ep18.準極星昇格試験・実技
エルヴは破損した鎧を携えて、ダリオ、ネフィラと共に鋼骨工房に向かった。だが、店内には店主であるガルドも、その助手であるトビアスの姿もない。
「留守か?」
作業台の上には、記録板や巻き尺が出しっぱなしになっている。
「裏かもしれない」
ネフィラが言って、店を出て裏手に回る。
店の裏手には、石造りの水路が横たわっていた。そこではガルドとトビアスが、水面から木箱を引き上げている最中だった。傍らには手帳を開いたエイレンが立ち、箱の付票を確かめている。その脇には台車が2台用意されていた。
「ガルドさん」
ダリオが声をかけ、手を振る。エルヴたちも足早に駆け寄った。
「おう、無事だったか」
ガルドが汗の浮かぶ額を太い腕で拭い、短く応えた。水路に浮かぶ魔導船からは、作業員の手によって次々と木箱が下ろされている。
「これは?」
エルヴが尋ねると、ガルドは引き上げた木箱の留め具を外し、蓋を押し開けた。
「お前たちが狩ってきたやつだ」
箱の中には、ナザルク式保存槽が積まれていた。覗くと、薬液で満たされた内部には、魔狼の骨格や厚い毛皮が納められている。
「トビ、さっさとしまうぞ」
「はいっ」
ガルドとトビアスが手際よく木箱を持ち上げ、台車へ積んでいく。ネフィラとエルヴもすぐさま脇に回って手を貸した。
「俺、筋肉強化してるんで」
ダリオが腕まくりし、重い木箱を軽々と持ち上げて、もう1台の台車へ積んでいく。
一通り全ての荷を積み終えると、エイレンが手元の帳面を指でなぞった。
「…鋼骨工房さんの分は以上ですね」
エイレンはもう一度台車の付票をざっと確認し、頷いた。彼はペンの後端で帽子を軽く持ち上げると、静かに船へと戻っていく。船体が水路をゆるやかに進み、次の工房の岸壁へと寄せられていった。
「あの人も大変だなあ」
遠ざかる船を見送りながら、ダリオが呟く。
「まったくだ。地震があってからは余計だな」
ガルドが太い首を振った。
「地震?」
ネフィラが問い返す。
「12年前の地震だ。あれでここの水路の水深が浅くなった。そのせいで大型船が通れなくなっただろう」
仕立て屋や工房の多くは、荷揚げされた素材をいち早く確保するため水路沿いに店を連ねている。かつての主要水路は王都の中心を縦貫していたが、12年前の地震によって放棄された。ガルドの鋼骨工房は、現行の主要水路からやや外れた位置に残されていた。
「それを、ヴェルム殿は小型船でもよければ、とわざわざ素材を回してくれてる。うちの店がやっていけるのは、あの人とナザルク先生の保存槽のおかげだ」
ガルドはそう言って、台車を押し、店内に運び込んだ。ダリオがもう一台の台車を押して後に続く。
エルヴは店内に入ると、持ってきた革鎧を見せた。魔狼の毒牙によって引き裂かれ、糸が途切れている。
「ひどくやったな。大丈夫だったか?」
「ええ。何とか」
エルヴが苦笑いを浮かべると、ガルドは破れた革の断面を太い指先でなぞった。
「直すのなら1週間くらいで終わる。その時また取りに来てくれ」
「お願いします」
エルヴは頷き、一同は工房を出た。
扉をくぐる間際、向かいから歩いてきたナザルクとすれ違う。その腕には、また新しい保存槽が抱えられていた。
「やあ」
ナザルクは親しげに声をかけると、すれ違いに店内へと入っていく。その背後から、保存液独特の薄荷に似た匂いが、かすかに漂った。
魔獣狩りから2週間が経った。
エルヴはカエルに餌をやっていた。彼が歩み寄ると、カエルは餌をもらえるのが分かるらしく、水を蹴ってエルヴに近づいてくる。彼は以前のカエルのことを思い出し、追加でもう一粒餌を差し出した。
