第3話:国際会議、開催。理由は「ステラ様が稟議を通したから」
その日、世界の運命は、一通のメールによって急転直下した。
舞台は、東京都内にある築四十年の格安アパート。
ダボダボのTシャツにジャージ姿の美少女ステラ――中身は三十八歳社畜おっさんの橘健太郎は、畳の上に寝転がり、見切り品のちくわを齧っていた。
「……はぁ」
ステラはスマートフォンをいじりながら、深いため息をつく。
「毎回、深層に行くたびに個別申請書を書かされるの、マジで業務効率が悪すぎるだろ。窓口行って、手書きの書類出して、番号札取って、確認待ち。前職のクソみたいな稟議フローの完全な再来じゃねえか」
これ以上の無駄な工数は、生活防衛の敵。
つまり、定時退社の敵である。
ステラは探索者管理局の公式サイトを開き、最下部にある『一般お問い合わせフォーム』を表示した。
「一括でパスくれって送っとくか。こういうのは、文面をテンプレ通りに丁寧にしとけば、だいたい通る」
そして、前職のブラックIT企業で何千回と打ち込んできた、血の通っていないガチガチのビジネスメールを爆速で作成した。
⸻
件名:【申請】深層探索時の入域許可簡略化について
お世話になっております。
ステラです。
毎回の個別申請ですが、業務効率の観点から、かなり工数が重い状況です。
可能であれば、全階層共通パスへの切替をご検討いただけますと幸いです。
お手数をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。
⸻
「よし。稟議回し完了」
ステラはスマホを置いた。
「さて、ちくわ食お」
本人は、極めて普通の事務連絡を送ったつもりだった。
ただ一つ、致命的な問題があったとすれば――。
送信先こそ一般窓口だったが、システムが『ステラ』という世界最重要アカウントを検知した瞬間、探索者管理局の最上位アラートがけたたましく鳴り響き、そのメールが長官のデスクへ直接叩きつけられたことである。
◇
「終わった……」
日本探索者管理局、秘密地下会議室。
巨大スクリーンに映し出されたステラのメールを前に、最高幹部たちは一瞬で顔面を土気色に染めていた。
「人類が、終わるぞォォォ!!」
「ステラ様から、直々に……」
「【最終宣告】が届いたァァァ!!」
会議室に悲鳴が走る。
局長は震える指でスクリーンを指した。
「見ろ! 冒頭の『お世話になっております』だ!」
「な、何か深淵なる意味が……!?」
「『私はすでに、地球のすべてを管理している』という、絶対神の視点からの主権宣言だ!」
「そ、そんな……!」
別の幹部が机を叩く。
「問題はここです! 『工数が重い』……!」
「つまり?」
「これ以上、私に無駄な手間をかけさせるなら、人類という存在そのものを重荷として処分する、という意味です!」
「なんということだ……合理性を司る神か……!」
「さらに『全階層共通パス』!」
「全迷宮の通行権……いや違う!」
「地球上すべてのダンジョンの主権譲渡要求だ!!」
会議室の空気が凍りつく。
最後に、局長が泣きそうな声で読み上げた。
「そして極めつけは……『何卒よろしくお願いいたします』」
「まさか……」
「『断ればどうなるか、分かっていますね?』という意味だ」
「うわあああああああ!!」
幹部たちが一斉に頭を抱えた。
そんな狂気の渦中、ただ一人。
まともな感性を捨てきれずにいる男がいた。
管理局の胃痛中間管理職、山城補佐官である。
山城はキリキリと痛む胃を押さえながら、恐る恐る手を挙げた。
「あの……恐れながら局長」
「なんだ、山城! 神の託宣を解読する邪魔をするな!」
「文面を拝見する限り、これは……ただの、かなり丁寧なビジネスメールではないでしょうか」
会議室が、水を打ったように静まり返った。
次の瞬間、局長が鬼の形相で立ち上がった。
「貴様ァァァーーー!!」
「ひっ」
