第4章 逆襲の暗黒邪神ザドレア! 4
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「ふーい……」
午後のイケメン様ウォッチングをはじめた時からたまりにたまったものを放出し、天からの祝福を受けているような――暗黒邪神も、神からの祝福って受けられるのか?――幸福感を味わったところで、あたしはおもむろに立ち上がり、トイレを後にした。
ここは、イン・ナセの城門からほど近いところに作られた、ウォマイラの本陣。両側の切り立った山脈を貫くように流れる大河ヘチャムが作った狭い谷に所狭しと色とりどりの天幕が立ち並ぶ中、中央にそびえ立つひときわでかい「邪神様専用御座所」の中だ。
ガース様の執務室を出たあたしは、鎧に命じ、疾風のごとき速度でイン・ナセの街を疾駆し、城門を駆け抜け、そこからまっすぐ北に向かう道を土煙を立てながら走破して、御座所の奥にしつらえられたトイレに飛び込んだのである。
あたしがこの世界に呼び出されて、なにが一番困ったかといえば、トイレだ。
呼び出された当初、神殿にあったトイレといえば、床に長方形の穴が空いているだけの、ちょー原始的で、しかも、だだっ広い広間の真ん中、皆が控えている目の前で用を足さなければならないという、羞恥プレイにしたってほどがあるだろ、というシロモノだった。
いくらファンタジー世界だからってそんな恥ずかしい真似ができるか、絶対イヤだ、きちんとしたトイレを作らない限り、絶対に協力しないと大声でダダをこね続け、あれこれ試行錯誤を続けたあげく、ようやくのことで、家のトイレと変わらない広さで、オシリ洗浄機能付き洋式水洗便器を備えたパーフェクトな便所が完成したのだ(電気のないこの世界では全てが人力で、あたしがトイレに入るたび、裏では数人のウォマイラが必死で自転車のペダルのようなものをこがなけりゃならないのだけれど)。
今回の遠征に当たっても、この便所がない場所には絶対に行かない、寝室の横に備え付けろ、それとついでにお風呂も作っていつでもシャワーを浴びられるようにしとけ、そこまでやったらついてってやるし協力してやる、とゴネにゴネまくったところ、ぶうぶう文句を言われながらも、ズィーロ主導の下、思い通りの「移動神殿」を作ってくれたのである(このあたり、ウォマイラの技術力、開発力は本当にすごいと思う。ゴブリンとオークを足して生ゴミを振りかけたようなブサイクばかりが揃っているのに、そこだけは大したものだ)。
出すべきものを出した開放感のあまり、部屋の真ん中で思い切り伸びをし、天井を見上げたついでに先ほどのガース様とメーグル様のやりとりをふと思い出して……あたしはぐにょぐにょと表情を崩した。
そうかあ……三日後かあ……ついに、ついにこの時がきたんだわ……。
こみ上げる幸福感に衝き動かされ、あたしは自分の運動神経の鈍さも忘れ、思わず天に向かって手を差し上げ、片足立ちでくるくるとその場でターンしようとした。が、当然たちまちバランスを崩し、ベッドにどさっと倒れ込んでしまう。
それでもなお、あたしの幸福感は消え去らず、シーツに突っ伏したまま、ぐふぐふと気味悪い笑い声をもらした。
苦労したもんなあ……毎日毎日朝から晩まで執務室にひそんで、ウォマイラどもにあれこれ指示して……本当に大変だった……。
ゆっくり目を閉じると、いつの間にか、今までのことがありありと脳裏に思い浮かんでくる。
あの日の夕方、メーグル様と運命の邂逅を果たし、ズギューンと一瞬で胸を撃ち抜かれたあたしは、ステルスが効いているのをいいことに、かの御方の息がかかるほどの距離に近づき、目を皿のように広げ、ぐふぐふと気味悪い笑みをこぼし、口からだらだらよだれを流しながら、ついて歩いていった。
ああ、ご尊顔に泥汚れがついていらっしゃる。きっと、街の外でつらいお仕事をなさってきたに違いないわ。なんておいたわしい!揃いの制服姿で、腰には長剣を佩いていらっしゃるから、兵士様なのかしら?きっと、街の防衛のために力を尽くしていらっしゃるのね、なんて素晴らしい方!額に浮いている汗をおぬぐいにもならず、同僚の、どうでもいいようなモブ野郎をずっと助けていらっしゃる.なんて尊いの!そして……そしてこの、一日を激しい労働に費やされたイケメン様だけが発せられる、かぐわしい香り……ああ、この香りだけで、ゴハン10杯はいけるわ……。
鼻の穴をおっ広げて、ふんがふんがと夢中でかの御方周辺の空気を残らず吸い込みつつ、夢見心地でずっとその後をついていくと、いつのまにかあたしは市庁舎へ、そして作戦室へと誘われていた(そこであたしは、ガース様とも帝都ブサ以来の再会を果たしたのだ)。
戦友たちの前では常に明るい表情をお浮かべになり、決して希望を捨てず、味方を鼓舞し続けていたのに、作戦室でガース様と二人きりになると一転、メーグル様はウォマイラどもが生意気にも作り上げやがった堅固な砦や防柵に手も足も出ず、ろくな戦果も挙げられぬ無念に打ちひしがれ、自らの未熟さ、無力さを恥ながら、それでも正直に思わしくない状況を告白した。
その潔くも無残なお姿に、あたしはすっかり魅せられてしまったのだ。
どっぴゅんどっぴゅん湧き出す母性に支配され、身も心も張り裂けそうになりながら、苦しげにゆがんだご尊顔をじっと拝見するうち、はっとあたしの頭に天啓が訪れた。
こんな美しい、素晴らしい方につらい思いをさせるなんて、許されない!なんとか、なんとかして差し上げないと!そうよ、あたしの持てる力全てを使って、この方を助けて差し上げるの!今分かったわ、それこそが、この世界に召喚されたあたしの使命だったのよ!
