第3章 愛と復讐の暗黒邪神ザドレア! 6
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どこからか、ぴたん、ぴたん、と 水滴が落ちる音が聞こえてくる。
それ以外の物音といえば、計画の成否を懸念する団員たちが時折漏らす深いため息のみである。
ある者は床に座り込みつつ虫に食われた頬をボリボリとかき、ある者は身じろぎひとつせずに立ったまま天井を仰ぎ、団員たちは、じっと「変化」の兆しを―― 自分たちを囚われの身から解放する希望の鐘の音を――待っている。
「……うまくいけば良いが……」
張り詰めた空気に押し出されるかのように、ショターニキ魔法師団団長、リョウ・ヘイズは、吐息のような声を口から押し出した。
「大丈夫です。かのアベーロ師から授けられた秘策です。うまくいかぬわけがありません」
独り言のつもりで口にした言葉に思いがけずささやき声を返され、リョウは、おや、とそちらを見る。
と、そこには師団随一の俊英にしてリューノの親友であるジューン・シースが、疲れた顔に笑みを浮かべ顔を寄せていた。
「おお、ジューン。聞かれてしまったか」
「ご心配なく、他の者の耳には届いておりませぬゆえ」
「そうか。それならばよかった。しかし、いかぬな。揺るぎなき心にて皆を導くべき私が、こうも揺らいでばかりいるとは」
「それは、団長が余人よりもはるかに強い責を担っておられるがゆえのこと。むしろ、我ら全員お命を預かっておられる身でありながら、全く迷いを見せずに突き進まれる方が、私としてはよほど不安に感じます」
「そうか……そういってもらえると救われるな」
「今回の策にしても、その武勇と共に高潔さでもってケメンの地全土にあまねくその名を知れ渡る我らショターニキ魔法師団副長が、こともあろうに籠絡などという下劣な手を使い、脱出を試みようとしているのです。その品性を穢す指示を命ぜざるを得なかった団長の苦悩、痛いほど理解しております」
「うむ……可能であれば、この私が汚れ役をやるべきなのだが、この年格好では……」
「いえ、とんでもない。団長こそ、清廉潔白にして高潔な我が魔法師団の象徴。それが分かっているからこそ、リューノは進んで汚れ役を引き受けたのです。その心意気を信じて、今間は首尾よくことが進むのをじっと待ちましょう」
「うむ……そうだな……」
深々とうなずき、リョウが再び目を閉じかけた、その時。
ふと、かすかな異音が彼の耳朶を打った。
「……いま、なにか聞こえなかったか?」
「私にはなにも……いえ、お待ちください!」
ジューンが目をつぶり、聴覚に集中する。
と。
こつこつこつこつ……。
自分たち以外にまるで人気の感じられない地下空洞に、遙か彼方から、乾いた音が確かに響いてくる。
二人ははっと目を開き、顔を見合わせた。
こつこつこつこつ、こつこつこつこつ……。
徐々に徐々に大きくなるそれは、確かに足音――それも、木靴を履いた足で石造りの階段を急ぎ足で下りてくる足音だった。
やがて足音は、魔法師たちの幽閉される最下階にたどり着いたのか、一度、こつん、とひときわ大きい響きを立てると、しばらくの間――周囲に見張りの者がいないかどうか、そっと様子を窺う程の間止まる。
それから再び、今度は、
かつかつかつかつ……
と、先ほどよりも切迫した、甲高い靴音が、徐々に大きくなりつつ――もっとも奥まった場所にあるこの牢へと続く通路を、一気に走り抜けているに違いない――洞内に響く。
やがて、耐えがたいほど大きくなったその音がぴたりと止まったかと思うと、曲がり角から、そっと誰かが顔をのぞかせた。
世話係の、あの女である。
女は、通路に人影がないことを見てとると、全力疾走で通路を走り抜け、鉄格子の前へとやってきた。
「そなた……」
声をかけるリューノに、ぜいぜいと肩で息をしながら、女は、よろよろと片手を差し出す。
「リューノ様……これを……」
握っていた手のひらを開くと、そこには、さしわたし5センチほどの、片方の先がするどくとがった、洞窟の闇よりまだ黒い欠片があった。
