86-1 東京
今日、俺たちはついに東京へと帰る。
長かったような、短かったような。まだツアーは終わっていないのに、どこか気が抜けてしまいそうになる。
「うっ……気持ち悪い……タクシー、もう着くかな……」
「あと十分くらいで来るってよ。玲たちにも連絡しておいた」
「うぅ、恩にきる……」
今日は、タクシーでホテルから空港へ移動する。レンタカーを昨日返したからというのもあるが、もうひとつの理由はお察しの通りである。
「はあ……あだまいだい……」
ベッドに腰掛けている宇佐森さんの顔は、真っ青になっていた。
一応、身だしなみは整えてあり、いつでも出発できる状態になっている。
それにしても、酒臭い。あれから飲み明かしたようだ。
「……ほら、とりあえずこれ飲め」
こんなこともあろうかと、スープジャーにしじみの味噌汁を用意してきた。
二日酔いには、これがよく効くらしい。
「あ、ありがと兄貴……」
味噌汁をすすった宇佐森さんは、ほうと息を漏らした。
「あぁ~……しみるぅ……」
「そりゃよかったよ」
「……ありがとな、兄貴」
宇佐森さんは、俺に向かって深々と頭を下げた。
「別に、そんな感謝されるようなことじゃ……」
「違う違う、昨日のことだよ。兄貴が勇気づけてくれたおかげで、アタシはあいつらと顔を合わすことができたから」
「……そんな大それたことはしてねぇよ」
「いーや! 兄貴のおかげだね!」
宇佐森さんはしてやったりといった表情を浮かべた。
結局は、全部ミルスタのおかげ。そう言おうとしたが、まあいいか。
「忘れ物ないか?」
「おう!」
「よし行くか」
そうして俺たちは、部屋をあとにした。
◇◆◇
「せんぱーい!」
東京のホテルに着くと、サナが手を振りながら駆け寄ってきた。
相変わらず、無駄に元気そうである。
「おかえりなさい! ハーレムツアー……じゃなかった、全国ツアーはどうでしたか⁉」
そして、相変わらず無駄にウザい。
「あたしたちなら楽勝よ。ファイナルも、ばっちり決めてやるわ」
「さっすがカノン先輩! かっけぇ~」
サナにおだてられて、カノンの鼻がどんどん高くなっていく。
そもそも、何故サナがここにいるのか。
実は、東京公演の前座として、キャンスプが出演することになっているのだ。
ミルスタとキャンスプのような姉妹グループの場合、よくあることらしい。というわけで、今日からサナも同じホテルに泊まっているのである。
「サナ、お土産買ってきたよ」
「え⁉ ほんとですか⁉」
「あまおうのお菓子。あとでみんなと分けてね」
「うひょー! ありがとうございます!」
ミアから紙袋を受け取ったサナは、その場でクルクルと回る。
こんなに喜んでくれると、用意した甲斐もあるってものだ。
「あ、りんたろう先輩からは、何かないんですか?」
ズイッと近づいてきたサナに、俺は鞄から取り出したおにぎりを押しつける。
「これでも食ってろ」
「はて、これは?」
「明太子おにぎりだ」
出発前に、飛行機で食べるために作っておいたものだ。
宇佐森さんが二日酔いであまり食べられなかったため、余ってしまったのである。
さすがにがっかりするかと思いきや、サナは感動した様子でおにぎりを掲げた。
「やったー! 久しぶりの先輩のご飯だ!」
飛び跳ねるように喜ぶサナに、俺は呆れ気味にため息をつく。
さすがの後輩力。こういう可愛いところがあるから、憎めない。
「――――こら、ロビーで騒がないよ」
そんなお叱りの言葉と共に、黒髪の女性が現れた。
宇佐森さんはハッとして、慌ててその女性に駆け寄っていく。
「お、おはようございます! 並川先輩!」
「おはよう。ツアーの同行、お疲れ様。大変だったでしょ? 任せちゃってごめんなさいね」
「いえ! みなさんよくしてくれましたから!」
宇佐森さんの髪が、嬉しそうに揺れる。
並川と呼ばれた女性は、そんな宇佐森さんを微笑ましそうに見つめていた。
いつの間にか隣にいた玲が、俺に耳打ちする。
「あの人は、並川紫さん。私たちの前のマネージャー」
「ああ、なるほど」
この並川さんこそ、デビュー当時からミルスタを支え続けた敏腕マネージャー。
なるほど、いかにも優秀そうだ。
「おっと、君が志藤君だね」
俺に気づいた並川さんが、わざわざ名刺を手渡してくれた。
「初めまして、並川紫です。宇佐森のサポートありがとうね」
「志藤凛太郎です。僕も、貴重な経験ができて光栄です」
「そう言ってくれると助かるよ。この子、優秀なんだけど、油断するとすぐにドジっちゃうからさ。君がいてくれて、すごく助かったと思う」
隣で聞いていた宇佐森さんは、恥ずかしそうにしながらも、コクコクと頷いた。
大したことはしていないのに、こんなに感謝されると、なんだか照れ臭い。
「三人もお疲れ様。東京公演、最後まで頑張ろうね」
「「「はい!」」」
玲たちは、姿勢を正した。
並川さんが担当だったときは、ずっとこういう雰囲気だったのだろう。三人が、しっかり者になるわけである。
「今日はゆっくり休みなさい。明日からまた、忙しくなるからね」
そう言って去ろうとした並川さんだったが、何かを思い出した様子で、俺の肩を叩いた。
「志藤君、ちょっと」
「……?」
俺を彼女たちから離れたところまで連れていくと、並川さんは小声で話し始めた。
「あの子たちと仲良いのは大変結構なんだけどね……くれぐれも、スキャンダルにだけは気をつけて」
「ぶっ」
噴き出しそうになり、とっさに口を押さえる。
真面目な顔をして、この人はいきなり何を言い出すのだ。
「私が担当だった頃から、三人とも君の話ばっかりで……。内心、ずっと心配だったのよ」
「そ、それは失礼しました」
どうして謝っているのかもよく分からないまま、俺は頭を下げた。
「話を聞く限り、君なら大丈夫だって信じてるけどね。いつも、あの子たちを支えてくれて、本当にありがとう。君のおかげで、あの子たちはますます輝くようになった」
「……こちらこそ、あいつらには助けられてますから」
並川さんは、ふっと笑って、俺の肩を叩いた。
「どうしても感謝を直接伝えたかったの。ごめんね、時間もらっちゃって」
「いえ、僕も話せてよかったです」
「でも、くれぐれもスキャンダルは――――」
「それはさっき聞きました」
並川さんが、手をひらひらさせながら去っていく。
かっこいい大人かと思ったら、ちょっと変な人だったな。




