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イケメンパラダイスへ召喚されたけど、あたしは暗黒邪神でした  作者: こますけ


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2/7

第1章 暗黒邪神ザドレア、降臨!

     1

 はっと我に返ると、さっきまで目の前のモニタに映し出されていた男同士のエロエロ画像は影も形もなくなり、なぜか、見たことのない街の風景が広がっていた。

「「う……うぇ????」

 いきなりの展開に、頭がついていかず、眉根に皺を寄せて、さらに目を凝らす。

 そこは、石とレンガでできた、なんとなくヨーロッパ風の建物がぐるりと石畳の広場を取り巻いているという、いかにもファンタジー系ゲームの舞台になりそげな街で、あたしはどうやら広場の中心の、銅像とかモニュメントなんかがあるような位置から街の風景を眺めているようなのだ。

 な、なにこれ?いったいこれ、どうなってんのと、頭の中にぽぽぽぽぽぽっと無数のクエスチョンマークが浮かび上がったところで、はっと思い当たる。

 そうだ!そういえば、このみが言ってた!このゲーム、全ルート攻略すると、特別なお楽しみがあるって!これが、きっとそれだ!

 そうだ、きっとそうだ。これってきっと、新作ファンタジー系RPGかなんかの――それも、イケメン様が山ほど出てくるウハウハなヤツの宣伝に違いない!

 あたしはすっかりうれしくなって、この先一体どういう展開が待っているのか、ドキドキしながら再び画面に見入った。

 と、正面はるか遠くに見えている城門がいきなりばあんと開き、そこから馬に乗った誰かが、一直線に走ってくる。

 おお、そういう展開か!

 思わず両手をぐっと握りしめ、胸のあたりに引き寄せつつさらに見入ると、石畳をけたてる蹄の音と共に、騎馬もみるみる近づき、あっという間に広場へとたどり着く。

 そこで

「はいやああ!どおおお!」と馬上の人が声をかけ手綱を引くと、馬は大きくいななきながら前足で2度、3度と宙を蹴り、その場へ立ち止まった。

 そこでようやく馬が頭を下げ、騎士の上半身が大写しになる。

 うおおおおお!金髪!それも長髪!お約束じゃん!しかも、なにこのちょーリアルな画像!

 『薔薇王室復讐譚』はアニメ調の絵柄で、イケメン様の描写もいかにもアニメチックなあり得ないほど長いまつげデカいおめめ長い鼻長いあごだったのに、この新作ゲームは路線を変え、現実の人間と見間違うほどリアルな路線でいくことにしたらしい。アニメはアニメで悪くないけど、それよりもリアルイケメン様の方が数万倍好きなあたしとしては、期待度爆上がりだ。

 しかも、一体どんな俳優さんをモデルにしたのか、白銀に輝く鎧に身を包んだその騎士様ときたら、一目見ただけで美しさにため息をつかないではいられないほど、高貴で上品なお顔立ちをなさっておられる超イケメン様である。

「うっほ、たまんね、これ絶対買わないと……!」

 あまりの興奮に、思わずつぶやき声がもれる。

 と、その声に反応したかのように、目の前のイケメン様はきっとこちらをにらみ、すらりと腰の長剣を抜いた。

 そして、

「余はジャリズ皇国ラース朝最後の血を受け継ぐ者にして、新たなる帝国の皇帝となる者、ジューン・マーモなり。今こそこの剣をもってして、長き恨みをはらさん!」

と、涼やかな声で叫んだのである。

 そのあまりのりりしさに、一気に血圧が上がってしまったあたしは、思わずぴょんと椅子から跳び上がり、

「きゃああああああああああっ!」

と叫んでいた。



     2

 それより半刻ほど前。

 聖トゥーハ王国の若き国王ケント・ムザは、宿敵ウォマイラ帝国最大の都市――といっても、ウォマイラの国内の都市らしき都市といえば、ただ一つしかないのだが――「帝都ブサ」の城門まであと一息、というところまで駒を進めていた。

 彼の横に並んで馬を進めるのは、共にウォマイラ滅亡を誓い合った同盟国――聖トゥーハと並びケメンの四大勢力であるショターニキ連合国、オジ教団、スタットン共和国の指導者たちだ。そして、その後ろには各国から選び抜いた騎士が一千騎、さらにその後ろには、ショターニキの長槍歩兵たちが一万人、一糸乱れぬ隊列でもって続く。

 この地の長き歴史においても、これほどまでの軍勢を動員した侵攻は前代未聞だ。

普段は国境付近のわずかな領地を奪い合って、いがみ合い、小競り合いをくり返している四大国が共に協力し合ったこそ可能になったことである。

 それもこれも、全ては共通の敵、ウォマイラへの長き恨みを晴らさんがためであった。

「この地を奪われてより500年……ようやく、ようやく再び我らが領地を奪還する機会が巡ってきた。それも全ては、そなたたちの尽力あってのこと。皆の者、礼を言う。実に大儀であった!」

そう言いながら、整った顔に満悦至極と言わんばかりの笑みを浮かべ、鷹揚にうなずいたのは、ジューン・マーモである。


 かつてジャリズ皇国はこのケメンの地全てを支配する巨大帝国だった。

 が、今より500年ほど前、突如現れたウォマイラを名乗る異種族の手により、一夜にして王都が陥落。その後反攻軍を組織し捲土重来を期したものの武運つたなく、ひと月ほどで領土の北東三分の一にも及ぶ広大な地域を奪い取られるという憂き目に遭った。

 それ以降、失地奪回を目指し、幾度となく北伐を試みたが、ウォマイラどもが短時間で造り上げた国境防衛線といくつもの堅牢な砦に阻まれ、ことごとく失敗。これにより、帝国そのものの国力が衰え、その機に乗じた各地の民による決起が相次ぎ――そもそもジャリズは周辺諸国を征服、併呑する形で強大な国家を形成したのだが、征服された各国の民は皆おしなべて圧政と重税に苦しんでおり、捲土重来の機会をずっとうかがっていたのである――ついには滅亡に追い込まれてしまったのである。

 ところが、皇族の中でただ一人、末の皇子だけが、辛くもこの混乱を生き延び、皇帝の側近で忠義に厚い重臣が建てた国へ逃げ延びることに成功した。

 皇子は大陸の南の端に位置するその国――聖トゥーハ王国で「ラース朝」を樹立、皇帝へと即位した。

 以来400年あまり、その子孫は代々、聖トゥーハ王室に捨て扶持で養われ、「領土なき帝国の皇帝」として生きてきた。その最後の生き残りが、第23代皇帝ジューン・マーモなのである。


 領土なく、自前の軍隊もなく、資金すらない、実質聖トゥーハ王国のお情けによって生きながらえている「無力な皇帝」であるにも関わらず、その現状をまるで意識していないかのようなこの高慢な物言いに、くつわを並べる諸国の代表者たちは、揃って苦笑を浮かべる。

 しかし、そんな中でも、ケント王だけは違った。

「これはもったいないお言葉でございます。歴代皇帝陛下が皆、悲願とされていたウォマイラ討伐を成就する一助となりましたこと、この上なき喜びでございます」

と、へりくだり、かしこまって答えたのである。

 ケント王は聖トゥーハの王城にて、数歳年かさのジューン・マーモと兄弟のように育ってきた。それもあってか、いつでもケント王はジューンを「皇帝」として立て、自らは一歩退いて、その家臣として接することが多い。

 それが、剣術や馬術、そして歴史や政治学といった、王としてふさわしい教養を身につけるに当たり、よく先達として導いてくれたジューンに対する礼儀であり、「兄貴分」に対する尊敬を表すに最も端的な方法であると思っていたのである。

 ケント王は、先王の急死を受けて即位するやいなや各国の説得に走り回り、互いが互いに抱く積年の恨みを超越してついに四カ国同盟を締結、今回の北伐を可能にした立役者である。しかしながら、決しておごらず、常に謙虚で、誰に対しても誠実な姿勢を崩さない。海千山千の各国の指導者たちも、彼のそのような姿に感銘を受けずにはいられず、その信頼こそが、今回の同盟の原動力となったといっても過言ではない。

(全く、よくできた若者よな)

 年かさの指導者たちは、彼のそのような姿を見るにつけ、否が応でもその評価を高めずにはいられないのである。

 とはいえ、さすがにまだ、この会話は早すぎる。

「これこれ、お二人とも。未だ遠征の道半ば、これよりブサの攻略という大仕事が待っておるのですぞ。まだまだ、気を引き締めてかかりませぬと」

と、微笑みながら二人をいさめたのは、ショターニキ連合国の指導者、リョウ・ヘイズである。

 ショターニキは大陸最北の地に位置する小国ではあるが、ウォマイラと国境を接する関係上、常にその襲撃に備えて研鑽を積み重ねてきた、屈強な国家だ。

 当然ながら、その研鑽は主に防衛術へと注がれ、砦にこもっての籠城戦と、敵の侵入を阻む障壁魔法の研究については、他の追随を許さない。

 今回の遠征については防衛戦ではなく侵攻戦であり、しかもショターニキ自体が小国であることにより、軍勢の参加は最も数少ないが、その代わり、かの国の防衛の要である魔法師たち数十人が、いざというときにいつでも防衛障壁を構築できる体制で参じている。

 ヘイズはその魔法師を束ねる師団長であり、かつ、国政を動かす宰相であり、自他共に認める知性と勇武を兼ね備えた名将だ。

 四十に手が届こうという今も、いまだその肉体に衰えは見えず、筋骨隆々とした見事な体つきをしている。若き頃は名うての武芸者として知られ、諸国武者修行の折、数ヵ年聖トゥーハ王国に逗留したときには、ジューンもケントも、直弟子として薫陶を受けている。その師匠に軽くとはいえたしなめられ、二人は思わず恐縮する。

 が、その時、ショウとは反対側――左手に馬を並べていた相手から、おだやかな声が響いた。

「なに、相手は国境の砦を攻略した時も、我らのこの大軍勢におそれをなし、戦わずして退却したヤツらですぞ。そのような懦弱きわまりない者どもが、決死の帝都防衛戦を挑んでくるとも思えませぬ。この戦、間違いなく我らの勝利に終わりましょうぞ」

 スタットン共和国軍総司令官にしてアーロン名誉伯爵(カウント・アーロン)、レイン・ガース元帥である。

 ケメンの地中央に位置し、四カ国の中で最大の版図を誇るスタットンは、数十年前の革命により王政が打ち倒され、共和国となった。それと同時に貴族も全ての特権を剥奪されたのだが、唯一、軍事行動において多大なる戦果を挙げた者にだけ、特別に「貴族」を名乗ることが許される。

 その唯一の称号を得ているのが、このレイン・ガースなのである。

 事実ガースは、共和国樹立直後、民主化の動きが広まるのを警戒した周辺諸国が一斉に攻め込んできたとき、それまで武器に触れたことすらなかった人民義勇兵を率い、戦闘のプロフェッショナルである各国の騎兵軍団を撃退、独立を守り抜いた英雄である。

 その戦略眼と用兵の見事さはまさに天下一品で、ショターニキの魔法師や聖トゥーハの騎馬軍団と幾度も名勝負を繰り広げた。

 そもそも各国の貴族――騎士たちは、戦の要は重騎兵か魔法師(彼らも騎乗を許された騎士階級である)であり、歩兵など単に補助戦力にしか過ぎないと高をくくっていた。ガース元帥は、そこへ長槍歩兵の大軍を投入し、歩兵ならではの戦術を繰り出しては、何度も相手に煮え湯を飲ませたのである。

 プライドを粉々に打ち砕かれた騎士たちは、ガース元帥を不倶戴天の敵と見なし、骨の髄から憎んでいた――いや、今も憎んでいる。にもかかわらず、今回の同盟にスタットンが加わることいなったのは、ひとえにケント王の粘り強い説得と、ウォマイラ滅亡を心から望む熱い思いのたまもの。そして、ひとたび味方となった今、他の同盟国にとって、ガース元帥の知略は、この上なく心強い支えの一つとなった。

 ウォマイラの国境戦を越えたときも、元帥が防衛戦の最も弱い箇所を見抜き、そこに戦力集中するようにしたからこそ、敵の虚を突くことができたのだ。ウォマイラどもは算を乱して逃げ惑うだけで精一杯、連合軍は、一人の死傷者なく、完全勝利を収めることとなったのである。

 その戦略と謀略の天才に、今回の遠征の中でも最も重要なこの戦闘においても「勝利間違いなし」と太鼓判を押され、ジューンとケント王の表情も、ほっとゆるやかなものとなった。

 そこへ、

「私もガース名誉伯に賛成です。ここまでくれば、もはやウォマイラの戦意はないも同然、ここは早急に帝都を陥落させ、各地方を押さえる足がかりとすべきです。我らが唯一怖れるべき事態が出来するより前に、早く」

