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81-3

 市場の近くにある定食屋に入ると、魅力的なお品書きが並んでいた。


「くぅ……迷うわねぇ」


 カノンが眉間にしわを寄せる。

 サーモン丼、ウニ丼、イクラ丼――――どれも美味そうだ。

 お任せ海鮮丼もいいな。地元の人に選んでもらうのであれば、間違いはないはずだ。


「私はサーモン丼にします!」

「そういえば葵ちゃん、サーモンが大好物なんだっけ」

「はいっ!」


 宇佐森さんは、笑顔で大きく頷いた。

 だからこの前、鮭おにぎりにやたら喜んでいたのか。今度また、作ってあげよう。


「お前らはどうするんだ?」

「ボクはウニ丼とお任せかな」

「私は、イクラ丼とお任せにする」

「あたしもそれにしよっと」


 こういうとき、大食いの連中は羨ましい。

 空腹ならまだしも、ジンギスカンもまだ腹の中に残ってるし、かにまんも食べたばかりだ。さすがに二杯は食べられそうにない。


「え……二つずつ頼むんですか?」


 久々に、まともなリアクションをしてくれる人に出会った。

 こいつらといると、自分が小食に思えてくるんだよな。

 結局、俺はお任せ海鮮丼を選んだ。

 しばらくして、注文の海鮮丼が届く。

 カツオ、サーモン、ハマチと並び、中央には宝石のように輝くイクラが、どっさりと載っている。

 こんなに粒が大きなイクラは、なかなかお目にかかれない。

 他の刺身も、とにかく鮮度がいいのか、キラキラと輝いている。


「わお、写真より多くないかな?」


 ミアは、ウニがどんぶりからはみ出しそうになっているのを見て、興奮を隠し切れない様子だ。

 こんな量のウニは、生まれて初めて見たかもしれない。しかも、全体的に色鮮やかで、見るからに新鮮であることが分かる。


「めっちゃ豪華じゃない⁉」

「ん、夢みたい」


 カノンと玲のイクラ丼は、酢飯がイクラで完全に覆い隠されている。

 これはまさに、誰もが思い描く理想のイクラ丼だ。


「サーモンっ……サーモンっ……」


 どんぶりを前にして、宇佐森さんが嬉しそうに揺れている。

 そんなに楽しみだったのか、サーモン尽くし。

 俺は全体的に醤油をかけ、旬のカツオと一緒に酢飯を口に運ぶ。

 歯を押し返してくるような、しっかりとした弾力。ガツンとした濃厚な赤身の旨味。新鮮だからこそ感じる、カツオ本来の爽やかな酸味が鼻へと抜けていった。

 感動してしまうくらい美味い。こんな身が締まったカツオは、初めて食べた。


「このウニ……すっごく味が濃い……! 口の中ですぐとろけちゃったよ」


 ミアは、目を細めて頬を押さえた。

 ほっぺたが落ちるとは、まさにこういうことだろう。


「イクラぷっちぷちなんだけど!」

「すごい、爆発が止まらない」


 玲の例えはふざけているように聞こえるが、実は的を射ている。

 イクラは俺のどんぶりにも載っているから、二人の感想がよく理解できる。


「サーモン! うまい! 口の中で! 溶けた!」


 慌てた様子の宇佐森さんが、何故か片言で叫んだ。

 相当感動しているのだろう。さっきからずっと、体が小刻みに揺れている。


「ねえ、凛太郎君」

「ん?」

「カツオをひと切れもらえないかな。代わりにウニをあげるからさ」


 ありがたい提案だ。

 実のところ、ミアのウニ丼が届いてから、今の今まで気になって仕方なかったのだ。


「いいのか?」

「もちろん」


 カツオを一切れ、ミアのどんぶりに載せる。

 すると、ミアはスプーンでウニをすくい、俺の口元に近づけた。


「はい、あーん」


 刹那、現場に緊張が走る。

 ピンと張り詰めたような空気に、思わず背筋がゾクッとした。


「ミア、一線を越える覚悟はあるのね?」

「血が、流れる」


 カノンと玲が、ギロッとミアを睨む。

 よく分からないが、とてつもなく嫌な予感がする。


「ミ、ミア、ウニはいいや」

「……ちぇ、残念だな」


 ミアは、俺に向けていたスプーンを自分の口に運んだ。

 場の空気が元に戻る。どうやら、危機は去ったらしい。


「ひっ……こ、こえぇ……」


 夢中になってサーモン丼を食べていたはずの宇佐森さんが、子ウサギのように震えていた。

 勝てる気がしないと言っていたのは、どうやら本当のようだ。



 店を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。

