第2章 暗黒邪神ザドレア、危機一髪! 5
5
「……どうやら、来たようだな」
森の中をくねくねと走る山道に立ち塞がるように鎮座する、ハムンザの砦。
その中心にそそり立つ無骨な塔の最上階にしつらえられた、祈りの間の祭壇に跪き、一心に『シキタカーイ』教典の神々に――中でもショターニキの守護神である『ワイカコイ』の神に――祈りを捧げていたリョウ・ヘイズは、ふと顔を上げると、誰に告げるでもなく、そうつぶやいた。
「来た……とおっしゃいますと?」
緊張にこわばった顔でおそるおそる問いかけたのは、リョウの右斜め後ろに跪いていたショターニキ魔法師団副長、リューノ・カームである。
長年騎士団の重鎮であった老副長に代わり、若干25歳にして副長に抜擢された若き貴公子。王国で最も有力な氏族の一つであるチゴ族族長の息子であるという血統の良さもさることながら、その生まれにあぐらをかくことなく、幼少の頃より魔法騎士を目指し、ひたすら剣と魔法の習得に打ち込んできた努力家で、その上面倒見がよく、心優しい――まさに「貴公子の中の貴公子」とも呼ぶべき青年だ。
魔法師団に正式に入隊してから間がないというのに副長に抜擢されたのも、どのような身分のものに対しても分け隔てなく礼を尽くして接する態度と、陰に日向に人一倍努力する真面目さが、団員皆に評価されたからである。副長としてはやや凄みに足りないのではないか、と「アクのなさ」を懸念する声もあったが、この好青年は、持ち前の努力と誠意でもって、自らその声を黙らせた。そして、就任後三年がたった今では、くせ者揃いの団員を見事にまとめ上げ、統制しているのである。
惜しむらくは、経験不足と生来の慎重さのせいで、未知の出来事に対し、必要以上に危険を大きく見積もりすぎるきらいがあることで……今も邪神ザドレアとの決戦を前にして心がはやり、血走った目を見開き、蒼白な額にじっとりと脂汗をかきつつ、ぶるぶる震える手で持って、剣の柄を握りしめている。
伝説級の強大さを誇る喪女が相手となっては、緊張するのも道理とはいえ、これではさすがに入れ込みすぎだ、これが初陣というわけでもあるまいに、自分を見失ってはならぬ……とリョウがたしなめようとした、その矢先。
「副長。ブサ攻略戦で犠牲になった騎士たちの弔い合戦だと入れ込むのは重々分かりますが、どうか今少し、おのれを取り戻されますように」
と、リョウすらもはっとするほどの冷静沈着な声が響いた。
彼の左やや斜め後ろ、リューノと並ぶ位置に跪いていた――というか、今もまだ跪き、目を閉じて一心に祈りを捧げ続けている――ジューン・シースである。
氏族の長や、それに準ずる有力者の子弟が多い魔法師団の中で、ジューンの出自は異色だ。
今から二十数年前のとある早朝、身体を覆う産着と名前のみを記した紙片と共に、バスケットの中に入れられてハムンザの砦の戸口前に置き去りにされていた捨て子。それが、後に成長し、正魔法師とまでなったのが、ジューンなのである。
それまでにも、食い詰めた農民や貧民が、師団に子供を預ける例がなかったわけではない。が、そういった子どもとジューンは一線を画していた。
太古の昔、帝国皇帝の近衛を務めていた魔法師たちが建国した、ということもあってか、ショターニキ連合国では未だに帝国と皇室に対する敬意を色濃く残している氏族が多い。それで、皇帝にあやかった名を子どもにつけることも多く、ジューン・シースも、おそらくはその中の一人なのだろうが……それだけではすまされない何かが、彼にはあったのだ。
身につけていた産着は純白で、限りなく柔らかなものであり、その身が収められていたバスケットも、造りのしっかりした一級品で、とても農民や貧民が手にできるようなものではない。それに加え、白い肌、赤ん坊とは思えぬほどに整ったその容貌からして、おそらくはどこか主だった氏族の有力者が、やむにやまれぬ事情から泣く泣く手放した子に違いないと思われた。それどころか、本当に皇帝その人の落とし胤ではないのか、という噂まで、まことにしやかにささやかれたのである。
