第4章 逆襲の暗黒邪神ザドレア! 9
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控え室に帰るなり、メーグル様――いいえ、カウントアーオン・レイン・メーグル様は、仰々しい飾りのついたマントを乱暴に体から引き剥がし、そのままテーブルへとお突っ伏しになられた。
そのまま、彫像にでもおなりになったかのように、微動だにしない。
あたしは、というと、今終わったばかりの式典での感動を思い出しては、部屋の隅で(しつこく)涙を流していた。
ああ、カウントアーオン!なんて高貴で品格に満ちあふれたお名前!まさにメーグル様にふさわしいわ!
そう思っただけで、再び目から感動の涙がびたびたとしたたり落ちる。
「ああ、カウントアーオン……」
体が浮き上がりそうなほどの幸福感に包まれ、無意識のうちにあたしはその高貴なる名前をささやく。
と、その声がこだまするように頭の中に響き、ますます幸福感が強くなる。
「ああ、カウントアーオン……カウントアーオン……!」
「カウントアーオン?」
「ええ、カウントアーオン……!」
「推し」が国家的アイドルに上り詰めたという、絶頂に近いほどの幸福感に包まれ、あたしはいまだ机にお伏せになったままのご本尊そっちのけで、ひたすらひたすら、押し寄せる感激の怒濤に身を任せていたのである。
と、そこへ。
「いやあ、それにしても、なんだか今日は虫が多いな。式の最中もぶんぶん飛び回り、気になって仕方なかった。それ以外はいい式だったのだがな……と、メーグル、準備は進んでいるかな?」
式典プロデューサーのジジイやその部下っぽい有象無象を引きつれたガース様が、扉の向こう側からも響く大声で話しながら、ノックもなしに扉を開け、ずかずかと部屋の中に入ってきた。
「メーグル!どこにいる?」
せわしなく室内を見回し、ぞんざいに脱ぎ捨てられた高価なマントと、その向こうで沈み込んでいるメーグル様を目にして、ため息をおつきになる。
「どうしたのだ、まだ着替えすらしていないではないか。主役がそんな様子では困るぞ。午後からの閲兵式に備え、さっさと準備を終わらせ、なにか食べておかぬと……」
声をかけつつ、メーグル様の肩にそっと手をかける。
と、その瞬間、メーグル様は、いきなり両拳をテーブルに強く打ちつけた。
「だあん」とものすごい音が響き、びくりとガース様がたじろいだところへ、メーグル様がばっと立ち上がり、険しい目で上官を凝視する。
「元帥殿。今すぐこの式典、中止するわけにはいきませんか?」
「どうしたのだメーグル。そんなこと、できるはずがないではないか!共和国のほぼ全軍が前庭に整列し、新たな将軍が姿を現すのを待ち受けているのだ。早く彼らの期待に応えて……」
「ナイスガ高地の砦が全て陥落したそうですね」
「む……」
ああ、そういえばズィーロたち、そんな作戦を決行するとかなんとか言ってた気がする。こっちの準備に夢中で、あまり聞いてなかったけど。
「ウォマイラの奴ら、高地の大部分を占領し、我がもの顔で実ったばかりの作物を収穫しているとか」
「一体誰からそんなことを……」
「そんなことはどうでもいいでしょう!国家と民衆を守るはずの我ら市民兵が、こんなバカ騒ぎに浮かれ興じているうちに、醜く下劣な敵が、我らが国土を蹂躙しているんですよ!さっさとくだらない儀式など取りやめ、一刻も早く現場に駆けつけ、敵を押し返すべきです!」
ついに我慢できなくなったのか、メーグル様は弾かれたように立ち上がると、つかつかとガース様の目の前に詰め寄り、この上なく真剣な表情でもう一人のイケメン様を、じっと見つめた。
が、ガース様はそっとその真摯な視線から目をそらすと、沈痛な表情で、首を横に振る。
「……それは、できん」
「なぜですか!こうしている間にも……」
「そもそもの戦力が違いすぎるのだ!緒戦、帝都ブサでの大殺戮により、我が軍は壊滅的な打撃を受けた!残る軍勢だけでは、共和国全土の防衛など、到底不可能なのだ!」
「そんな!」
「事実だ。そなたも軍人なら、薄々気がついているだろう。いかに我が軍が意気軒昂、一騎当千の猛者揃いとはいえ、たかだか一万人やそこらの軍勢では、数万に及ぶウォマイラどもを相手に持ちこたえ、押し返すことなどできぬ。せいぜい、ここイン・ナセの高い城壁と防護障壁を頼りに、籠城戦をするぐらいしかすべがないのだ」
