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ライブは順調に進み、あっという間に後半戦。
ここから、東京公演ならではの演出が始まる。
ミルスタの三人が気球に乗り、会場内を巡回しながら歌うのだ。
その間、ステージには再びキャンスプが立ち、ミルスタの関連グッズをばら撒くという流れになっている。ちなみに、その関連グッズは玲たちをモチーフにした、小さなぬいぐるみなのだが、すべてサナがデザインしたらしい。
あいつ、ほんと万能だな……。そんなふうに考えた途端、脳裏にサナのドヤ顔が浮かび、なんだかムカついた。
ステージ裏では、気球を動かすために、スタッフが準備を進めていた。
人口密度が上がってきたため、宇佐森さんと一旦退散しようとしたそのとき――――。
「何ボサッとしてんの!」
「え?」
突然、スタッフのひとりに手を引かれ、俺はずるずると引きずられていく。
「あ、兄貴――――わぷっ⁉」
人の波に飲み込まれ、小柄な宇佐森さんが流されていくのが見えた。
呆気に取られている間に、俺は気球のそばに立っていた。
手には、気球を引っ張るためのロープがある。
玲たちを飛ばす気球は、ただその場で浮かぶことしかできないため、こうして地上から引っ張って誘導する必要があるのだ。
当然、この役割を担当するスタッフは、前もって決まっていたはず。一体、今どこで何をしているのだろう……。
俺の担当ではないことを伝えようにも、周りのスタッフは真剣な様子で各々作業しており、とても今更声をかけられる状況じゃない。
「あれ?」
気球に乗っていた玲が、俺の存在に気づく。
しかし、時すでに遅し。気球は地上を離れ、高く浮かび上がってしまった。
「行きます!」
スタッフの号令と共に、気球が進み出す。
幸い、気球ひとつあたり、四人で引っ張ることになっている。
巡回するコースは頭に入っているし、彼らについていけば、少なくとも足を引っ張ることはないだろう。
観客の上空を飛ぶように気球を動かす都合上、それを引っ張る者は、観客のそばを歩くことになる。
気球を見上げ、精一杯手を振るファンの姿が、すぐそこにある。
誰もが目を輝かせ、懸命にその興奮を伝えようとしていた。
この場にいる幸せを噛みしめている彼らを見て、気づいたときには、俺も笑みを浮かべていた。
一日目が終わると、気球のスタッフから平謝りされた。
無事に終わった今となっては、笑い話である。それに、こんな貴重な体験は滅多にできないことだ。
そして、二日目も無事に終わり、ミルスタの全国ツアーは、晴れて全日程を終えた。
最後のアンコールが終わったときは、ツアー中の思い出が怒涛のように溢れ出し、達成感と寂しさで、思いがけず涙が滲んだ。
自分にもこんな感情が残っていたのかと、少し恥ずかしくなった。
長いようで、あっという間だった。
この夏のことは、きっとこの先も、忘れることはないだろう。
「気持ちよさそうに寝てんなぁ」
バックミラーには、安らかな寝息を立てる三人の姿が映っていた。
最後の公演が終わり、安心と疲れからか、車に乗った途端にこの状態である。
心の底から、お疲れ様と声をかけたい。家についたら、いち早く言おう。
「兄貴、ありがとな」
前を向いたまま、宇佐森さんがしみじみと言う。
「兄貴がいたから、アタシは最後までお嬢たちを支えられたんだ」
「そうかな?」
「そうだよ」
宇佐森さんは、ケラケラと笑った。
ただ、やはり俺は特別なことは何もしていないと思う。
聞いていた以上に、宇佐森さんは優秀な人だった。俺のサポートなんて、ほとんど必要なかったはずだ。
まあ、忘れ物や、ちょっとした失敗はあったけど。しかし、その程度のミスはいくらでも取り返しがつくものだろう。
「先輩から聞いたんだけどさ、以前のツアーじゃ、お嬢たちもピリピリする瞬間があったんだって。まあ、ずーっと忙しくて気が休まらないわけだから、そりゃストレスも溜まるよな」
正直、意外だった。
玲たちなら、どんなときでもプロ意識を持って、常に前向きで、おおらかに過ごしていると思っていた。
「先輩のときは、そんなお嬢たちを宥めたり、息抜きさせたり、色々気を遣ってたみたいなんだ。だから……アタシに同じことができるのかって、結構不安だったんだよ」
でも――――。
宇佐森さんは、言葉を続けた。
「今回のツアーじゃ、アタシが気を遣う必要なんてないくらい、お嬢たちはずっと楽しそうだった。その様子を見て、全部兄貴のおかげなんだって分かったよ」
「……そうか」
気恥ずかしくなって、上手く言葉を返せなかった。
「アタシが言うのも変だけどさ……お嬢たちのこと、これからも大事にしてやってくれよ」
「ああ、もちろんだ」
もう一度、バックミラー越しに三人を見る。
これからも、彼女たちを支えていこう。
力の限り、生きている限り――――。