 特徴的な、やや聞き取りにくい小声の早口が、並んで馬を駆る最後の一人から発せられた。

 単なる宗教団体ではあるものの、ショターニキ連合国とスタットン共和国にはさまれたかなりの土地を所有し、小国に匹敵する実力を備えた、オジ教団。その教団の指導者であるアベーロ師である。

 ケント王の亡き父、サトケ王の師であり、大陸一の魔法の使い手にして、古今東西あらゆる知恵と知識に通じた「ケメンの生き字引」。その「知恵の化身」が――ややニュアンスは異なっているとはいえ――一刻も早い帝都攻略を支持しているとわかり、ジューンはにんまりと笑った。

「おお、師も一刻も早い攻略に賛成なさっておられるとは心強い!この上は、是が非でも帝都に余自ら先んじて乗り込み、この手もてウォマイラ滅亡の端緒をひらいてくれようぞ!」

 高らかに宣言したところで、延々と続く田畑の遙か向こうにそびえ立つ、白い城壁がかすかに目に入った。

「見よ!あれこそ帝都ブサ!皆余に続け!」

 勢いに酔ったのか、ジューンはいきなり馬に拍車を当てると、そのまま、ものすごい勢いで疾駆しはじめた。

 そのあまりに向こう見ずな行動に、一同唖然としてその背中が小さくなるのを見送ったのだが……

「これはいかんな。いかに無血開城の可能性が高いとはいえ、卑劣なウォマイラどものこと、万が一罠でもしかけられていたら」

と、「戦略のガース」がつぶやいたのを受けて、「叡智のアベーロ」がうなずく。

「まことのその通りでございましょうな。いかに名目上であるとはいえ、ジューン殿は今回の同盟の盟主。その盟主本人が功をあせって単騎駆けした上、敵にとらえられでもしたら」

「とらえられるどころか、まかり間違って討ち死になどという憂き目に遭っては、軍勢の士気に関わりますな。致し方ありません、我らも参るとしましょう」

 二人の言葉をまとめる形で「武勇のヘイズ」がため息交じりにつぶやき――三人は揃って、ケント王を仰いだ。

 その視線に答える形で大きく首を縦に動かすと、ケント王はすらりと剣を抜き、頭上へと掲げる。

「ジューン皇帝に遅れるな!全軍、帝都ブサへ向かって、全速で進軍!」

 かくして、連合軍はブサの街へと向かって突撃に近い勢いで駆け出したのである。

 

 そして、現在。

 先頭を切って城門を駆け抜けたジューンは、幼少期に父から何度も聞かされたのと変わらぬ町並みを目にして、体がじんわりと温かくなるような思いにとらわれていた。

(帰ってきたのだ……ついに我が一族は、ここへと帰ってきたのだ!)

 戦の最中であることも忘れ、感涙がにじむ目で、隅から隅までゆっくりと、人っ子一人いない町並みをめでていたのだが……その目がふと、一点で停止した。

 そこにあるはずのない――あってはならないものを、捉えたのである。

(言い伝えによれば、あそこには、我が国の開祖たるタック英雄王の彫像が鎮座していたはず!なのに、なぜあんなものが!) 

 広場の中央、大噴水の上。城門をくぐれば嫌でも目に入る特等地に据えられていたはずの、伝説の初代皇帝ティルヒ一世の彫像が撤去され、代わりに、なんともまがまがしい意匠の巨大な鎧が安置されていたのである。

 ジューンの頭に、一気に血が上った。

(おのれ、ウォマイラ!我らが先祖をおとしめ、愚弄するか!)

 憤激の命ずるまま、かの醜い鎧を打ち砕いてくれようと、ジューンは腰の長剣をすらりと抜き放つ。

「余はジャリズ皇国ラース朝最後の血を受け継ぐ者にして、新たなる帝国の皇帝となる者、ジューン・マーモなり。今こそこの剣をもってして、長き恨みをはらさん!」

 言うが早いか、一目散に噴水へ駆け上ろうとした……その時だった。

 それまで、大理石の玉座の上にだらりと力なくもたせかけられていただけだった鎧の目が、不意に光を放ったのである。

(なに!?)

 次の瞬間、玉座からひと跳びで地面に下りたったかと思うと、

「グオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアッ!」

 鎧は、地の底から湧き上がるような不気味な声で、雄叫びを上げた。



     3

 喜びの悲鳴を上げた後でゆっくり目を開けると、いつの間にか視点が移動し、さっきよりももっと至近距離で、あたしは金髪サラサラ系イケメンのジューン様と向き合っていた。

 うぉう!今度はアップじゃん!

 にたりにたりと、我ながら気色悪い笑顔を浮かべながら、あたしはじっくりとなめ回すように、ジューン様のご尊顔を拝見した。

 すご!髪の毛の一本一本が風になびいたり、汗で額にはりついたりしてるところまで、リアルに表現してる!はあ~、それにしても、こんだけリアルにしても超イケメンって、めっちゃ子宮に響くんですけど!

 当のジューン様はというと、いつの間に馬からお降りになったのか、地面に腰を下ろされた格好で、じっとこちらを見つめている。

 おおおおおおおお、なにこの、イケメン様なのにみっともない、情けない格好!でも、そのギャップがイイ!はあ、尊い……

 にったりと鼻の下を伸ばしながらさらにご尊顔を食い入るように見つめているうち、はっと気がついた。

 あ……これひょっとして、主人公と攻略対象その1との出会いの場面なんじゃね?

 戦火の中、街へと攻め込んできた騎士様が、平民と出会って燃えるような恋に落ちる(これが乙女ゲーかホモゲか、あるいはどんなジャンルなのかによって、出会う相手(主人公)が少女か少年か青年かオジサンか変わるが、まあそれは取るに足りないことだ)。ゲームでよくあるといえばよくある舞台設定だけど、やはり王道だ。

 あ、ひょっとしてジューン様、主人公(あたし)があんまりにも魅力的すぎて、思わず見とれてしまい、馬から落ちちゃったとか!?

 そんなことを思って、再びジューン様をじっとりとした目つきで見つめたところで、城門から、どっからどう見てもモブキャラだな、と分かる長槍を持った歩兵がなだれ込んできた。

 お、なに、ここから新展開?

 ドキドキしながら目をこらすと、歩兵の群れをかき分けるようにして、騎馬姿のキャラが四人、広場の正面へと馳せ参じ、ひらりと馬から下りると、いまだ地面にへたり込んでいるジューン様のおそば近くへと駆け寄る。

 一人はジューン様を抱き起こし、一人はそのそばで呪文らしきものを唱え、残る二人は、ジューン様の前に立ちはだかるようにして、傷ついた仲間を背中に隠す。

 そして、皆が申し合わせたように――ジューン様の治療に専念しているイケメンのおじさまを除き――主人公(あたし)をきっとにらみ据えたのである。

 おおおおおおおおっ!傷ついた仲間を気遣い、助け合う友情!しかも、なにこれ!アニキ系にヤンチャ系、イケオジに正統派!マジやばすぎじゃん!

 いやいやいやいや、待て待て待て待て!いったん落ち着こう!

 こんなのよくある手法じゃん。

 主要攻略対象を一気に紹介して、プレイヤーの気持ちをとりこにし、製品版を売りつけようとする、あざとい演出。全く客を甘く見るにもほどがあるよね。

 そんなありふれた演出に、このあたしが引っかかるとでも思う?

 ええ、もちろん、手もなく、思い切りずっぽりと引っかかりますとも!

 攻略対象があまりにもイケメン揃いなことにすっかり舞い上がり、あたしは思わず、両手をグーにして口元に添えると、その場でトタトタと足踏みをした(ちょっと子供っぽい仕草だけど、昔から嬉しい時には必ずやっちゃう癖だし、それに、どーせ誰も見てないんだから、それぐらいは許される……その時は、そう思ったのだ)。


 鎧の上げた雄叫びは、鎧へと突撃をかけたはずのジューンを、まるで実体を持つ壁のように苦もなく受け止め、そして、馬ごと後方へと弾き飛ばした。

 石畳の路上へと手ひどくたたきつけられ、ジューンは思わず「ぐっ!」と息を吐き出す。

 どうやら、肋骨が何本か折れたらしい。

 しばらくは身動きさえできず、じっと激痛に耐え……ようやく痛みが和らいだ――というより、痛みに体が慣れてきたところで、ゆっくりと体を起こす。

 と。

 いつの間にか、鎧は噴水の中央にしつらえられた台座より降りたち、ごく近くで、じっとこちらを見つめていた。

 悪魔をかたどったとした思えない、あちらこちらから角だのトゲだのが突き出たまがまがしいデザインに、漆黒を基調としたおどろおどろしい色調。兜は輪をかけて忌まわしく、両の頬当てに泣きわめく少年と若者、そして額には、絶望のうめき声を上げる老人が配してある。

 その上、本来生身の顔があるはずの兜の奥には、無表情な金属の仮面が光っており……なんの感情も感じられない、昆虫を思わせるような冷たい金属の瞳が、ただただじっと、こちらに向けられているのである。

 その、あまりに非人間的な凝視に、心の底まで凍てつくような思いにとらわれ、ジューンは思わず、後ろににじり下がろうと腕をついた。

(うっ!)

 その途端、折れた肋骨に鋭い痛みが走り、ジューンは顔をしかめ、その場にうずくまってしまう。

(くそ……この場を逃れることさえできない……もはや、これまでか……)

 同胞達の悲願を果たせぬまま斃れる無念をかみしめながら、せめて一太刀、鎧の敵に切りつけてやろうと、痛みをこらえつつもう一度長剣を握り直した、その時。

 力強い腕がそっと自分を支えてくれたことを、背中が感じ取った。

「しっかりなされよ!」

 ささやき声の方向へと首を向けると、「知略の化身」レイン・ガースがかたわらに跪き、上半身を支えてくれている。

 それだけではない。

 ケント王と「武神」リョウ・ヘイズは、怪我人である自分を守るように鎧の前に立ちはだかり、アベーロ師は両手を複雑に動かしてそっと折れた肋骨のあたりに触れ、治癒の魔法を試みてくれている。

 そして歩兵達は彼らの周りを取り囲むように整列し、長槍の鋭い切っ先を鎧に向け、身を挺して指揮官を守ろうという覚悟をもって、身構えているのである。

(ああ……我が同盟軍は、なんと頼もしく、友誼に厚いのか……!)

 ジューンは喜びと感動のあまり、涙がこぼれそうになった。

 が、素晴らしい盟友、素晴らしい部下であればあるほど、功を焦って一人抜け駆けをした自分の犠牲にするわけにはいかない。

「ケントよ……逃げよ。これは……罠だ」

「なにをおっしゃいますか!盟主であるあなたを放って逃げることなど、できるはずがございません!それより、そろそろアベーロ師の呪文が効いて、痛みが引いてきたはずでございます。皇帝陛下、お立ちになれますか?」

「あ、ああ……すまぬ」

 残照のようにうずく胸の痛みに顔をしかめながら、ジューンはなんとか手をつき、立ち上がろうとする。

 その彼に手を貸しながら、トマス王は、前方に立ちはだかる不気味な鎧を鋭い目できっとにらみ据えた。

 と、それまで傲然と仁王立ちし、剣呑な光をたたえた生命感の感じられぬ目でこちらをじっと見つめるばかりだった鎧が、突然、動きだす。

 やや背を丸め、顔面をガードするかのように両拳を頬当ての前にかざしたのである。

 その途端、ジャキン、と鋭い音がして、鎧の背中から無数の鋭い突起が突き出し、その先からぶしゅーっと蒸気のようなものが噴き出した。

(な、なんだ、これは!?)

