第6章 悪役令嬢を馬鹿にした元ヒロインを、黙らせてやった
「これ、どちらがいいと思います?」
芙実は青い皿と白い皿を両手に持ち、見比べていた。
律は隣で立ち止まった。服を買いに出かけたのだが、帰りに食器売り場にも寄ることになった。
「白でいいんじゃないか。割れたら、似たのを買えるし」
「割ることから考えないでください」
「俺、前に割ったことがあるんだよ」
「見れば分かります。家の食器、揃っていませんもの」
芙実は青い皿を戻し、白いほうを二枚取った。律は一枚だけでいいのではと尋ねかけた。
「律の分も替えます。端の欠けたお皿は、使わないで」
「気にしてたのか」
「口に当たったら危ないでしょう」
律は皿を受け取ってレジに運んだ。買ったシャツの袋もまとめて持つと、芙実は自分で持つと言い張ったが、律には大した重さではなかった。
店を出たところで、後ろから律を呼ぶ声がした。
「律?」
振り返った先に、夏帆がいた。
夏帆はゴーグルを額に押し上げ、律の持つ荷物を見ていた。腕には薄い包帯が見えた。
「買い物? ずいぶん暇そうじゃん」
「休みだからな」
「あたしたちは昨日も潜ってたよ。今度は新しいチームの紹介もあるし」
律は夏帆の腕の包帯が気になったが、本人は平気そうなので、何も聞かなかった。
「そうか。じゃあ、頑張れよ」
立ち去ろうとすると、夏帆が隣の芙実に気づいた。
「あれ。御園生さん?」
「お知り合いですか、律」
芙実も夏帆を見ていた。
律は荷物を持ち直した。
「前に一緒に潜ってた、外山夏帆。配信もやってる」
「ああ。あなたを追い出した方」
夏帆が眉をつり上げた。
芙実は律の隣から動かなかった。
「そんなふうに話してるんだ。まあ、仲間外れにされた側は、そう言いたくなるよね」
「事実だろ」
「いつまでも拗ねてないでよ」
夏帆は笑ったまま芙実に向き直った。
「御園生さんって、あの婚約を駄目にした人だよね? もう次を見つけたんだ。早いなあ」
「私が誰と歩こうと、あなたに関係はありません」
「怒らないでよ。すごいなって思っただけ。人の恋愛にあれだけ口出ししたのに、自分は平気なんだなって」
芙実が夏帆に一歩近づいた。
律は止めようと手を出しかけた。だが、芙実は拳を上げず、夏帆の正面に立ってその顔を見据えた。
「私が誰の恋愛に口を出したとおっしゃるの?」
「みんな知ってるよ」
「私の婚約中に起きたことです。どうして私が何も言ってはいけないのか、説明していただけるかしら」
夏帆は返事をせず、肩をすくめた。
周りの客までこちらを見始めたので、夏帆は少し声を落とした。
「そうやって詰めるから、嫌われたんじゃない?」
「私は質問しただけです。答えられないなら、知らない話に口を出さないで」
「律も大変だね。追い出された腹いせで付き合ってるなら、もっと普通の子にすればよかったのに」
律は荷物を脇に寄せた。
「夏帆」
「何? 本当のことでしょ」
夏帆はまだ笑っていた。
芙実が言い返すより早く、律が口を開いた。
「俺のことはともかく、芙実を馬鹿にするなよ」
夏帆が笑うのをやめても、律は構わず続けた。
「お前はもう俺の仲間じゃない。俺が誰と歩くか、お前に決められる筋合いはない」
「そんなに真面目に怒ること?」
「嫌だって言ってるんだ」
「……あっそ」
夏帆は不満げに唇をゆがめた。
それから芙実に向き直り、律にも聞こえる声で言った。
「そいつ、強そうに見えるだけだからね。うちではいつも後ろをうろうろしてたし。頼りすぎると、がっかりするよ」
「あなたは、ずっとその人に守られていたのではなくて?」
「は?」
「律が誰かの後ろに回るのは、そこに敵がいるからです。私が前を見ていないと、すぐ叱ります」
芙実はそこで律を見た。
頬を赤くした芙実は、もう夏帆のほうを振り返らなかった。
「行きましょう。買い物は済みました」
「ああ」
律は出口に向かった。
夏帆が後ろから何か言ったが、律は聞き返さなかった。
店の外に出ると、芙実は歩く速度を落とした。
店では平然としていた芙実だが、荷物を持とうと伸ばした手は少し震えていた。
「これ、私が持ちます」
「皿だから、任せてくれ」
芙実は手を引っ込めた。
律は芙実に歩調を合わせ、横断歩道の手前で信号を待った。
「あいつの言ったこと、気にしなくていいから」
