アヒルと白鳥のラプソディー
「……!な、なんだ……?」
「う、歌だ!歌が聞こえるぞ……!!」
コルネシアの民が騒ぎだす。
奈都の歌声は、コルネシアにまで届いていた。
「何!?歌声だと……!?」
「これは……まさか……」
「…………」
コルネシア城の、地下深い一室。
眠っていたミラは、目を覚ました。
「……なに?」
城内がやけに騒がしい。
誰かが叫んでいる。
「…………」
ミラは両手で耳を塞いだ。
それから目を閉じ、音の無い暗闇を作る。
「…………」
何も見たくない。
聞きたくない。
ぎゅっと、体を縮こませる。
現実は絶望という深い闇が待ち構えている。
思い出したくないから、心を閉じた。
でも、体の震えは止まらない。
「…………っ、寒い……」
胸のなか。何かを繋ぎ止めていた糸が、切れてしまったからなのか。
「寒い……寒いよ……」
カタカタと、部屋の隅で震えるミラに。
歌声が、届いた。
「ーーーーー」
「!こ、これ……」
ミラは気付いた。
「これは……お姉ちゃんの、声……?」
いつか聞いた。あの、歌声。
いつか体の震えは止まっていた。
奈都の声が胸のなかをとくとくと満たしていく。
じわりじわりと染み入るように。あたたかいものが、注ぎ込まれる。
「お姉ちゃん……」
ピシ……
ミラの首輪に、亀裂が走った。
「お姉ちゃんが、歌ってる……」
ピシ……
ピシリ……
「……歌ってるんだ!」
カシャン……!
砕けた首輪が、音をたてて床に落ちた。
「ああ……!」
お姉ちゃん!
お姉ちゃん!
お姉ちゃんだ……!
ミラは部屋を飛び出した。
足元に朽ち落ちたその枷を蹴って、走り出す。
「お姉ちゃん!!」
「ーーーーー」
奈都の歌声が、響く。
「なっちゃん……!」
ハルの胸のなかに、何か重たいものが沸き上がる。
音が溢れてくる。
奈都の歌声を求めて暴れだすように。
「ああ……これは……」
忘れていた。
ずっと、閉じ込めていた、こと。
奈都と弾いたピアノ。でたらめな、歌。
「ずっと、見えていなかった……」
その、音色。
「一緒に歌おう、ハル!」
奈都の歌声。
眩しい。なんて、眩しいんだろう。
「……うん!」
なっちゃん!
「「ーーーーーー」」
重なる。
二人の、歌声。
ぶつかり合う心が紡ぎ出すメロディー。
その、音のひとつひとつ。
情景。脳に貼り付く色、光と影の感触。分離と調和を繰り返す、その何か。そういうものを、乗せていく。組み立て、重ね、崩して、繋ぐ。そうして、旋律は、出来上がる。
「そう」
「まるで……」
世界を作っているようじゃないか。
「ふふ……」
ハルが、笑った。
「ハル……」
音符の海の中を歌声が泳ぐ。それは、人間の、生命の音。
力強く跳ねる奈都の声が。
柔らかく流れる、ハルの旋律を泳いでいく。
「わたしの音が、なっちゃんの声を、追いかけていく」
「私の声が、ハルの作る音に包まれていく」
「なっちゃん」
「ああ……」
「やっと……」
交じり合うんだね。
空を見上げたアヒルと、
ぬくもりを求めた白鳥が、今。
「世界を変えよう!」
「切り開こう!わたしたちの、歌で!」
ふたりの心が共に奏でるラプソディーは。
世界を、明るく照らし出す。
「ああ……」
「なんと……なんと……」
人々は皆、空を見上げていた。
「なんと……美しい……」
二人の光の渦が、絡み合いながら暗く淀んだ空へと昇っていく。
「ハル」
「なっちゃん……」
「……私にも、少しだけ見えたよ。ハルの、見ていたもの」
「…………」
暗くて、寒くて。苦しくて。怖い。
「でも」
「…………」
「美しいと、思った」
「ああ……」
ハルの目に、涙が伝う。
「ハル」
私とお前が違うように。
人と人の間には、どうしても越えられない隔たりがある。
どうしても分かり合えない、壁がある。
「それは悲しくて、寂しくて。虚しくて、憎らしくて」
そして。
「愛おしいんだよ」
そう。
ハルと、私。
ミラや、コーサ。
今まで触れ合ってきた、全ての人たち。
「……そして、イサも」
違うからこそ、交わりたいと思う。
違うからこそ、分かち合いたいと思うんだ。
「なっちゃん……」
光は、輝きを増して。
空から、降り注いだ。
カシャン……
「!首輪が……!」
人々の首にはめられた輪が、次々に音をたてて砕け落ちた。
「!これは……」
「!?」
「ーーーーー」
「!」
新たな歌声に、皆が振り向く。
ミラが、空に向かって歌っていた。
「ーーーー」
それは聖女の、ぴたりと揃った歌とは違う。
不器用で、不安定で。
……でも、愛らしい。
それはまさしく。あどけない少女の、歌声だ。
「ーーーーー」
ミラに続いて、歌い出す。
「ーーーーー」
ひとり、また、ひとり。
歌声が重なって、増えていく。
それは、解き放たれた人々の、喜びの歌声だ。
それぞれ違う、歪な歌声。
けれど、力強い。
「……ハル」
「うん」
確かに。
生きることは、決して、容易いことじゃない。
ハルにも。私にも。
孤独や苦痛はすぐそばに、ある。
「……これからも。たくさん、つらいことがあるだろう。泣きたくなったり、捨てて、逃げだしたくなったり、するだろう」
世界は恐怖と苦しみに満ち満ちている。
……でも。
「でもさ、ハル」
それでも。
「世界はきっと……本当は、あたたかくて、やさしい、ものなんだよ」
「!」
「……私は、そう、思う」
そう言って、奈都は、ニッと笑った。
そう。
世界は、優しい。
だからさ。ハル。
これからもっと、たくさん話をしよう。
ハルの感じたこと、思ったこと、聞かせてほしい。
私の話も、聞いてくれるか?
楽しかったことや、悲しかったこと。
美しいと思ったこと。その時の、色や匂い。
また、雨の音を聞きながら、音を奏でよう。
色彩に溢れた世界を、一緒に歌おう。
「なあ。ハルには、どう見えてんだ?」
奈都が尋ねる。
「見える?」
「そ。この、世界」
今。
お前は、何が、見えている?
「たくさんの……」
「…………」
「たくさんの、色や、光が……」
弾けて、溶けて、交じり合い。
「眩しくて……」
ハルは、目を細めた。
「目が、痛いくらい」
美しい。
ハルは手の中の歪な紙の花を見て、そっと微笑んだ。
アヒルと白鳥のラプソディー 完