その思いが胸に宿った瞬間、ぱあっと目の前が明るくなった気がした。
背後で醜い顔をますます醜くゆがめたズィーロたち三人が「いやいやいやいや、呼んだのワシらだし」「違う違う違う違う、アンタの使命はむしろ逆」「勘違い勘違い勘違い勘違い、そいつらをぶっ飛ばすのが使命だから」と言わんばかり、激しく手を左右に振っている姿が見えたような気がするけれど、そんなくだらない想像など、当然あっという間に火だるまとなって消滅。この尊い御方のために持てる力の全てを捧げ、身を挺してお支え申し上げることこそ自分の使命だと、はっきり悟ったのである。
メーグル様。今日この時より、あたしはあなたの奴隷です!全身全霊で、あなたに尽くします!ですからどうか、そのお美しいご尊顔を悲しみで曇らせるのはおやめください……!
そう思いつつ、あたしは作戦室の壁際にそっとたたずみ、悲壮な表情を浮かべたメーグル様を見つめ、人知れず涙を流したのだった(後から掃除にやってきた下働きのウォマイラ奴隷が、その場所だけ床がびしょびしょに濡れているのを見て、すごく不審げな顔をしていた)。
それ以来、一ヶ月。
あたしは、作戦室のそこここにたたずみ、日がな一日イケメン様ウォッチングにはげみ、ついでにそこで手に入れた情報を元に、メーグル様率いる襲撃部隊の進軍コースから守備兵を減らし、そして襲撃目標には最低限の食糧や物資だけを残してウォマイラたちを撤退させた。そして、その分の人員を他の襲撃目標に振り分け、メーグル様以外の指揮官には、絶対に戦功があがらないようにしたのである。
「推し」に対するちょっとした、地味な後援のつもりだったのに、その効果ときたら、まあ絶大だった。
それまでどれほどの大軍で攻め上がっても、ウォマイラどもが構築した堅固な防衛網に阻まれ続けていたのに、いきなりただ一人の将校が絶大な――とまでは言えないものの、それなりの――戦果をもたらすようになったのだから、民衆が喜ばないはずがない。
メーグル様は、たちまち国民全員の注目株となった。
中には、その圧倒的な戦果をうらやんでか、「あいつはウォマイラと通じ、敵の情報を手に入れているに違いない」などといううわさをまことしやかにささやくものもいたが――いやまあ、実際あたしがこっそりと一方的に情報を流していたんだけど――かの御方の身を粉にして国に尽くす献身的なお姿に、その声も徐々に下火となり、否応なく人気が高まる中、とうとう多くの国民の推挙により、一足飛びに階級を跳び越え、国軍の半分を指揮する将軍に就任することになったのである。
明日からは、就任式の準備できっと忙しくなるな……そうだ、こうしちゃいられない!
一通り回想を終えたところで、あたしはがばっと起き上がると、ベッドサイドテーブルの大鉢に手を突っ込み、常備されている豆を猛然と食べ始めた。
明日明後日、衣装合わせやリハーサルなんかで、メーグル様はきっと目の回るような忙しさになられる!その後をきっちりついて回って、始めから終わりまで、メイキングを全てこの目にお焼き付けもうしあげないと!うわあ、明日は絶対寝坊できねえ!ちゃっちゃと腹ふくらましてシャワー浴びて寝なきゃ!
