第4章 悪役令嬢、助けられたくせに態度がでかい
翌朝、律は芙実を迎えにホテルを訪れ、彼女の足元にある旅行鞄に目を留めた。
「どこかに移るのか?」
「あなたの家に」
「俺、そんな話したか?」
芙実は杖代わりにしていた傘を閉じ、足をかばいながら椅子に座り直した。昨日よりは歩けるようだ。
「護衛の方と毎朝待ち合わせて、毎晩ここに戻るのは不便でしょう」
「だからって、いきなり男の家に泊まるのかよ」
「それとも、ホテルの廊下で待っていただくほうがよろしいんですの?」
それは律も嫌だった。
護衛を引き受けた以上、夜に出歩かれては困る。それに、律の家には装備置き場にしている部屋が一つある。
「空いてる部屋はあるけど、狭いぞ」
「寝る場所があれば結構です」
寝る場所さえあればいいと言っていた芙実も、いざ律の家に着くと玄関で立ち止まった。
律が住んでいるのは、駅から少し歩いたところにある古い賃貸マンションだった。小さな台所の奥に二部屋あり、床には乾かしている防具が置いてある。
「本当に、ここに住んでいらっしゃるの?」
「寝る場所があればいいって言ったばかりだろ」
芙実は黙って靴を脱いだ。
痛めた足で床の防具をまたごうとした芙実が、よろめいた。律はその肘を支え、邪魔な防具を片づけた。
「そっちの部屋を使って。今、荷物をどかすから」
律が壁際の箱を自分の部屋に運ぶと、芙実が寝具を広げるだけの広さはできた。ただ、もう一つ箱をどかさなければ窓が開かない。
戻ってくると、芙実がその箱に両手を掛けていた。
「足が治るまでは持つな」
「でしたら、こちらに寄せてください。窓が開きません」
「分かってるって」
昼は芙実の希望で焼き魚の弁当を買ったが、食べ始めると、彼女は骨を取るのに苦労していた。
「苦手だったのか?」
「家では、骨を取りやすいようにしてもらっていましたから」
「嫌なら残していいぞ」
「食べられます」
律は何も言わず、自分の唐揚げを一つ食べた。
芙実は魚を裏返し、慎重に箸で骨を取っていた。ようやく骨を脇によけると、律が見ていないことを確かめてから、魚の身を口に運んだ。
「明日はあそこの店で昼食を取りましょう。帰りに靴も見たいです」
「明日は潜る。昼過ぎまでは帰れない」
「私も行きます」
「その足じゃ無理だ」
「一生、椅子に座っているわけにはいかないでしょう」
律が顔を上げると、芙実は弁当の蓋を置いた。
「昨日は、自力で逃げ切れませんでした。だからといって、何もできないままでいるつもりはありません」
芙実は玄関に置いた傷だらけの靴を見ていた。
「戦い方を教えてくださる? アイスバインドは使えます」
「知ってる。当たらなかったのも見た」
「だから、教えてほしいと言っているんです」
律は箸を置いた。
芙実の氷魔法は十分な厚さがあった。ただ、敵の動きを見ずに、そのときいる位置ばかり狙っていた。
足が治れば、練習にちょうどいい魔物がいる。
「まずは普通に歩けるようになってからだ。それと、靴は走りやすいやつにしよう」
「では、選ぶのを手伝ってください」
「見た目だけで決めるなよ」
「あなたの靴よりは、ましなものを選びます」
律は玄関にある自分の靴を見た。靴ひもがほつれている。
自分の靴も、ついでに買おうと思った。
◇
二日後、芙実の足の痛みはなくなった。
律は新しい運動靴を履いた芙実を連れ、ダンジョンの低層にある広い通路に入った。胸元の防具の留め具を確かめていると、芙実が立ち止まった。
「何もいませんわね」
「右の壁。濡れてるところを見て」
右の壁には、周囲の石と色合いが微妙に違う部分があった。
芙実が近づこうとするのを律が腕で制すと、壁の前で透明な脚が動いた。
グラスマンティスだ。透き通った外皮が周囲になじみ、見つけにくい。だが、攻撃する前には後脚を地面に据える。ゲームで何度も相手をした律は、その癖を知っていた。
芙実は見失うまいと目を細めた。
「私が止めればいいんでしょう?」
「動いてる間は待って。あいつが前脚を振り上げたら、後脚を狙うんだ」
「その頃には、斬られません?」
「俺が前にいるから、大丈夫」
律は芙実の前に出て、剣を抜いた。
グラスマンティスが壁を離れた。
グラスマンティスが鋭い前脚を振るう。律はそれを斜めに受け流し、芙実の側に回り込むのを防いだ。
「アイスバインド!」
敵が脚を引いたあとの床に、氷魔法が広がった。
芙実が息をのんだ。律は前脚を打ち返し、敵を再び自分のほうに向かせた。
「追いかけなくていい。もう一度、前脚をよく見て」
グラスマンティスは低く伏せ、律の脚を狙った。
