第9話 北門の荷車渋滞
「鈴花さまー! 孟家の輿が見えましたー!」
門の上の物見台から、小満の声が降ってくる。
三日後の昼、北門の外の坂道に、立派な輿が姿を見せていた。
孟家の当主、文英さまのお父上の輿で、先頭では家令の汪どのが、今日も汗をぬぐっている。
二日前、私はあの銀の箱を、代わりの者のお話ごと汪どのに突き返した。
壺の銀は三百両のままで、私の退職の近道は、きれいさっぱり消えている。
そして今日、陛下が孟家の願いに返事をする。
願いの中身は、「病の娘を、家に下がらせたい」。
文英さまの声は雷みたいに大きいのに、願いの紙の上では、立派な病人なのである。
陛下には「断る筋が、ない」。このまま何もしなければ、願いは通って、文英さまは塩の商人の四人目の奥方だ。
段取りは組んだ。
あとは、陛下が黙っていられるかどうかだ。
……黙っていられるかな、あの陛下?
「東から、炭も来ましたー! 西から、米もー!」
東の道からは炭の荷車が十台、西の道からは米の荷車が十二台、どちらも輿がのぼってくる南の坂へ、まっすぐ流れこんでくる。
冬支度の荷車を、どの刻に北門へ着けるか。
割り振ったのは、荷造り係の私である。
全部、同じ刻に!
◇
まず、牛が止まった。
炭を引いた牛が輿の真ん前でどっかりと座りこみ、尻尾で汪どのの顔をはたく。
「ど、どきなさい! どきなさい、牛!」
牛に「どきなさい」って、通じると思います?
次に、坂の上の炭の荷車が、ずるずると後ろへ下がりはじめた。
担ぎ手たちが悲鳴を上げて、輿ごと右へよける。
右には、米の荷車が待っていた。
ごろん、と米俵がひとつ転げ落ちて、坂を下っていく先にいるのは、汪どのだ。
「なぜ、わたくしのほうへ!」
本当に、なぜ汪どのを選ぶの?
米俵は汪どのを追いかけるように転がり、汪どのを牛のお腹に押しつけたところで、やっと止まった。
挟まった。家令が、牛と米俵のあいだに、きれいに挟まった。
荷車は一台残らず、私が割り振った刻ぴったりに着いている。……正確すぎない? 私の割り振り。
北門の前には、荷車と牛と米俵がぎっしり詰まって、輿の通れるすき間なんて、もうどこにもない。
「に、荷造り係どの! この輿を通しなさい! 当主さまのお迎えですぞ!」
「その入口も、不採用です」
牛が、もう一度尻尾を振った。
やがて、輿の簾がぱさりと上がる。
降りてきたのは、ひげの白い、重々しいお顔の殿方で、文英さまのお父上だ。
お父上は袖をからげて、米俵と牛のあいだを、ひとりで歩きだした。
名家の当主が、担がれずに、自分の足で北門まで来る。
担ぎ手も、牛飼いも、門番も、手を止めて、その当主の歩くのを見ている。
◇
炭の荷車の山のいちばん上に、白い粉まみれの嬪が立っていた。
文英さまだ。
門の前でいちばん高い所になるように、あの山は私が組ませた。
「父上!」
雷みたいな声に、担ぎ手も、門番も、米俵の汪どのも、いっせいに荷車の上を見上げた。
「私は、帰りません! ここで、教えます!」
荷車の陰から、宮女たちの顔がひとつ、またひとつとのぞいた。
夜の空き部屋の生徒たちで、墨の指をした桃さんも、その中にいる。
桃さんは、一枚の紙を、胸の前で高く掲げた。
たどたどしい字で、「来年の春」。
お父上は、娘と紙を、しばらく見上げていた。
「……病は、どうした」
「病など、ありません!」
お父上の眉が、ぐっと寄る。
「陛下のお返事は、まだだ。陛下が、お前を下がらせるとおっしゃれば、それまでのこと」
そう、今日の勝負はそこなのだ。
「陛下、お着きでーす!」
北門の内側から、小満の声が飛んでくる。
荷車が全部止まったら、陛下を呼んでくること。今日の小満の仕事は、それだけだった。
門の内から出てきた陛下は、平服ではなく、皇帝の衣をまとっている。
担ぎ手も門番も、米俵に挟まった汪どのまで、その場であわてて平伏する。
陛下は文英さまの荷車の前まで来て、口を開きかけた。
待って、陛下。
献上茶の日も、観星台の夜も、私の段取りを壊したのは陛下ですよね?
お願いだから、今日だけは!
陛下は、口を閉じた。
私の段取りの一行目は、「陛下は、黙って立っていてください」だった。
陛下が「却下」と言えば、皇帝が親から娘を取り上げたことになるので、帰らないと言うのは、文英さま本人でなければいけないのだ。
陛下は何も言わずに、荷車の山の下、文英さまの隣に立った。
そのまま、一歩も動かない。
お父上は陛下と娘を見比べて、それから、ゆっくりと膝をついた。
「……娘は、病ではなかったようでございます。願いは、取り下げさせていただきます」
荷車の陰で、誰かがささやく。
「陛下が、手放さなかった嬪だって」
立ち上がったお父上の背中は、来たときより、少しまっすぐに見えた。
これで、文英さまは後宮に残る。
銀の箱を突き返した私も、この冬は、どうやら残ることになりそうだ。
◇
荷車から下りた文英さまが、隣の陛下の顔を、まじまじと見上げる。
「……あの。どこかで、お会いしましたか」
「三日前に、丸をもらった」
陛下の手の甲には、白い丸が、まだうっすら残っていた。
三日も、どうやって残したんですか、それ!?
文英さまの顔から、すうっと血の気が引いていく。
「ね、寝込みます……」
文英さまは米俵の上にへなへなと座りこみ、三日前に私が思ったとおり、今度こそ本当に寝込んだ。
あの陛下が、私の段取りを、一つも壊さなかった。
その陛下が米俵のあいだを戻ってきて、私の横を通りすぎるとき、小さな声で言った。
「今日の段取りは、うまかった」
何か言おうとして、私は口を開けて、それから閉じた。
陛下の背中が門の内へ消えるまで、私は炭の荷車の横で、黙って突っ立っていた。
「鈴花さまー! 陛下、いま何て言ったんですかー!? あっ、鈴花さま、顔が真っ赤です!」
「赤くない! 炭で黒いだけ!」




