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市場の近くにある定食屋に入ると、魅力的なお品書きが並んでいた。
「くぅ……迷うわねぇ」
カノンが眉間にしわを寄せる。
サーモン丼、ウニ丼、イクラ丼――――どれも美味そうだ。
お任せ海鮮丼もいいな。地元の人に選んでもらうのであれば、間違いはないはずだ。
「私はサーモン丼にします!」
「そういえば葵ちゃん、サーモンが大好物なんだっけ」
「はいっ!」
宇佐森さんは、笑顔で大きく頷いた。
だからこの前、鮭おにぎりにやたら喜んでいたのか。今度また、作ってあげよう。
「お前らはどうするんだ?」
「ボクはウニ丼とお任せかな」
「私は、イクラ丼とお任せにする」
「あたしもそれにしよっと」
こういうとき、大食いの連中は羨ましい。
空腹ならまだしも、ジンギスカンもまだ腹の中に残ってるし、かにまんも食べたばかりだ。さすがに二杯は食べられそうにない。
「え……二つずつ頼むんですか?」
久々に、まともなリアクションをしてくれる人に出会った。
こいつらといると、自分が小食に思えてくるんだよな。
結局、俺はお任せ海鮮丼を選んだ。
しばらくして、注文の海鮮丼が届く。
カツオ、サーモン、ハマチと並び、中央には宝石のように輝くイクラが、どっさりと載っている。
こんなに粒が大きなイクラは、なかなかお目にかかれない。
他の刺身も、とにかく鮮度がいいのか、キラキラと輝いている。
「わお、写真より多くないかな?」
ミアは、ウニがどんぶりからはみ出しそうになっているのを見て、興奮を隠し切れない様子だ。
こんな量のウニは、生まれて初めて見たかもしれない。しかも、全体的に色鮮やかで、見るからに新鮮であることが分かる。
「めっちゃ豪華じゃない⁉」
「ん、夢みたい」
カノンと玲のイクラ丼は、酢飯がイクラで完全に覆い隠されている。
これはまさに、誰もが思い描く理想のイクラ丼だ。
「サーモンっ……サーモンっ……」
どんぶりを前にして、宇佐森さんが嬉しそうに揺れている。
そんなに楽しみだったのか、サーモン尽くし。
俺は全体的に醤油をかけ、旬のカツオと一緒に酢飯を口に運ぶ。
歯を押し返してくるような、しっかりとした弾力。ガツンとした濃厚な赤身の旨味。新鮮だからこそ感じる、カツオ本来の爽やかな酸味が鼻へと抜けていった。
感動してしまうくらい美味い。こんな身が締まったカツオは、初めて食べた。
「このウニ……すっごく味が濃い……! 口の中ですぐとろけちゃったよ」
ミアは、目を細めて頬を押さえた。
ほっぺたが落ちるとは、まさにこういうことだろう。
「イクラぷっちぷちなんだけど!」
「すごい、爆発が止まらない」
玲の例えはふざけているように聞こえるが、実は的を射ている。
イクラは俺のどんぶりにも載っているから、二人の感想がよく理解できる。
「サーモン! うまい! 口の中で! 溶けた!」
慌てた様子の宇佐森さんが、何故か片言で叫んだ。
相当感動しているのだろう。さっきからずっと、体が小刻みに揺れている。
「ねえ、凛太郎君」
「ん?」
「カツオをひと切れもらえないかな。代わりにウニをあげるからさ」
ありがたい提案だ。
実のところ、ミアのウニ丼が届いてから、今の今まで気になって仕方なかったのだ。
「いいのか?」
「もちろん」
カツオを一切れ、ミアのどんぶりに載せる。
すると、ミアはスプーンでウニをすくい、俺の口元に近づけた。
「はい、あーん」
刹那、現場に緊張が走る。
ピンと張り詰めたような空気に、思わず背筋がゾクッとした。
「ミア、一線を越える覚悟はあるのね?」
「血が、流れる」
カノンと玲が、ギロッとミアを睨む。
よく分からないが、とてつもなく嫌な予感がする。
「ミ、ミア、ウニはいいや」
「……ちぇ、残念だな」
ミアは、俺に向けていたスプーンを自分の口に運んだ。
場の空気が元に戻る。どうやら、危機は去ったらしい。
「ひっ……こ、こえぇ……」
夢中になってサーモン丼を食べていたはずの宇佐森さんが、子ウサギのように震えていた。
勝てる気がしないと言っていたのは、どうやら本当のようだ。
店を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