「ほんの小さなかけらですが……」
「でかした!」
女の言葉を途中で遮り、リューノはその手のひらの上のかけらをひったくるように奪い取る。
そして、目の前の太い鉄格子の一本に、そのかけらのとがった切っ先をあてがうと、一気に力を込めた。
と、よく研いだカミソリで紙の筒を薙いだかのように、鉄棒はすぱりと上下に切断される。
「これは!なんという切れ味!」
驚き興奮しながら、リューノはなおも鉄格子に向かい、縦横に腕を振るう。
数瞬後、格子はただの鉄塊と化して地面に転がり、魔法師たちの自由を阻む障害は、一切なくなっていた。
「よし、いくぞ!」
「皆、続け!」
団長らの押し殺した号令がかかり、皆が先を争って脱出していくのを黙って見守った後、リューノ自身もゆっくり牢から通路へと足を進めた、その時。
「あの……待って、待ってください!」
それまでずっと俯いていた女が、目を潤ませながら彼を見つめた。
「なんだ、どうかしたのか?」
肩越しにゆっくり顔だけをそちらに向け、リューノはややうるさそうに返事を返す。
が、女は、そのおざなりな仕草に気付くこともなく、 懸命な調子で訴えかけてくる。
「あの……このような大それた真似をしてしまいました以上、私も、もはやこの神殿にとどまることはできません。どうか、どうかこの私も、一緒にお連れくださいまし!」
地下全体に反響するほどの叫び声に、リューノは思わず顔をしかめ、周囲の様子をうかがった。
……幸い、こちらへ駆けつける足音は聞こえない。だが、このままこの女を放っておけば、再び今のような大声を上げないとも限らない。
(致し方ない……)
リューノは、ひそかにため息をついた。
「わかった。ならば、ともにくるが良い」
その言葉に、女はぱっと表情を明るくし、
「はい!」
と大きくうなずく。
が、リューノは女の様子を見ようともせず、先行する仲間の背中を追って、早足で歩き始めている。
女は――ハシカは、既に小さくなりかけている彼の背中を、すがるような思いで見つめつつ、小走りで後に続いたのだった。
ちょうどその頃。私室で一人祈りを捧げていた最高位神官の元に、弟子の一人が息せき切って駆け込んできた。
「大変です!捕虜が、魔法師団のヤツらが逃げ出しました!」
「なんだと!一体どうやって、あの堅固な牢を破ったのだ!」
「鉄格子が、なにやら鋭利なもので断ち切られ、バラバラに……」
「なに!するとヤツら、武器を隠し持っていたのか!」
「はい、おそらくは!」
「なんということだ……!我らウォマイラを虫けらだと思い込んでいる連中が、太い鉄格子を断ち切るほどの物騒な得物を手に、牢から解き放たれただと!一体、どれほどの惨劇が起こるかわからぬぞ!ええい、急げ!皆に命じて、一刻も早くヤツらを見つけ出し、捕らえるのだ!」
「はい、ですが大神官様!」
「なんだ!この忙しい時に!」
「ヤツらを見つけ出したとして、一体どのようにして捕らえればよろしいのでしょう?」
「どのようにって、それはもちろん……」
「もちろん?」
「えーっと……」
「えーっと?」
明らかに狼狽した表情で考えこんだ暗黒大神官は、やがて、いつものいかめしい表情に戻り、おもむろに顔を上げた。
「よし、分かった!皆のもの、命令変更だ!一刻も早くヤツらを見つけ出し、そっと行方を見守るのだ!それと、誰か!ザドレア様をこちらへお連れしろ!おそらく今時分はお部屋でゴロゴロなさっておられるはず。くれぐれもご機嫌を損ねないよう、甘いものかなにかを存分に食べさせた後で、できる限り早くお連れするのだ!」
「は!了解いたしました!」
「ご命令のままに!」
弟子は再び転がるような勢いで部屋を出て行き、暗黒大神官ズィーロは、あくまで謹厳に、その後ろ姿を見送った。
直後、その表情がなんとも悩ましいものへと変わる。
(さて、ザドレア様をどのようにおだてて魔法師どもの後を追わせればよいか……これは難題だぞ……)