「あの災害級ボスを、特売チラシを見ながら一撃で消した超越者を! ただの一般人枠に当てはめて処理する気か!」
「い、いえ、そういう意味では……」
「思考を放棄するな! 神の文面には、必ず人類の科学力を超えた深淵なる真意があるんだよ!」
「申し訳ありません!」
山城は反射的に頭を下げた。
なぜ自分が怒られているのかは、一ミリも分からなかった。
だが、日本の組織に生きる中間管理職とは、概ねそういう理不尽でできている。
「山城!」
「はい!」
「すぐに国連へ緊急通達しろ! 世界最高緊急会議を招集する!」
「世界……ですか? ただのパス発行に……?」
「彼女は『全階層』と言っているんだ! 日本だけの問題ではない!」
「……会議の前に胃薬、飲んでもいいですか?」
「却下だ! 会議後にしろ!」
「はい……」
山城補佐官の胃壁に、新たなクレーターが穿たれた瞬間だった。
◇
事態は、日本国内のパニックだけに留まらなかった。
国連主導で超緊急開催された『世界最高緊急会議』には、主要国の国家元首と、人類最高戦力であるSS級探索者たちが一堂に集結していた。
巨大スクリーンには、ステラと敵対した場合の人類生存率シミュレーションが表示されている。
結果は――。
【エラー:計測不能】
【推定生存率:算出不可】
【備考:そもそも戦闘の定義が成立しません】
会場を沈黙が支配した。
「戦闘の定義すら成立しない……だと?」
「あの災害級をワンパンで塵にした存在だぞ」
「もし彼女が人類を『非効率』と見なせば、国家という概念ごと消える」
「ならば、我々はどう応えればいいのだ……!」
その時。
日本側から特別参考人として招かれた男が、キリッとした顔で壇上に立ち上がった。
元A級配信者。
現在のチャンネル名、【公式謝罪】ステラ様親衛隊・隊長。
リュウジである。
「私は、あの御方の神威をこの目で見ました!」
リュウジは熱狂に目をギラつかせ、震える声で吠えた。
「ステラ様は、人類が絶望する災害級ボスを前にしても一切動じず、スマホを片手にこうおっしゃったのです!」
各国の代表が一斉に息を呑む。
「――差し込み案件、処理しまーす、と!!」
「差し込み……アンケン……!?」
「それは北欧の古代語か!?」
「禁忌の概念呪文なのか……!?」
リュウジは激しく首を振った。
「分かりません!」
「分からないのか!?」
「凡人の我々には、一ミリも理解できない高位言語です! ですが、逆らってはいけないことだけは魂で理解しました!」
リュウジの脳は、ステラという存在に美しく焼き尽くされていた。
「あの御方のスケジュールから外れた存在は、世界のバグとして一瞬で消去されるのです!」
会場にざわめきが広がる。
「世界のバグ……」
「消去……」
「つまり、我々人類が彼女の『定時』という聖域を乱せば……」
「即座に処理される……!」
最悪の深読みが、世界の共通認識として確立された瞬間だった。
ここから、国際会議は光の速さで狂気へと加速していく。
◇
【世界最高緊急会議】
「彼女の不興を買えば、世界が明日をも知れぬタスクに追われることになる!」
↓
【ステラの六畳間】
「ちくわの穴、小さくね?」
↓
【世界最高緊急会議】
「彼女の言う『業務効率』とは、人類の生存圏の最適化を意味しているに違いない!」
↓
【ステラの六畳間】
「マヨネーズ詰めにくいなこれ。ノズルの設計が悪いわ。現場の使い勝手を考えてねえな」
↓
【世界最高緊急会議】
「我々は、命に代えても彼女の『定時』という絶対規律を脅かしてはならない!」
↓
【ステラの六畳間】
「お、ちくわマヨうま。固定費も抑えられるし、これは継続案件だな」
↓
【世界最高緊急会議】
「全面承認だ!!」
「人類史上初となる、全世界共通の全迷宮フリーパスを即時発行しろ!」
「最高ランクの国家元首級外交特権も付与する!」
「彼女のスマホに、今すぐ世界の総意として承認を返信しろォォォ!!」
◇
ピロン。
