ep15.二ツ星通り
「足が生えてる」
扉脇の水槽をのぞき込んだネフィラが声を上げた。水槽の中では、エルヴが選んだオタマジャクシが気持ちよさそうにすいすいと泳いでいる。生え始めたばかりの小さな足が、器用に水を蹴って進んでいた。
「不思議だな。縫われたわけでもないのに」
「ほんとだなあ。これがカエルになるんだから」
「なあ、エルヴ、前足が生えるのはいつ頃…」
ダリオと話していたネフィラが振り返り、固まった。
エルヴは、日課の柔軟を行なっていたところだった。うつ伏せの状態から足を持ち上げて反らし、頭を通り越して足裏を顔の横に下ろす。
「…毎度思うがお前の身体はどうなっているんだ」
「三ツ星職人なら珍しくないですよ。ナザルク先生なんかこのまま前進できますし」
「その姿勢でか?」
ネフィラが目を見開く。実際、高位の仕立て師ほど柔軟性に優れる。自分自身を可能な限り縫うためだ。また、職人でなくとも、異形化仕立てを受けたものも、柔軟性に優れることが多い。異形化部位を自己管理するためである。驚くネフィラの隣で、ダリオがニヤニヤ笑いながら手の甲を反らし、指先を手首につけた。
「お前もか…」
ネフィラの言葉にダリオが吹き出すと、つられてエルヴも笑った。
「なあ、エルヴ。そろそろ時間じゃないか」
ダリオが部屋の隅の時計を見やった。
「あ、ほんとだ。じゃあ出ようか」
エルヴは上着を引っ掛けると、腰の針箱を確かめ、水槽をのぞき込んだ。二本足のオタマジャクシが、滑るように水草をすり抜けた。
乗り合い魔導車から降りると、王都四条の喧騒が耳に飛び込んできた。
「こっちだ、エルヴ」
エルヴが首を伸ばすと、ライルが街灯の下で手を振っている。彼の隣にはミレイユとリゼットが並んでいた。
「いつ来ても騒がしいところだわ」
ミレイユが眉をひそめる。
「試験のためだと思って我慢しようよ」
ライルがミレイユをたしなめると、彼女はかすかに頬を染めて頷いた。ライルは気づかぬ様子で物珍しそうに辺りを見回している。
「こっちだ。目立つ店だからすぐ分かるぞ」
ネフィラが一行の先に立って歩き出す。エルヴたちが後に続く。ここに来たのは、準極星昇格試験の一環である「魔獣狩り部隊従軍」のための簡易鎧を購入するためである。
―縫工街。
その正式名称で呼ぶものはほとんどいない。この四条の通りには、防具・鞄・靴・装具職人たちの工房が軒を連ねている。殆どが、三ツ星に届かず、二ツ星で針をとめた職人たちだ。
「二ツ星通り」
ミレイユが呟く。
石畳を叩く木槌の乾いた打撃音が、空気をついて響いている。二つ星通りは、骨灰と蝋の匂いに満ちていた。軒並みに並ぶ灰色の石造り店舗の壁面には、魔獣の肋骨や鉄骨のフレームが打ち込まれ、要塞のような起伏を形作っている。厚革に錐を打ち込む規則的な音、硬質な肉糸を引き締める革包丁の擦過音が、通行人の足音を打ち消すように通りへ溢れ出していた。
「ここだ」
路地の角でネフィラが足を止めた。竜の肋骨を模した骨材が屋根を飾っている。頭上に掲げられた立体看板は、分厚い革と太い肉糸、金属プレートで編み上げられた巨大な小手のかたちをしている。そこには、掠れた文字で『鋼骨工房』と刻まれていた。
「親父さん、いるか?」
ネフィラが鉄の閂をずらし、重い扉を押し開けながら声を張る。
奥の作業場から、踏みしめる足音とともに巨躯が現れた。白髪の混じる褐色の髪を雑に後ろで束ね、太い首と削り出しの丸木のような腕をさらした大男だ。身につけた厚手の革エプロンは、無数の切り傷と黒ずんだ油脂で塗れている。
