5話 意外な優しさ
一瞬。
侍女頭ニーナの指先が、ほんのわずかに強張った。
「……どういうことでしょうか?」
ニーナの声は、心なしかうわずっていた。
エルシオンはその様子を静かに見下ろした。
「婚約をしている女性の衣装に“閉じた銀薔薇”を入れることが何を意味するか――」
エルシオンの口から言葉が繰り出されるたび、空気が重くなる。
「婚約の破綻と花嫁の不幸を示す伝承があるということ――
グランヴェルの教養ある貴族であればわかるはずだ」
フィオリアはその言葉を聞いて唖然とした。
(まさかーーこんな巧妙に、公式の場でも嫌がらせをしようとしていただなんて)
エルシオンの目付きがだんだんと鋭くなっていく。
「……それを知っていて選ばせたのだな?」
「いえ! 私はそんなことは知りませんでした。
それに、私はその衣装をおすすめしていませんわ。
数多ある衣装の中からフィオリア様に選んでもらっただけで!」
「大方、他のドレスの質を落とし、このドレスを選ばせるよう仕向けたのだろう。
――もし仮にそうでなくても、その程度の教養もない者が王宮の侍女頭として働くことは許されない」
「私は長年王宮に仕えてまいりました!
たった一度の失態で―― 」
必死に弁明するニーナをよそに、エルシオンはぴしゃりと言い切った。
「関係ない。彼女への侮辱は一度でも許さない。本日限りで王宮を去れ」
静かに告げる。
声は大きくない。
だが、覆る余地はなかった。
口を開けて、浅い呼吸を繰り返すニーナ。
他の侍女たちも真っ青になりながら顔を伏せた。
フィオリアは思わず声を上げた。
「あの、殿下。
確かに彼女ーーだけでなく、彼女達は私に対して少々無礼なところがございますが……。
そこまで重い処分にするほどでは……」
「あります、これは重罪です」
エルシオンは少し熱がこもった調子で即答した。
「あなたは私の婚約者であり、未来の王妃になるお方です。
あなたを侮辱することは、王太子の私を侮辱することと同じです」
フィオリアは息を呑んだ。
私の婚約者。
その言葉が、胸の奥に落ちた。
愛のない結婚。
そう言われたはずなのに。
それなのに、この人はこんな風に怒ってくれるのか。
「王宮に仕える者が、王太子の婚約者を侮辱するとは――分を弁えろ。
残った者もよく覚えておけ、今後一切、この方を軽んじることは許さない」
侍女たちは震えながら頭を下げた。
その姿を冷たく見やった後、エルシオンはようやくフィオリアへ視線を戻した。
「着替えましょう」
「……でも、時間が」
「遅れて構いません」
「大事な夜会なのでしょう?」
「あなたがこの格好で出て、あなたを辱めるような夜会になるなら、出席する必要はありません」
淡々とした声なのに、フィオリアの心臓が大きく跳ねた。
新しいドレスは、エルシオンの手によってすぐに用意された。
淡い青を基調とした、柔らかなドレス。
金色の髪はふんわりと束ね、飾りは最小限。首元には小さな青い宝石だけ。
侍女たちは先ほどとは別人のようにてきぱきと準備を進め、着付けはすぐに終わった。
やがて、すべての準備が整う。
部屋を出ると、待っていたエルシオンはふっと口元を緩めた。
「.……とても似合っています」
フィオリアの頬が、少し熱くなる。
「……あの、ありがとうございました」
「いや、私の気が回らずに申し訳ない。
不快な思いをしたでしょう……きっと他のことでも。
――後で色々教えてほしい。
もっと、あなたと話す時間を取らなければいけないな」
そんな言葉をかけられ、フィオリアの頬が少し熱くなった。
(なんでそんな優しいことを言ってくれるの。
政略結婚なのに……)
「行きましょう」
フィオリアは差し出されたその手を見つめた。
大きく、冷たそうな手。
けれど、触れると意外に温かかった。そっと手を取り、馬車に乗り出していくのだった。
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