「あ、ずるいぞ。エルヴ。私にはやりすぎるな、と言うくせに」
「指が滑ったんです」
「嘘だ。エルヴの指に限ってありえない」
ネフィラが頬を膨らませるが、エルヴは適当にいなして彼女の脇をすり抜けた。
「…」
ネフィラが黙っている。
「…あとで、餌やります?」
「違う」
ネフィラはエルヴの袖を掴んだ。
「明日、実技だろう」
「…えぇ」
不合格ならば、極刑。その準極星試験の実技が、明日に迫っていた。
「エルヴなら受かる」
「ありがとうございます」
「でも」
ネフィラが俯く。
「…何か、何かあったら、私は…」
「…」
エルヴは餌の袋を引き出しにしまった。俯くネフィラの手が震えている。エルヴは口を開いた。
「ネフィラさん」
エルヴが声をかけても、ネフィラは顔を上げない。
「…ずっと、思っていた」
ネフィラは拳を握りしめる。
「エルヴが罪に問われたのは、私のせいだと。…あの時、私が瓶を転がしたから…」
握った彼女の拳が強張っていた。ネフィラは、ずっと自分を責めていたのだ。
「ネフィラさん」
エルヴは言った。
「レティ姉さんが助かったのは、あなたのおかげです」
「違う!それはエルヴが…!」
「違いません。俺は知っています」
エルヴはネフィラの右手をとった。
「この前の魔獣狩り、ネフィラさんは大活躍でした」
「…っ、今は関係ないだろう」
「あります。ネフィラさんを仕立てたのは俺ですから」
ネフィラが顔を上げた。
「この魔法陣を縫ったのも俺ですし、あなたの筋肉や骨、心肺を強化したのも俺です」
「そうだ」
「あなたは、優秀な騎士です。」
「…エルヴのおかげだ」
「はい。俺の仕立てです」
ネフィラは握られていた拳を解いた。
「私はお前がレティシアを縫うのを見た」
ネフィラがエルヴを真っ直ぐに見つめる。
「エルヴ、私は知っている。お前の針を。お前の針は、命をつなぐ針だ」
ネフィラはゆっくりとエルヴの手に自分の手を重ねた。
「お前の針が、お前の命をつなぐと、私は信じている」
準極星昇格試験の実技は、中央縫籍院地下の施術室で行われた。
試験官のヴェリシアとエイレンが受験生たちの施術台を回っている。
エルヴの施術台の上には、魔獣狩りの最中に脱落した銀翼の一部が置かれていた。毒に侵された部位は切除され、保存槽に浸されている。
エルヴに与えられた課題は「銀翼の修復」であった。通常の受験者は、髪・爪・皮膚のいずれかに、一種の魔物素材を定着させることが課題となる。だが、すでに翼を持つエルヴの場合は、特例措置がとられたのだ。
エルヴは手元の帳面に必要な道具と素材を素早く書き留めると、手を挙げて試験官を呼んだ。歩み寄ったエイレンが帳面を受け取り、素材棚へと向かう。間もなく、必要な薬液と肉糸、そして骨針が作業台の上に揃えられた。
白蜘蛛糸織りの手袋を嵌めたエルヴは、保存槽から毒のまわった羽根を取り出した。浸透した毒素を中和液で丁寧に洗い流し、欠損した部位には骨装肉糸を補綴していく。
続いて、脱落した羽根の残骸に指を伸ばした。傷んだ肉糸を裁ち落とし、いきている糸の弾力を確かめる。重なり合う羽根を静かに掻き分け、接続部の状態を注視した。
(…ほとんど毒の痕が無い)
エルヴの指先が止まる。直接牙を受けた部位とその周辺は青黒く蝕まれていたが、それを囲む羽根にはわずかな変色がみられる程度で、激しい綻びや断裂は見当たらなかった。変色部位に毒抜き処理を施し、継ぎ目を確かめながら丹念に綴り合せていく。
それを終えると、脱落した部位全体の根元を確認した。肉糸は大きく解けていたが、毒による組織の損傷はどこにもない。
(なぜ…?)