「しかし、それでは我が国民はどうなるのです!」
「そのために今回の就任式を開いたのだ!なるべく大勢の国民をこの地に集め、その安全を図るため、そして、長く苦しい籠城戦を戦い抜くべく、その士気を大いに高めるために!」
「それでは、午後からの観兵式も……」
「ああ、そうだ。砦に分散していた兵力を一箇所に集め、温存するための方便だ。同時に、各砦に備蓄していた物資も、大方運び込んだ。これで、かなりの期間持ちこたえることができる」
「ですが、籠城が長期間に及べば、国民や兵士たちの士気が……」
「その指揮を落とさぬよう、そなたにはまた明日から侵攻軍の指揮をとってもらいたいのだ。常勝将軍による華々しい戦果があれば、つらい耐乏生活も、少しはこらえやすくなるからな」
「しかし、完全に街を包囲された状況で、そのような戦果など……」
あ、ううん、それは心配しないで、メーグル様。あたしがその辺うまくやって、今まで通り戦果を上げさせてあげるから。
「それでも、そなたには奮戦してもらわねばならぬのだ。遅かれ早かれ陥落するにしても、その時期を少しでも遅らせるためにな」
「元帥閣下、そのように後ろ向きな姿勢では、勝てる戦も勝てなく……」
と、ガース様は悩みに悩み、疲れ切ったイケメン様だけが浮かべられる苦い微笑を頬にたたえた。
「勝てる要素などどこにもないのだよ、メーグル。古来籠城とは、援軍頼みの戦法だ。だが、ショターニキとオジ教団領が征服された今、頼みの綱は聖トゥーハのみ。しかしかの国も、先のウォマイラ侵攻の失敗で手痛い打撃を食らっている。一応、援軍を要請する使者は送っているが、我が国を支援するほどの軍勢は用意できまい」
「そんな……」
ガース様の「敗北宣言」がよほどショックだったのか、メーグル様は目を大きく見開かれると、ふらふらとした足どりで後ずさりし、背後の壁に背中をお預けになる。
打ちひしがれる若き英雄の姿を沈痛な目で見つめながら、ガース様はなおも、あくまで静かに先をお続けになった。
「我が国に残された方策は二つ。傷の浅いうちにウォマイラの軍門に降り、生き恥をさらしながら生きながらえるか、あるいは、最後の最後まで国を上げて抵抗し、名誉の死を遂げるか。どちらかの道しかないのだよ」
「そんな……!」
心配なさらないで!この国がどうなろうと、あなた様たちだけはあたしが守るから!だから、そんな顔なさらないで!
「メーグル。そなたにはつらい役目を担ってもらうこととなる。やがて負けると分かっている戦を少しでも長びかせるため、国民と兵士どもの目をくらます旗印として、栄光ある国家の象徴を演じ続けてもらいたいのだ」
壁にもたれかかり、うなだれたまま、メーグル様はガース様の言葉にじっと耳を傾けていたのだが、ここでいきなり拳を固めると、その右手を思い切り、背後の壁に打ちつけた。
「くそ!くそっくそっくそっ!」
顔をゆがめ、必死に涙をこらえながら、だん、だん、だん、と何度も何度も、壁に右手をお叩きつけになる。
ああ、悩んで、無力感に苛まれ、絶望していらっしゃるのだわ、なんていたわしい、そして愛おしいのかしら……と、あたしはふただび、涙があふれる目で、じっとかの御方の様子に見入る。
「俺は、俺は自分が情けない!俺にもっと力があれば、こんなことになる前に盛り返すことができたはずなのに!」
「自分を責めるでない、メーグルよ。全ては時の運。よもや、ウォマイラの奴ばらに邪神の加護が再び訪れるなど、誰も予測できなかったのだ」
「クソ、邪神め!ザドレアめ!どれほど俺たちを苦しめれば気が済むんだ!」
いいえ、いいえ!あなた様たちを苦しめるつもりなんて、毛頭ありません!なんなら、今すぐあなた様陣営に寝返って、ズィーロたちなんか木っ端微塵に粉砕して差し上げます!どうか、どうか、あたしの真心を疑わないで!あたしの心にあるのは……。
と、そこまで心の中で叫んだところで、ふと、あたしの心に邪心が芽ばえた。
あれ?今メーグル様、壁に向かってこぶしをお打ちつけになっているよね?てことは、メーグル様の玉体と壁の間にそっと入り込んだら……憧れの「壁ドン」状態になるんじゃね!?
