第35話 勝って当然
ザリッ、ぐぢゅ、にちゃあぁ。
オムライスとは思えない歯触り。砂のように不快で、三角コーナーに溜まった生ゴミをミキサーにかけたかのように気色悪く、液体のりのように粘着質。
臭いはシュールストレミングを超える悪臭。さながら何ヶ月も洗わずに穿いたおっさんのパンツを鼻に詰め込まれ、そこに腐りきった生魚を搾ったエキスを流し込まれたような激臭と激痛。
何よりも、味は感触や臭いの比じゃなく、そしてこの世の物ではなかった。
ただただ不味い。シンプルにクソ不味い。そのクソ不味さが味蕾の一つひとつに染み込み、いつまでも口の中に残り続ける。
ビックリしたよ。咀嚼した途端、俺の周りに天使が現れた。天から徐々にポワァ~と出てくる定番のご登場ではなくノータイムで出現し、俺の全身を掴むと「はい行きましょうね」と告げて問答無用で連行しようとしてきた。
完璧なのは見た目のみ。卵の衣だけ。中身は所謂ところのダークマター。たった一口であの世が見える程にゲロ不味い。
白土の料理は……最悪だった。
「ぐおおおぉぉ……!?」
食べたのは十何時間前だろうか。翌日になっても俺はまだ生きていた。
そして白土のオムライスもまた、一日が経っても腹の中で暴れていた。
口に入れただけで地獄の苦しみ。けれど口はゲートに過ぎない。つまりは胃に入ってからが本番、さらなる猛威を振るった。
オムライスは消化されることなく、双剣の乱舞の如く内部から胃袋をズタズタに切り裂き、加えてハンマーで回転強アッパーをかます。そういった異様な激痛にかれこれ十数時間以上も悶え苦しんでいる。俺は妊婦か。
この状態で登校した自分が恐ろしい。いつ絶命してもおかしくない。というかいっそのこと殺してほしいくらいだ。
だ、駄目だ、もう死ぬ……。
「大変だ! 超絶すっごい情報が舞い込んできたよ!」
豆史が教室に飛び込んできた。
とても大きな声。呼応するように腹痛が増、があぁあ……!
「腹に響くから大声やめろ……」
「今日の凌はどうしたのさ。朝から様子が変だよ?」
「ああ変だよ。腹の調子が異常なんだ。死にそうなんだ」
あ、あんのポンコツ女ぁ。おんどりゃあぁ。
ヒロインの調理スキルは100か0のどちらかが定石となりつつある昨今、ポンコツ白土が100なわけがなかった。料理を作らせた時点で俺に落ち度がある。
それでも言ってやる。あんのポンコツ女がぁ。おんどりゃぁぁあ……!
過去に何度も最悪というフレーズを多用してきたが、あのオムライスはぶっちぎりで最悪だ。
おかしいだろ。どうやって作ったんだ。作ったのではなく召喚したんじゃねえの? 異世界から呼び寄せたんじゃねえの!?
とか思っている間も腹が……あがが……!
「うおぉい? 顔が豆乳のように真っ白だよ?」
「そっとしておいてくれ……」
お前と話す余裕はない。俺は弱々しく、死ぬ寸前のセミみたいな声で机に突っ伏す。
さすがに豆史も退いてくれるはず。
「それよか聞いてよ。朗報だよ! さすがに凌も飛び跳ねるはずさ!」
残念でした。豆史は遠慮なしに俺の頭を叩いてきた。こいついつかぶっ飛ばす。
「何だよ……」
鼻から長い毛が出てきたとか言ってみろ。残り僅かの力を振り絞って今すぐぶっ飛ばしてやるからな。
「なんと! 今年の文化祭も! ミスコンが開催されるんだってさ!」
息を弾ませて叫ぶ。喜びを爆発させ、豆史の歓喜の声は残響となって教室内にこだまする。
今年もミスコンがある。それがものすごく嬉しい。ということだ。
「……はあ~」
朗報と言うから何かと思えば……そんなことか。
「おいおい凌? もっと喜んだらどうなのさ。今年もミスコンがあるんだよ? 最高でしょうが!」
豆史は語気も強めて俺を叩く力も強めた。こいついつかぶっ殺す。
「最高ではなく最悪だよ。現在進行形でな」
ミスコン開催。豆史の声音は最新情報を入手しましたと言わんばかりに嬉々としていた。一般生徒には大ニュースなのだろう。
悪いが、俺にとっては古い情報だ。
とっくの前に知っている。GW中に知らされたし、そのミスコンに向けてポンコツ女を鍛え上げている最中だし、そのせいで腹を壊して苦しんでいる真っ最中だ。
「やれやれ、凌の冷めっぷりにはガッカリだよ」
顔を上げると、豆史が「こいつ何も分かってねーよ」という顔をして呆れ返っていた。わーお。
言ってやりたい。テメーこそ何も分かってねーよ、と。
「ひゃっほぅ! ミスコン開催だってさ! ほら凌も一緒にせーの、ひゃっほう!」
「ひゃほー……」
「テンション低っ。なんだかマジで調子が悪そうだね」
だから調子が悪いって言っているだろうがぁ……!