ジューン自身も、その噂を地でいくかのように、幼い頃から抜きん出た才気を示した。学業でも武芸においても、他の「預け子」たちとは比べものにならぬどころか、幼い頃から英才教育を受けてきた有力者たちの子ども――魔法師を志す全ての少年たちの中でも、1、2を争うほどに優秀だった。
武芸師範は彼の打撃の確かさに舌を巻き、学士たちはその理解の早さ、深さに感銘を受けた。ことに魔法においては、16歳の若さで複合防御障壁についての新たな理論をについて述べた論文を発表し、皆を驚かせ、これほどまでに末頼もしい青年は見たことがない、と教授陣をうならせたのである。
とはいえ、捨て子は捨て子だ。
魔法師団は名目上、神と国家に忠誠を捧げ、魔法師たるにふさわしい品格と実力とを備えたものであれば、貴賤にかかわらず団員になる資格を有する、としている。とはいえ、寄る辺ない身では、正魔法師になることなど夢でしかない。
というのも、正魔法師は、恵まれた体躯に抜きん出た武技、そしてあらゆる障壁魔法を使いこなすだけの知識と技倆を身につけた上――ここまではジューンもやすやすと条件をクリアするのだが――騎乗するための軍馬を最低でも二頭揃え、さらに、全身を覆うきらびやかな法衣と帽子、ロングロッドにショートロッドといった武具、そして、それらを整備し、適宜戦場で魔法師に手渡す役割を担う従者を、自費で雇わねばならないのである。
それだけの出費をまかなうとなると、背景にそれなりの財力のある「家」――氏族が必要となり……結果、正魔法師となるのは、各氏族の有力者ばかり、となってしまうのである。
そうした後ろ盾のない子どもたちは、成長した後、従者として魔法師の身の回りの世話をする役に就くのが普通だ。
ジューンも、従って、本来なら従者として、一生を魔法師の武具を磨き、馬の世話をすることに費やすはずであった。
が……それではあまりにも、彼の抜きん出た武技と魔術の才能が惜しい、と考えた人間がいた。
リューノ・カームにその座を譲るまで、30年の長きにわたって副長を務め、重鎮として団をまとめ続けた老魔法師、シュノ・グリである。
シュノは、リョウ・ヘイズが団長に就任する以前からずっと副長を務めてきた。
齢60を数えてもその技量は全く衰えることなく、ことに魔法に至っては、年齢を重ねるごとに、むしろますます完成度を高め、複雑な術式を必要とする複合防御魔法をいともたやすく張り巡らしては、なみいる敵を退散させていく姿に、リョウは何度も舌を巻いたものだ。
そのシュノが、数多くの弟子の中で、最も目をかけていたのが、ジューン・シースであった。
どれほど精進したところで、将来は従者として陽の当たらない役目に就くしかないと分かっているのに、それでもなお、一心に武術を練り、魔法をひたすら磨き続け、副長である自分の従者見習いとして、献身的な働きを続けるジューンのひたむきさに、シュノは、魔法師の本来あるべき姿を見出していたのかもしれない。
そのシュノが突然倒れたのは、三年前であった。
いつものようにリョウと二人、木剣を持って若手の指導に当たっていた最中、突然胸を押さえて倒れたかと思うと、そのまま、地面に長々と横たわり、リョウと愛弟子二人――ジューンとリューノが慌てて駆け寄ったその時には、既にその顔にはっきりと死相が浮かび上がっていたのである。
誰よりも早く駆け寄ったジューンは、敬愛する老魔法師の上半身をそっと抱き起こし、
「副長、しっかりしてください!すぐに医法師の元へお連れ申し上げます!」
というが早いか、シュノを抱え上げようとした。
が、副長は彼の二の腕をしっかりと握りしめると、ぜいぜいと苦しげに呼吸をしつつ、
「よい……わしの体のことは、わし自身が一番よく分かる……わしの命運は、今この時までじゃ……」