生まれた邪心はあっという間に膨れ上がり、あたしの目の前はたちまちピンク色になった。
壁ドン。「推し」の部屋の敷物になり、一生体を踏まれまくって過ごしたいと願うことが生涯の夢である喪女にとって、7回生まれ変わっても絶対に実現することのない、永遠の憧れ、壁ドン。もし、もし万が一実現するのならば、その後一生の間、毎日なにもないところですっ転ぶ呪いにかけられたとしても決して悔いるところのない、久遠の見果てぬ夢、壁ドン。その壁ドンが、すぐ手の届くところにある……。
気がつけば、あたしの体は勝手に、メーグル様が向き合っている壁に向かって動いていた。
部屋のそこここにある調度品やあちこちに散らばっている衣装、小道具類を避けつつ、すすす、すすすすと壁沿いに移動し、「壁叩き」を一段落させ、肩で息をしているメーグル様の、両腕の間にもぐり込む。
そっと目線を上げると、あたしの目の前十数センチのところにメーグル様のご尊顔が――目に涙をお浮かべになり、すべすべの浅黒いおほっぺたをゆがめ、わきあがるお激情に必死でお耐えになっている端正なおかんばせが――鎮座なさっていた。
ち、ちちちちち近い!壁ドンを小細工なしでやってもらえるリア充系女子は、この距離でこのお美しいご尊顔を拝見できているのね!くっそ、なんてうらやましい、イケメン様に代わってこのあたしが、壁じゃなくて直でその顔面をぶん殴ってやりたい!
緊張と興奮のあまり、ついつい不穏なことを考えてしまう中、必死で息を静める。
いかんいかん、ばれる、ばれるって!ちょっと静かにしろよ、あたしの心臓!
肋骨を突き破って飛び出してくるんじゃないかってぐらいにバクバクしている心臓を両手で押さえ、
このままじゃ頭に血がのぼりすぎて倒れちゃうそう、くるなら早くして、ああでも、ちょっと待って、この瞬間をもう少し楽しませて、ああでも早く、いやでも待って、ああ……。
錯乱しまくり、もう少しで頭の、鎧のてっぺんからぽーっと音を立てて蒸気が噴出するってぐらいに上気しながら、ひたすらその瞬間を待ち受けていると……。
「さあ、メーグル。そろそろ観兵式の時間だ。涙をぬぐえ。笑顔を浮かべよ。兵士皆が、そなたの笑顔を、自信に満ちた姿を待ち受けている。最後の刻の訪れを少しでも遅らせるために、行って、皆を励まし、元気づけるのだ。頼む!」
と、ガース様がやるせない面持ちでつぶやくように言う。
よっしゃあガース、ナイスアシスト!さあ、いっちょ来い!全身でその壁ドン、受け止めてやるぜ!
あたしはぐっと全身に力を込め、歯を食いしばる。鼻の穴からむふむふと激しい息がもれているのだが、メーグル様自身も内心の苦悩に身を焼かれているせいか、その異音にもまるでお気づきになられないようだ。
来るか……来るか……!!
そして、ついにその時が来た。
「くそォォォォォォォっ!」
壁がびりびりと震えるぐらい大声で一言そう咆えると、メーグル様は思い切り右腕を振りかぶる。
来るうううううううう!
乙女心丸出しとなったあたしは、思わず両拳を揃え、あごの下にくっつけた。
そこへ、メーグル様の右拳が思い切り振り下ろされる。
ああああああ、壁ドン!ついに、ついに!
……ところが。
メーグル様のお振り下ろしになった右拳が壁に到着する一瞬前、あごの下にくっつけていたあたしの右拳が自動的に動いて、メーグル様の尊きイケメンフェイスを思い切りぶん殴っていたのである。
へ!?