 目を見開いて見つめていると、鎧は、その重厚な装甲に似合わぬ軽快さで、ドドドドドドっと地面を踏みしめる。

 次の瞬間、地面が激しい勢いで揺れ動き、立っていた者全てが――歩兵も、馬も、騎士達も残らず――その場に打ち倒された。



     4

 足踏みをしたけれど、感じている喜びの総量を表すには到底足りなくて、

「本当に尊すぎ!こんなの絶対ヤバいって!」

と――周りの状況もろくろく確認せずに――叫ぶと、あたしはぴょんと跳び上がった。


 てか……普通はこんなこと叫ぶ前に、いい加減気づくよね。「おかしい」って。

 だって、さっきから椅子から立ち上がって跳んだりはねたり、ポーズを取ったり忙しく身体を動かしているのに、モニターは椅子に座ったときと全く同じ位置のまま。あたしが動くのと同じように、モニター画面も動いているんだから。

 VRゴーグルとかいう機器があれば、その時のあたしと同じように、動き回っても大丈夫で――しかも、普通のホモゲとは比べものにならないぐらいのめくるめく体験を味わえる――とうわさに聞いたことはある。けど、一介のJKであるあたしにそんなもの買う資金なんてあるわけないし、第一そんなハードにエロいゲームを買いに行くって考えただけで恥ずい。

 というわけで、今目にしてる光景って、ゲームじゃ絶対あり得ないし、ついでにいうと、こんだけ跳んだりはねたりしてるのに机やら椅子やら本棚やらベッドやらにぶつからないでいるのはものすごくおかしい。

 そろそろ、一体あたしは今どこにいるのか、って不安を感じはじめてもいい頃だったはずなのだ。

 けど、実際には全くそうはならなかった。

 目の前に粒ぞろいのイケメンが勢揃いした瞬間、あたしの思考力の99,9999%までがイケメンを愛でることだけに使われ、それ以外のことは全く気にならなくなっており……それでついつい、大声を上げ、ぴょんと跳び上がるなんて行動までしでかしてしまっていたのだ。

 まさかそれが、大虐殺のきっかけになるなんて、つゆほども思わずに。


 城門から攻め込んだ皆が地に打ち倒され、痛みと衝撃で苦悶の声を上げている、そのさなか。

 鎧から、不気味な声が響いてきた。

「ホ・ントニト・ウトス・ギー!コ・ンナノゼ・タイヤ・バイ・テー!」

 その言葉を耳にするなり、

「あれは!いかん!」

 アベーロ師が叫び、いまだ地面の揺れで立ち上がることすらできない中、必死で上体を起こし、呪文を唱えはじめる。

 偉大なる呪術師のただ事ではない様子を目にして、自分たちがどのような窮地におかれているのか瞬時に悟り、王も騎士達も、なんとか体勢を立て直そうと身を起こしかけた、その時。

 鎧が、小さく縮めていた体を一気に解き放ち、天空高くに跳躍したかと思うと、揃えた両足が地面に深々と突き刺さるほどのすさまじい勢いで、再び着地した。


 あたしがようやく「急性イケメン中毒」状態からほんのわずかだけ抜け出したのも、ちょうどこの時だった。

 軽く跳び上がっただけのはずなのに、なんだか長い時間、空を飛んでいるような、妙にふわふわした感覚がずっと続いていることに、違和感を抱いたのだ。

 あれ……?あたし、今どうなってんの?

 薄目を開けて見ると、なんとびっくり、あたしは地面の数十メートル上空に浮かんでいたのである。

 なんじゃこりゃあ!

 思わずあんぐり口を開けようとしたのだが……そのヒマすらないうち、あたしの身体は再び地面に向け、重力加速度の命ずるままに速度をぐんぐん上げ、落下しはじめる。

 あまりにあり得ない状況に、あたしは思わず、

 ひええええええええええっっ!

 顔を伏せ、脚をぴんと伸ばして突っ張る。

 その直後、ずん、とかかとが何かにめり込む感触がして……おそるおそる目を開けると、足が数十センチほど、地面の中にめり込んでいた。

「ちょ、なんだよこれ!あたし、ここまで体重重くないって!!」

 いやいやあたし、この状況でまず気にするのそこかよ、と自分でもちょっとあきれたけれど、すぐさま別の心の声が、いやあ仕方ないって、JKの脳ミソの大部分は「体重」とか「前髪」とか「目ヂカラ」とかに反応するようできているんだから、と開き直った答えを返し、そうだね、そういうもんだよねと、あたしはすんなり納得する(反省とか後悔とか、そういったカラダに悪い感情はすぐさまどっかに吐き出し、前向きに明るく生きていくことが、あたしのモットーだ)。

 そんなのんきな「自分内やりとり」をしているところへ、どこかから聞き慣れない声が響いた。

「ボディサインによるコマンド入力を感知いたしました」

「へ?なんのこと?」

「モーションキャプチャシステムによりユーザーの動作を感知しコマンドとして翻訳、反映可能な……」

「あのさ、そんな難しいこと言われてもよくわかんないって!つまり、あれ?ニ○テンドー○イッチ的な、あたしが動いたらキャラクターも動くみたいなこと?」

 あたしがそう言うと、声はちょっとの間、戸惑ったように沈黙したが、すぐに――なんだかやや投げやりな感じの調子で――再びしゃべり出した。

「あー、はい。多分その解釈で合ってます。承認なさいますか?」

「ショーニン?」

「はい……えーと、ですから、オッケーでしょうか?」

そう聞いてきたから、てっきりあたしは、ニン○ンドースイッ○的なあれで、あたしが動いたとおりにキャラクターが動くようにしていいかと、チュートリアルが尋ねてきたんだと思ったのだ。

「あ、うん。オッケー」

「了解しました。ユーザーの最終確認終了。それではこれより敵性生命体の殲滅を開始いたします」

「……はえ?」

 あたしがマヌケな声を上げた、その時。

 あたしがめり込んだ場所を中心に、ミシミシと音を立てて地面にひび割れが広がり……瞬く間に四方八方に伸びていく。

「えええええええっ!なんじゃこれえっ!こんなの聞いてないって!」

 が、そんな声もむなしく、ひび割れは広がるだけ広がると、ぱっくりと口を開け……そっから何やら得体の知れないどす黒いものが、わらわらと出現したのである。

 そして……地獄の釜が開いた。


 地面にできた生々しい傷口のように、メリメリと音を立ててぱっくりと口を開けた地割れ。

 そのはるか奥底から、

「おおおおおお~ん!!!」

うめき声ともわめき声ともつかない、苦しげな、恨めしげな声が響いたかと思うと、次の瞬間、地割れの奥から、漆黒の腕が無数に湧きだした。

 そして、その腕はいまだ倒れこんでいる歩兵達の腕や足をわしづかみにするやいなや、ものすごい力で地の底へと引きずり込みはじめたのである。

「や、や、やめろ!やめてくれ!」

「う、うわああああああ!は、放せ!放せえええええぇぇぇぇ……」

「ひいいいい!い、嫌だ!嫌だあああああぁぁぁぁ……!」

 あちらこちらから泣き声交じりの悲鳴が湧き上がったが、それもすぐに消え入るように止まっていく。

 真っ黒い腕に身体のどこかを掴まれた騎士たち、兵士たちは、たちまちそこからピシピシと音を立てて凍りつき、恐怖と苦悶の形相をはり付けたまま、凍てついた彫像のような姿へと変化してしまうのである。

 無言の悲鳴を虚空に響かせる以外、一切無抵抗となった同盟軍の軍勢を、漆黒の腕は一切の斟酌なく、ずるずると地割れの中――地底の奥深くへと引きずり込んでいく。

 そのあまりに悲惨な地獄絵図に、将たる騎士達も、ただ呆然と立ち尽くし、惨状を凝視するより他、なにもできない。

 と。

 真っ黒な腕の一本が、ふと思いついたかのように亡命皇帝ジューン・マーモの足へと巻きつき、ものすごい力で引っ張りはじめた。

「うわっ!」

 突然のことに、ジューンはなすすべもなく地面に打ち倒され、そのままものすごい勢いで引きずられていく。

「ジューン!」

「つかまるんだ!」

 すかさずリョウ・ヘイズとレイン・ガースが手を伸ばし、その体を支えようとする。が、ジューンが必死の思いで伸ばした指先は、すんでの所で二人の手に届かず、ジューンの体は一直線に引きずられていく。

 たちまち地割れの縁が迫り、ジューンが無念の思いに歯を食いしばった、その時。

 体全体でぶつかることで王の体を受け止め、危ういところでその落下を食い止めた者がいた。

 聖トゥーハ王国国王、ケント・ムザである。

 真っ黒な腕は、なおもジューンの足を離さず、奈落の底へ引きずり込もうとする。が、ケント王は長剣を地面に深々と突き刺し、それを支えにして体を預け、引きずられるのを防いでいる。

 その姿勢のまま、若き王はナイフを片手で引き抜くと、苦しい姿勢のまま、漆黒の腕を切りつけた。

「くそ、硬い!」

 羊皮紙のように薄っぺらなのに、腕はしなやかで、しかもナイフの刃をこぼれさせるほど(つよ)く、いくら切りつけても、傷一つつかない。業を煮やしたケント王は、ナイフを逆手に持ちかえると、思い切り反動をつけて突き刺す。

 が……。

 ナイフは「かちん」という音を最後に、根元から砕け散り、王の手の中には精緻な飾り模様を施した柄のみが残る。

「くそ!かくなる上は……」

 ケント王は、手にしたナイフの柄を投げ捨て、身体を預けていた長剣の柄に右手をかけた。王家に伝わる秘宝であり、ケメンの地でも指折りの業物であるその長剣ならば、地獄の氷よりも硬いその腕でも両断できると踏んだのである。

 が……その右手の上に手を添え、引き抜こうとする動きを止める者がいた。

 ジューン・マーモ皇帝その人である。

「皇帝陛下!なにを……」

「もう、よい。もう遅いのだ」

 その弱々しい声に、はっとケント王はジューンの顔を見た。

 と。

 力ない微笑みを浮かべたその顔のうち、既に半分は青白い氷が覆い尽くし、なおもピシピシと音を立てつつ広がっている。

 ジューンは精一杯の努力を傾け、口を開くと、ささやいた。

「見ての通り、余はもう助からぬ。そなたは……逃げよ」

「陛下!諦めてはなりませぬ!私がきっと……」

「逃げよ!これは命令だ!」

「陛下……」

「そなたはまだ助かる。余と共倒れになるなど、許さぬ!」

「しかし、陛下!」

「ケント王よ。領土なく、民なく、力ない、名前だけの皇帝に過ぎぬこの我に、よく今まで尽くしてくれた。礼を言うぞ。願わくば、我が屍を越え、宿敵ウォマイラを打ち倒し、この地に恒久の平和をもたらしてくれ……」

ジューンはそう言うと、自らケント王の手を振りほどき、漆黒の腕に引きずられるまま、果てしない奈落の奥底へと姿を消したのである。

「陛下……陛下あっ!」

 その場に立ち尽くし、叫ぶケント王にも、幾本もの漆黒の腕が迫る。その足首に凍てついた指先が巻きつこうとした矢先、すんでの所で王の身体を後方へと引き寄せる者があった。

 リョウ・ヘイズである。

「王よ、ここは退くのだ!」

 いともたやすくケント王を抱き上げると、そのまま横抱きにし、地割れに背を向けると、いっさんに駆け出す。

「師匠!離してください!陛下が!陛下が!」

 抱えられたまま、ケント王は身をよじり、手足をばたばたと暴れさせ、なんとかリョウの腕から逃げだそうとするが、いまだ力衰えぬその両腕はかんぬきのようにびくとも動かない。

「皇帝の思いを無駄になさるおつもりか!ここは、耐えるのだ!」

 リョウに一喝され、王はつかの間はっとした表情になると、がっくりうなだれた。

 その王を抱えたまま、リョウは脱兎のごとく漆黒の腕を躱し、跳び越え、くぐり抜けて走り、

「リョウ・ヘイズどの!こっちだ!」

というレイン・ガースの声に導かれるまま、青白く光る半球の中へとすべり込む。

 続いてレインが、

「アベーロ師!お願い申す!」

そう言うが早いか、師は、素早く二本指を立てて不思議な図形を描き、仕上げの呪文を唱える。

 その途端、アベーロ師の周囲五メートルほどの空間が、沸き立つように波打ち、まばゆいばかりに白く発光して……ふっと、四人はその場から消え去ったのである。


 「なによう、これえ!どうなってんのよおおおう!?」 

 地割れの中から出てきた無数の平べったい真っ黒い腕が、次々兵士達を捕らえ、泣き叫び、悲鳴を上げる彼らを、次々地の底へと引きずり込んでいくのを呆然と見つめながら、思わずあたしはそう叫んでいた。

「ユーザーのコマンド入力及び承認により、敵性生命体の殲滅を……」

「そんなこと命令しちゃいねえって!」

「いえ、確かに入力を確認しました。両こぶしをあごに下にあてがう仕草は古代ンガロゲ人の身体言語で『我に敵対するものを全て排除せよ』を意味し、続く7回の足踏みは、北ハンジャラ部族で『決して手加減するな』、そして最後の空高くへの跳躍は、マヤンステカ文明で『以後行動終了までコマンド入力を凍結する』ということを意味します。ですから……」 

「いや、ちょっと待て!なんだその、ものすごくうさんくさい説明!」

「そう言われましても、コマンドとして記憶されておりますので」

「あたしはただ、このイケメンだらけの「体験版」が嬉しすぎて、ジタバタ喜んでいただけだよ!そんなヘンテコな身体言語?なんか知るかよ!」

「いや、ユーザーは古代の失われた文化に堪能な方だと密かに感心したのですが……」

 そんなバカなやりとりをしているうち、ほとんどのモブキャラが地獄送りにされてしまったばかりか、間違いなく攻略対象の一人だと思われたジューン様までが地の底に引きずり込まれそうになっている。

 こうなっては、さすがに黙っていられない。

「ちょ!こんな展開あり得ないでしょ!なにこの設定!コマンドキャンセル!やめて!こんなの望んでないから、早く!」

「残念ながら、行動終了までのコマンド入力は凍結されております。もしどうしても強制終了なさるというのならば……」

「リセットボタンだね!」

 なんとしてでもジューン様を助けなければと、あたしは、手元にあるはずのキーボードだのコントローラーだのを見つけようと(目は画面から離さないまま)指先でテーブルの上をまさぐろうとした が……どうしたわけか、ぐっとこぶしを握りしめた格好のまま、指先はぴくりとも動かない。

「え!?なに、どういうこと?」

 あわてて足や首、身体をひねり、動かそうとするが、どこもかしこも、体が外側からがっちり押さえつけられているかのように、身動き一つ取れないのである。

「なにこれ!なんで動けないの!ちょっと!このゲーム、バグってるって!」

 このままじゃいけない、エスケープでもリタイアでもポーズでもなんでもいいから、とにかく話を戻し、ジューン様が生き残るルートでやり直さないと!