「おう、今日はどうした?」
「紹介しよう。この鋼骨工房の主の、ガルド・ホルン殿だ。クロイゼン将軍の甲冑も彼の作だぞ」
ネフィラが胸を張って示す。
二ツ星は骨を縫う。この通りは、硬質素材の扱いや、立体的な縫製技術に長けた職人が腕を競う場でもあった。三ツ星以上の騎士であっても、殆どが甲冑を二ツ星通りで仕立てる。
「クロイゼン将軍の…」
ライルがガルドを見上げた。その隣でミレイユは興味なさそうに視線を泳がせ、爪の先を弄んでいる。リゼットは棚に並ぶ防具の裾に付けられた値札の数字を素早く拾っていた。
「あの、俺たち、準極星試験の魔獣狩りのための鎧を買いに…」
エルヴが前に出て切り出す。
「ああ、そういやそんな時期か。おい、トビ、トビアス!」
ガルドが作業場の奥へ向かって太い声を張り上げた。奥の扉から、巻き尺と木製の記録板を抱えた少年が勢いよく駆けてくる。
「お前はこっちの兄ちゃんたちを測れ」
ガルドの指示に少年が短く返事をし、緊張した面持ちでダリオの肩幅に巻き尺を当て始めた。ダリオが、「また鍛えたんだぜ」とトビアスに笑いかける。
ガルド自身は手近にいたリゼットの前へ立ち、雑な所作からは想像もつかない素早さで肩骨から胸囲、肘までの寸法を測り終えていく。
「どれくらいでできるんです?」
ライルが作業台の型紙に目をやりながら尋ねた。
「全部で3週間くらいだな」
「5人分を3週間で?」
リゼットが目を見開く。
「ああ、簡易の革鎧だからな。大まかな型は決まってる。あとは縫い合わせるだけだ」
ガルドは鼻を鳴らし、測り終えたリゼットの横を通り過ぎてミレイユの肩に巻き尺を掛けた。
「ところで、クロイゼン将軍の甲冑はどれくらいかかるんですか?」
ライルが尋ねた。
「一年だ」
「一年?」
エルヴが思わず声を漏らす。
「あいつは骨格からして常人離れしてる。筋力も可動域も桁外れだ。並の甲冑じゃついていけねえ」
ガルドの指がミレイユの背骨に沿って滑り、寸法の数字を澱みなく口にする。
「将軍の甲冑は黒竜製だからな」
ネフィラが腕を組み、当然のように言った。
「材料も希少ですね」
ライルが感心したように息を吐く。ミレイユの採寸が終わり、彼女は肩を竦めながら自分の服の皺を伸ばした。
「鎧に刺繍って入れられるのかしら」
「何の意味が?」
不思議そうに小首を傾げたネフィラに、ミレイユは視線を逸らした。
ライルの採寸が済み、ガルドの手元はエルヴへと移る。太い指先がエルヴの鎖骨から肩甲骨の起伏をなぞっていく。
不意に、外の喧騒の質が変わった。石畳を揺らす重厚な魔導車の駆動音が店舗の前で止まる。頑丈な扉が押し開かれ、二人の男が姿を現した。
漆黒の軍服を隙なく纏ったクロイゼンと、白衣の裾を揺らすナザルクだった。
「おう、将軍、先生、待ってたぜ」
ガルドが巻き尺を首に掛けたまま手を上げた。ナザルクは手にしていた金属製の保存槽を無造作に差し出す。
「黒竜の腱が手に入ってね。ぜひ君に、と」
ナザルクの言葉に、ガルドの厳めしい顔がわずかに緩んだ。保存槽を受け取ると、その重みを確かめるように揺らす。
「トビアス!しまっとけ」
駆け寄ってきたトビアスに保存槽を押し付け、ガルドはクロイゼンに向き直った。
「将軍、今年のも、もう仕上がってるぜ」
クロイゼンは無言で短く頷くと、従者を従えて無造作に店の奥へと歩を進めた。
トビアスとガルドの手によって全員分の採寸が記録板に記入し終わる頃、奥の部屋の重い扉が開いた。
