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虚無への鍵と虚王星イクス



第一節 戻った手のひら


光が割れた。


いや、割れたのは光ではなかったのかもしれない。


俺の意識のほうが、何か硬い膜を突き破って戻ってきたのだと思う。


息を吸った。


肺が痛い。


喉が焼ける。


心臓が、現実を思い出したみたいに乱暴に跳ねていた。


「……っ」


膝をついていた。


石の床。


冷たい空気。


どこか遠くで、まだ鐘の音が残っている。


灰鐘修道院。


中世層。


俺は、戻ってきていた。


「おい!」


タクトの声がした。


「聞こえるか! 返事しろ!」


次に、テトラの声。


「お願い、目を開けて!」


俺はゆっくり顔を上げた。


テトラが目の前にいた。

タクトもいる。

二人とも、顔色が悪い。


「……戻ったのか」


声がかすれていた。


テトラは一瞬、泣きそうな顔をしたあと、怒ったように眉を寄せた。


「戻ったのか、じゃないわよ!」

「いきなり裂け目が出てきて、あなたが吸い込まれて、それで……!」


タクトが続ける。


「完全に消えたんだ」

「ログアウトでも転移でもない」

「存在座標ごと持っていかれたみたいに見えた」


俺は手を見た。


そして、そこで息が止まった。


手のひらに、鍵が二つあった。


一つは、銀白色の細い鍵。

血管のような線が走り、淡く脈打っている。


脈理の鍵。


もう一つは、見たことのない鍵だった。


黒い。


ただ黒いのではない。

黒なのに、奥で星が沈んでいるように見える。

鍵の輪郭が安定せず、見つめていると、そこだけ記憶が抜け落ちそうになる。


「……何だ、これ」


俺が呟いた瞬間だった。


頭の奥に、ピシッ、と音がした。


本当に音がしたわけではない。


けれど、脳の内側に細い切れ目が入った感覚があった。


世界が一瞬だけ、巻き戻った。


灰鐘修道院。

黒化核。

地下祭壇。

脈理の鍵。

フィリスの声。

中世へのポータル。

ヘリックス・コア。

ゼルク。

第一の鍵。

黒き星。

作者へのボタン。

オブリビオン。

アインソフアウル。


断片が、崩れた鏡みたいに頭の中へ散らばる。


それなのに、足りない。


何かが抜けている。


何度もここへ来たような感覚。


いや、違う。


俺はこの場所を知っている。


この流れを知っている。


この息苦しさも、手の中の鍵の重さも、タクトとテトラの声も、全部どこかで経験している。


「……ループしてる?」


自分で言って、背筋が冷えた。


タクトが顔をしかめる。


「何?」


俺は額を押さえた。


「分からない」

「でも、ここを知ってる気がする」

「今の俺は……何回目なんだ?」


その言葉を口にした瞬間、テトラの顔が強張った。


「やめて」

「そういうの、今は冗談にならない」


「冗談じゃない」


手のひらの黒い鍵が、かすかに震えた。


タクトがそれを見つめる。


「脈理の鍵とは別物だな」

「それはどこで手に入れた」


「オブリビオン」


口にした瞬間、空気が冷えた。


忘却の地。


虚無と忘却の彼の地。


作者も飲まれていた場所。


そこから、俺は戻ってきた。


そして、戻ったとき、鍵が増えていた。


テトラが低く言う。


「虚無から持ち帰った鍵……?」


黒い鍵の表面に、星のような傷が瞬いた。


表示が浮かぶ。


第三鍵:虚無の鍵


俺たちはしばらく、その文字を見つめることしかできなかった。


第二節 フィリスへの憤り


タクトが先に沈黙を破った。


「つまり、俺たちは中世層へ来るはずだった」

「フィリスがそう言った」

「ポータルまで開いた」

「でも、入る直前に干渉が起きた」


「うん」とテトラ。


彼女の声には、明確な怒りがあった。


「あのポータル、途中で別のものに触れられた」

「フィリスが用意した門に、さらに上から何かが割り込んできた感じ」