俺は胃薬を飲み込み、再び机に頬をつけてダウン。
「ミスコンなんざクソ食らえだ」
「まさに豆腐に鎹だね。反応がしょぼい。もっと鳩が豆鉄砲を食ったようなリアクションをしなよ」
「豆豆うるせーんだよ脳みそ豆粒野郎。仙豆を持ってこい」
「あのね凌、仙豆は実在しないよ。急に何を言っているのさ」
「マジレスすんな。すげえムカつく」
「それにキツイなら休めばいい。そもそも体調を崩さないよう常日頃から気をつけなよ」
「はいお前ぜってえモテない」
言い返しながら、結局豆史の話し相手になっていた自分に辟易とする。
俺の馬鹿野郎。この間にも容態は悪化……あ、ヤベェ。
「俺も大ニュースだ。今、腹の中のオムライスが大剣の真・溜め斬りのモーションに入った」
「自分が発したワードの意味不明さ理解してる?」
「っ、ぐあぁ……!」
「うわぁ凌の顔がすごいことに。そんなにしんどいなら保健室に行けば?」
「……保健室?」
「あ、木賊先生が来た。席に戻ろうっと!」
保健室……そうだ。保健室だ。
今、必要なのは仙豆ではない。ただ純粋な休息。
「授業を始めるわ。席に着きなさい」
木賊先生が教卓の前に立つ。
俺は残り僅かな力を振り絞り、木賊先生の元へ向かった。
静穏と消毒液の匂い。白に黄色を足したベージュのカーテンに仕切られ、個室のような安堵感とシーツに包まれる。
もうすぐ四限目が終わる頃だろうか。俺は保健室のベッドに横たわっていた。
『保健室で休ませてください。お願いします。頼みます! 限界なんです! 言うよ? 全部言っちゃうよ? あの秘密この場で暴露しますよ!? あ、土下座っすか? 土下座して頼めばいいんすか!? 俺いくらでも土下座しますよ! ほら土下座! はい土下座! この通りですから保健室で休ませてくださいぃぃ!』
我ながら必死だった。ひんやり系男子の俺が人目も憚らず豆史並みの大きな声で大人に泣きつくとは。
俺の深刻さが伝わったのか、木賊先生は保健室に行くのを許可してくれた。
養護教諭の先生もどこかへ行き、現在は静穏な空間に俺一人。独り言をツイートし放題、休み放題だ。ホンマありがたいでぇ。
「横になれるのって素敵。……腹は未だに痛いが」
ベッドの上で仰向けになり、両手で腹部を押さえる。
ノロウイルス級の耐え難い激痛が体内で暴れ回り、定期的に『ぎゅるるぅ』と鳴る。たまに『ごぽっごぽっ』とも鳴る。俺はエイリアンを産みつけられたのかな? 今にも腹を突き破ってチェストバスターが飛び出そうなんだけど?
横になっても痛みは治まらなかった。が、椅子に座っているよりはマシ。時間が経てば回復すると信じて今は安静にしておこう。
「眠たくなってきた……」
そういや昨日は腹痛のせいで一睡も出来なかったし、一昨日は白土の匂いに興奮して眠れなかったな。俺どんだけ可哀想なの?