そう思ったあたしは、必死で、

「リセット!中断!やめて!やり直し!リスタート!いまのなし!タンマ!キャンセル!リニューアルオープン!」 と、思いつく限りの「はじめから」を意味する言葉を叫んでいた。

「……残念ながら、強制終了するには身体言語で……」

「そう言うけど、身体動かないじゃん!動かせるところといえば……」

 そこであたしに天啓が走った。

 そうか!

 あたしは、きっとそのうちのどれかがリセットサインになっていると信じ、体中で唯一自由に動かせる部位である「顔面」を変化させることにした。つまり、目を大きく見開いて口を真横に引っ張ってみたり、その逆に、顔の全パーツが中央に集まるよう、顔中をしわくちゃにしてみたり、ひょっとこになったり「ぐわっ!」って顔をしてみたりと、必死で、次から次へと「一人にらめっこ」をし続けたのである。

 が……残念ながら、画面がいきなり暗転し、はじめの、誰もいない中世っぽい街の光景に戻る、なんてことはなく……ジューン様はもろくも地中へと引きずり込まれてしまわれた。

 それだけではない。

 気がつけば、あれほど大勢いたはずの兵士は、きれいさっぱり地割れの底にのみ込まれ、そして、愛しい攻略対象サマ達も、イケオジの唱えた魔法かなんかで、忽然とその姿を消してしまい……あたりには、人っ子一人いなくなった(ある意味、初期画面に戻ったといえなくもない――そこここに散乱する折れた剣や脱ぎ捨てられた鎧、派手な血しぶきや、深々と未だ口を開けたままの地割れさえなければ)。

 と、そこで。

「……強制終了するには身体言語による入力が必要ですが、その入力がロックされている以上、強制終了はどう合っても不可能、とお伝えするつもりでしたが……今さらお伝えしたところで、もうどうしようもありませんね」

例の声が素っ気ない口調でそう言った後、一番はじめの、無機質な調子へと戻り、

「敵性生命体を感知できません。殲滅終了を確認。休止モードに移行します」

と宣言した。

 次の瞬間、ぶしゅーっと背中から何かが噴き出す音が聞こえ、地割れが次々に閉じ……あたしは、両手をグーの形にして口の前に添え、膝を曲げてお尻を突き出した、思いっきりぶりぶりの恥ずかしい格好で――しかも、顔は百面相の最後に作った「ぐえええ」という断末魔の表情のまま――一人街角に立っていた。

 慌てて背後を振り向くと、そこには、全身真っ黒な上、あちこちからトゲトゲが突き出した、おどろおどろしいデザインの鎧が、あたしとそっくり同じ恥ずかしい格好で、地面にめり込んでいる。

(え、なにこれ?見るからに邪悪な、どっからどう見ても悪役としかいいようのない、ものすごくわかりやすいデザインのこの鎧!?でも、なんでそれが、さっきのあたしとそっくり同じポーズで立ってんのよ……!)

 おそるおそる指先で鎧に触れると、途端に鎧の目がかっと光り、同時に、頭の中に、先ほど聞いたのと同じ声が響いた。

「個人認証を確認しました。装着なさいますか?」

「うおっ!」

 ビクッと指先を離すと、途端に頭の中から声が消えた。

「な、なに今の!?」

 背中を丸め、目を皿のようにして周囲をきょろきょろとうかがいながら――完全に不審者だよね――後ずさりすると、背中に、なにか柔らかいものが、ぶにゅ、とぶつかる。

「……え?」

 今までなにもなかったところに、不意に出現した「なにか」に背後を取られ……あたしは恐怖のあまり、「ぐあ」と言わんばかりの顔になった――というか、実際に声に出して、ぐあ、とつぶやいていた。

 そのみっともない表情のまま、おそるおそる振り返ると……そこには、いつの間に、どこから現れたのか、キリスト教の神父様みたいな――ただし服の色は白じゃなくて真っ黒な、中二病こじらせた感満載な――出で立ちの男が三人、立っていたのだった。



     5

 「イ・ケメン・ガイル・ゾー。我らの祈りにお応えいただき、ありがとうございました」

 先頭の一人がそう言って深々と頭を下げると、

「イ・ケメンワコ・コダ・ゾー。我らの危地を救っていただき、ありがとうございました」

 後ろに控える二人が唱和し、同時に深々と頭を下げる。

 そのまま、ゆっくりと頭を上げた男たちの顔を一目見るなり、あたしは「ぐあ」って顔をさらに歪め、「げええ」って表情になった。

 この手の「聖職者」って感じの格好をしたキャラって、普通どう考えてもイケメン様なはず。なのに、目の前に立っていたソイツらときたら!

 中央に立っている、あたしに声をかけたヤツは、ゆったりした服越しにでも体中がだるんだるんしているのがわかるほどのだらしない体形の上、四角い顔全体から常に脂を吹いているように見える、両生類系のものすごい濃緑色ブサメン。

 その右後ろに立っているヤツは、きっちりホームベース型をした輪郭に、今すぐ人を殺しそうな糸目のつり目に似合わない赤メガネをかけ、酷薄そうな薄い唇に気味の悪い笑みを浮かべた、は虫類系の哀しいぐらいの青緑ブサメン。

 そして、左後ろのヤツは、ガリガリの貧弱な体にせり出した額、その上、一体どうやったらそれほどしゃくれるんだっていうぐらい、アゴが異様に前に突き出した、エイリアン系のとてつもない黄緑ブサメン。

 三人が三人とも、オリジナリティあふれる人外ッぷりを示す、いずれ劣らぬパワフルなブサイクだったのである。


 はっきり言って、あたしはイケメン様が好きだ。

 二次元でも三次元でも、イケメン様でさえあれば正義。イケメン様の行動は、どんなことでも許されるし、イケメン様を見てるだけで、この上ない幸福感を感じてしまう。

 その反動なのか、ブサメンにはまっっったく興味がない。というか、奴らには生きる価値などかけらもない、地上の空気を消費する価値すらない、今すぐ死んで植物の肥料にでもなった方がマシな存在だと思っている。

 そのあたしが、ブサメン界でも相当ハイレベルの、スーパーブサメンエリートに――しかも、事もあろうにイケメン様にしか許されない「神官コスプレ」にその身を包んだ、超勘違いヤローたちに直面したのである。

 ということで、たちまちあたしは超不機嫌になり、その態度もものすごく横柄な塩対応になった。


 「なによ、お見事って。つか、誰よ、あんたたち」

 すると、ブサメンエリートトリオは、あたしに向かって、再び深々と頭を下げる。

「失礼いたしました。私どもは、暗黒邪神に仕える暗黒司祭。すなわち、あなた様のしもべでございます」

「あなた様にお仕えする奴隷でございます」

「あなた様のお仕えする下僕でございます」

「そして、お見事とは、あなた様があれだけいた敵の大群を、喪術を用いてあっという間に殲滅させてしまった、その手際を感心するあまり、思わず口にしてしまった言葉でございます。ですが、ぶしつけでございました」

「あなた様の超越的な喪術を持ってすれば、敵の殲滅は必然。虫をひねり潰すようなもの」

「あなた様にとって当然の、そしてたやすい所業を目にしただけであるにもかかわらず、それがあたかも確定事項ではないかのような言葉を発するとは!」

「まことに僭越極まりない愚挙でございました」

「まことに失礼いたしました」

「どうかお慈悲をおかけくださいませ」

 ブサイクに似合わない流暢さで言葉を紡ぎ出したかと思うと、またもやしつこく、深々と頭を下げる。

 あたしは、イケメン様にしか許されない服装に続き、イケメン様にしか許されない「真顔での途切れない発言」を、ブサメントリオがしやがりやがったことに多少イラッとはしたけれど、それよりなにより、ヤツらの発言の中のある言葉が気になって、思わず眉根に皺を寄せた。

「おい、ちょ待てよ。『あたしが』『敵の大群を』『殲滅した』?どういうことだよ!?」

「失礼いたしました。『殲滅』とは、敵などを皆殺しにすることで……」

「いや、ちげーよ!殲滅の意味ぐらい知ってるって!じゃなくて、『あたしが殲滅した』って、どういうことかって聞いてるんだよ!」

「どういうことと言われましても……あなた様が身につけた鎧の力でもって、一万数千人に及ぶ敵兵を、一人残らず奈落の底へ落とし込んだという、まさに字義通り、お手本のような殲滅を行われた、としか……」

「いやいやいやいや!違うって!あたしはただゲームをしてただけ!それ以外は、なにもしてないって!」

「ああ、なるほど!あの程度の所業、なにもしていないに等しいとおっしゃっておられるのですね!やはり、邪神様のお力は計り知れぬほど強大なのでございますな!」

「だから、そういうことじゃないって!なに、あんた方開発の人?言わせてもらうけど、このゲーム、おかしいよ?いきなりイケメンと出会うまではいいんだけど、その後、なにもしてないのに、せっかく現れたイケメンの一人は死んじゃうし、他の皆様はいなくなってしまわれるし、あれじゃ、プレイヤーはなにがなんだか……」

 あまりの話の通じなさにイラついてきたあたしは――ひょっとすると、なんだか大変なことをやらかしてしまったのかもしれない、という不安が徐々にわき上がってきたのもあって――早口でまくし立てた。

 が、やっぱりブサメントリオに話は通じない。

「ゲーム?それは一体、なんのことでございましょうか」

「え?」

「この大地の名はケメン。この都市の名は、帝都ブサ。殲滅した敵は、聖トゥーハ王国騎士を中心とする四カ国連合軍の兵士」

「『ゲーム』などという地名はおろか、人名も聞いたことがございません」

「え?え?」

「我らはウォマイラ帝国の暗黒神官。暗黒邪神に仕えるしもべ」

「そしてあなた様は、我らの切なる声に応え、この地に再臨なさった、暗黒邪神ザドレア様その人でございます」

「えええええええええ~~~っ!?」

 あまりの急展開について行けず、あたしは思わずその場にへたり込んだ。

 なに、えっと、これっていわゆる「召喚もの」ってやつ?でもって、あたし、暗黒邪神なの?しかも、召喚されていきなり、その気もないのに大量の人間を虐殺しちゃった、ってこと……?

 教務指導のいかつい先生に思い切り頭をぶん殴られたような衝撃が――いや、実際ぶん殴られたことはないけど、殴られたらきっと、これぐらいの衝撃を受けるんだろうな、って話ね――いきなり襲ってきて、目の前の光景が、急にぐるぐると回り出す(ブサメントリオたちには、あたしの両目がウズマキになったように見えたに違いない)。

 そのまま、ふうっとあたりの光景がかすみ……あたしは人生で初めての「気絶」というやつを経験していた。


 アニメなんかだと、気絶した後って、なんだかピントが合わない、うすらぼんやりした光景なんかがゆらゆら見えて、それから徐々にはっきりといろんなものが見えてくる……なんていうのが多いんだけど、どうやら実際の「気絶」はそうじゃないらしい。

 なんか、落ちてたブレーカーをオンにしたというか、フリーズしたスマホを再起動したというか、ゼロだった意識がいきなり100%覚醒した感じで、気がつけばあたしは、超至近距離から顔をのぞき込んでいるブッサイクで汚いオヤジと、がっちり目が合っていた。

「ふぉあああああああああああああっ!」

 いきなり目の前にこの上なく醜い物体を突きつけられた衝撃で、あたしはパニックを起こし、とにかく異物を排除しようと、ベッドに横たわったまま、相手の顔面めがけ、必殺の右ストレートを繰り出していた。

 が。

 相手の顔面に届くか届かないか、というところで、なにか柔らかいものに包み込まれたかのように拳は失速し、ダメージを全く与えられないままに停止する。

 え!?なんで?どうなってんの?