無意識に腕を組んだまま、ズィーロはその場で必死に頭を絞り始めたのである。
まもなく、神殿の中は女官たちの悲鳴と走り回る神官たちの足音、叫び声で、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。が……リョウたち騎士団員達は、そんな騒ぎもどこ吹く風と言わんばかりの風情で、悠々と歩を進める。
それもそのはず、ウォマイラたちは、大声でわめき、威勢よく怒号をあげはするものの、おろおろと右往左往するだけで、彼らの前に立ち塞がるどころか、その姿を見かけるやいなや、たちまち背を向け、一目散に逃げ出していくのである。
無人の野を行くがごとく、厨房を越え、長い回廊を渡り、大広間を横切って……やがて一同は、神殿の正面入り口を、ゆっくりとくぐった。
「見よ、あれを」
神殿前の広場に立ち、周囲に素早く目を走らせたリョウ・ヘイズは、左手の隅に立つ小屋を指し示した。
「あれは!」
「ええ、おそらく!」
はやる気持ちに促され、団員皆が早足でそちらへと向かう。
正面の頑丈な扉を大きく押し開くと、途端に、むっとした獣臭が鼻にまとわりつき、次いで、見知らぬ匂いに興奮した獣の放つ、荒い鼻息が耳に届く。
思った通り、そこは厩であった。
「厩」といっても、そこにいたのは、ケメンの騎士が騎乗する軍馬「サラーブ」ではない。それよりもずっと体つきが小ぶりで性格も温和、その上粗食によく耐え、頑丈で、どれほど辛い仕事にも文句を言わない、「シャチーク」という動物である。
率直に言って、 ケメンらが愛乗するサラーブよりもずっと乗りやすく、使いやすい動物なのだが、あまりに大人しく素直に言うことを聞きすぎる上、体色がウォマイラどもと同じく緑色でみっともない、ということで、ケメンたちから下等な獣であるとみなされ、手を触れるのさえ嫌がられるほどに嫌われている。
だが、背に腹は代えられない。
騎士団員たちは、各自壁に掛けられた鞍と轡を手に取り、適当に選んだシャチークに取りつけると、囲いの中から外の広場へと引き出し、その背にまたがった。
皆が慣れた手つきでほこりよけの布を顔に巻き付けているところへ、遅れて追いついたリューノも、残った中から一頭を選び引き出すと、ひらりとその背にまたがる。
と、そこではじめて、かたわらに立ったまま、困った顔で馬上の――シャチーク上の彼を見上げる顔に気がついた。
「どうした。一緒に来るつもりならば、早くどれかを選び、乗るが良い」
と声をかける。
ところが女は、すぐに動き出すどころか、そのまま、立ち尽くすばかり。
「どうした。早くせぬか」
いらだちもあらわにそう叱りつけると、女はびくりと体を震わせ、それから、
「あの……申し訳ありません、私、その……乗り方が分からないのです……」
消え入るような声で、そう告げる。
リューノは、いらだちと非難のこもった大きなため息をつき……いっそこの場でこの女を蹄にかけ、 蹴り殺してしまおうかという乱暴な思いが、刹那、脳裏をよぎる。
(いや、ダメだ。 ここでは、人目につきすぎる。ショターニキ魔法師団副長であり、「団規の化身」とまで呼ばれたこの俺が、武器を持たぬ女をおおっぴらに殺すわけにはゆかぬ。殺すにしても、どこか、人目につかぬところで……)
それまでは辛抱するしかない、と心に決めたリューノは、再び大きく――今度は、何もかも諦めた、といわんばかりの――ため息をついた。
「分かった。女、私の後ろに乗るがよい」
と、女はぱっとうれしげな顔になり、
「はい!」
と返事を返すやいなや、いそいそとシャチークによじ登り、布の顔に巻き付け終わったリューノの背中にしがみつく。
「では、皆のもの、出発だ!目指すは、城塞都市イン・ナセ!」
リョウの号令一下、団員たちはシャチークに拍車を当て、土煙を上げて神殿から門前町ドドブースへと続く道を駆け下りはじめる。
その彼らに数メートル遅れ、後ろにハシカを乗せた分、やや重たげな足取りで、リューノの操るシャチークもどたどたと坂道を駆け下っていく。
……お?きたかな?
