第4章 逆襲の暗黒邪神ザドレア! 1-2
1
「戻ったか」
「は。ただいま戻りました」
「して、首尾は」
「はい、こちらに」
跪いた若い男は、懐に手を入れ、小さな黒い細長い物体をつまみ出すと、目の前に立つ初老の男に差し出した。
初老の男はそれをつまみ上げ、しげしげと眺める。
「なるほど。たかがこれっぽっちのかけらだというのに、強大で、禍々しい力をひしひしと感じるな。さすが、かの鎧のかけらだけはあるわ」
「は」
「苦難を乗り越え、よくぞ手に入れてくれた」
「あ、いえ、それが」
「どうしたのだ?」
「ヤツら、どういうわけか、そのかけらの存在すら忘れ去っているかのように放り出し、生きるの死ぬのと大騒ぎしておりまして」
「なんと」
「ですから、その隙に、何の苦労もなく、地面に落ちていたそれを拾い上げて参りまして」
「さ、さようであったか」
「ヤツら、バカなんですかね?」
「かもしれぬが……まあ、あまり相手を侮らないことだ。魔法師団の二の舞になりかねぬ」
「そうでございますね。あの者どもときたら、せっかく脱獄に成功したというのに、まさかあれほどの失態を犯し、再び地下牢に幽閉されるとは」
「憐れな者たちよの。秘策を授けてやったというのに、下らぬプライドに振り回され、せっかくの機会をフイにして。もし逃げのびておれば、来たるべき日、いくばくかの戦力にはなったであろうに」
「ええ、まことに。傲慢なまでの自信と高すぎるプライドは、自らを滅ぼさないではいられない、ということでございましょう」
「我らもそのような憂き目に遭わぬよう、決して慢心せず、細心の注意を払いつつ、行動するとしようぞ」
「仰せのままに」
「ともあれ、これで後は『原初の三冊』の残りを手に入れることに注力できるの」
「は。悲願成就も、もはや目前かと」
「して、スタットンの状況は?」
「相変わらずでございますね。『死の書』の力をもって国境都市イン・ナセ全体に防御結界を張り巡らして籠城。時折小部隊をウォマイラ領に派遣し、焼き討ち等を行っております」
「まだそんなことをしておるのか。愚か者どもめ。いくらザドレアの力の根源たる『原初の三冊』とはいえ、一冊だけではなんとも力不足、本人の持つ力をとどめることなどできぬと、あれほど申し聞かせたというのに」
「仕方がありませぬ。もはや我らができることといえば、待つのみかと」
「そうだな。まあ、それも長いことではあるまい」
「ええ、おそらく」
「引き続き監視を頼むぞ、ゴヤーノ」
「は」
ゴヤーノ――灰色のマントに身を包んだ若い男は跪いたまま軽く頭を下げると、そのまま地に潜るように闇に沈み、消えていった。
その姿を見届けた後で、応対していた初老の男――オジ教団大司教であるアベーロ師は頭上に飾られた聖人たちの彫像を仰ぎ、
「必ずや皆様の仇を取ってご覧に入れます。どうかあと少し、あと少しだけお待ちください……」
と、頭を垂れて祈りを捧げ始めたのだった。
2
ウォマイラ帝国の西に位置し、小国ながら高い魔法技術でその存在感を誇示していたショターニキ連合国が征服され、ショターニキに国土防衛を全面的に頼っていたオジ教団領が戦わずして降伏、領民のほとんどが逃走を図ったことにより、ケメンの地第一の大国スタットン共和国は、全面的に帝国の圧力を受けることになった。
が、スタットンの民はむしろこれを好機ととらえ、国境の城塞都市であり、共和国の首都でもあるイン・ナセ、及びオジ教団領との国境ラインであったナイスガ高地沿いに連なる砦に市民兵を結集。亡命してきたショターニキ、オジ教団領の民からなる義勇兵と共に力を合わせ、徹底抗戦の構えを敷いたのである。
「ガース元帥。本日の戦果の報告が上がって参りました!」
「うむ、話せ」
「は!まず、ナイスガ高地方面でありますが……」
元は王宮であり、現在市庁舎として使われている建物の奥深くにしつらえた執務室。背後の巨大な飾り棚と目の前の巨大な執務机にはさまれる格好で椅子にどっかりと腰かけ、手にした書類から目を離すこともないまま、ガースは部下の報告に聞くともなく耳を傾けていた。
「……との報告を受けております!以上であります!」
「ふむ。高地方面部隊は相変わらず砦にこもりっきりで、防戦一方ということだな」
「は!各砦の司令官によれば、ウォマイラどもの包囲網が分厚く、突破が難しいということであります!」
「ケメン諸国の中では、我が国は群を抜いて多くの兵士を抱えている。が、それでもなお、ウォマイラと比べれば戦力差は圧倒的だからな。全く、一体どれだけの数が湧いて出てくるのだ、あのウジ虫どもは……」
「は!まったく、いまいましいヤツらであります!」
「それでいて、あくまで専守防衛に徹し、こちらに攻め寄せるでもない。全く、なにを考えているのか」
「砦を攻めあぐねているのではございませんか?」