 目を丸くして停止したままの拳を見つめるのとほぼ同時に、拳の先からゆっくり顔面を引き起こしたブサイクオヤジが、再び深々と頭を下げる。

「ザドレア様。お目覚めになったようで、なによりでございます。そして、意図せぬこととはいえ、お心に沿わぬ振る舞いに及び、お怒りに触れてしまいましたこと、誠に申し訳ございません。切に、切に謝罪申し上げます」

「あ……うん、いいよ。ちょっとびっくりしただけで、別に怒ってないし」

 ゆっくり上体を起こし、見事なてっぺんハゲをこちらに向けたまま小さくなっているブサイクオヤジに、あたしはちょっと困惑したような調子で、声をかけた。

 実際、あたしは困惑していたのだ。

 あたしにとって、ブサイクはそれだけで犯罪だ。しかもその上オヤジときたら、そりゃもう、万死に値する。普段のあたしなら、ブサイクオヤジが至近距離に近づくというのは、Gが顔面めがけてダイブしてきたのと同じくらい汚らわしく、あってはならない出来事のはずなんだけど……。

(なのに、こんなに早く、怒りが静まるなんて……)

 今までの経験からいって、第二種ブサイク接近遭遇を引き起こした相手には、少なくとも三時間は激怒の感情が続き、さらにその後二日間は、ゲジゲジと同じくらいの嫌悪感を抱き続けるのに、一体どうして、こんなに早く気持ちが平静に戻った?おかしい、あり得ないんだけど……と思いながら、顔をしかめてなおもオヤジの顔を見ると……あたしはあることに気がついた。

「ね。あんた、どこかで会ったことなかったっけ?」

 と、ブサイクオヤジの顔に、満面の笑みが広がる。

「おお、嬉しゅうございます!覚えていてくださったのでございますな!ええ、ええ、そうでございます!あなた様が以前に降臨なさった時、確かに私、あなたにお会いして……」

「え、いや、あたし、ここ来たの、多分はじめてなんだけど……」

「お懐かしゅうございます!あれはかれこれ500年前のこと!」

「いやいやいやいや!いろいろおかしいって!あんたいくつ?てか、あたしのこといくつだと思ってんの?」

「か、神の年齢について考えるなど、おそれおおい!ですが、あえて申しあげるならば、この世界が生まれたのと同時に無から生じ、以後、永遠の生を生きて……」

「いや待て!それじゃあたし、超ババアじゃん!そんな訳あるか!あたしは、佐藤れいあ!ぴちぴちの十七歳!JKだよ!」

 ババア扱いされた怒りで、ベッドから立ち上がり、運動不足のせいで最近とみに太ましくなってしまった腕をがっしりと組んで、がっと相手をにらみつける。が、オヤジはいまいち飲み込めない様子で、眉根に皺を寄せ、必死になって考えこんでいる。

 やがて、はっと何かに気づいたような顔で左手の平に握りこぶしを打ちつけると、オヤジは、晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。

「分かった、分かりましたぞ!」

「あ、よかった、分かってくれた?あたしは神様なんかじゃなくて……」

「JKとは、すなわち『邪悪なる神』のことでございますな?」

 思わずあたしは、ずっこけそうになった。

「十七歳とは、神年齢でのこと!私どもの年に換算すれば、おそらくは数千歳という……」

「ちっがああああああう!十七歳は十七歳!JKはJK!そのままの意味!」

「しかしザドレア様、まことに申し訳ありませんが、私には、JKという神聖なる略語の意味、皆目見当をつけることが……」

「なに、あんたバカなの?JKっていえば!普通は!」

 そこまで言ったところで、はたとあたしは困った。

 つい数分前まで知っていたはずの「JK」という言葉の意味が、いつの間にか脳みそから滑り落ち、どこを探しても見つからなくなってしまっていたのだ。

「あ、あれ?JKだよ、JK!ものすごくよく知ってたはずの言葉だって!」

「ええ、ですから、その言葉の意味をお教えいただきたいと……」

「分かってる、分かってるから!焦らせないでよ!」

「いえ、焦らせるなどとんでもございません!これこの通り、ひたすらお待ちしておりますので……」

「そういうこと言われるから、余計焦るんだって!」

「いや、これは失礼を……」

 汗びっしょりになりながらぺこぺこと頭を下げるブサイクオヤジに、なんだかかみ合わないまま、思う存分きつい言葉を浴びせかけていると、なんだか不思議に落ち着いて……あたしはいつしか、オヤジのいうとおり、ずっと昔からこの地に居着き、こいつらを見守っていたような、おかしな気分になりつつあったのだった……。



     6

 その頃。

 ウォマイラ帝国との国境に隣接したスタットン共和国の首都「イン・ナセ」にある旧王城――現市庁舎である建物の奥まった一室では、あの虐殺の場からすんでの所で離脱した連盟の指導者たちが、暗然とした顔で円卓を囲んでいた。

「……どうやら、ここまではあの強大なる力も及ばないようですな」

 ぼそりとつぶやいたのは、ショターニキ連合国の指導者、リョウ・ヘイズである。

「本当に危ういところでしたな。一時はどうなることかと……」

「我らだけ助かったところで、どうなるというのだ!」

 だん、と拳を卓にたたきつけたのは、スタットン共和国軍総司令官、名誉伯爵レイン・ガースである。

「1万……!1万だぞ!我ら共和国が擁する兵士の8割が、一瞬で消滅してしまった!そして、我らが旗印であるジューン・マーモまでも……!」

 彼の顔には、完全勝利まであと一歩というところまで迫りながら、とてつもない力でもって、一気に戦局をひっくり返され、絶体絶命の窮地に追い込まれた失望が、色濃く刻まれている。

 いや、レイン・ガースだけではない。その場にいる誰もが皆一様に、絶望と無力感にとらわれ、この先どうすればいいのか困惑し、暗澹とした思いにとらわれていたのである。

 そんな中、同じ暗い表情ながら、聖トゥーハの若き王、ケント・ムザだけは、それでも必死で前を向こうとしていた。

「……この目で見なければ、とても信じられぬほど、強大な力であった……アベーロ師がいらっしゃらなかったら、我らとて、一体どうなっていたことか……師よ、本当にありがとうございます」

と、ささやくように礼を述べ、深々と頭を下げたのである。

 同盟の実質的責任者として、危地から自分たちを救ってくれた偉大なる呪術師に、心からの謝意を示そうという思いからの行動である。が、アベーロ師もまた、重苦しい表情のまま、ゆっくりと首を振るばかりだった。

「私が非力なばかりに、みすみす大勢の命を失ってしまった。まことに申し訳ない限り……」

「いえ、そんなことは」

「いや、もう少し早くあの予兆に気がつきさえしていれば、もっと大勢の命を救えたものを。ただただ、この身の不明を悔やむのみです」

 この上なく沈鬱な表情でうなだれたアベーロ師を前に、王は、ふとその顔に疑念を浮かべた。

「師よ。今、「あの予兆に気がついていれば」とおっしゃいましたか?」

「いかにも」

「そういえば、師は、あのおかしな鎧武者がわけの分からぬ呪文を唱えた時、「いかん!」ともおっしゃっていらっしゃった」

 レイン・ガースも、不審げな表情を浮かべ、あごに手を当てる。

「ひょっとして師は、あの鎧武者の呪文に聞き覚えがおありだったとか……」

 ケント王が真摯な視線を向けると、アベーロ師は、ゆっくりとうなずいた。

「諸将は、「喪術」というものをご存じかな?」

「喪術……というと、いにしえより言い伝えられている、あの?」

「生まれ落ちてよりずっと身を清く保ち、欲望と煩悩の源であり、堕落の源泉ともいわれる『カ・レシ』より身を遠ざけ続けた、選ばれし魔術師のみが習得できる、強大な力。それらを使うものは、畏怖と尊敬を込め『喪の者』『喪術使い』と呼ばれるという、禁じられた秘法……」

「しかし、それはただの伝説、言い伝えに過ぎないもののはず!過去の歴史をどれだけ精査しても、喪術とやらが使われたという記録は、どこにも……」

 半身を乗り出し、食ってかかる勢いで激しく言葉を発したのは、リョウ・ヘイズである。

 が、アベーロ師は、ゆっくり首を左右に振った。

「諸将が知らぬのも道理。なにしろそれは、闇に葬られた記録なのだから……」

「葬られた、ですと!?」

 アベーロ師は、再び重々しくうなずくと、眉をしかめ、その視線を虚空へ――その向こうに浮かぶ、はるかな過去へと向けた(もしジューンがここにいたら、やれやれ、また年寄りの思い出話がはじまった、と言わんばかりに顔をしかめ、ひそかにため息をついていただろうな、とトマス王はひそかに笑みをもらし……それからすぐに、この上なく悲痛な表情へとなったのだった)。



     7

 「……そんで?なに、、結局あんたたちがあたしをこの地へ呼び出したって、そういうことなの?で、ここは、あたしをまつる暗黒神殿で?あたしは数百年前からあんた方に暗黒邪神として信仰されてきた?」

「はい、まことにその通りでございます!ようやく思い出していただけましたか、ザドレア様!」

 不機嫌そのもの、といった顔で話してるあたしと対照的に、ブサイクエリートトリオは三人揃って「ようやく誠意が通じました!」といわんばかりの、満面の笑みであたしの前に控えていた。

 聞けばこの三人、この神殿でも最高位の神官で、真ん中のオヤジが暗黒大神官ズィーロ、右側の赤メガネが暗黒司祭長ヤムザ、そして左側のアゴが、暗黒枢機卿イナーチャというらしい。そんなえらいオッサンがあたしなんかにぺこぺこしてること自体あり得ないっていうのに、話す内容はもっとあり得ないから、本当に始末に負えない。

「いや、だからさ、違うって!そのザドレアって人、別人!何度も言うけど、あたし、まだ17年しか生きてねえし!」

「しかし、我らがあがめる暗黒邪神そのもののお姿で降臨なさり、我らを喪術でお救いくださったのですから……」

「いや、それは偶然!たまたま!大体、なんだよその喪術って!いや、そりゃ確かにあたしは喪女だけど!」

「おお、やはり!ザドレア様の別名は『伝説の喪女』でございました!」

「なにアンタ、やっぱりあたしにケンカ売ってんの?」

「いえ、そんなつもりは毛頭ございません!ですが……」

「大体なんなの、暗黒邪神に暗黒神殿、暗黒神官に暗黒司祭、なんでもかんでも暗黒暗黒って、中2病かよ!」

「これはご無体な!我々とて、好き好んで暗黒教徒を名乗っているのではございません!そもそも以前ザドレア様がご降臨なさり、我らに救いをもたらしたもうた時、ぜひともザドレア様を清浄神、光明神、救世神として荘厳なる神殿にお祀りしたいと奏上いたしましたのに、ふざけるな、あたしは暗黒邪神だ、すむのは暗黒神殿で、手下のあんた方は暗黒神のしもべとすぐに分かる名を名乗れと、きつく命ぜられましたではありませんか!」

「そうでございますよ!そもそもはあなた様のご意向によるものではありませんか!」

「このような名前を冠せられ、我々がどれほど無意味に忌み嫌われましたことか……」

「え、いや、それは暗黒ナントカって名前のせいじゃなくて、あんた方の見かけのせいじゃん」

「なんと!しかし、このような黒ずくめの格好をするようにと命ぜられましたのも、あなた様でございますぞ!それを……」

「いや、服じゃなくて!もっと上上!」

「この髪型とて、ザドレア様ご本人が定められたとおり……」

「頭違う!服と頭の間についてる、その正視に耐えない数々の付属物!」

「……なにをおっしゃっているのか、私にはさっぱり……」

「おい!こんなにわかりやすくいってるのに、分からないはずないだろ!そのツラだよ、ツ・ラ!ブサイクコンテストで優勝間違いなしの、そのブッサイクな顔面!」

「なんという無体な!我らのこの誠意にあふれた顔をなじられるなど!」

「いや、だって、あんた方三人、そろいも揃って、イジってくださいっていわんばかりの顔面じゃん!狙ってるんだろ、イジられるの!」

「そのようなこと、誓って意図しておりませぬ!これは、ザドレア様よりいただいた、神聖な……」

「やってないやってない!つか、あたしが与えるんだったら、ぜっっったいイケメンにするし!」

 などなど、えらいオッサンたち相手にこの上ない暴言を吐きまくり、きつい言葉をぶつけまくることで、不安といらだちを紛らわせていたのだけれど、あれ、ちょっと待って、一体なんだって、イケメン様だらけの異世界召喚なんて願ってもない状況に巡りあってるっていうのに、一体なんだって、あたしこんなにイライラしてるんだろ、と我に返り……そこでようやく気がついた。

 あたしは、ものすごく腹が減っていたのだ。

 あれ、おかしいな、夕飯は好物の煮込みハンバーグで、ご飯どんぶりで2杯おかわりしたし、自室に引っ込んでからは、乙女ゲーやりながら、じゃがりこバリバリ食べてたし、そんなに腹空いているはずないんだけどと思ったが、実際空腹感が胃袋のど真ん中にどっしり宿っている。いや、宿っているどころじゃない。気がついてしまったが最後、空腹感はますます増し――身体のど真ん中に大きな穴が空いて、そこに周囲の内臓が残らず吸い込まれていくような、今すぐなにか食べなきゃ間違いなく飢えて死んでしまう、っていうぐらいのものすごい飢餓感に襲われて、思わずあたしはお腹を押さえてその場にへたり込んでしまった。