と、目をつり上げ、頬が裂けたかと思うほど大きく口を開き、ひたすら豆を頬張っているところへ、
「ザドレア様!よろしいでしょうか?」
と、聞きたくもない声が響いた。
誰だよ、この忙しいときに!
途端にあたしは、不機嫌極まりない顔になる。
「今プライベートタイムだ。後にしろ」
もしゃもしゃと豆を咀嚼する合間に、機嫌の悪さを前面に押し出した声でそう答える。と、
「またそんなことおっしゃって、ここんとこ毎日偵察と称しての外出か、そうでなければプライベートタイムと言い張りお部屋にお一人で閉じこもってばかりではありませんか!」
「そうですよ!いろいろお聞きしたいこともあるってのに!一体いつ、お話しできるというのです?」
「えと……そのうち?」
「そのうちとはいつなんですか?はっきりおっしゃってください!」
「百年後ぐらい?」
しれっとそう答えてやると、扉の向こうから盛大なため息が三つ、聞こえてきた。
「話になりませんな。入りますよ!」
あわてて扉につっかい棒をかまそうとしたが、一瞬遅く、「どブサイク三人衆」――ズィーロ、ヤムザ、イナーチャの三人が、大勢の女官を引きつれ、なだれ込んでくる。
と、女官たちは――あれからあたしの意見が通り、「絶世の美女」たちに代わって、そこそこ観賞に堪えるレベルの子らがお世話係になってくれている――部屋に足を踏み入れた瞬間、その場に立ち尽くし、次いで、先ほどの三人組に負けないほど盛大なため息をついた。
「あーあーあーあー、洗濯物脱ぎっぱなし!下着までほっ散らかして!」
「床がぐちゃぐちゃ!あれほどゴミはゴミ箱へと申し上げているのに!」
「ベッドが食べこぼしだらけ!それになんです、シーツにべったりシミまでお作りになって!」
「一声かけてくだされば掃除も洗濯もいたしますと、あれほど申し上げているのに、どうしてこんなになるまでなにもおっしゃらないんです?」
ベッドの端に所在なく座ったままそっぽを向き、女官たちの投げかけるお母さんめいた小言やとがめるような視線を受け流していると、いきなり、その「そっぽ」方向にズィーロが脂ぎった巨大なしかめっ面をぬっと突き出し……思わずあたしは「夜中トイレに起きて寝ぼけながら歩いている時、「ぐちょっ」となにか柔らかくてべっちょり湿ったモノを踏んづけてしまった」状況で出すような悲鳴を上げてしまった。
「おわあああああ!なんだよ、いきなり無気味なツラを目の前に出すんじゃねえよ!反射的に殴りそうになるだろ!」
「やめてくださいよ、鎧着てない時の攻撃は全部当たっちゃうんですから」
ほう、それはいいことを聞いた。今度、実際に試してみよう。
「それよりも、ザドレア様。一体どうなさるおつもりなのです?」
ずい、とさらに顔を近づけ、ズィーロがあたしに詰め寄る。しかめっ面をしているせいで、ただでさえひどい顔はますます醜悪で――まるでドブ川の底にたまったヘドロのような汚さだ。
あたしはその醜さに耐えられず、
「え?どうなさるって、なにを?」
と言い逃れを口にしながら、すうっと顔をそらす。
が、そこには、ズィーロと同じく、産業廃棄物レベルのヤムザの顔が待ち受けていた。
「なにをじゃないでしょう!もう一ヶ月以上、ここにずっと留まり続けているんですよ!一体どうなさるおつもりなんですか!」
「え、どうなさるもなにも、敵の様子を探らないと……」
言い訳しつつ、再び顔をそむけたのだが、なんとそこには、放射能汚染区域並みにアンタッチャブルな汚物であるイナーチャの顔が、どおんと鎮座している。
「様子なら、もう十分探ったじゃないですか!その間、一体何回、敵の襲撃を受けたと思ってるんです?事前に民も物資も避難させてるから、大して実害はないとはいえ、いい加減、物資も不足しはじめているんですよ!」
三人のブサイクに取り囲まれなじられるという、あたしにとって生きながら全身の皮を剥がれるよりもつらい拷問に、どんどん心がどす黒く萎えていく。
「いいですか。前にも申しましたが、我らがウォマイラ帝国よりシューレ平野に出るには、キンモー街道の終点となる城塞都市イン・ナセを抜くよりほかないのです!と申しますのも、大河ヘチャムは谷間をくぐり抜けた後、大いなる水瓶、オカチメン湖へと注ぎ、周囲一面を湿地帯にしておるのです!そこを大軍が通り抜けるなど不可能!是が非でも、イン・ナセ攻略を成功させない限り、我らの食糧不足は解消しないのです!」
