3話 亡国の姫だから
エルシオンの婚約者となった翌朝。
フィオリアは、王宮の奥に用意された寝室で目を覚ました。
広すぎる寝台。高い天井。重厚なカーテン。磨き上げられた床。
何もかもが、こじんまりとしたエルファードの城とは違っていた。
(エルファードの城は、もっと光が柔らかかったな)
窓を開ければ花の匂いが入り、廊下の先にはいつも水音がした。
けれど、ここには花の匂いも、水の音もない。
あるのは、硬い石の気配と、知らない人々の視線だけ。
「お目覚めですか、お嬢様」
淡々とした声がして、数人の侍女が入ってきた。
彼女たちは深く頭を下げた。けれど、その目は冷たい。
フィオリアはすぐに分かった。
(この人たちは、私を歓迎していないのね)
当然だった。
彼女たちからすれば、自分は得体の知れない小国の姫。
しかも、突然王太子の婚約者となった女だ。
帝国の人間の中には、精霊の末裔を不気味な存在として嫌う者も多い。
「おはようございます」
フィオリアはできるだけにこやかに答えた。
「本日より私どもがお嬢様のお世話をいたします。
次女頭のニーナです」
見るからに古風な考えそうな見た目の侍女頭ニーナが軽く頭を下げると、後ろの侍女達もばらばらと軽く頭を下げた。
姫君とも呼ばないのは、亡国の王族に対するわかりやすい侮辱なのだろうか。
「よろしくお願いいたします」
フィオリアは微笑んだ。できるだけ穏やかに。
ここで怯えたり怒ったりしたような顔を見せてはいけない。
ーーけれど、差別意識はすぐ更に目に見える形で現れた。
部屋で個別に用意された朝食は、冷めていた。
パンは固く、スープの表面には膜が張っている。
フィオリアはその食事を見て数秒沈黙する。
「……随分冷めていますね」
静かな声がこぼれ出る。
侍女のひとりが、口元を歪める。
「いかがいたしましたか?」
「料理人の方が、これを出すようにと?」
侍女たちの笑みが、わずかに止まった。
「問題というより、失礼だと思ったのです。料理人の方に。
せっかく作ってくださったものを、わざわざ冷まして出すなんて」
一瞬、空気が固まる。
だがすぐ、別の侍女が鼻で笑った。
「申し訳ございません。
エルファードの精霊の皆さんは、人間と異なり冷たい食事を召し上がる習慣がおありと伺っていたものですから。
間違っていたでしょうか?
滅びてしまったので、確かめる術もなく、申し訳ございません」
侍女のひとりが、わざとらしく言った。
他の侍女たちが、面白そうに顔を見合わせる。
(私には何の後ろ盾もないことを知って、こんな態度を取っているのね。
状況からして恋愛結婚でないことも明らかだし……。
この人達にとっては、どこの馬の骨かもしれない女が、大切な王太子を奪っていったように見えているんでしょうね)
フィオリアは銀のスプーンを手に取った。
反感の気持ちはそう簡単に消せないだろう。
下手に争うと損をすると判断した。
「そうなのですね。ですが私は、温かいものの方が好きです。
次からは温かい食事をお願いします」
感情的にならない。
怒鳴らない。
王女として、みっともない真似はしない。
侍女達はその態度が気に食わないのか、一瞬だけ目を細め、口先だけの言葉を吐く。
「承知いたしました」
しかし、その日から小さな嫌がらせは続いた。
湯浴みの湯がぬるい。
髪飾りはわざと古いものを選ばれる。
靴は少しだけサイズが合わない。
ひとつひとつは小さい。
だからこそ、責めにくい。
フィオリアは何度も気づいた。
けれど、騒がなかった。
騒げば、エルファードの王女として負けたような気がしたからだ。
「ここでの暮らしは慣れましたか?」
カトラリーが皿に触れる、かすかな音だけが響く食事の間。
エルシオンは王族でありながら、騎士団にも属しているため、かなり多忙な生活を送っていた。
日中は当然顔を合わせないし、共に食事をとる機会も少ない。
こうして同じ食卓につくのは、今日のように彼が早く戻った日のみだ。
「ええ。殿下から賜った本や書類を読むことで、毎日心が救われているような気がしますわ」
エルシオンは、エルファードに関する報告書や新聞をフィオリアに内密に渡してくれていた。
それにより、エルファードの民が無事であること、変わらない生活を送っていることを確認できていた。
「それはよかったです。
ーーそれと、遅くなってしまって申し訳ないが、君が好きそうな花をいくつか見繕ってみました」
そう言って、エルシオンが執事に運ばせてきたのは、可憐な花々。
白が基調となっているが、桃色や黄色の淡い色の花も。
主張しすぎないやわらかな色合いが、静かな空間にそっと溶け込むようだった。
それを見て、フィオリアは自然と笑顔になっていた。
「ありがとうございます……!
こんなにいただいてしまって、よろしいのですか?」
「もちろんです。あなたのために買ってきたのですから」
その言葉に、フィオリアはなぜか泣きそうになった。
この場所には、まだ心から気を許せる相手はいない。
それでも――
エルシオンだけは、自分のことを見てくれているような気がした。
「それとーー来週、高位貴族のみが集まる夜会があるのですが、ご一緒いただけますか?」
「……ええ、わかりました」
本心では、気が進まない。
だが、この王宮の中だけに閉じ込められているよりは、外へ出られる機会があることの方が、今はわずかに救いだった。