「ど、どうなさいました、ザドレア様!?」

 それまで顔をくしゃくしゃにし、ひたすらあたしの罵詈雑言におろおろしていたズィーロたちは、あたしの様子がおかしいことを見て取るや、途端に切迫した表情となり、駆け寄ってきた(ブサイク極まりないけど、性格はいいんだよな、こいつら)。

「どうしたもこうしたもない!お腹が減ったの!死にそうなほど!」

 腹に力が入らないなりに、精一杯の大声でそう叫ぶと、ああ!と納得顔になったズィーロがあれこれ命じ、にわかに周囲が騒がしくなって……間もなく、立派な銀のお皿と銀の水差しをうやうやしく捧げ持った一団が――ちなみに、先頭に立ってやってきたのは、エー○コックのブタの生まれ変わりじゃないかって感じのデブサイクなヘドロ色男。他のヤツらも全員、そろいも揃って緑色系統、ブサイクで、すがすがしいほど統一されていた――神殿の奥からしずしずと急ぎ足でやってきた。

 おお、あれは!お嬢様系アニメで見たことがある!蓋を開けると、中にすんごいご馳走が入っている、あの食器だ――それにしては、どうして水差しが一つと、お皿が大皿一枚しかないのが不思議なんだけど……。

 少々違和感はあったものの、なに、きっと大皿いっぱいにご馳走が詰め込まれてるに違いない、ローストビーフにローストポーク、鴨のなんちゃらかんちゃらにムール貝のうんたらかんたらとか、そういった料理がてんこ盛りに!ああ、もう、どれから食べよう、迷っちゃうな……。 

 ウキウキと、目をハートマークにして――というか、マンガ肉マークにして――絶え間なく流れ出るよだれを拭いつつ、準備が整うのを待っていると。

「ザドレア様。お待たせいたしました、ご存分にお召し上がりください」

 さっと蓋が取りのけられ、背の高いグラスに、水差しから液体が注がれた。

 待ってましたとテーブルに走り寄り、まずはローストビーフを取り皿いっぱいに……と思いながら、皿の中身に目をやった。

 が。

「……なにこれ。ピザじゃん」

 その時のあたしは、「アコガレの人から公園デートに誘われた!と思ったら、単なる年の離れた弟の子守要員に呼ばれただけだった、って時のゆるふわ系女子」と同じくらいの、めっちゃ憮然とした表情を浮かべていたに違いない。

 「おハイソなおご馳走」を期待していたのに肩すかしを食らって、それぐらいあたしは、がっかりしていたのだ。

 けど、そんなあたしの様子に一切気づかず、ズィーロは満面の笑み。

「おお、覚えておいででしたか!これぞまさに、かつてあなた様のご要望により作られた『神の供物』プ・イーザでございます!」

「プ・イーザって、ピザじゃん……」

「ええ、まさしく!正式名称は『プ・イーザ・デ・モクテーロ・ディブー』」

「あんた、やっぱりあたしにケンカ売ってる?」

「なにをおっしゃっていらっしゃるのです?プ・イーザ・デ・モクテーロ・ディブー、すなわち、偉大なる暗黒邪神によりもたらされた神の供物のことでございますよ?」

「あ、そう……いや、それならいいんだけどさ。でも、ピザでしょ?ピザねえ……いや、確かに好きだけどさあ……」

「この世で手に入る最高級の材料を、我がウォマイラ帝国最高の料理人にして、暗黒司祭の一人であるこのウチャーマが仕上げた、この世でもっとも尊き食物でございます。おお、もちろん、失われしオーラを補う神なる飲料『ク・オーラ』もともに用意してございますぞ!」

「ええ!?ピザにコーラ?マジで?いや、いいんだけどさあ、なんか、思ってたのとちょっと違うっていうかあ……」

 今にも胃がけいれんを起こし、腹が暴動を起こすんじゃないか、ってぐらい減りまくっていたんだし、あれこれいわずに、さっさと食べちゃえばよかったんだけど、最初の期待外れがすごすぎて、ついつい文句を言っちゃった手前、なかなか手を出すこともできない。

ああ、なんであたしってば、あんなこといったのよ!

と後悔しつつも、その色を表に出さず、あふれ出るよだれを必死で抑え、いかにもつまらなさそうな顔をしていたのだ。

 そこへ。

「ああ、どうやら我らが主は、供物がお気に召さない様子!大変申し訳ございません、今すぐになにか違うものを……」

 ようやくあたしの気乗り薄な表情に気づいたのか、ズィーロのヤツが、またおろおろと慌てだした。

「待って!待って待って待って待って!」

 今から別のものを作り直されたりしたら、また余計に時間がかかる、今でさえ餓死寸前って感じなのに、そんなに待たされたら、正真正銘、ゾンビかグールに――それも多分緑色のヤツに――転生してしまう……!

 そう思ったあたしは、必死でズィーロを押しとどめた。

「違うって!そうじゃなくて!決して気にくわないとか、そういうんじゃなくて!」

「しかしザドレア様、それでは一体……」

 顔に純粋な懸念の表情を浮かべ、大神官がおそるおそるお伺いを立ててくる。

 こんな気のいいオジサンに――ブッサイクだけど――自分の勝手な思い込みで想像してた料理と違ってたから、ちょっと意地はってた、なんてみっともない言い訳、なかなか口にはできない。

 ということで。

「や、ほら、あの……そう!あの、ピザとコーラなんて食べたら、太っちゃうかなって思って!なんてったって高カロリーだから……」

 苦し紛れの言い訳をすると、気のいい小太りのカッパハゲのブサイクオヤジな大神官は、この上なく驚いた、という顔で、まじまじとあたしの顔を凝視した。

「ザドレア様、お忘れでございますか?プ・イーザもク・オーラも、肉体よりは精神の糧になるよう、あなた様御自ら成分を調整した食物でございますよ?喪術で消耗した喪力は劇的に回復いたしますが、ちょっとやそっと食べたぐらいでは、肉体的エネルギーを蓄積するなどということは……」

「え゛っ!なにそれ!「肥満の友」「うまいもんは高カロリー」「脂肪とでんぷんじゃかすか入ってます」な見かけなのに、ひょっとして、このピザとコーラ、食べても太んないの!?」

「ええ、まあ、相当気合いを入れて食べない限りは……」

「なあんだ、早く言ってよ!それなら食べないわけないじゃん!太るからって思って、どんだけあたしが我慢してきたと思ってんのよ!」

 言いながらも早速手を伸ばし、既に切り分けられているうちから1ピースを手に取ると、ド○ノやピザ○ットのLサイズよりもまだ大きいそれを、とがった方からするすると口の中に落とし込んだ。

 もっしゃもっしゃと夢中で咀嚼すると、熱々チーズのねっとりした塩味に混じって、トマトソースの酸味や、タマネギの甘味、ソーセージのジューシーで濃厚な脂が渾然一体となって口の中いっぱいに広がる。

 なにこれ、うまいじゃん!今まで食べたピザの中で、一番うまいかも!

 夢中でかみ砕き、んごんがと飲み込んだところで、ぐいっとコーラをあおる。

 これも、口の中をほどよく刺激はするけど、飲み下すのに苦労はしないという、絶妙の炭酸ぐあいに、ほんのり鼻に抜ける上品な香り、口に含んでいる時にはほのかに甘いのに、のどごしはすっきりしゃっきり、もう一口飲みたくなるほのかな後味と、あたし史上最高の味。

 しかもこのピザとコーラ、相性もバッチリで、同時に口に含めば、こってりしたうま味がしゃっきりしたのどごしに溶け合い、天にも昇るようなハーモニーを醸し出し……しばらくの間、デロデロととろけてしまうような表情を浮かべないではいられない。

 デロデロ溶ける至福の一瞬が過ぎた後、飢えたケダモノに戻ったあたしは、貪婪に、目をつりあげてピザを頬張り、またデロデロ溶けてはケダモノに戻り……というのを何度も繰り返し……気がつけば、運ばれてきた大皿も、水差しいっぱいに入っていたコーラも、スッカラカンになっていた。

(すご……直径60センチほどの巨大な丸皿いっぱいにのってたピザと、どう見ても2リットルペットボトルより一回り大きい水差しに入ってたコーラ、あたし一人で全部食べたの!?いくら腹減ってたにしても、ちょっと食べ過ぎじゃね?)

 しかも、普通こんだけ食べたら、胃はパンパンで吐きそうになる上、脂が内臓の中を駆け巡って胸焼けしまくり、ダブルで吐きそうなぐらい気分悪くなるのに、すっきりさわやか、このあとすぐ百メートルダッシュしたり、ボルダリングで垂直の壁一気に登っても大丈夫――いや、体力的にそんなこと無理ですけどね――てぐらい、ピンピンしてる。

(これなら……)

 自分の胃腸のバイタル値が優良であることに気をよくしたあたしは、

「ねえ……このピザ、すごくおいしかったんだけど、まだなんかちょっと物足りなくて。なんか、他の味付けっていうか、具材が他のヤツとかって……」

「ございますよ!それでは、今度はシュ・リンプとク・オーンがメインの食材となったものを……」

「あ!あの、いっとくけど、誤解しないでよね、あたし、普段ここまで食べないんだからね!今日はちょっと、メッチャクチャお腹が空いてるから、だから……」

「ええ、ええ、分かっております。我らの貢ぎ物をお気に召していただけたようで、身に余る幸せ!どうか、どうか、たっぷりと、ご満足行くまでお召し上がりください!皆のもの、なにをぐずぐずしている!ザドレア様は、さらなる供物をお望みであるぞ!」

 ズィーロが号令するやいなや、ウチャーマたち一行は急ぎ足で扉の向こうへと立ち去り、数分もしないうちに、再び、満面の笑みで、おかわりピザののっかった巨大な皿と、おかわりコーラの入った水差しを持って現れた。

 早速その、焼きたて熱々のシーフードコーンピザをほふほふと頬張り、

 ちょ、あたしすごくない?ユーチューブとかインスタで大食い配信とかやったら、かなりフォロワーつくんじゃね?

 なんてバカなことを考えながら、2枚目のLLサイズピザと、水差しもう一杯分のコーラを目をむくような速さで胃に収め始めたのだった。



     8

 「……あれは、今から500年ほど前のことでございました。当時オジ教団の新米修道士であった私は、偉大なる我が師、伝説の呪術師範、ケイン・ワート師の元にて、日々修行に励んでおりました。厳しいが公平で偉大な師と、優しく面倒見のいい兄弟子に恵まれ、当時まだ幼かった私は、親元から離れた寂しさすら感じることなく、この上なく充実した、宝石のような毎日を送っておりました。そこへ……強大な邪神が、唐突に降臨したのです……」

 そこの言葉を耳にして、居合わせた者たちは一様に顔をこわばらせた。

「まさか……伝説の、暗黒邪神降臨!?遙か昔、このケメンの地に呪いをもたらしたというあの降臨の刻を、師は経験なさった、というのでございますか?」

 レイン・ガースの性急な問いに、アベーロ師はゆっくりとうなずいた。

「ええ、確かに私はかの邪神ザドレアの降臨を目の当たりにいたしました。といっても、当時は年若く、経験も呪力もわずかしかなかった私は、勇敢な師匠や兄弟子たちに守られ、堅牢な一枚岩をうがって作られた要塞神殿の奥深くで、ただただ震えているばかりでした。才能にあふれる先輩たちが秘術を尽くして戦い、次々に斃れている中、私は、安全な場所に一人かくまわれ、ただただ祈りを捧げるより他、なにひとつできなかったのです……」

 その当時を思い出したかのように、アベーロ師は両手を組み合わせて額に当て、じっと目をつぶったのだった。


 「導師様!ケイン様!大丈夫でございますか!」

「おお、導師様も、皆様も、そのお姿はいったい……」

「まさか、まさかとは思いますが、連合軍が……!」

 それまでずっと神殿の最奥、「祈りの間」に跪き、戦場へと赴いた師と兄弟子たちの無事を一心に祈っていたアベーロは、にわかに湧き上がった慌ただしい叫び声と足音とにはっと我に返り、急いで立ち上がった。