現れたクロイゼンは、黒い甲冑を全身に纏っていた。黒竜の甲殻と黒鉄のプレートが、一切の隙間もなく彼の細身の輪郭へと吸い付くように沿っている。動作の度に肉糸と関節部が滑らかに噛み合い、装甲同士が触れ合う金属音が低く響いた。
ガルドが腕を組み、満足そうにひとつ頷く。
「表へ」
ガルドの促しに応じ、クロイゼンが店舗の外へと歩み出た。直後、二つ星通りの路地から破裂するような歓声とどよめきが湧き上がる。何事かと顔を見合わせたエルヴたちは、引き寄せられるようにして鋼骨工房の扉をくぐり出た。
工房の外に、いつの間にか人だかりができている。他の防具師や、その見習いらしき若者たちが、示し合わせたように軒先へ集まってきていた。
「…何かの祭りですか」
エルヴが困惑して呟くと、ダリオが噴き出した。
「祭りみたいなもんだ。クロイゼン将軍の新調日。通りの名物でな」
ガルドが笑う。
「将軍、動いてみてくれ」
ガルドの言葉に、クロイゼンが数歩進み、剣を抜く仕草をし、身を捻る。関節の擦れる音は、驚くほど静かだった。
「ほう…」
「肩周りの遊びが今回はいい」
集まった職人たちが、遠巻きに小さく言葉を交わす。
(クロイゼンさんの試着を、見物に集まっているのか)
英雄の名は、王都のどこにいても付いて回る。鉄針府での接触以来、エルヴはまだ彼の異名の重
さを測りかねていた。人だかりの正体がそれだと思うと、妙な居心地の悪さが胸の奥で疼く。
クロイゼンが大きく腰を捻る。常人ではあり得ない角度まで、上半身が滑らかに回った。周囲から、感嘆とも呻きともつかない声が漏れる。
「―可動域、規格外すぎるんだよなぁ、この人」
一人の職人がぼやいた。
「当たり前だ。九分仕立てだぞ」
クロイゼンの一挙一動に群衆がざわめく。隣のダリオは、目を輝かせてクロイゼンを見ている。ネフィラも同じだ。振り返ると、ミレイユとリゼット、ライルは店内に戻り、三人で何か話しているようだった。エルヴは息をつき、ネフィラとダリオごしにクロイゼンを眺めた。
一通りの確認を終えると、クロイゼンは表情を変えぬまま、留め具を外し始めた。胸当て、籠手、脛当てと、慣れた手つきで甲冑を脱ぎ、台車に置く。
その瞬間だった。
「―待ってください、その肩当ての内側」
「おい、押すな」
「裏地、裏地!触らせてくれ!」
人垣がどっと動いた。クロイゼン本人ではなく、彼が脱ぎ捨てたばかりの甲冑の各部品へ、職人たちが我先にと群がっていく。
「見ろ、外装と裏地で肉糸の締め方が全然違う」
「おい、この裏地、外側と張力が違うぞ」
「そりゃそうだろう、外は弾く、内は殺す。当たり前だ」
誰もクロイゼン本人を見ていない。彼は今や、ただ甲冑を脱いだだけの一人の男として、その場に立っている。
「……」
エルヴは呆気にとられ、思わずクロイゼンの様子を窺った。だが、クロイゼン自身は特に気を悪くした様子もなく、その光景を眺めているだけだった。慣れている、という顔だった。
「…いつもなんですか」
エルヴが小声で尋ねると、クロイゼンはわずかに口の端を緩めた。
「毎度だ。ここでは俺はただの試着台になる」
クロイゼンは平坦な声で続けた。
「連中が見ているのは、鎧の出来だ。俺の顔じゃない。…悪い気はしない」
エルヴは何と返せばいいか分からず、視線を台車の上の甲冑へと移す。
職人たちの一人が、肩の継ぎ目を指でなぞりながら唸っていた。
「なあガルドさん、なんでここだけこんなに薄くしてあるんだ?他はあれだけ頑丈にしてるのに」
作業台の向こうから、ガルドが革のエプロンで手を拭いながら歩いてくる。エルヴの視線に気づく
と、彼は白い歯を見せて笑った。