せっかくだ。寝よう。寝ることが出来れば痛みを忘れることが出来る。
思考のスイッチを切り、頭の中を消灯。ゆっくりと瞼を閉じて夢の世界へ……。
「失礼します」
静穏な保健室に扉の開く音。続けて女子の声が響き、薄いカーテンにうっすらと人影が浮かぶ。
誰だ。寝ようとした瞬間に入ってきた奴は。許さんぞ。
口の中でモゴモゴと悪態を吐き、シーツを口元にまで引き寄せて息を潜める。
「あれ? 先生いないね」
「とりあえず待っていよっか」
声は二つした。どちらも女子の声で、どちらも聞き覚えはない。違う学年やクラスの奴か。
「ねぇ知ってる? 今年もミスコンがあるって」
「聞いた聞いた。誰が出場するんだろうね」
女子生徒二人はベッドに人が寝ていると気づかず、かなり大きな声でペチャクチャと雑談を始めた。
なんか俺、盗み聞きしているみたいだな。いや気にせず寝よう。
音立てず寝返りを打ち、今度はぎゅっと瞼を閉じる。
「あの人は出るのかな?」
「誰?」
「トリスコだよ」
聞いたことあるフレーズが出た。目を開いてしまう。
トリプルスコア。略してトリスコ。昨年、大差で負けた日暮に対する蔑称。……本当に女子の間で使用されているんだな。
「出場したらウケるよね」
「あははっ。去年ボロ負けしたのにまた出るとかヤバイでしょ~」
「てゆーかトリスコって性格悪いと思うんだ」
「私もそれ思った。トリスコっていつも男子に媚び売ってるし」
声を出して笑う女子生徒。トリスコを連呼し、日暮をディスる。
水浪や本人が言った通りだ……コケにされまくっている……。しかも性格の悪さに気づかれているし。うわあ。
陰で他人の悪口を言い合い、盛り上がる。やはり女子は恐ろしい生き物だ。うわあぁ……。
「トリスコが出たら優勝出来ると思う?」
「絶対無理でしょ」
女子生徒二人はお喋りを続ける。俺の存在に気づくことなく、大きな声で。
これ以上聞くのはやめておこう。というか聞きたくねー。
カーテン越しに女のドロドロした世界を見せられた俺は体を芋虫にしてシーツの中に潜り込む。
「だよね~。どうせ白土さんの勝ちなのにね」
「白土さんは今年も出るのかな?」
「出るんじゃない?」
けれど声は容赦なく響き、否応なしに聞こえてくる。
気づけば話題はトリスコから白土のことについて変わっていた。
「あーあ、今年も白土さんの圧勝なんだろうな」
「はいはいって感じ?」
女子の一人がかったるそうに声を漏らす。それに対してもう一人の女子も同調した。
「勝って当然みたいな?」
「いいよね。完璧な人って」
「人生勝ち組って感じ」
「何の苦労もなさそう」
……。
「てゆーか先生来ないね」
「立ってるの疲れた。ベッドに寝ようっかなっ」
と、カーテンに映る人影が濃くなった。
「勝手に寝ていいの?」
「いいよいいよ。どうせ誰もいな……」
カーテンが開かれ、目が合う。俺と女子生徒二人の目がバチッと合う。
……ヤベェ、バレた。
「「え……?」」
「……」
声を揃えて固まる女子二人。ちなみに俺も硬直している。
……どうする? どうやって言い逃れを……。
「え、いつからそこに……」
「あー……ていっ」
俺は、自分の腹を殴った。
ぎゅるるぅ。ごぽっごぽっ。
「「ひっ」」
呼応するようにして腹から悍ましい音が轟き、女子生徒がビクッと震える。
なぜ俺は自分の腹を殴ったのか。どんな思考メカニズムでこの選択肢を選んだのか。自分自身でもまるで分からない。
でもやってしまった以上、後戻りは出来ない。
俺はもう一度、腹を殴る。
ぎゅるるぅ! ごぽごぼぼっ!
「「え……え、え……」」
ぎゅるるるぅ! ごぽぽぽぽぉ!
「「き……きゃああぁあ!?」」
女子二人は顔を引きつらせ、逃げていく。悲鳴が残響して保健室内にこだまする。
……まあ、結果オーライってやつ?
取り戻した静穏の中、俺は腹をさすり、ベッドに倒れ込んで白目を剥いた。