 いやな予感に胸を苛まれつつ、急いで広間へと向かう。と、そこには、純白の法衣のあちこちを血や泥で汚し、疲労困憊した様子の一団が、ぐったりと座り込んでいた。

「導師様!」

 慌てて駆け寄ると、

「おお、アベーロか……」

 ケメンの地最強の呪術使いとその名も高い老人は、力ない笑みを浮かべた。

「このご様子は……一体どうしたのでございますか?」

「どうしたもこうしたも、見ての通りじゃ。すっかりやられてしもうた」

「お待ちください、ただいま治癒の魔法を……」

 両手を重ねて目をつぶり、習い覚えたばかりの呪文を唱えようとするのを、ケイン師は笑って押しとどめた。

「よい、よい。見た目こそひどい有様じゃが、一通りの処置はすんでおるでな。そなたの呪力は、これからに備えて取っておくがよい」

「でしたら、水や着替えを……」

「それも、もう既に頼んである。心配しなくともよい」

「では、私は何をしたら……」

 おろおろ問いかけると、ケイン師は、そっと手を伸ばし、優しくアベーロの頭をなでた。

「ここにいてくれればよい。ここにいて、その知性に輝かんばかりの顔を、わしに見せてくれさえすれば、それでいいのじゃ」

「……すみません、何のお役にも立てなくて……」

 しょぼんとアベーロが肩を落とすと、ケイン師は、慌ててつけ加えた。

「いやいや、そうではない。そなたはな、希望の星なのじゃ。そなたには、素質がある。今はまだ力弱くとも、近い将来きっと、我らの誰よりも強大な呪力を身につけた、偉大なる術者になるに違いない。だからの、今はわしらの側にいて、耳を澄まし、目を見開いて、さまざまなことを学び取ってほしいのじゃ」

「それは、修行中の身なのですから、当然のことです!しかし、それでは……」

「いやいや、そなたがそうして励んでくれているだけで、我らも安心できるのじゃよ……」

「はい……」

 なんだか自分だけが「おみそ」扱いされている気がして情けなかったが、それでも、敬愛する師からそこまで言われては反論することもできず、アベーロは気を取り直して、おそるおそる、師の両目をのぞき込んだ。

「それで……今回の決戦の首尾はいかがだったのですか?」

 と、途端に師の顔がくもる。

「それなんじゃがの……今回は、完全に我らの油断、というより、心得違いであったわ。ジャリズ皇国内の二大強国、これまで主導権を争い何かと反目し合っておったヴィモとクシューレが手を組み興した「ヴィモ・クシューレ連合軍」8千。それに、我らオジ教団の上位魔術師全員が参戦すれば、どのような敵も恐るるにたりぬ、と勇んで出陣したというのに、全くの心得違いであったわ……」

「敵は、それほどまでに強力なのですか?」

「強力、などというものではない。あれは、次元が違っておる。なにしろ、かの大軍勢の前に立ちはだかった敵は、ただの一人であったのじゃからな……」

 アベーロは、大きく目を見開き、息をのんだ。

「重武装の馬にまたがった数知れぬ騎士と、その合間を縫って立ち並ぶ長槍の歩兵。そして、その後方には、背丈ほどもある長弓を手にした弓兵隊が整列し、さらにその後ろに、各部隊を率いる将軍と、その近衛兵、そして、防御と治癒を担当する我ら呪術師。広野を埋め尽くさんばかりの軍勢に対峙したのは、かの邪神ザドレア、たった一人であったのじゃ」……」

 固唾をのんで聞き入るアベーロを前に、ケイン師は淡々と言葉を紡ぐ。

「一目見ただけで邪悪なる存在と分かるほどにおどろおどろしい漆黒の鎧に身を包み、文字通り上空から広野の中央へと降りたったヤツは、数万の軍勢を前にしても一向にひるむ様子もなかった。その不敵な態度に業を煮やし、総大将たるジャリズ帝国皇帝ムターク五世その人が総攻撃を命じた。鎧めがけて無数の矢が降り注いだ後、長槍を構えた騎士どもが、鎧を貫かんと一斉に殺到したのだが……『ヴォオオオオオ……』と地を這うような不気味な雄叫びが響いたかと思うと、邪神から太陽のような光とともに、突風が巻き起こり、騎士たちは皆、一斉に吹き飛ばされ、その場に転がってしまったのじゃ」

「なんとおそろしい……そんなことが可能だなんて!」

「わしも、この目で見たことが信じられなんだ。が、その直後、さらにおそろしいことが起こった。自らに向かい来る騎士を地に打ち倒した後、おもむろに一冊の本を取り出し、扉を開くと、邪神は、叫んだのじゃ。『食らえ、我が喪術!』とな。その途端、どこからかわき出た暗黒に広野は包まれ……気がつけば、我らが軍は、全滅しておったのじゃ」

「そんな、信じられませぬ!」

「ああ、わしとて、この目で見なければ到底信じられぬことであった」

「導師様は、いかにしてその場を切り抜けられたのですか?」

「わしか?わしはな、逃げたのよ。詠唱していた呪文をとっさに完全防御呪文へと切り替え、効果範囲内に呼び入れた弟子たちとともに瞬間移動呪文を繰り出してな。皇帝や、連合軍の将軍や騎士、数多くの将兵が苦悶の声を上げつつ、暗闇の中で虐殺されているのを見殺しにして、なんとかこの神殿まで逃げ延びてきたのだ……」

 ケイン師の顔に、無念と苦悶、そしてやるせない怒りの表情が、かわるがわる浮かんだ。

 数百年後、自らも同じ表情を浮かべることになるとは露知らぬまま、アベーロは、そんな導師をただ、じっと見守ることしかできなかった。

 と、そこへ。

「導師様!た、大変でございます!邪神が、邪神がこちらの神殿に向かい、ものすごい速度で進撃中だという報告が、遠目使いよりもたらされました!」

 神殿呪術師の一人が、血相をかけ、広間に飛び込んできた。

「なんと!遅かれ早かれここにやってくるであろうとは思っておったが、それにしても早すぎる!かくなる上は、致し方がない……」

 よろけながらも導師はなんとか立ち上がり、決然とした表情で、広間を出て行こうとする。アベーロは、慌てて導師の腕をつかむと、叫んだ。

「導師様!私も参ります!」

「いかん。お前は今すぐこの地を立ち去るのだ」

「しかし、導師様!」

「いかんといったらいかん!」

 師匠の、普段耳にしたこともないような厳しい叱責の声に思わずたじろぎ、アベーロは思わず目を見開いた。

 ケインは、その肩を両腕でぐっとつかむと、慈父のように優しい笑顔を浮かべた。

「よいかアベーロ。そなたは、わし以上に逃げ足が速い。その逃げ足を生かして、必ず生き延びよ。そなたは、わしらの最後の希望なのじゃ。わしらが斃れたとしても、そなたさえ生き残っておれば、いつか必ずヤツらを――暗黒邪神を打ち倒せる、そう思うに足るだけの素晴らしい素質が、そなたには宿っておる」

「ならば、今こそ私の力を……」

「そなたの素質が存分に花開くまでは、今しばらくの時間がかかる。今、そなたまで斃れてしまっては、ケメンの地から、全ての希望が失われてしまう」

「導師様……」

「よいか、アベーロ。こたびのいくさは、我らが引き受ける。我らが命に代えても、必ずやかの暗黒邪神を打ち倒す――とまではいかぬとも、虚空の彼方へと送り返し、今しばらくの間、時を稼いでみせる。だからのアベーロ、我ら亡き後、この世界を頼む」

「導師様!」

 なおも導師様の袖にとりつき、話そうとしないアベーロの頭を、優しくなでる手があった。

 ケイン師の一番弟子で、導師に次ぐ魔力を誇る、筆頭魔術師のマーシャ・フクーヤである。

「アベーロ。そなたにこのような重責を担わせること、本当に心苦しく思う。しかし、そなた以外に願いを託せる者がおらぬのだ。頼むぞ、なんとか暗黒邪神を討ち滅ぼす方法を探ってくれ」

「マーシャ様!」

 と、今度はアベーロの肩に、ぐっと重みがかかる。

 振り向くと、呪力こそマーシャに一歩後れを取るが、その卓越した知力で数々の新呪法を開発し、その発展に尽くした筆頭錬呪師、ユート・タクノーが、トレードマークの口ひげをたくわえた顔に晴れやかかつ爽やかな笑みを浮かべ、アベーロを見つめている。

「ほら、これを持っていけ。今まで私が心血を注いで作り上げた、数々の新呪法について記してある。少しでも邪神討伐に役立ててくれ」

 差し出された一冊の分厚い書物を受け取りつつ、アベーロは涙を浮かべた。

「ユート様……」

「いいか、決して一人で邪神にあらがおうなどと思うな。邪神の怖ろしさを語り伝え、打ち倒すための同志を募れ。ケメンの地全土から多くの力を結集し、全力で邪神を叩き潰すのだ」

「我らの二の舞を演じるなよ。勝って必ずや我らの雪辱を果たしてくれ!」

「マーシャ様……ユート様……」

 大粒の涙を目に浮かべたアベーロを、二人が――そしてもちろん、ケイン・ワート師その人が満面の笑みで見つめた、その時。

「導師様!じゃ、邪神です!邪神が、神殿の目前に!」

 再び神殿呪術師が、悲鳴に近い声を上げた。

「もうここまで来おったか!」

「導師様!」

「アベーロよ、即刻この地より立ち去るのだ!」

「分かりました!では、失礼いたします!」

それまでの愁嘆場はどこへやら、アベーロ元気よくそう返事すると、くるりときびすを返し、神殿の裏口へ向け、ものすごい速さで走り出す。

 そこへ。

「グアアアア!ホ・ントニト・ウトス・ギー!コ・ンナノゼ・タイヤ・バイ・テー!」

 地の底から響くような、おそろしい呪文が耳を貫いたかと思うと、ゴゴゴゴ、と無気味な地鳴りが鳴り響く。

 いきなり床にビシッと地割れが走り、天井からはバキバキと音を立てながら直径十メートルはあろうかという岩塊が雨あられと降りそそぐ。

 そんな中、アベーロは後ろを振り向きもせず、ひたすら走った。

「ぎゃあああああああ……」

「ぐおおおおおおおお……」

「がああああああああ……」

 敬愛する方々の断末魔とおぼしき声が遠くこだまする中、裏口を抜け、険しい山道をものともせず、両目から滝のように涙を流しながら、ひたすら逃げ続けたのである……。


 「……神殿から十キロ以上はなれたところまでいっさんにかけ続け、もうこれ以上は走れない、というところで、私はたまたま目についた粗末な山小屋に飛び込みました。そこでぎゅっと両手で身体を抱きしめたまま、小さくなっていたのですが……その震え続ける私の耳にまで、破壊の槌音はずっと、届き続けておりました。深夜近くになってようやく遠雷のようなその音は静まりましたが、もちろん、眠りにつくことなどできません。まんじりともしないまま一夜を明かし、それから私は、おそるおそる引き返したのです。どれほどの凄まじい力が吹き荒れたのか、大木が打ち倒され、巨岩が粉々に打ち割られ……昨日と一変した無残な姿をさらしている山中を這いつくばるようにして進み、やっとのことで神殿の在った地にまでたどり着いたはずだったのですが……」

「はず?師よ、「はずだった」とは、一体……」

「そこには、なにもなかったのですよ。激しい戦いが行われたはずなのに、亡骸はおろか、血痕の一つも見当たらない。それどころか、そこにそびえ立っていたはずの神殿までもがすっかり消え失せていたのです」

「なんと!」

「壮麗な広間も、美しいステンドグラスも、天を削り取るほど高く伸びていた数多くの尖塔も、なにもかもがなくなり……ただ、渺々(びょうびょう)たる荒野が一面に広がるばかりとなっていたのです」

「神殿が跡形もなく、ですと?そんなバカな!」

「失礼ながら、師が帰る道をお間違えになり、どこか別の場所へたどり着いたのでは」

 歴戦の勇士たちがざわめく中、アベーロ師は疲れたような笑みをもらした。

「ええ、私も一体幾度、『そんなバカな』『きっと私が道を間違えたのだ』と口にしたことか。全ては自分の夢であったのではないか、そんなふうに思ったこともございました。いや、そうであってくれたらどんなにかよいだろうと。ですが、残念ながら、それは厳然たる事実だったのです」

 ケント王以下、再び皆が注目したところで、アベーロ師は再び宙に目をさまよわせ、語りはじめた。


 ……神殿であったところを後にした私は、その後三日の間、雨水をすすり、とげだらけの植物の根を掘って命をつなぎつつ荒野を彷徨い、ようやくのことで人間の住む町にたどり着きました。

 そこで、知ったのです。

 あの地は確かに、教団本部が建てられていた土地で間違いがないこと。

 あの日、邪神との戦いへ赴いた呪術師は誰一人として戻らず……教団は壊滅したこと。

 同時に、あれだけの破壊の限りを尽くした邪神も、いずこともなく姿を消してしまったこと。

 後に残されたケメンの王侯貴族と、邪神に付き従っていた、ウォマイラを自称する醜悪な下等生物との間で話し合いがもたれ、ジャリズ皇国の領土の――すなわちケメンの地の北東三分の一を割譲するという、屈辱的な条件でもって、講和が成立したこと。

 私は叫びました。「邪神は既に去った!導師様と兄弟子様たちが命に代えて、ヤツを追い払ったのだ!もうなにも脅威はない、あのような無力な緑色の下等生物などに譲歩する必要などない!今のうちに奴らを滅亡させるのだ!」と。