「先の総攻撃が失敗し、ショターニキ魔法師団も壊滅したことで、このあたりの敵にろくな戦力は残っておりません!さっさとスタットンを滅ぼし、広大なる農地を手に入れましょう!さもなければ、早晩我々の方が干上がってしまいます!」
「あー……だからね、もう少し……」
「もう少しもう少しと、一体いつまで引き延ばされるおつもりですか!」
「そうですよ!もう少し自覚を持っていただかないと!」
「……あ!そういえばさ、前々から不思議だったんだけど、どうしてイン・ナセには女の人がいないのかな?毎回けんぶ……偵察に行くけど、女の人っていったら下働きのウォマイラばかりで、一人もケメンの女の人、見たことないんだよね。あれなの、ケメンの女の人は外に出ちゃ行けないとかって決まりがあんの?」
なんとか話の矛先を変えようと、あたしが無垢を装ってそんな質問をかますと、三人組はイラッとした表情をしながらも律儀に答えてくれる。
「違いますよ。ケメンは男しかいないんです」
「え、どういうこと?」
「どういうこともなにも、そのままですよ。ケメンは男性しかいないのです」
「うそ!マジで!」
「ウソじゃありませんよ。本当です」
「でも、それじゃ子ども作れないじゃん」
「それが、作れるんですよ。なんか、本当に仲のいい男二人が真の純愛で結ばれると、その愛が結晶となって子どもが生まれるんだそうです」
「なんだよ、そのふわっとした説明は」
「知りませんよ、本人たちがそう言い張ってるんです」
「あら、そうだったの!ああ、美しい方々は、その出生までがお美しいのね!」
「え、美しいですか?カタ・ツムーリとかミ・ミーズとかの下等生物と同じ生まれ方ですよ?」
「いや、そりゃアンタらみたいな緑色で毛むくじゃらのクリーチャー同士がさかってンなら汚いよ!けれど、お肌ツルツルでムダ毛なんか一本もなく、お顔立ちががきりりと引き締まったイケメン様同士が愛を交わすのは美しいの!ああ、見つめ合う瞳と瞳、禁断の関係に揺れる将軍と将校!なんて、なんてそそるのかしら!」
「いやいや、男同士ですよ?リアルに想像すると気持ち悪くて仕方がないと思うんですけど。中にはウォマイラの女性を引っさらっていくヤツまでいるし、迷惑この上ないですよ。あ、それから、ザドレア様。ふわふわと妄想の世界に入ったフリして逃げ出そうったって、そうはいきませんよ!そもそもこの手の話するの、もう三回目ですし」
ちっ、覚えていやがったか。ブサイクのくせに生意気な。
「とにかく、本当に食糧がもうぎりぎりなんです!なんとかしていただかないと!」
「そうですよ!ザドレア様のお出しする豆だって、用意するの大変なんです!」
「大人はまだしも、もうすぐ子どもの食糧までも制限しなければならなくなります!どうか、どうかザドレア様!」
最後の逃げ道まで塞がれた上で、しつこくしつこく責め立てられて……ついにあたしは切れた。
「うっせえな!お前ら、勝手にあたしを呼び出して、好き勝手にあたしをこき使いやがって!急げ急げって、そんなにやりたきゃ自分たちだけでやりゃいいだろ!」
いきなり怒鳴りつけられてよほどびっくりしたのか、顔面凶器三人組は揃って身を縮め、後ずさる。
「いえ、あの、でも、その、食糧が……」
「食糧がどうした!足りねえなら、そこらに生えてる草でも食ってろ!こっちにはこっちの事情があんだよ!それがすむまでもう少し待ってろ!」
「待て待て待て待てって、いい加減……」
「後三日!あと三日でどうにかしてやる!だから、それまで待て!」
「本当ですね?ウソじゃありませんね?」
「その間、我々は本当にそこらに生えてる草を食べて耐えるんですからね?」
「我々はともかく、いたいけな子どもたちまで、草を食べて耐えるんですよ?」
すがりつかんばかりに訴えかける三人を無視し、あたしはきびすを返すと、再びトイレに入り、乱暴に扉を閉めた。
それでもなお聞こえてくる声を完全に締め出すため、盛大に水を流すと、
「ああ、メーグル様。たとえどれほど皆に責められなじられようと、あなた様についていきます……!」
あたしは、あさっての方向を見上げ、両手を固く組んで誓ったのだった。