あまりに痛烈な一撃を無防備な状態でもろに喰らい、メーグル様の顔面は数センチ、ぶにゅっと陥没した。そのまま、撃ち抜いたあたしの右拳がさらに伸びていくにつれて、突風に吹き上げられた紙人形よろしく、かの玉体も後方へ巻き上げられ……やがて、伸びきった右腕からご尊顔が離れたところで、「ぷがあ!」と驚愕と痛みと混乱の入り混じった声を上げつつ、メーグル様はものすごい速度で吹っ飛び、背後の壁にぶち当たって「ごぶ!」といううめき声をあげ……そのままずるずると地面に崩れ落ちた。
ほんの一瞬の出来事だったはずなのだけど、あたしの目にはこの一連の出来事全てがスローモーションのように鮮明に写しだされ……全てが終わった後で、あたしは呆然と自分の右拳を見つめた。
「あたしの、あたしの「壁ドン」が!せっかくの壁ドンだったのに、なんで……」
「なんでって、自動反撃モードだったからです」
「自動反撃って、なんだよ!」
「敵から攻撃を受けたら自動的に反撃、撃退することですね」
「そりゃ分かってるって!じゃなくて、なんでその、自動で反撃しちゃったのかってこと!そういうのは全部止めとけって、あたし言ったじゃん!」
「はあ、確かに承りました」
「だったら!」
「しかし、その後、自動反撃モードを起動するよう、新たなご命令がありましたので」
「してねえよ、そんな命令!」
「いえ、確かに承りました」
「し・て・ねえって!」
「いいえ、しました。今より23分前、使用者様から口頭でのご命令をいただきました」
「え?23分前?」
ついさっきだ。その頃といえば、授与式が終わって、この部屋に戻ってきて、メーグル様は机に突っ伏してて、あたしは……。
「え!?いや、そんな……」
「思い出されましたか?ご命令されましたよね、『カウンター・オン』と」
カウント・アーオン、カウントアーオン、カウンターオン……!まさか、あのつぶやきを鎧のヤツ、聞き間違って?
「しつこいぐらいに何度も何度も、命令されましたよね?」
「いや……あれは……」
「こちらからも確認しましたよ。『カウンター・オン?』と。そしたら、『ええ、カウンター・オン』と確かにご返答なさいましたよね?」
「いや、でも、あれは……」
おかしいとは思いましたよ、ええ。あたし、感動で胸いっぱいになって、独り言つぶやいてただけのはずなのに、なんか誰かから聞き返されたように思ったし。でもほら、感動で舞い上がってたし、そんなの、あたしの心の中のもう一人のあたしの声かなって思うじゃん。ね?まさか、それが鎧の声だなんて、思うはずないじゃん。だから、「ええ、カウントアーオン』って答えましたよ。涙声だったから聞きづらかったかもしれないけど、それぐらい分かるじゃん!てか、分かれよ、このポンコツ!
痛恨の精神的ダメージを受け、ショックでひたすら呆然とするあたし。せめて少しはそっとしておいてくれればいいのに、
「ご理解いただいたようですね。それでは、精神加速モードを終了し、通常モードへと戻します。あ、それと、カウンター発動時の右腕の攻撃速度が隠蔽速度を大幅に超えていたため、ステルスモードが正常に働かず、当防御装甲の存在が周囲の敵性生命体に露見しており、うち一名は攻撃をしかけてきております。どうかご注意ください」
「え、なに、ばれちゃってるの?」
「はい。では、失礼いたします」
すげない声を最後に鎧の中が静まりかえった直後。スローモーションだったモニター内の光景がいきなり通常の速度に戻り、あたしは――というか、鎧は――脳天に振り下ろされていた長剣をよけるやいなや、ものすごい速度で拳を繰り出していた。
長剣攻撃を繰り出した相手――ガース様は、さすが歴戦の猛者だけあって、かろうじてあたしの拳を受け止める。が、それでも勢いを殺しきれず、後方へ数メートル弾かれ、かろうじてそこで踏みとどまった。
「ぬう!この破天荒なまでの威力!貴様、やはりザドレアだな!いつの間に、我らが市庁舎に入り込んだ!」
ガース様はそう言うと、再び剣を構え、あたしに突進する。が、もちろんあたしはその攻撃をも軽々とかわし、今度はさらに速いパンチとケリを数発お見舞いする。これにはさすがのガース様も対応できず、体中にぼこぼことくぼみを作ったかと思うと、
「ぐおうぶわっ!」
と、おかしなうめき声を上げ、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
そこへ、高らかな笛の音が響き渡り、次いで、
「ザドレアですぞ!ザドレアが出ましたぞ!」
部屋に居合わせたプロデューサーのジジイが高らかに叫ぶ。
するとたちまち、
「なに、ザドレアだと!」
「どこだ、どこにいる!」
などと叫びながら、手に手に槍を構えたモブ兵士どもが殺到し、
「あの隅に!透明化で隠れておりますが、確かにザドレアがいます!ほれ、ほれあそこ、あそこです!」
なんだよ、ぶんぶん指さして「ほれ、あそこにいる」って!あたしはGかよ!