まだホテルには戻らない。あと一か所だけ、行きたいところがあるからだ。
「楽しみだね、札幌の夜景」
次なる目的地は、札幌市の中央に存在する〝もいわ山〟だ。
その山頂展望台からは、札幌の美しい夜景が一望できるらしい。
彼女たちは、それがどうしても見たいそうだ。
本来なら、早めに休んでほしいところだが、それを伝えたところで、問答無用で却下されるだろう。ここは素直に従っておいたほうがいい。
もいわ山麓駅に着いたら、ロープウェイで中腹駅へ。そこからは、ケーブルカーで展望台を目指す。
「わぁ……!」
カノンが目を輝かせながら、感動の声を漏らした。
展望台から見える景色は、話で聞いていた通り、いや、それ以上の美しさだった。
ここで暮らす人々の生活が、色鮮やかに輝いている。まるで、街全体を使ったイルミネーションだ。
「綺麗だね……」
「ん、来てよかった」
展望台の手すりに並んで、三人はうっとりとしながら、夜景を眺めている。
その様子を、俺と宇佐森さんは少し後ろから見守っていた。
「……やっぱ、お嬢たちは絵になるなぁ」
「ああ、ほんとにな」
変装しているとはいえ、彼女たちが醸し出すオーラは、一般人のそれとは異なる。
立ち姿ひとつ取っても、自然と目を惹くのだ。これが、スターたる者の証明なのだろう。
この光景を切り取れば、そのままドラマのワンシーンに使えてしまいそうだ。
夜景だけでも十分美しいが、そこに彼女たちが加わったことで、今ここにある光景は、さらに特別なものとなった。
「……でも、できれば凛太郎と二人で見たかった」
ふと、玲がそんなことを言い出した。
再び、空気がピンと張り詰める。
「それはこっちのセリフなんですけど」
「同感だね」
三人が睨み合いを始めると、宇佐森さんがニヤニヤしながら、三人と俺を交互に見る。
「モテモテだねぇ、兄貴」
「茶化すなよ……」
そりゃ、彼女たちの気持ちは嬉しいが、頭を悩ませているのも事実なわけで。
毎日のように、誘惑に耐える身にもなってほしいのだ。
「そうだ、向こうに〝幸せの鐘〟っていうのがあるらしいよ」
「何よそれ」
「恋人の聖地だよ。鐘の周りの手すりに、二人の名前を書いた錠前をつけると、そのカップルは絶対に別れないって伝説があるらしいよ」
どうにも信じがたい話だ。ただ、こういった言い伝えは、年頃の女子にとっては無視できないものらしい。
カノンと玲の顔が、一気に真剣なものへと変わった。
「凛太郎、ついてきて」
「……分かったよ」
有無を言わさぬ態度だった。
三人に連れられ、鐘の前まで移動する。ミアの言った通り、手すりには名前が書かれた錠前が、たくさんついていた。
「……よく考えてみると、付き合ってないのに錠前をつけていいのかしら」
カノンが漏らした疑問によって、ミアと玲が固まった。
確かに、この伝説はカップルに対するものであり、俺たちの関係でも適用されるかは分からない。俺としては、曖昧な部分は自分たちで解釈すればいいと思うのだが、彼女たちにとっては違うようだ。
三人が三人とも、諦めたようにため息をついた。
「仕方ない、今日のところは引き分けにしておこうか」
「ん……無駄に血を流すことはない」
どうしてそう物騒な話になるのだ。
――――まあ、揉めないのであれば、なんでもいいか。
「でも、せっかくここまで来たから、鐘は鳴らしたい」
「そうねぇ。じゃあ、みんなで鳴らすのは?」
「おお、たまにはカノンもいいこと言うね」
「たまにはって何よ⁉」
騒いでいる三人に呆れていると、突然腕を掴まれた。
「凛太郎も」
「……はいはい」
玲に引っ張られ、鐘を鳴らすための紐を掴む。
俺に続くようにして、三人も紐を掴んだ。
「ほら、葵ちゃんも来なよ」
「んえ⁉」
ミアが、宇佐森さんを手招きする。
宇佐森さんは、何故かその場で躊躇う様子を見せた。
「わ、私が交ざってもいいんでしょうか……?」
「当たり前じゃない! 葵ちゃんは、もうあたしたちの仲間なんだから!」
「……っ! うっす!」
顔を綻ばせながら、宇佐森さんも紐を掴む。
紐が揺れ、鐘が鳴る。澄んだ音が、俺たちを包み込む。
以前の俺であれば、仲間という言葉に気恥ずかしさを覚えていたかもしれない。
しかし、今の俺は違う。
胸に灯る温かな喜びを噛みしめながら、今一度鐘を鳴らした。