 まだホテルには戻らない。あと一か所だけ、行きたいところがあるからだ。


「楽しみだね、札幌の夜景」


 次なる目的地は、札幌市の中央に存在する〝もいわ山〟だ。

 その山頂展望台からは、札幌の美しい夜景が一望できるらしい。

 彼女たちは、それがどうしても見たいそうだ。

 本来なら、早めに休んでほしいところだが、それを伝えたところで、問答無用で却下されるだろう。ここは素直に従っておいたほうがいい。

 もいわ山麓駅に着いたら、ロープウェイで中腹駅へ。そこからは、ケーブルカーで展望台を目指す。


「わぁ……!」


 カノンが目を輝かせながら、感動の声を漏らした。

 展望台から見える景色は、話で聞いていた通り、いや、それ以上の美しさだった。 

 ここで暮らす人々の生活が、色鮮やかに輝いている。まるで、街全体を使ったイルミネーションだ。


「綺麗だね……」

「ん、来てよかった」


 展望台の手すりに並んで、三人はうっとりとしながら、夜景を眺めている。

 その様子を、俺と宇佐森さんは少し後ろから見守っていた。


「……やっぱ、お嬢たちは絵になるなぁ」

「ああ、ほんとにな」


 変装しているとはいえ、彼女たちが醸し出すオーラは、一般人のそれとは異なる。

 立ち姿ひとつ取っても、自然と目を惹くのだ。これが、スターたる者の証明なのだろう。

 この光景を切り取れば、そのままドラマのワンシーンに使えてしまいそうだ。

 夜景だけでも十分美しいが、そこに彼女たちが加わったことで、今ここにある光景は、さらに特別なものとなった。


「……でも、できれば凛太郎と二人で見たかった」


 ふと、玲がそんなことを言い出した。

 再び、空気がピンと張り詰める。


「それはこっちのセリフなんですけど」

「同感だね」


 三人が睨み合いを始めると、宇佐森さんがニヤニヤしながら、三人と俺を交互に見る。


「モテモテだねぇ、兄貴」

「茶化すなよ……」


 そりゃ、彼女たちの気持ちは嬉しいが、頭を悩ませているのも事実なわけで。

 毎日のように、誘惑に耐える身にもなってほしいのだ。


「そうだ、向こうに〝幸せの鐘〟っていうのがあるらしいよ」

「何よそれ」

「恋人の聖地だよ。鐘の周りの手すりに、二人の名前を書いた錠前をつけると、そのカップルは絶対に別れないって伝説があるらしいよ」


 どうにも信じがたい話だ。ただ、こういった言い伝えは、年頃の女子にとっては無視できないものらしい。

 カノンと玲の顔が、一気に真剣なものへと変わった。


「凛太郎、ついてきて」

「……分かったよ」


 有無を言わさぬ態度だった。

 三人に連れられ、鐘の前まで移動する。ミアの言った通り、手すりには名前が書かれた錠前が、たくさんついていた。


「……よく考えてみると、付き合ってないのに錠前をつけていいのかしら」


 カノンが漏らした疑問によって、ミアと玲が固まった。

 確かに、この伝説はカップルに対するものであり、俺たちの関係でも適用されるかは分からない。俺としては、曖昧な部分は自分たちで解釈すればいいと思うのだが、彼女たちにとっては違うようだ。

 三人が三人とも、諦めたようにため息をついた。


「仕方ない、今日のところは引き分けにしておこうか」

「ん……無駄に血を流すことはない」


 どうしてそう物騒な話になるのだ。


――――まあ、揉めないのであれば、なんでもいいか。


「でも、せっかくここまで来たから、鐘は鳴らしたい」

「そうねぇ。じゃあ、みんなで鳴らすのは?」

「おお、たまにはカノンもいいこと言うね」

「たまにはって何よ⁉」


 騒いでいる三人に呆れていると、突然腕を掴まれた。


「凛太郎も」

「……はいはい」


 玲に引っ張られ、鐘を鳴らすための紐を掴む。

 俺に続くようにして、三人も紐を掴んだ。


「ほら、葵ちゃんも来なよ」

「んえ⁉」


 ミアが、宇佐森さんを手招きする。

 宇佐森さんは、何故かその場で躊躇う様子を見せた。


「わ、私が交ざってもいいんでしょうか……?」

「当たり前じゃない! 葵ちゃんは、もうあたしたちの仲間なんだから!」

「……っ! うっす!」


 顔を綻ばせながら、宇佐森さんも紐を掴む。

 紐が揺れ、鐘が鳴る。澄んだ音が、俺たちを包み込む。

 以前の俺であれば、仲間という言葉に気恥ずかしさを覚えていたかもしれない。

 しかし、今の俺は違う。

 胸に灯る温かな喜びを噛みしめながら、今一度鐘を鳴らした。


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