千載一遇の――そしておそらくこの先の人生で二度と巡ってこない――「イケメン様からの壁ドンチャンス」をフイにしたことでイライラがつのっていたあたしは、どうでもいいヤツらから害虫扱いされたことで、当然のようにその怒りの矛先をそいつらに向けた。
「卑怯だぞザドレア!姿を現せ!」
「我らが怖いのか!いつまで隠れているつもりだ!」
きゃんきゃんわめくばかりで一向に近づきさえしないボンクラどもを剣呑な目つきでねめつけ、顔をゆがませる。
ザドレアザドレアうるさい!ああそうだよ、ザドレアだよ!そんなに姿を見たいってんなら、見せてやるよ!
「鎧。ステルスモード解除」
低い声でそう命じると、打てば響くように「了解しました」と声が返り……一気に青ざめ、たじろぎ、後ずさりする兵士どもの姿が、モニターに映し出された。
「ざ、ザドレアだ!」
「ま、間違いない!暗黒邪神だ!」
「お、応援だ、応援を呼べ!」
ざわつき、よろめくヤツらをよそに、さらにあたしはもう一言、つぶやく。
「鎧。やっておしまい」
「あらほらさっさ」
お、すげえこいつ、正しい返答を学習しやがったと思う間もなく、あたしの体は漆黒の稲妻と化し、立ち並ぶマヌケどもを一気に十数人、なぎ倒していた。
兵士たちはあまりに桁違いなその力を目の当たりにし、一気に顔色をなくすと、得物を放り出し、我先に出口へと殺到する。
あたしは、その背後へゆっくり迫ると「そぉーれ!」とかけ声をかけつつ、一人一人襟首をつかんでぽいぽいと投げ捨てていく。
たちまち背後の壁に気絶した人が山をなして積み上がった。
へっ、ざまーみろ。
累々と転がる敵どもを一瞥し、あたしは不敵な笑みをもらす。
憂さ晴らしに大暴れしてやったたせいか、イライラしてた気持ちもだいぶんすっきりし、このあたりからようやく、あたしも少し正気に戻ってきた。
あー、向こうからどんどん兵隊がやってきてる。あれ全部やっつけるの、ちょっとめんどくさいな……。
ややうんざりとそんなことを思った、次の瞬間。
「どおおおりゃああああっ!」
いつの間に復活していたのか、メーグル様がものすごい雄叫びを上げつつお跳躍なされ、背後からあたしの肩口めがけ、両手剣を袈裟懸けにお振り下ろしになったのである。
予想だにしていなかったこの攻撃、鎧もさすがに軽々かわす、というわけにはいかなかったらしく、持ち上げた右腕を頭上にかざす。
がぎん、と鈍い音がして、籠手に剣がぶち当たった。
歯を食いしばったメーグル様のご尊顔があたしの目前に迫り……はっと脳髄に稲妻が走る。
これは「壁ドン」よりもさらに激しい気持ちのぶつかり合い!鎧に剣がガンとぶつかる「よろガン」!あたし、あたし、新しい愛の形を見つけてしまったのだわ!