「フィリス本人がやったんじゃないのか」


俺が言うと、テトラは首を振った。


「分からない」

「でも、あの干渉はフィリスの魔力とは違った」

「もっと冷たくて、もっと意味が薄い」

「まるで、世界と世界の間から手だけが伸びてきたみたいだった」


オブリビオン。


インターナッシング。


無圏。


その言葉が頭の奥で疼いた。


タクトは拳を握った。


「どちらにしろ、あいつは知っていた可能性が高い」

「中世へ行けば何か分かると言った」

「ポータルまで開いた」

「その先でお前が虚無に落ちた」

「偶然にしては出来すぎている」


「でも、フィリスが全部仕組んだにしては変だ」

俺は黒い鍵を見下ろす。

「俺は虚無の鍵を持って戻ってきた」

「もし殺すつもりなら、戻す意味がない」


テトラが唇を噛む。


「観測していたのかもしれない」

「あなたがオブリビオンから何を持ち帰るか」


タクトが吐き捨てるように言った。


「本当に嫌な相手だな」

「敵なのか、案内人なのか、観測者なのか、全部混ぜてくる」


俺も同じだった。


フィリスに対する感情は、怒りだけでは済まなかった。


怖い。


得体が知れない。


あいつは俺たちを見下しているわけではない。

むしろ、俺たちに何かを期待しているようにさえ見える。


それが一番不気味だった。


「とにかく」

タクトが言った。

「鍵は三つ揃ったことになる」


俺は頷いた。


第一の鍵。

脈理の鍵。

虚無の鍵。


三つ。


父の遺書。

ゼロスフィア。

三つの鍵と球体上の物体。


すべてが、嫌なほどぴたりと重なり始めている。


テトラが静かに言う。


「ゼロスフィアへ差し込むしかないわね」


誰も反対しなかった。


反対できる段階ではなかった。


第三節 三つの鍵


ゼロスフィアを模した球体装置は、以前よりも静かだった。


だが、それは眠っている静けさではない。


待っている静けさだった。


俺たちは灰鐘修道院の地下に残されていた転移陣を使い、再びヘリックス・コアの最上層へ戻った。

巨大球体装置は、第一の鍵を受け取ったときよりも深く、黒い宇宙のような光を内側に宿していた。


球体の前に立つ。


三つの差し込み口が、浮かび上がっていた。


一つは金色に近い光。

一つは銀白の脈動。

一つは黒い星の穴。


俺は息を呑む。


「本当に、三つ分ある」


タクトが小さく言う。


「最初から三つの鍵を要求していたんだ」

「でも、三つ目がどこにあるかは誰も知らなかった」

「それが虚無だった」


テトラは不安そうに黒い差し込み口を見る。


「怖いわね」

「鍵穴というより、傷口みたい」


その表現は正しかった。


虚無の鍵を入れる場所だけ、球体が傷ついているように見える。

世界がそこだけ忘れたがっている。

そんな感じがした。


俺はまず、第一の鍵を差し込んだ。


低い起動音。


次に、脈理の鍵。


球体の表面に大陸、時代層、黒化病巣、世界間循環の線が浮かび上がる。


最後に、虚無の鍵。


手が震えた。


タクトが横に立つ。


「無理なら俺がやる」


「いや」

俺は首を振った。

「これは、俺が持って帰った鍵だ」


テトラがそっと言う。


「大丈夫」

「何かあったら、今度は私たちが引き戻す」


俺はうなずいた。


そして、虚無の鍵を差し込んだ。


一瞬、何も起きなかった。


次の瞬間。


世界が爆発した。


いや、爆発というより、神秘的なエネルギーが花開いた。


青白い光。

金色の粒子。

黒い星屑。

脈動する銀の線。

そのすべてが球体から溢れ、俺たちを包み込んだ。


熱くない。


痛くもない。


むしろ、優しかった。


「これは……」


テトラが呟く。


俺たちは光の中に浸っていた。


水でも空気でもない。

けれど、全身が何かに抱かれている。


オブリビオンの虚無とは逆だった。


あそこでは意味が奪われた。

ここでは意味が戻ってくる。


ばらばらだった記憶の断片が、ふわりと輪郭を取り戻していく。