「おう、お前も見てくか」
促されるままエルヴが覗き込むと、肩当ての継ぎ目の一箇所、確かに他の部分よりも明らかに薄
く削られた箇所があった。
「これは…?」
「壊れる場所だ」
ガルドはあっさりと言った。
「鎧ってのはな、硬けりゃいいってもんじゃない。どこかに一点、"ここなら壊れてもいい"って場所を作っておく。じゃないと衝撃の逃げ場がなくて、全部いっぺんに砕ける。骨も、鎧もな」
太い指が、薄く削られた継ぎ目を軽く叩く。硬質な音が小さく鳴った。
「頑丈にしようとすればするほど、逆に一番弱いところに、全部の力が集まっちまう。だから先に
"逃がす場所"を決めておくのが、俺の仕事だ」
エルヴはもう一度台車の上の甲冑を見つめた。職人達が、各部位を指し示したりなぞったりしながら意見を交わし、熱心に手元の帳面に何かを書き込んでいる。
クロイゼンの従者は、呆れたように議論を続ける職人たちを見ている。クロイゼンは「任せた」と従者に告げると踵を返した。
店内に戻っていくクロイゼンについて、エルヴも扉をくぐった。最後にガルドが店に入る。クロイゼンに話しかけるネフィラとダリオを見やったあと、エルヴは店内を見回した。ライル、リゼット、ミレイユは肉糸の染料にも使われる骨灰の棚を物色している。ナザルクは壁にかけられた魔狼の頭骨の匂いを嗅いでいる。エルヴが飾られた甲冑と防具の間をすり抜けて店の奥に向かうと、工房の隅で一人、忙しなく採寸帳をめくっている少年がいた。ガルドの見習い、トビアスだった。
「…あれ」
トビアスが首を傾げる声に、ガルドが眉を寄せた。
「どうした」
「いえ、その…ヴェルム様の採寸記録なんですが」
トビアスが差し出した帳面には、几帳面な字で数値が並んでいる。
「先月と比べて、右腕の太さが、また少し違うような…。腹囲も…。いや、前々回と比べると今度は逆で、右腕は上がってて」
「監査官殿の話か」
エイレンは、監査として魔獣狩り部隊に同行する際、簡易甲冑を身につける。その採寸は、ここしばらくトビアスが任されていた。
「お前の測り方がまだ甘いんだろう」
ガルドがぶっきらぼうに帳面を覗き込む。
「す、すみません…でも、今回は特に気をつけて測ったつもりで」
「ヴェルム殿は監査で忙しい方だ。立ち姿勢が毎回違うだけだろう」
ガルドはそう言って帳面を閉じ、それ以上は取り合わなかった。トビアスは納得しきらない顔のまま、それでも親方の言葉に頷くしかない。
「そういうものですか…」
「そういうものだ。人体なんて、日によって驚くほど変わる。仕立て屋にでも聞いてみろ」
水を向けられ、エルヴは曖昧に頷いた。
「…多少の誤差は、あると思います」
トビアスが頭をかく。閂の鳴る音がして、工房の入り口に、当のエイレンが軽く一礼して姿を現した。
「賑やかだね。今日はクロイゼン殿の新調日か」
「ヴェルムさん、ちょうどいい。今度また採寸させてください」
トビアスが慌てて声をかけると、エイレンは柔らかく微笑んだ。
「ああ、頼むよ。私の採寸はいつも君に世話になっている」
エルヴは軽く会釈だけを返し、視線を店の大窓に戻した。通りでは、職人たちがまだ、クロイゼンの甲冑を囲んで議論を続けている。
「一ヶ月後だな」
背後から歩み寄ってきたクロイゼンが口を開いた。
「試験とは言え気を抜くな。死人が出た時もある」
クロイゼンが淡々と続ける。エルヴはぎこちなく頷いた。
「…死なないようにします」
クロイゼンは小さく笑った。彼は一度窓の外を見ると、静かに右の手袋を嵌め直した。