「鎧!メーグル様の攻撃、よけないで!カウンターも禁止!彼の激しい気持ち、あたしが全て受け止めるわ!」
感動のあまりうっとりとそう命ずるのと、メーグル様が「おのれ、ザドレア!」と剣を引き、次の一撃を繰り出すのとがほぼ同時だった。
鎧はすかさず頭上の右腕を下ろして、横殴りの攻撃をはじき返す。
がん。
と、メーグル様は弾かれた勢いを利用して体を一回転させ、左から水平に剣を叩きつけてくる。
もちろん鎧はこの攻撃をも、左の手のひらでやすやす受け止める。
ぎいん。
それから、幾度、がいん、ぎいん、がん、ごいんと、金属と金属がぶつかり合う、激しい愛の告白を聞いただろう。
ああ、よろガン!
あたしはうっとりとその音に耳を傾け、天にも昇る気持ちで攻撃を受け止め続けていた。
けれども、メーグル様はやや違ったお気持ちだったようだ。
「おのれ、ザドレア!俺の攻撃など意にも介さないとでも言いたいのか!いいだろう、では見せてやる!」
激昂し、歯を食いしばると、メーグル様はものすごい速さで連続攻撃をお繰り出しはじめなさった。
頭上から、足もとから、頭上から、そしてもう一度足もとからと、途切れることのない攻撃をお仕掛けになるのだけれど、鎧は当然、それらを全てをはじき返す。が、はじき返される力をうまく使うことで、剣の切っ先はどんどん剣速を増していき、ついには目にも見えるほどにまでなったところで、メーグル様は、あたしの脳天めがけ、思い切り剣をお打ち下ろしになったのである。
もちろん、鎧はこの攻撃をも受け止めた。
だが、さすがにこの重く鋭い切っ先を片手で止める、というわけにはいかなかったのか、両腕をバッテンにして頭上に差し上げ、ぐっと腰を落とした姿勢を取る。
鎧がその姿勢を取ったということは、当然「中身」であるあたしも同じ姿勢を取らざるを得ず……いきなり腰を落とした姿勢を取らされたせいで、あたしは、下腹部に思いもよらない力をぐっと込めなけれならない状態に陥ってしまったのである。
えーと、あの。一応言い訳させてもらう。
その日、早朝にむさぼり食った豆がやや古いものだったらしく、しばらく前からお腹が張って、どうにも苦しい状態だった。けれど、就任式を見逃すわけにはいかないと、トイレにも行かず、あたしは必死でケツの筋肉に力を込め、ずっと耐えていたのだ。
そこへ、いきなりがに股になって、ぐっと下腹に力を込めてしまったのだから……結果はまあ、ご想像の通り。
大腸にたまっていたかなりの量のガスが、必死で抵抗する肛門をこじ開け、「ぶっ!」と、乙女に全く似つかわしくない爆音を響かせつつ、外界へ逃げ出してしまったのである。
うお、やっべ!聞かれちゃった?気づかれた?
剣と鎧がぶつかり合う金属音とほぼ同時だったから、多分気づかれてないはず、お願い神様――あ、神様はあたしか――ホトケ様でもおシャカ樣でもお地蔵様でもお稲荷様でもおツボネ様でもお疲れ様でもなんでもいいから――いや、さすがに「お疲れ様」は助けちゃくんないかな、自分のことで精一杯だろうし――どうか今の音、メーグル様の耳には届かなかったと言ってください……と顔中真っ赤になりながら、あたしは必死で祈った。
が……残念ながら、その願いは届かなかった。
「貴様ァ!屁などこいて、どこまで私を愚弄すれば気が済むのだ!」
お美しいご尊顔をみにくくゆがめると、メーグル様はそうお言い放ちになったのだ。
「うぎゃあああああああ!聞かれた、聞かれてた!もうやだ死ぬ、死んでしまいたい、ていうか、いっそ殺して!」
もはや「よろガン」を楽しむなどもってのほか、あまりのいたたまれなさに秒速でその場を逃げ出し、思わずそう叫ぶ。
すると。
「行動と口頭による命令受諾。ガスによる掃滅攻撃、開始いたします」
鎧の声が、いきなりそう言ったのである。
「へ?」
「はい。屁です」
「いや、そうじゃなくて!殺してっていったのは、メーグル様じゃなくて、あた……」
最後まで言い終わるより前に、
「準備完了。攻撃開始」