父の手紙。

作者の声。

フィリスの言葉。

タクトの診断。

テトラの魔法。

ゼロスフィアの夢。


全部が一本の光路へ並んでいく。


やがて、球体の中央に小さな星が現れた。


見知らぬ星だった。


黒に近い青。

表面には銀色の雲が渦巻き、赤い環のようなものが薄く浮かんでいる。

どこか惑星というより、記憶を固めた球体に見えた。


タクトが表示を開く。


「名称を照合する」


数秒。


いや、もっと長く感じた。


そして、表示が出た。


虚王星イクス


沈黙。


テトラが読んだ。


「虚王星……イクス?」


タクトが続ける。


「太陽系第十惑星……?」


俺は思わず笑いかけた。


笑えなかった。


「まさか」

「太陽系にそんな星、ないだろ」


タクトは画面を凝視したまま答える。


「少なくとも、俺たちが知っている現実の天文学では存在しない」

「いや、存在しないはずだ」

「でも、これはワールドストーリー内のデータだけじゃない」


「どういうこと?」


テトラが聞く。


タクトは顔を青ざめさせた。


「人類のログがある」


球体の周囲に、古い記録群が浮かび上がった。


年代不明。

観測者不明。

形式不明。


それなのに、そこには人類の記録形式に似たものが残されている。


探査ログ。

居住試験ログ。

封鎖記録。

緊急通信。

そして、途切れた文章。


虚王星イクス到達記録

第十惑星外縁観測基地

記憶圏異常

帰還不能

人類ログ保存処理開始


俺は息を呑んだ。


「人類が……行ったのか?」


タクトは首を振る。


「分からない」

「現実に行くなら、宇宙船が必要だ」

「しかも太陽系外縁、あるいは観測不能領域」

「今の俺たちに物理的に到達するのは不可能に近い」


「じゃあ、どうしてワールドストーリー内で見えてるの?」


テトラの問いに、誰もすぐには答えられなかった。


球体装置が、静かに表示を更新する。


ワールドストーリー内アクセス経路:開放可能


俺たちは同時に画面を見た。


タクトが信じられないという顔をする。


「現実では存在しないはずの星に」

「ゲーム内からアクセスできる……?」


テトラの声が震える。


「それって、ゲームの中の星なの?」

「それとも、現実のどこかにある星を、ワールドストーリーが写しているの?」


俺は虚王星イクスを見つめた。


答えはまだ分からない。


でも一つだけ分かる。


これはただの新エリアではない。


父が残したもの。

ゼロスフィアが示したもの。

オブリビオンから持ち帰った虚無の鍵。

そのすべてが、この星へ向かっている。


存在しないはずの星。


虚王星イクス。


まだ見ぬ領域。


胸の奥で、恐怖と好奇心が同時に膨らんでいく。


「行くしかないな」


俺が言うと、タクトは苦笑した。


「お前、さっき虚無から帰ってきたばかりだぞ」


「だからこそだ」

俺は言った。

「ここまで来て、見ないふりはできない」


テトラは少しだけ笑った。


「怖いけど」

「私も、知りたい」


球体の中央で、虚王星イクスがゆっくり回っている。


黒く、青く、遠く、近い。


現実には存在しないはずなのに、俺たちを待っている。


その星の奥に、人類のログが眠っている。


そしてたぶん、父の足跡も。


俺は三つの鍵を見た。


第一の鍵。

脈理の鍵。

虚無の鍵。


これで扉は開いた。


だが、開いた先にあるものが救いなのか、破滅なのかは分からない。


それでも、物語はもう止まらない。


ゼロスフィアの光が、静かに次の座標を示した。


目的地:虚王星イクス


俺たちは、まだ見ぬ第十惑星を見上げていた。

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仮想世界だと思っていた場所が、少しずつ別の顔を見せ始めます。 続きもよろしくお願いします。
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