78-2
気まずさを覚えた俺は、掃除機を手に取った。
「じゃあ、とりあえず掃除から始めます」
「あ、はい!」
少し驚いた様子の宇佐森さんを引き連れ、二階へと上がる。
まずは玲の部屋に入り、いくつか散らばったゴミを集める。
そして、全体的に掃除機をかけて、玲の部屋は終了。
「もしかして、全員分の部屋を掃除してるんですか……?」
「え? ああ、はい」
「毎日?」
「はい」
宇佐森さんが、あんぐりと口を開く。
どうしてこんなに驚いているのだろう。
もしや――――年頃の女子、しかも大人気アイドルの部屋を、男である俺が掃除しているという状況が、大人として心配なのかもしれない。
「一応、見られたくないものがあれば、あらかじめ片付けてもらうように言ってますから」
「い、いや、そういうことじゃなくて……志藤さんって、学生ですよね? 忙しくないんですか?」
「暇ってほどじゃないですけど、家事をこなすくらいの時間はありますよ」
「まさか、これから他の場所も掃除するんですか⁉」
「もちろん」
家全体を清潔に保つことが、俺の役割のひとつだ。
そりゃ、一日二日程度であれば、掃除しない日だってあるが、基本的には毎日やる。
そのほうが、俺を含めた全員が、気分よく過ごせるからだ。
「それが終わったら、洗濯機を回して、その間に飯を作ります。今日はあいつらがいないんで、簡単なものになりますけど」
「――――すごか女子力やね……自分なんか……」
「え?」
「あ! な、なんでもないです!」
今、聞き馴染みのない言葉が聞こえたような。いや、気のせいか?
「じゃあ、少し待っていてもらえますか? サッと掃除しちゃうんで」
「あの、何か手伝えることとか……」
「いやいや、お客さんなんですから」
「いやいや! 今日はご指導いただくためにここに来たんですから、なんなりとお申し付けを!」
気合いのこもった顔を近づけられ、思わず後ずさりする。
確かに、仕事で来てもらってるのに、手持ち無沙汰にしてしまうのも申し訳ないか。
「じゃあ、洗濯機を回してくれますか? 洗濯物は近くのかごに入ってるので」
「分かりました! 任せてください!」
軽やかに駆けていく宇佐森さんを見送り、俺はカノンの部屋に入った。
このときの俺は、とても重要なことを失念していた。
宇佐森さんには、若干抜けているところがある――――ということを。
カノンの部屋から出た途端、宇佐森さんが階段を駆け上がってきた。
「し、志藤さん! エラーが! エラーが出ました!」
「エラー?」
俺は宇佐森さんについて、洗濯機のもとへ向かう。
彼女の言う通り、洗濯機にはエラーと表示されていた。
俺は元栓を確認して、つまみを捻る。
洗濯開始のスイッチを押し直すと、水が流れ込む音がして、洗濯機が動き出した。
「あっ」
宇佐森さんは頭を抱えながら、膝をつく。小さな体が、更に小さくなっていった。
「よ、よくあることですから」
「ごめんなさい!」
「い、いえいえ……」
宇佐森さんが、床に擦りつける勢いで、頭を下げる。
この様子、傍から見たら、完全に俺がヤバいやつに見えるんだろうな……。
どうしたものかと考えていると、彼女のもみあげの辺りに、金色に輝く〝何か〟が見えた。
「ん……?」
「あの!」
俺の疑問を吹き飛ばすかのように、宇佐森さんがガバッと顔を上げる。
「なにか……何か、他にできることはないですか⁉」
「え? でも……」
「お願いします! 名誉挽回のチャンスをください!」
大したミスでもないというか、そもそもこのくらいのうっかりは、誰にだってあると思うのだが、宇佐森さんは必死な顔をしていた。
「じゃあ、鍋でお湯を沸かしておいてもらえますか? お昼はパスタにするつもりなので」
「うっす!」
やけに体育会系の返事をして、宇佐森さんはキッチンへと駆けていった。
抜けているとはいえど、お湯を沸かすのに失敗することはないだろう。
ミアの部屋に向かって、片付けを再開する。その間、宇佐森さんから助けを求められることはなかった。
安心しながら階段を下りると、そこにはジッと鍋の前で待つ宇佐森さんの姿があった。何故か、祈るように手を組んでいる。
「……もしかして、ずっと鍋の前に?」
「あ、はい! 吹きこぼれたら大変なので!」
眩しいくらいの笑みを向けられ、思わず目を細めた。
吹きこぼれを防いでくれるのはありがたいが、まさか微動だにせず監視していたとは。
薄々感じてはいたが、この人、ちょっと変かもしれない。
しかし、ちょっと変なくらいであれば問題ない。ちょうど最近、変の代表ともいえる後輩と仲良くなったばかりだ。
「助かります。じゃあ、今からパスタ作りますね。苦手なものとかないですか?」
「え、も、もしかして、私の分も?」
きょとんとしている宇佐森さんの腹が、くぅ、と可愛らしく鳴いた。
彼女は恥ずかしそうに腹を押さえ、チラリと俺の顔色を窺った。
その様子に、思わず笑みを漏らす。
「もちろん。遠慮せずに食べていってください」
「やった……! あっ、そしたら、私にも何か手伝わせてください! タダ飯を食らうわけにはいきません!」
俺は言葉に詰まる。
果たして、宇佐森さんに料理を任せて大丈夫なのだろうか?
不安でしかないが、彼女はやけに押しが強いため、断るのにも苦労しそうな予感がする。
ここは一度、やらせてから考えよう。怪我だけはしないよう、俺が近くで見ていればいい。
「分かりました。じゃあ、ペペロンチーノを作るんで、ニンニクを切ってもらっていいですか?」
「任せてください!」
そう言って、宇佐森さんは「うっす!」と気合いを入れた。
さて、ペペロンチーノの作り方だが、まずはニンニクを薄切りにし、オリーブオイルを引いたフライパンでじっくり火を通す。
このとき意識することは、ニンニクの香りをオリーブオイルにしっかりと移すこと。
ニンニクがきつね色になってきたら、唐辛子を入れる。唐辛子は、切り方や入れるタイミングで辛さが変わるため、好みに合わせて調節する。
ここまで進める間に、沸かしたお湯でパスタを茹でておく。
お湯には、水の重さに対して一パーセントの塩を入れる。
パスタが茹で上がったら、軽く熱したフライパンの上で、作っておいたオイルと混ぜ合わせる。
このとき、パスタの茹で汁を少し加え、少し汁気が飛んだら、皿に盛りつけ、パセリを散らして完成だ。
というわけで、まずはニンニクを薄切りにする必要があるのだが――――。
宇佐森さんは、ニンニクの皮を無理やり剥いて、おぼつかない手つきで包丁を入れ始める。
誰がどう見ても危なっかしいと感じるだろう。今にも指を切りそうで、ハラハラしてしまう。
「くっ……このっ……」
険しい顔をしながら、宇佐森さんは包丁を強く握りしめている。
この持ち方は危険だ。俺が注意しようとすると、宇佐森さんは突然天を仰いだ。
「だぁー! せからしかぁ!」
宇佐森さんは、自分の髪を鷲掴みにして、床に放り投げた。
黒髪の下から現れたのは、くすんだ金髪だった。頭頂部は黒色が覗いており、いわゆるプリン頭というやつだろう。
「これでやっと集中でくるばい……!」
ニッと笑った宇佐森さんは、再びニンニクを切り始める。
驚きすぎて、俺は言葉を失っていた。