と、高らかに宣言すると、鎧は、バシャッと体中に排気口を開き、逃げるあたしの後を追ってたメーグル様に向かい、いきなりぶおっと黄色い気体を吐きかけたのである。
その途端、メーグル様はいきなりビクンとけいれんなさり、もんどり打ってその場におぶっ倒れになった。
「な、なんだ!?苦しい、ぐああ……」
両手でのどを押さえ、床をごろごろとおのたうち回りになり……そして、いくらもしないうち、ものすごい苦悶の表情を浮かべたまま、泡を吹き、白目を剥いて失神なさってしまったのである。
その頃になると、市庁舎は地獄絵図と化していた。
あちらからもこちらからも、ぐあああ、うごおおとこの上ない苦しみを告げるうめき声が上げ、のどを押さえた人たちが、次々と床に倒れ伏し、動かなくなっていく。
「え、な、なに!?今鎧から出たガスだけで、こんな大勢の人が倒れちゃうの?」
呆然と立ち尽くし、そうつぶやくと、
「違います。いくらなんでも、当防御装甲が発したあの程度のガス量で、これほどの効果を発することはできません」
と、鎧がいつもの調子で素っ気なく否定する。
「『違う』って、でも今、みんなこうやって倒れて、ものすごい顔でもだえてるじゃん!」
そう抗弁すると、鎧は「全くもう」と言わんばかりに、小さくため息をついた(気がした)。
「使用者様。お忘れになりましたか?この城塞都市を覆う防御結界は、当防御装甲と同じ属性、同じ機構を利用しております。ですので、発生装置に働きかけることで、自在に操作することが可能なのです。使用者様からのご命令により、当機は発生装置に働きかけ、そのエネルギーを変質させました。すなわち、幾層にも重なるエネルギー層の最外殻を、敵性生命体が通過不可能な性質のものに変え、残り全ての層を当機が造りだしたものと同じ組成の気体に変化させ、大気中に充満させたのです」
「あー、よくわかんないんだけど、それってつまり……?」
「簡単に言えば、このイン・ナセ全体をすき間なくラップのようなもので包み込み、中を毒ガスでいっぱいにした、ということですね」
「ああ、そうなんだ……って、そんなことしたら、この街の人たち全員死んじゃうじゃん!」
「いえ、残念ながら、今回使用したガスにそこまでの有毒性はございません。せいぜい皆苦しみもがき、失神する程度です」
「いや、それでも十分ひどいって!」
ふと気がつけば、先ほどまで空間に満ちていた悲鳴やうめき声、もだえ苦しむ音が全てやんでいる。
あたしは眉をひそめ、おそるおそる市庁舎入り口すぐの大広間へと向かった。
控え室の扉の陰からそうっと中をのぞき込むと、先ほどまで整然と立ち並んでいた市長をはじめとする重鎮たちが、皆入り口に殺到したところで床に倒れ伏し、苦しみもがいた後に意識を失ったその残骸が累々と床に転がり、積み重なっている。
うわ……しばらくぶりにバ○サンたいた後の部屋ん中みたい……ひでぇ……。
思わずいやなものを想像してしまい、顔をしかめながら市庁舎の外に出る。
と、前庭は大広間以上にひどい有様だった。
スタットン共和国軍のほぼ全軍、一万人ほどが突如襲いかかった災厄に驚愕し、我先に逃げだそうとして苦しんでいる他人を踏みつけ、下敷きにし、どこにも逃げ場などないと悟って絶望しながら苦しみ抜いて地に倒れ伏していった様子が、手に取るように分かる。
あたしは、心に寒風が吹きすさぶのを感じながら、市庁舎を後にし、市街へと出た。
これまで意識することもなく聞いていた街のざわめきも一切やみ、しんしんと雪の降り積もる深夜の町のような静寂が支配する中、とぼとぼと緩い坂を下っていく。
そこへ、鎧の声が響いた。。
「報告。使用者様本人をのぞく、当該範囲内における全ての意識反応消失を確認いたしました。目標完遂。作戦行動を終了し、毒物処理及び洗浄作業を開始いたします」
同時に空を覆いつくしていた最後の光の壁がふうっと輝きを失い、剥がれ落ちるように落下しはじめる。
一体どういう作用によるものなのか、剥がれ落ちた薄片は宙を漂ううちに水滴と変化し、道の両側に建つ建物を、街路を、そしてそこここに倒れ伏している人々を優しく洗い始めたのだった。