そう言って、柔らかく笑ったのである。
「なにをバカなことを!そんな気弱なことをおっしゃらず、さあ、お願いですから私にお体を持ち上げさせて……」
が、シュノはぶるぶる震える右手でジューンの左腕を強く握り、この上なく強い視線でもって、彼をその場にとどめた。
「ジューン……よく聞け……わしはこのまま神に召されるが……残る財産の全ては……そなたに譲ることにする……」
あまりに突然の申し出に、ジューンはつかの間ぎょっとした表情を浮かべたが、すぐさま自分を取り戻すと、
「副長、なにをバカなことをおっしゃるのです!薬を飲んで安静にすれば必ず治ります!世迷い言などいわず、今は黙って……」
と、なんとかシュノの生きる意欲をかき立てようとする。
が、彼は再び力のない笑みを浮かべ……首を左右に振った。
「わしはもう……どうあがいても助からぬ。だからこそジューン……そなたに後を託すのだ。とはいえ、残せるものといえば、馬二頭と従者をかろうじて養うに足る狭い領地と……後は、魔法師としての装備一式のみだけだがな……はっはっは……」
苦さの混じった力ない笑い声を立てたところで、その息が喉のどこかに引っかかったのか、シュノは激しく咳き込んだ。
「副長!」
「副長、しっかりなさってください!」
「そうだ、シュノ、気を強く持て!」
「副長殿!」
皆が口々に悲痛な叫び声を上げる中、かろうじて命を地上につなぎ止め、シュノは再びジューンに強い視線を注ぐ。
「よいか……わしには、妻も、息子もおらぬ……若き頃よりひたすら……魔法師として生き……魔法師団の為にこの身をすり減らしてきた……ジューン、次はそなたの番だ。よいか……わしに代わり……魔法師となれ。そして……命の全てを……魔法師団に捧げるのだ。よいな……」
「もとより俺はそのつもりだ!魔法師になれずとも従者として、俺をここまで育ててくれたこの魔法師団に、一生を捧げ、尽くすつもりだった!だから副長、死ぬなどと心弱いことは口にせず、この先もずっと従者として、俺に仕えさせてくれ……!」
血を吐くような悲痛な叫びも、天に届くことはなく……シュノは、愛弟子の覚悟を耳にした喜びの笑みを口の端に浮かべると、そのまますうっと、眠るように息を引き取ったのである……。
文書の形では残されていなかったが、今際の際に団長のリョウ・ヘイズ他、二名の者がはっきりと聞き取り、証人となったことで、シュノ・グリの遺言は正規のものとして認められた。その結果、産みの親すら分からぬ孤児であったジューン・シースは、狭いながらも領地を持つ立場となり、晴れて魔法師となる資格を得たのである。
彼と同じような出自で、一生を従士で終わるしかない団員の数名が、この望外の出世に陰で不平を鳴らしたり、頼りがいのある副長をなくしたことで団員の中に不安が広がり、中の一派が団長に対して大幅な組織改革を申し出たりと、しばらくの間、師団内にも混乱が続いた。が、それも、リューノが副長に就任し、正魔法師となったリュゼが、これまで以上に技の研鑽に励み、睡眠時間すら最低限に抑えて師団のために献身する姿を目の当たりにするようになって、自然と落ち着いていった。
リューノとジューンという、ケメンの地でも指折りな才能を持つ若者二人が師団の中枢近くに座を占めることとなり、団長のリョウは、
(これでショターニキ魔法師団は、近い将来自分が団長を引退したとしても、その先少なくとも30年、安泰と繁栄を約束されたも同然。それどころか、私がショターニキ連合国の指導者を退いたとしても、あの二人のどちらかであれば、安心してその座を任せられる。彼らが団を、国を背負って立つこの先の数十年こそ、ショターニキの歴史の中で、最も栄光と武勲に満ちた時代になるに違いない……!)
と、ひそかに喜びをかみしめていたのである。
それが……ザドレアの再臨で、全てが狂ってしまったのだ。