 ですが、当時まだ無名の若輩者に過ぎなかった私の声に耳を傾ける者など、誰一人としておりませんでした。あるものは「今度いつまた邪神が降臨するやもしれぬ、その時にヤツのしもべを滅ぼしていた、などと知られたら最後、今度こそ我らの命運も尽きてしまう」と、腑抜けた僻事(ひがごと)を述べ、ひたすら保身に走り、またあるものは、「今こそケメンの地をほしいままにしていたジャリズ皇国を滅ぼし、失われて久しい自治を取り戻す好機」などと叫んで帝国への反逆を企て、ウォマイラに対抗する力を自らそいでいく始末。

 これでは邪神の――ウォマイラどもの思うつぼではないか、一体なんのために敬愛する導師様たちが尊い命を散らしたのかと、幾度歯がみをしたか。

 このままではダメだ。やがて来る邪神の再臨に備え、今度こそヤツを打ち破るために、手を尽くさなければ。

 改めてそう心に誓った私は、弱り切った身体が回復するとすぐに、ケメンの地を放浪し始めたのです。

 ユート様の残してくださった呪術書『タクノーの鍵』を手がかりに、呪術の研鑽を重ねつつ、行く先々で、邪神と、奴の操る喪術の怖ろしさと、ウォマイラへの憎悪を説き、賛同する者を仲間に引き入れては、また次の町を目指す、ということを繰り返しているうち、百年、二百年が過ぎました。

 帝国は滅び、新たな国々がこのケメンの地に現れては消え去る中、我が名はケメンの隅々にまで広がり、協力者たちとともに作り上げた教団も、かなりな規模へと成長し、新たに建てた神殿を中心とする教団領には、魔術を志すもの、打倒ウォマイラを目標とする者たちが、遠路はるばる足を運んでくるようにもなりました。

 それら多くの者たちの尽力の結果、ケメンの地全土で、邪神と、その邪神に仕える宿敵ウォマイラどもに対する怒りと憎しみがかき立てられ、いつか必ず屈辱を晴らさんという思いを、民の全てが共有するまでになったのです。

 その一方で、ケメンの民は皆誇り高いがゆえに、父祖が邪神ただ一人の手によってなすすべもなく滅ぼされたという事実を、素直に受け入れられなかったようでございました。

 時を経るごとに、父祖が手痛い敗北を喫したのは、ウォマイラによる卑劣なはかりごとによるものであり、決して力不足によるものではない、という説が唱えられるようになり、いつしかそれが「正史」として語られるようになりました。それと同時に、邪神の力は矮小化され、絶大ではあるが決して手の届かないものではなかった、卑劣な策略さえなければ撃退することだって可能であったということになっていき……邪神の絶大な力の代名詞であった喪術は、おとぎ話の中にしか存在しないものであると見なされるようになっていきました。

 そして近頃になってついに、邪神そのものすらその実在が疑われはじめ……よしんば実在したとしても、邪神の過去の降誕は空前絶後の出来事であり、未来永劫その再臨などあり得ないと、皆が信じ込むまでになったのです。

 私は、もちろん、これらの言説が事実と違うことを存じておりました。ですが、あえて異を唱えることなく、それらの声が大きくなるに任せていたのです。そうすれば、やがてケメンの民全てが「ウォマイラ恐るるに足りず」という思いを共有し、奴らを完全に滅ぼしてしまうべきだ、という動きが生まれるはずだ、と思ったからです。

 いや、それだけではありません。

 恥を忍んで告白いたしますが……私自身、いつの頃からか、邪神の再臨などないのではないか、という思いが胸中に芽生え、次第に確信するようになっていたのです。

 ケメンの民の中でただ一人、邪神の怖ろしさを身をもって知っていたはずの私までもが、その怖ろしさを忘れ、油断し――万一邪神の加護が残っていたとしても、その力が及ぶ前に、ウォマイラを滅ぼし去ってしまえば、我が導師の悲願を達成できるはずと、この上なく甘い目算を立てていたのです。

 その結果が、これです。

 それまで互いを牽制し合っていた大国同士がはじめて一致団結し、ウォマイラ討伐のための同盟軍が結成され、あと一歩というところまでヤツらを追い詰めたというのに、すんでの所で再臨した邪神に、この上ない痛撃を与えられてしまった……。

 皆様方に、そして犠牲となったケメンの民に、一体なんといってわびればいいのか。私が功をあせったばかりに、こんなことになってしまって……。


 頭を抱え、身を縮こまらせて悲嘆に暮れるアベーロ師に、一同はかける言葉も見つからず、苦渋に満ちた顔で、ひたすら押し黙っていた。

 重苦しい沈黙の中、師のすすり泣く声だけが、しばらくの間、こだまする。

 やがて。

 無限とも思われる後悔の念にさいなまれ続ける師の姿を、とうとう黙って見ていられなくなったのか、そのかたわらに寄り添った一人の男が、そっと背中に手をかけた。

「師よ。どうか、どうかもう、自分の責めるのはおやめください。このたびの敗北は、我ら全員の油断と認識不足が原因でした。師だけの責任ではありません」

 聖トゥーハ国王、ケント・ムザである。

 その言葉には、師の苦悩を衷心から思いやるあたたかさが満ちあふれていた。

「うむ。王のおっしゃる通りですな。師の言葉に本気で耳を貸そうとせず、邪神など恐るるに足りずと軽率な行動を起こしたのは、我ら全員の失策。その責めも、全員で負わなくてはなりますまい」

 と、スタットン共和国元帥レイン・ガースも重々しくうなずく。

「これより先は、とにかく慎重な行動をせねばなりますまい。防備を固めて雌伏し、忍耐の限りを尽くして力を蓄え、一瞬の勝機を見極めて、あの憎き邪神ザドレアを、なんとしてでも滅ぼさなければならぬ!」

 この上なく険しい顔で、だん、と円卓を叩いたのは、ショターニキ連合国の指導者にして魔法師団団長、リョウ・ヘイズである。

 思えば、今回の痛撃により一番の痛手を被ったのはこの好漢であったかもしれない。

 自ら名乗りを上げ、手塩にかけて訓練を施した騎兵数千人を一瞬で失ったばかりか、愛弟子の一人であるジューン・マーモまでが、邪神の魔の手によって、もろくもその命を散らされたのである。その心中にどれほどの怒り、どれほどの憎しみが渦巻いているのか、察するにあまりある。

 だが、それでも怒りに身を任せ、闇雲な突進を進言せず、必勝を期しての堅実な策を奏上するところが、リョウ・ヘイズのリョウ・ヘイズたるゆえん、さすがは後ろ盾もなしに一国を率いる指導者にまで上り詰めた方だと、ケント王はひそかに舌を巻いた。

「さて、そうなると、とりあえずは兵を収めてそれぞれ自国に帰り、邪神の侵攻に備えて防備を固める、ということでよろしいかな?」

 レイン・ガースの問いかけるような視線に、ケント王はぎゅっと口を引き結んでうなずいた。

「それより他、ないでしょうね。ウォマイラ滅亡まであと一歩というところだったのに、残念です」

「なに、ザドレアさえなんとか滅ぼしてしまえば、再侵攻はたやすい。まずは、目の前の脅威を除くこと、その一点に目標を絞るべきです」

「ええ、分かっています。連絡を緊密にし、協力体制を崩さぬようにして、なんとか邪神の侵攻を食い止めましょう!」

 ケント王の力強い声に、アーロン名誉伯も、ほろ苦い笑みを浮かべ、ゆっくりとうなずく。

 そこへ。

「皆様……ありがとうございます。手痛い敗戦の後であるというのに、この老いぼれの失策を責めるどころか、ねぎらいの言葉をかけていただき、あまつさえ、難敵の撃退に向けての前向きな姿勢を保持し続けなさるとは。このアベーロ、心より感服いたしました。この上は、どのような手を用いてでも、師の敵である憎き邪神めを……!」

 両の手をぎゅっと握りしめ、なにやら悲壮な決心を固めたように見えるアベーロ師。その両肩を、ケント王はいたわるようにそっと抱きかかえた。

「師よ。どうかご無理なさらないでください。師は、これまで五百年もの長きにわたり、我らケメンの民を鼓舞し、支えてきてくださいました。これより先は、どうか我々に任せて……」

「いやいや、ケント殿。お気持ちはありがたいが、私がユート様の残した延命魔法を用いてまで生きながらえてきたのは、この時のため。かの邪神を滅ぼすためであるならば、この老いぼれの命など、喜んで差し出す所存。どうか、年寄りの最後のわがままだと思って、私を戦力に加えていただけませぬか」

 すがるような目つきで見上げる導師に、ケント王もむげに首を横に振ることはできない。

 うなだれるようにうなずいた王に、アベーロ師は慈父の笑顔を浮かべ、肩に添えられた手を、そっと握った。

「ウォマイラの地から連盟の国々へと侵攻する道筋は二つ。大河ヘチャム沿いに平野を南下するキンモー街道を通り、我がスタットンの首都でもある国境の城塞都市、ここイン・ナセへと至るか、」

「平野部を避け、西に広がるヒンソーの森を通り抜け、険しいシューカイ山脈の中で唯一通行可能な峠道にそびえ立つハムンザの砦を抜き、我らショターニキ連合国を侵すか、そのどちらかですな」

 レイン・ガースとリョウ・ヘイズが、この上なく緊張した面持ちで視線を交わし、互いにうなずき合う。

「ならば、我らは聖トゥーハ王国へ取り急ぎ引き返し、可能な限りの援軍を……」

と、トマス王が言いかけたところで、

「いや、ご心配は無用。皆さんにもご覧いただきましたが、共和国内で最精鋭の部隊であるである首都警護隊は、いまだ無傷。彼らを編成し直し、必ずや我らが国土と国民を守り抜きます」

「我らも援軍は無用。この場にはおりませぬが、幸いにも我が魔法師団の主だった者たちは、皆無事に我らが領地へと帰還しております。彼らと共にかねてから用意していた秘策でもって、ザドレアと付き従う憎きウォマイラの奴ばらを蹴散らしてご覧に入れましょう!」

 両者が力強く宣言し……三人は同時にうなずき合った。

「ならば、ショターニキと聖トゥーハの方々は、我が転移魔法でもって、ここより故国へとお送りいたしましょう。帰り着くのが早ければ早いほど、敵を迎え撃つ準備に多くの時間を割けるでしょうからな」

と、アベーロ師が進言すると、ケント王とリョウ・ヘイズの顔に、雄々しい笑顔が花開いた。

「おお、それはありがたい!」

「ご配慮、痛み入ります」

 アベーロ師が微笑みを浮かべてうなずいたところで、ケント王が恐る恐る問いかけた。

「その後、師はどうなさるおつもりですか?できれば、聖トゥーハへ滞在し、軍備を整え、敵の進軍に備える手助けをしていただけると嬉しいのですが」

 叡智の結晶たるアベーロ師の助言でもって、能う限りの準備をし、万全の体勢を整えたい、との希望を胸に、トマス王はそう尋ねたのだが……アベーロ師は、いかにも残念そうな顔で、ゆっくりと首を振った。

「皆様を送り出した後、私は、別行動を取らせていただくつもりです」

 なみなみならぬ決意のみなぎったその顔に、ケント王は思わず息をのんだ。

「私も、この五百年、無駄に生きてきたわけではございませぬ。師の、兄の無念を晴らすため、諸国を回って研鑽を積み、邪神を討ち滅ぼす方法はないか、探し、考え続けて参りました。そしてようやく、闇を打ち払うかすかな光明を見いだしたのです」

「なんと!」

「ですが、その「光」を顕現させるためには、まことに残念ながら、数多くの犠牲――数百数千の命が必要となります。いわば、邪神ザドレアと等しくまがまがしい存在と成り果て、そのひきかえに、強大なる力を召喚する、禁断の策。そのようなこの上なく忌まわしい邪法であるがゆえ、できうることならば発動したくはないのですが……」

「ご心配めさるな。そのような策など使わずとも、我らが必ず!」

「ええ、その通り!」

 再び、リョウとレインの両名が力強くうなずき、アベーロ師はほろ苦い笑みを浮かべた。

「ええ、ええ、もちろん、お二方率いる軍勢の精強さは、重々心得ております。ですが……」

「万が一にも邪神をうちもらすことがないように、ということですね」

 ケント王がきりきりと眉を引き締めると、アベーロ師も、それにあわせるように深くうなずいた。

「ええ、その通りでございます。全ては、確実に邪神を打ち倒し、ケメンの地に平安をもたらすため」

 重々しくつぶやくアベーロ師に、三人もこの上なく真剣な顔でうなずき……そのまましばしの間、互いの決心をのせた視線を交わし合ったのだった。


 さて、そんな話し合いが行われてるなんてまあったく知らないまま、あたしはのんきにピザとコーラをむさぼってたわけだけど……そのおかげで、えらいことに巻き込まれてしまう。

 いやマジで、召喚なんてされるもんじゃないって、ほんと。


プロローグ、及び第1章はいかがでしたでしょうか?

第2章以下は、毎週火曜と金曜の17時に1~4節ずつアップロードしていく予定です。

お楽しみいただければ幸いです。

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