「そうならばいいのだがな。まあ、この方面については、しばらくの間注意深く見守っていくしかあるまい」
「は!各司令官に、そのように伝えます!」
ケメンの地中央に広がるシューレ平野は、豊かな水流を誇る大河ビケー――ウォマイラ帝国を流れ下ってきた大河ヘチャムが、スタットン領に入ると「ビケー」と名を変えるのだ――やその支流が網のように広がり、一大穀倉地帯となっている。大河の流れを利用した交易と、豊かな作物、そして川魚を主とする特産物にも恵まれたこの地は、ケメンでももっとも豊かで栄えた地なのである。
が、そのことは同時に、この地が格好の征服目標となり、数えきれぬほどの戦闘を経験しなければならぬ原因ともなった。そして、支配者が交代するたび、大地が真っ赤に染まるほど多くの民衆の血が流れ、彼らが蓄えてきた多くの財宝が収奪、略奪されてきたのである。
このように凄惨な歴史を持つがゆえに、シューレ平野の民衆は独立心が高く、猜疑心も強い。その気質は、ガース元帥のように突出した作戦立案の才を持つ軍人を産み出し、また、かつてこの地を本拠としたジャリズ皇国を打ち倒し、大陸で初めての共和制を打ち立てるほど剽悍で勇敢な民を育むことにもなったのである。
そして将軍は今、その軍事的才能にあふれた頭脳をフルに生かし、なんとかウォマイラの真意を探り出し、その裏をかこうとしているのあるが……。
「イン・ナセ正面の敵部隊は、まだ沈黙を続けているのか?」
「は!我らが鉄壁の防護結界の前に、手も足も出ぬものと思われます!」
「ならばよいのだがな」
「なにか、懸念がありますのでしょうか?」
「かのショターニキ魔法師団が構築したという多重障壁さえ打ち破ったザドレアが、我らの都市結界に手を焼くものかと思ってな」
「我らが結界は、たゆまぬ研究により、以前より一段と進歩したものとなっております!さすがのザドレアも、これを打ち破るのは難しいのでは?」
「それならば、休戦や停戦の申し入れをするなり、陣を引き払って撤退するなり、何らかの動きがありそうなものだ。だが、ヤツらときたら、自領を侵すゲリラ部隊の出動にも無関心なまま、構築した陣地に引きこもって一歩も動こうとせず、使節の一人すら送ってこようとせぬ。一体、なにを目論んでいるのやら……」
「おかげで、戦果は挙がっております!」
「戦果な。確かに、レイン・メーグル率いる遊撃隊は、敵食糧庫や畑の焼き討ちに成功はしている。だが、同行させた軍監の話によれば、敵はレインの部隊が近づいても一切抵抗せずに逃げ回るばかりで、彼らが目的地に到着した頃には、人影すら見えぬという話。ハムンザの砦を攻略してまで得た虎の子の食糧を放り出して逃げ散るとは、どう考えてもおかしいではないか」
「レイン殿の勇名が轟いているからではありませんか?」
「勇名、な。いくら敵が怖ろしいからといって、無抵抗だというのは全く理解できん。とはいえ、敵地に侵入し、その糧食や財物を焼き払った以上は、我々も後戻りはできぬ。相手の意図がつかめぬまま、突き進むしかない」
「その通りであります!ウォマイラのような下劣な生物相手に、こちらから停戦を持ちかけ、慈悲を乞うなど、あってはならないことであります!」
「うむ。とはいえ、ヤツらの本質は血に飢えた獣。いつまた地を覆いつくすほどの大軍で攻め寄せてくるかも分からぬ。そうなれば、いかに難攻不落の城塞都市イン・ナセとはいえ、持ちこたえられるかどうか」
「我ら市民兵の士気は軒昂!どれほどの多勢が押し寄せようとも、必ずや……」
「威勢の良さだけでは戦に勝利できぬよ。かといって、このイン・ナセが抜かれれば、もはや我が国は滅ぼされたも同然。迂闊に停戦もできぬ。進むも地獄、退くも地獄か……」
「元帥殿!お言葉ですが、ウォマイラのような下等生物、我らの敵ではありませぬ!ヤツらが陣地から這いだし、攻め寄せてくる時こそ、我の実力の見せ所であります!日頃の訓練の成果を発揮し、やすやすと敵を打ち破ってご覧に入れるであります!」
味方一人に対し敵10人が押し寄せ、その上さらに圧倒的な魔神の力でやすやすと城壁を打ち毀されても、自信に満ちた顔で大言壮語できるのか、と問いかけるつもりで半ば口を開いたが、ガースはその口を再びそっと閉じた。
いったところで、どうせ理解はできぬだろうと諦めたのである。
ケメンの民は皆、ウォマイラをさげすむあまり、その秘めたる実力を低く見積もり、侮る傾向がある。その信仰に近いほどの強固な思い込みゆえに、一体今まで何度足をすくわれ、煮え湯を飲まされてきたか。
しかしそれでも、いまだに民衆のほとんどはこんな調子なのだ。
今回もまた、同じ轍を踏むことにならぬとよいのだが……。
額に深く皺を刻んだまま、ガースはしばし、愁いに満ちた沈思を巡らせる。