「気にします。あれだけ言われて、腹が立たない人がいますか」
「そうだな。悪かった」
「あなたが謝ることではありません」
芙実は律を見つめたまま、信号が青になっても動かなかった。
「どうした?」
「……いいえ」
芙実は律の袖を引いて歩き出し、横断歩道を渡り終えるまで放さなかった。
◇
芙実は新しい皿を食器棚にしまい、同じ大きさの白い皿が並んでいるのを確かめた。
後ろでは律がテレビをつけていた。夕食の皿はすでに洗ってあり、買ったシャツも袋から出してある。
夏帆に言われたことは、まだ頭に残っている。
それでも、帰り道に思い返していたのは律の言葉だった。
元婚約者は、誰かが芙実を嫌っていると聞くと、まず理由を尋ねた。そして芙実にも非があると決めつけ、謝るように言った。
だが今日の律は、芙実が言い返しても口を挟まずに聞いてくれた。そのうえ、夏帆にまで怒ってくれた。
芙実は食器棚を閉め、律が座るソファに近づいた。
「少し、よろしい?」
「うん」
律がソファの端に寄った。
隣に腰を下ろすと、律の部屋着から洗剤の匂いがした。少し近すぎただろうか。
それでも、芙実は座り直さなかった。
「今日の方とは、長く一緒に活動していたんですよね」
「そうだな。今の部屋に引っ越す前から」
「仲のいい時期も?」
「悪くなかったよ。あいつの配信がうまくいけば、俺も嬉しかったし」
芙実は律から目をそらした。
テレビには料理番組が映っていた。出演者がカレーを作っている。出来たカレーを眺めていても、作り方は頭に入らなかった。
「戻りたいとは思いませんの?」
「どこに?」
「前のパーティーに、です」
「ないな。追放したのは向こうだし」
「謝ってきたら?」
律が芙実を見た。
そこまで聞くつもりはなかった。芙実は膝に手を置き、答えを待った。
「謝られたことと、もう一度組むのは別だろ。俺が話しても聞かなかった相手に、背中を任せる気にはならない」
芙実は息を吐き、テレビに顔を向けた。
「そうですか」
「何か、気になる?」
「あなたが嫌がる相手に付きまとわれたら困りますから」
律が笑ったので、芙実もつられて笑った。
「今日、ありがとう」
「そんなに気にしなくていいって」
「私が言いたいんです。何度でも」
思いがけず甘えた声になってしまい、芙実は顔を上げられなかった。
律はからかわず、テレビの音を少し下げると、芙実が話し出すのを待った。
このまま律の肩に寄りかかりたい。
芙実はその気持ちをこらえ、膝の上で手を握り直した。
もう、護衛だけを頼むつもりではなかった。明日も同じ食卓に座って、律の好きな食べ物を知りたい。
芙実はテレビを見ながら尋ねた。
「明日の朝、カレーにしましょうか」
「いいな。甘いやつ?」
「甘いのがお好き?」
「どっちも食べるけど、家では甘かった」
芙実はうなずいた。
明日の支度のために立ち上がる気にはなれず、番組が終わるまで律の隣に座っていた。
◇
帰宅した夏帆は、買った服を椅子に放り投げた。
店で律に言われた言葉が、何度も頭に浮かんだ。
以前の律なら、あんな言い方はしなかった。
少し強く頼むと、律が撮影のために戻ってきてくれたこともある。面倒そうな顔をしても、最後には付き合ってくれた。
それなのに今日は、夏帆を残して帰ってしまった。
慶介に電話をかけると、すぐにつながった。
「ねえ、今大丈夫?」
「少しなら。どうしたの」
「今日、律を見たんだけど。御園生さんと一緒にいたよ」
電話の向こうで、何かを置く音がした。
「芙実が?」
「そう。二人で買い物してた。律、結構かばっててさ。あたしが話しかけただけなのに、急に怒るの」
「何を買っていた?」
「服と、食器かな。よく見てないけど」
慶介はしばらく返事をしなかった。
夏帆は椅子に座り、ゴーグルを外した。
「関わらないほうがいいって、言ってあげたつもりだったのに」
「余計なことはしなくていいよ。彼女のことは、僕が知っている」
夏帆は、分かったと答えた。
電話を切ってから、律との連絡画面を開いた。こちらから何も送っていないのだから当然だが、律からも新しい連絡はなかった。
今さら自分から連絡する必要はない。先に困るのは律のほうだ。
夏帆は連絡画面を閉じ、椅子に放り投げた服を袋に戻した。




