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7話 元婚約者の存在

「兄上、次は彼女を俺に譲ってくれないか?」


振り返るとそこにいたのは、端正な顔立ちであるがどこか気だるげな青年だった。

肩まで伸びた黒髪にはゆるく癖があり、金色の瞳はエルシオンによく似ている。

だが、その目には彼とは違う軽薄さがあった。


グランヴェル帝国第三王子、ヴァレク・グランヴェル。


エルシオンの四歳下であり、フィオリアと同じ十七歳の王子だった。


「こんばんは、エルファードのお姫様。

あんまり早く婚約するものだから、ご挨拶の時間も取れずに申し訳ありませんね」


軽い声だった。

その様子に、エルシオンの目が細められた。


「今夜、彼女のパートナーは私だけだ。

お前はいつもつるんでいる連中がいるのだろう」


「いつも同じものだと飽きるんだよ。うぶでご高潔な兄上にはわからないかな」

「そんなことを知る必要はない」


二人の間に張り詰めた空気が走る。


エルシオンは守るように、フィオリアの肩を抱き寄せた。


まるで、大切な恋人を扱うように。


(さっきからどうしてこんな風に……!)


フィオリアは鼓動が早まるのを感じる。


「フィオリア様、私とも一曲踊っていただけないでしょうか?」


その言葉を紡ぐ口は、礼儀正しいふりをしている。

けれど、フィオリアを見る視線は不快だった。


美しいものを値踏みする目。

人ではなく、飾りを見る目。


「お誘いありがとうございます、ヴァレク殿下」


フィオリアは微笑んだ。


「ですが、少し休ませていただきます」


「へえ。それは残念です」


ヴァレクはフィオリアに一歩近づいた。

その目はエルシオンによく似ているが、あまり好きになれない気がした。


「本当に美しい方だね。

こんなに美しい姫君なら、レティスのことを振ってフィオリア様と婚約するのも納得だ」


その発言に、周りで聞き耳を立てていた貴族達が一斉にざわつく。

エルシオンは鋭い目つきでヴァレクを睨みつけた。


「彼女の名前は出すな。

婚約の話も正式なものではない」


レティス・ベルディン王女。


その名は、フィオリアも知っていた。


グランヴェル帝国の隣国である、魔法研究が盛んなベルディン王国が誇る才媛。

誰もが憧れる美貌の持ち主であり、男だったら王太子にとさえ囁かれる賢さ。


そんなレティスは、かつてエルシオンの婚約者候補として最も有力だと噂されていた女性だった。


「でも父上は乗り気だっただろう? 兄上が我儘を言っていただけで」


ヴァレクはからかうような、だがどこか感情のない目で笑う。


「優秀で見目麗しく、皆から尊敬される兄上ーーご立派なことだね。

レティスはまだ兄上のことを狙ってるみたいだけど、どうするつもりなんだ?

側室にでも迎えるのか?」


「……この場で話すことではないし、今の正式な婚約者はフィオリアただ一人だ」


「へーえ? 兄上は可愛らしい子がお好みなんですね」


そう言って、ヴァレクの指先がフィオリアの髪へ伸びる。

その瞬間。

エルシオンが、その手首を掴んだ。


「触るな」


低く、短い声。

周囲の空気が一瞬にして固まる。


ヴァレクは掴まれた手首を見て、それから肩を揺らして笑う。

「痛いなあ、兄上」


「二度目はない」


「本気で怒ってる?」


「私を試すな、後悔するぞ。

遊びまわってばかりいるお前と違って、私は騎士団で戦っている……忘れるな」


金色の瞳が、冷たく光る。

フィオリアは思わずエルシオンを見上げた。


彼の怒りは炎ではなく、氷のようだった。


「はいはい、わかりました。怖い兄上だ」


ヴァレクはそう言って、ひらりと手を振る。


「じゃあ俺は退散するよ。

またね、お姫様」


軽い笑みを残し、ヴァレクは人混みの中へ消えていった。


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