どうせ誰にも見えないんだし、構やしないとばかり、地面にどっかりあぐらをかき、道しるべの打ちつけられた杭に背中をもたせかけてぐだぐだしていたあたしは、遙か彼方から聞こえてくる地響きの音を聞きつけ、むっくりと上体を起こした。
ザドレア大神殿は、険しいグロー山脈を背にする小高い丘「グロイ」のてっぺんに神々しく屹立し、下界で暮らすウォマイラの民を見守っているのだれど、そっから麓に下りる道は、たった一本だけしかない(それ以外のところは、あちこち岩がむき出しとなって、人が歩いたり、荷車が通ったり、まして馬を走らせたりなんて、到底できないのですよ、とズィーロが言っていた)。
でもって、その細く曲がりくねった山道は、麓まで下りたところで、山の麓沿いに東西へ走る道と、平野をまっすぐ南下し、帝都ブサへ、そして南の国境へといたる帝国の大動脈、キンモー街道へとぶつかるのだけれど、そこはちょっとした町となっていて、遠くからわざわざ神殿を訪れる善男善女たちが、宿泊したり、記念にあたしの姿をあしらった絵はがきやペナント、名物の「ザドレアもち」や「ザドレアせんべい」を買ったりできるようになっている(と、神殿に避暑にやってくる道々、聞いてもいないのにイナーチャが教えてくれた)。
だから、その町――「ドドブース」は、普段ならそういった参詣の人々でにぎわっているのだけど、その時は既に「危険なケメンの捕虜が脱走し、逃走中」とのお触れが出されていたせいか、どの店も雨戸を閉め、人っ子一人見当たらなかった(いや、まあ、緑色のブサ男ブサ女たちがワイワイキャアキャア言いながら歩く姿なんて見たくもないから、それでよかったんだけど)。
あたしは、ドドブースの町の中心となるその四つ辻に腰を下ろし、イケメン様たちの群れと、そしてハシカがやってくるのを、今か今かと首を長くして待っていたのである。
地響きの音は徐々に大きくなり、やがて、ブタとカピバラを足しっぱなしにして深海魚を振りかけたような、なんともいえないブッサイクな緑色の動物に乗った20人ほどの集団がものすごい勢いで走り去り……それから少し遅れて、男女二人が乗った一頭の動物が、ヒイヒイと苦しげなあえぎ声を上げつつ、ポテラポテラと情けない足取りで、通り過ぎていった。
その姿を見送ったところで、あたしはうんうんとうなずく。
よおし、思った通り、この道を使った!あたしの勘は本当によく当たるわ!
後から冷静に考えりゃ、勘が当たったもなにも、神殿から下る道は一本きりなんだから、そこを通らないはずがない。けど、その時のあたしは、それこそ神様にでもなったつもりで――いやまあ、神様なんだけどさ――目の前でリアルに進行する純愛物語のストーリーを自在に操っているかのような気分になっていたのである。
二人の恋愛がハッピーエンドに終わったら、次は続編だよね。見知らぬ国で、差別や偏見に苦しみながらも、一途に彼を思う美少女と、彼女を守るためにありとあらゆる障害をはねのけようとするイケメン様……うーん、まさにエクセレント純愛じゃん……!
そんなことをうっとり考えつつ、よっこらせと立ち上がり、腰に手を当てて、思い切り身体を反らす(長いこと座ったきりで妄想してたため、ちょっと身体が固まっていたのだ)。
そして、
でもまあ、次回作の前に、まずはこの物語がどんなハッピーエンドを迎えるのか、しっかり見届けないと。やっぱり最後は、無事に逃げおおせた二人が、広場でしっかり抱き合い、熱いキスを交わして……ぎゃあああああ、どうしよ、めちゃくちゃ尊いんだけど……!
などと思いつつ、にへらにへらと薄気味悪い笑顔をたたえ、あたしは、おもむろに彼らの後を追いかけはじめたのだった。