疑問を胸の奥に押し込め、作業を前進させる。深く息を吐き、背の銀翼を展開した。地下施術室に金属質の光沢が広がると、周囲の受験者たちから抑えたざわめきが漏れた。エイレンがちらりと視線を向け、巡回していたヴェリシアが足をとめ、感嘆を含んだ息を吐いたのが気配で分かった。
エルヴは右翼を腹側へと反らせ、上体をひねって根元の損傷を確かめる。本体側の肉糸も完全に解けていた。欠けた部分に指を当て、構造を追うように上へと滑らせる。脱落の起点を確かめるためだ。指先が肩に触れた。
(金の針だ)
指が止まる。金の針が刺さっていた位置が、まさに崩解の起点となっていた。
天幕でクロイゼンと交わした会話が脳裏をよぎる。暴走する魔力を止め、肉体の崩壊を一点で留める「停止点」。そう聞かされていたはずだった。だが、この解け方は違う。
ヴェリシアが隣の施術台を離れ、エルヴの席のある列へ歩を進めてくる。
(今は、これを直すことだ)
思考を切り替え、銀の骨針に肉糸を通した。脱落した翼をあてがい、滑らかな運針で縫い合わせていく。崩解は羽根の流れに沿って起きていた。それはあたかも、繊維の筋に沿って剥がされた果物の皮のようだった。
最後の結び目を締め、エルヴは静かに一息ついた。
思考が再びクロイゼンの言葉へ引き戻される。「右翼丸ごと腐り落ちた」—彼はそう語っていた。だが、エルヴの翼は一部だけが構造に沿って剥がれ落ちた。
「そこまで」
試験終了の合図が地下室に響いた。ヴェリシアとエイレンが一人ひとりの席を巡り、手元の帳面に評価を書き留めていく。
エルヴの前に止まったヴェリシアは、翼の様子を細部まで観察し、何度か動作を確かめるよう促した。仕立て直された銀翼が滑らかな音を立てて撓む。
「…美しいわね」
彼女は小さく呟き、帳面にペンを走らせた。
試験を終え、地下から地上へと通じる階段を上がると、縫籍院の入り口でダリオ、ライル、リゼット、そしてネフィラが待っていた。ダリオとライルは熱を帯びた口調で、先ほど目撃したエルヴの翼について語り合っている。
「エルヴ、どうだった?」
ネフィラがまっすぐに歩み寄ってくる。
「うまくいきました」
「そうか。よかった」
緊張の解けたネフィラが、安堵の笑みを浮かべた。
「そういえば、みんなはどんな仕立てにしたの?」
エルヴが尋ねると、ダリオが自慢げに前髪をかき上げた。茶色の毛先が、薄く朱色に染まっている。
「俺は髪だ。火鼠の毛を仕込んだ。火がついたって焦げつきもしないぜ」
「髪の毛が燃えるような局面に、そう頻繁に遭うものか?」
ネフィラが呆れ顔で突っ込むと、ダリオは苦笑いを浮かべた。
「僕はここだよ」
ライルが右手首を差し出す。手首を一周するように、青白い氷竜の鱗が隙間なく象嵌されていた。皮膚との境目に縫い目は見当たらない。
「隠し縫いだね」
「ああ、かなり練習したんだ」
ライルが照れくさそうに微笑む。
「私は爪よ」
リゼットが左手をかざした。小指の爪が藍色に変わっている。
「魔狼の毒腺か」
「ええ。あなたほどの大掛かりな仕立てじゃないけれどね、エルヴ」
リゼットは爪をちらりと見やり、微笑んだ。
「俺は…」
エルヴが自分の施術内容を説明しようとしたところで、ふと周囲を見回した。
「そういえば、ミレイユは?」
その問いに、リゼットの笑みが消えた。
「…先に帰ったわ」
ライルも黙って視線を地面へ落とす。
「何かあったのか?」
ネフィラが眉をひそめた。
「ミレイユは、その…」
ライルが言葉を濁しかけた瞬間、ダリオがパンと威勢よく手を叩き、間に割り込んだ。
「まあまあ!実技も無事に終わったんだ、飯でも行こうぜ。四条にさ、魔狼肉のステーキが抜群にうまい店があるんだよ」
「ほう、肉か。いいな」
ネフィラが即座に反応する。
「僕も賛成かな」
「…そうね、悪くないわ」
ライルと、爪をちらりと見たリゼットも頷いた。
「じゃあ、そこに行こうか」
エルヴが応えると、ダリオは「決まりだな!」と声を弾ませ、賑やかな大通りに向かって歩き出した。だが、エルヴの脳裏には試験の時に覚えた違和感が、結び間違えた糸のように引っかかっていた。




