴ごと滑る。止めるつもりが、かえって近づかれることもあるぞ」
「では、厚くすればよろしいの?」
「足を囲む部分だけでいい。床全体を凍らせる必要はないから」
芙実はうなずいた。
昨日、律と練習したときは、動く的の根元を狙った。だが、人間は的と違い、足を止めてこちらの手の動きを警戒することもある。教わったとおりにやるだけでは勝てない。
「負けたら、そのときはまた教えてください」
「怪我する前に降参してくれよ」
「いつまでも、あなたに守っていただいてばかりでは嫌ですもの」
律は何か言いかけたが、やめた。
代わりに、芙実が緩めた防具の留め具を確かめた。
「これ以上緩めると、防具がずれる」
「はい」
「無理なときは呼べ」
「試合に入ってきては駄目ですよ」
芙実が念を押すと、律は渋い顔でうなずいた。
会場は商業ダンジョンの入口に併設された訓練場だった。客席とフィールドの間は透明な仕切りで隔てられ、客はダンジョンに入らずに試合を見られる。
入口で芙実の名前が呼ばれた。客席の前には慶介が立っている。
「先日の救助で注目された、御園生芙実さんです。今日は彼女の実力を見せてもらおうと思います」
拍手に混じって、小さな笑い声も聞こえた。
芙実は慶介に会釈だけして、彼の隣には行かず、フィールドに続く階段を下りた。
対戦相手は、赤い練習用の防具を着けた女性だった。
鷹取の支援チームに所属する剣士だと紹介された女性は、何も持っていない芙実の両手を見た。
「武器、借りなくて平気?」
「普段から持ちませんので」
「そっか。じゃあ、危なくなったら言ってね。お嬢様に怪我をさせたら、私が怒られちゃう」
女性は客席の慶介に笑いかけた。
芙実は答えず、相手の靴を見た。足首まで固定できる造りだ。つま先だけ凍らせても、抜けられてしまう。
審判が二人の間に入った。
「倒れた相手を攻撃するのは禁止です。こちらが停止を告げたら、すぐにスキルを解除してください。降参も認めます」
芙実は規則を確認し、相手と向かい合った。
客席の前列には律がいる。剣は鞘に納まったままで、柄に手をかけてもいなかった。
開始の合図と同時に、相手が近づいてきた。
芙実は床に右手を向けた。相手が踏み込もうとしたところに白い氷が張ったが、踏む直前に足の運びを変えられた。
「そこじゃないんだなあ」
肩めがけて剣が振られた。
芙実は身を引きながら、腕の防具で受けた。刃を落としてあるのに痛い。打たれた腕を気にする暇もなく、剣士がさらに間合いを詰めてくる。
芙実は横に身をかわした。
目の前で振られる剣は、遠くから見たときより長く感じた。どこまで下がれば届かないのか、分からなくなる。
「逃げるだけ? 魔物だって待ってはくれなかったでしょ?」
剣士は笑っている。
芙実は白線まで下がり、息を吸った。もう後ろには下がれない。右に逃げれば、相手も右を塞ぐ。だったら、追ってくる足を見ればいい。
芙実が腕を伸ばすと、剣士は踏み出しかけた足を引いた。
まだスキルは使っていない。
相手は氷魔法を警戒して、芙実の指先ばかり見ていた。
芙実は手を下ろした。
剣士が踏み込んだ。先ほどより大きく剣を振り上げ、芙実の肩を狙ってくる。
剣士の踵が浮いた。
相手がつま先に体重をかけた瞬間、芙実はアイスバインドを使った。氷魔法を薄く広げず、片方の靴を床ごと包み込む。
剣士の上体が前に傾いた。
それでも、剣はまだ芙実に届く距離にある。芙実は頭を下げて左にかわし、振り下ろされた刀身の脇を抜けた。
「ちょっ、足――!」
剣士は踏ん張ろうとしたが、凍った足を引くこともできなかった。
膝を曲げきれず、空いた手を床についた。剣が落ち、審判が二人の間に入った。
「停止。御園生さんの勝ちです」
芙実は氷魔法のスキルを解除した。
相手の靴を覆っていた氷が砕け、床に小さな破片が散った。芙実はそれを見て、ようやく打たれた腕の痛みを思い出した。
客席から拍手が聞こえた。
見上げると、律が笑っていた。試合前の心配そうな顔とは違う。
「今の、踏み込みを待ったのか」
「ちゃんと勝ったな」
すぐ近くの客の声まで聞こえてきた。
芙実は笑いそうになるのをこらえ、慶介には目も向けなかった。律にだけ、ちゃんと見ていたかと聞きたかった。
赤い防具を着た女性が立ち上がった。
「油断した。もう一回なら、負けないんだけど」
「それなら、最初から油断なさらなければよかったのに」
剣士は何か言いかけたが、審判に促されて出口に向かった。
芙実も階段に向かいかけたところで、客席から声がかかった。
「待って。次は私とやりなさい」
柚葉が立っていた。
先日の怪我で巻いていた固定帯はもうなく、腰には柄に青い石のついた剣を下げている。
「一回勝ったくらいで、ずいぶん得意そうね」
「喜んではいけませんの?」
「相手が手加減してくれたの。あなたには分からなかった?」
「ご本人は、油断したとおっしゃいましたけれど」
柚葉が階段を下りてきた。
客席から歓声が上がった。鷹取のチームリーダーを歓迎する者もいれば、試合が続くのを面白がっている者もいた。
慶介は二人を止めなかった。
それどころか、椅子に深く腰を下ろし、見物するつもりらしい。
仕切りの向こうから律が芙実を呼んだ。
「柚葉とは、今すぐ戦わなくてもいい」
「腕なら、動きます」
「そういうことじゃない。あいつは、腹を立てると――」
柚葉が話に割り込んできた。
「私が何よ。怪我をさせるって言いたいの?」
「試合だってことを忘れるなって言ってる」
「忘れるわけないでしょう」
芙実は打たれた腕をゆっくり伸ばした。
痛みは残っている。それでも、ここで律に頼って引き下がるのは嫌だった。
「受けます」
芙実は律にそう告げ、フィールドに戻った。
柚葉は係員が差し出した練習剣を断り、自分の剣を示した。審判は刀身に保護具を被せ、出力を抑えるよう念を押した。
律は客席を離れ、フィールドの入口に来た。
芙実は律の姿を確かめ、柚葉に向き直った。