アパートの畳の上でゴロゴロしていたステラのスマホに、厳かな通知が届いた。
探索者管理局からの、これ以上ないほどへりくだった返信だった。
⸻
ステラ様
平素より、人類の存続および世界のタスク管理に多大なるご尽力を賜り、誠にありがとうございます。
ご申請いただきました『全階層共通パス』につきまして、世界政府および探索者管理局の総意として、即時承認いたしました。
添付の発行コードより、全世界ダンジョン永久フリーパスをご利用いただけます。
今後とも、何卒、我々人類の存続をよろしくお願い申し上げます。
⸻
「お、承認早。やればできるじゃん」
ステラは感心したように頷いた。
「前職の弊社も見習ってほしかったわ。開発用のパソコン一台買うのに、ハンコ四つと二週間かかったからな」
彼女は満足そうにスマホを置いた。
そして、ちくわの穴にマヨネーズを詰める作業へ戻る。
「……やっぱり、片側の穴を指で塞いでから注入した方がいいな。充填率が二〇%は向上する。工程改善だわ」
世界政府が恐怖に震え上がっていることなど、露ほども知らないまま。
ステラは安い発泡酒を、ぐびりと飲んだ。
その時、ネット上ではすでに特大の大喜利会場が爆誕していた。
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【速報】世界政府、ステラ様の【リンギ】を全面承認。人類史上初の全迷宮フリーパスを発行へ
【考察】「お世話になっております」から始まる人類滅亡カウントダウン、怖すぎる
【祝】地球、メール一本で全面降伏
【悲報】山城補佐官、会見で今にも吐きそう
【急募】山城補佐官への胃薬スパチャの送り先
【議論】ステラ様が行っていた高位エネルギー充填作業、通称ちくわマヨについて
【定時退社教】世界政府、正式に下請けとなる
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一方その頃。
山城補佐官は、記者会見場で数千台のカメラからフラッシュの嵐を浴びながら、真っ青な顔でマイクの前に立っていた。
「えー……本件につきましては、世界政府、および各国の探索者管理局の総意として、ステラ様のご意向を最大限に尊重し、迅速なる決裁を行った次第であります……」
すかさず、最前列の記者が手を挙げる。
「山城補佐官! ステラ様の放った『リンギ』とは、やはり人類の未来を左右する古代神の絶対命令文なのですか!?」
「いえ、あの……少なくとも文面上は、ごく一般的な、申請用ビジネスメールに近い形であると……」
その瞬間、横にいた局長が山城の肩を掴んだ。
「山城」
「……はい」
「余計な真実を言うな。世界が混乱する」
「局長、もうしています」
山城は、光の届かない遠い目をした。
「……世界はとっくに混乱しています、局長」
そして彼は、まだ見ぬ最強の美少女に向かって、心の中で静かに懇願した。
(ステラ様……。どうか次からも、今回のように文面だけで済ませてください。直接のお呼び出しだけは、どうかご勘弁ください。私の胃が、物理的に消滅します……)
その頃。
格安アパートの六畳間で、ちくわを見つめていたステラは、ふと呟いていた。
「あー……次も問い合わせフォームで済ませよ。窓口行くの面倒だし、エビデンス残らない対面対応とかマジで怖いし」
世界とステラ。
この日、両者は初めて同じ結論にたどり着いた。
用件は、文章で残せ。
(第3話・了)
ここまでお読みいただきありがとうございます!
ただの申請メールが、世界を震わせる稟議になってしまいました。
山城補佐官には胃薬を送ってあげたいです。
山城補佐官に胃薬を送ってあげたいと思った方は、
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次回で完結です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!