律が跳び退くと、振り切った前脚が壁に当たり、石が飛び散った。芙実が逃げようとしたので、律は彼女と敵の間に入った。
ここなら、芙実の逃げ道を確保しながら敵を引き受けられる。
「怖ければ、今日はここまでにするか?」
「……今度は、待ちます」
律はそれ以上言わなかった。
律が剣で前脚を押さえ込むと、グラスマンティスは力比べを嫌って後退した。律はすぐに一歩詰める。
グラスマンティスが両方の前脚を振り上げた。
上体を起こし、後脚で強く踏ん張る。
芙実の氷魔法が、踏ん張った後脚を包んだ。
「かかった!」
律は芙実の声を聞きながら、敵の懐に踏み込んだ。
グラスマンティスが氷魔法から逃れようと胴体を傾ける。律はクロスブレードで首を横薙ぎに斬り、返す刃で振り上げた前脚も断ち切った。
律が振り返ると、芙実は両手を握り、倒れた敵の後脚を見つめていた。
「今、動けなくなりましたよね」
「ああ。ちょうどいいタイミングで止めたな」
「当てれば、効くんですのね」
芙実は笑った。
得意げに言い返すときとは違い、歯まで見せている。律は返事も忘れ、しばらく見とれてしまった。
「何です?」
「いや。いい顔するなと思って」
「顔の話ではなくて、スキルの話をしているんです」
芙実はすぐに口を閉じた。
耳が赤くなっている。律は目をそらし、剣の汚れを拭き取った。
「今日は帰ろう。マナも減ってるだろ」
「あと一体くらいなら」
「その一体で外したら、悔しくて次もやるだろ?」
「……否定はしません」
芙実は手袋を外し、まだ少しふらつきながらも自分で歩き出した。
律が隣に並ぶと、芙実が話しかけてきた。
「家でも御園生さんでは、呼びにくいでしょう?」
「じゃあ、芙実でいいか」
「ええ。私も、律と呼びます」
芙実はまだ慣れないのか、律の名を口にする前に少し間を置いた。
律はうなずき、芙実と一緒に出口に向かった。
◇
帰宅した律が風呂から出ると、台所に芙実が立っていた。
長い髪をまとめ、律から借りたエプロンを着けている。
「今夜は私が作ります。座っていてください」
「料理、できるのか?」
「オムライスなら、何度も食べました」
律は椅子を引きかけて手を止めた。
芙実の手元には冷えたご飯と卵があり、皿には厚さがばらばらに切られた鶏肉が載っていた。
「それ、鶏肉を生のままご飯と一緒に入れるつもりか?」
「炒めるんですから、火は通るでしょう」
「まず肉を炒めよう。大きいのは、もう少し小さく切ってくれ」
「座っていてと言いましたのに」
「腹減ってるんだ。早く食べたい」
律は隣に立つと、別のまな板を出して玉ねぎを切った。
芙実は口を尖らせながら鶏肉を切り直し、フライパンに入れる油の量も律に尋ねた。
炒めたご飯を皿に盛ると、芙実が最後に卵を焼いた。
ところが、包もうとした途端、卵の端が大きく破れた。
「あっ」
芙実が火を弱めた。
律が皿を近づけても、芙実はへらで卵の破れ目を直そうとしていた。
「もう、そのまま載せよう」
「まだ直せます」
「固くなるぞ」
芙実は悔しそうに、卵をご飯の上に滑らせた。
律の皿にはきれいな部分を載せ、破れた部分は自分の皿に分ける。
「そっちも食べていいか?」
「わざわざ形の悪いほうを?」
「味、一緒だろ」
律は自分の皿を半分ほど食べると、芙実の皿から卵を一口もらった。少し焼きすぎていたが、ケチャップライスにはよく合っていた。
「うまいよ。明日もこれでいいくらいだ」
「毎晩オムライスでは困ります」
「毎日作れば慣れるかと思って」
「飽きるのが先ですわ」
芙実が笑い、律もつられて笑った。
食べ終わる頃には、明日の朝、残った卵で何を作ろうかという話になっていた。
◇
布団に入った芙実には、壁の向こうから水の流れる音が聞こえていた。
律が皿を洗っているのだ。自分が洗うと言ったのに、今日は疲れただろうからと先に寝かされてしまった。
芙実は枕元にスマートフォンを置いた。
画面をつけても、読みたい連絡はなかった。婚約を破棄されてからは、毎晩寝る前になるとあの日の言葉がよみがえり、元婚約者の言い分を支持した人たちの顔まで思い出してしまう。
今夜は、うまく包めなかったオムライスの卵のことを思い出していた。
律は嫌がりもせずに食べてくれた。きれいに焼けたほうを渡したのに、破れた卵にも箸を伸ばした。
こんな部屋で、こんな夕食を食べる日が来るなんて、思いもしなかった。
それでも、食事中は一度も婚約者の顔を思い出さなかった。家を出てから、初めて声を出して笑えた。
芙実は寝返りを打ち、昼間に律から言われたことを思い出した。
いい顔をする、と。
芙実は慌てて布団を引き上げた。
誰も見ていないのに、頬は昼間よりも熱くなっていた。




