どたキャン✕
「ふんふん、ふーん」
鼻歌交じりに廊下を歩いていると、帰り足の生徒とすれ違う。
放課後の校舎は穏やかなざわめきに満ちていて、授業という名の懲役で溜まった鬱屈を晴らしてくれる。
ああ、自由って素晴らしい! この解放感の前では、課題の提出忘れで呼びつけられていたことすら些細なことに思えた。
危うく補修になりかけたが、口八丁と泣き落しでなんとか数学のおじいちゃん先生を丸め込んで難を逃れた。
これでもしダメなら必殺――土下座すら辞さない覚悟だったので、追加のプリント数枚で済んでよかった。
許された理由が「小学生の孫娘に似ていて罪悪感が凄かったから」だと聞いたときは、デカい声で叫んで職員室の空気を破壊してやろうか一瞬悩んだが。
まあ寛大な心で許してやろう。あたしは鷹揚に頷く。
今日だけは補修なんかで時間を使うわけにはいかない。なぜなら、真白ちゃんとの予定があるから。
「へへへ。真白ちゃんとお出かけって……。これ実質デートじゃん?」
じゃないよ~、と心の中の冷静な部分に諭される。デートかそうでないかなんて、言い方の問題でしかないのだから放っておいて欲しい。
雲を踏んでいるみたいに足元が柔らかい。口角はきっと溶けていると思う。隣を通り過ぎた生徒が、怪訝な表情で振り返るのも気にならなかった。
今日は、以前約束を取り付けたスイーツショップに向かう。行こう行こうと言ってはいたものの、なかなか予定が合わなかった。
(真白ちゃん、いつ聞いてもバイト入ってるけど。大丈夫なのかな。体とか)
ウチの学校は、事情さえ正当ならバイトが許可されている。
逆に言えば、何か事情があるのかなあと。勘ぐってしまうのは、たぶん悪癖と呼ぶんだろう。
体よく断られている……わけじゃないと思いたい。真白ちゃんが嘘を吐いているところは見たことないが、ことごとく先延ばしにされれば否応にも不安は湧く。
(でも、今日こそは)
バイトが休みだと聞いたのは、つい昨日のことだった。
いきなりではあったが、あたしたちは全員帰宅部なので、真白ちゃんさえ大丈夫ならいつだってよかった。話はすぐにまとまった。
真白ちゃんの予定を待つ間、他のグループの友達から件のスイーツショップへ誘われたこともあったけど、どうせなら真白ちゃんと一緒に行きたいと思ってわざわざ断っていたくらいだ。二重の意味で期待が高まる。
「これで、アイツさえいなきゃ完璧だったのに……」
溜息交じりにぼやいて、スキップを踏んでいた足が雲の底に沈む。
『あたしたち』。デートの厳密な定義は知らないが、奇数人で遊びに行くことをデートとは呼ばないことくらいは知っている。
「真白ちゃんがどうせならって言うから誘ったけど。鈍感というか、らしいっていうか」
スイーツとは程遠い。甘酸っぱい感情など欠片も感じていなかったに違いない。
むしろ無味。まあ、そのブレなさが魅力でもあるのだが。ちょっとくらい空気読んでくれたって良いとも思う。
直をハブる選択肢は実質なかった。一応、今あたしと直は親友、ということになってるし。なぜか。
仲良いフリ作戦は今も継続中。その土俵から外れるのはなんか負けた気がして我慢ならなかった。
そうこうして、ようやく教室にたどり着く。職員室があるのは一階で、教室は三階。
うーん。最大限言葉を選んで言うなら、健康によさそう、という感想。
運動不足まで考慮してくれるとか、なんて生徒思いの学校なんだろ設計ミスでしょこれ。
教室のドアから見える時計が、あたしの遅刻を教えていた。呼び出しを食らったせいだと言えればよかったが、元凶は自分にあるのでなんとも。
申し訳なさを抱えつつ、それがこの先にいる友人に伝わらないよう、勢いよくドアをスライドさせる。
「ごめんごめん、お待たせー!」
「ホントですよ全く。どれだけ待たせれば気が済むんです? 大体課題なんてやるかやらないかでしかないのに、それで――」
そっとドアを閉める。首をひねって、もう一度開ける。
「……なんで一回閉めたんですか?」
「いやなんか、反射的に」
「そんな、虫が出たみたいな理由で?」
「まあお邪魔虫ではあるけど。……真白ちゃんは?」
見渡すが、教室にはあたしと、行儀悪く机の上に腰掛けてスマホを触っている直しかいない。
彼女は人に見られていないと、急に態度が悪くなる。
「てかあたしの机! 座んな!」
「おっと。ちょうどいい高さだったものでつい」
机上から押し出そうとした手のひらが空を切る。躱した直が軽やかに着地した。
机は生徒の身長に合わせて用意されるので、あたしのそれはクラスメイトのものより一段低い。
そのため、ちょうど直の腰辺りの高さになっている。確かに座りやすくはあるかもだけど、実際座る必要なんてない。嫌がらせが主目的なのは明白だった。
「真白なら先に帰りましたよ」
「うぇ!? なんで!?」
そんな。ここに来てドタキャンなんてあんまりだ。
これじゃあ、遊びに行く理由の九割が失われたようなものじゃないか。愕然とするあたしに直が問いかける。
「メッセージ見て……ああ。職員室じゃ見られませんでした?」
あたしは慌ててポケットからスマホを取り出す。
当然職員室ではマナーモードにせざるをえないので、仮に連絡が来ていたとしても気付けなかったはず。
電源を入れると、真っ先にポップアップが表示される。
誰しもが使っているメッセージアプリの、見慣れた表示。他にもいくつか来ていたが、やはり目を引いたのは真白ちゃんからの新着メッセージ。
『ごめん。急用ができたから先に帰るね。』
『本当にごめん。スイーツショップは二人で楽しんできて。』
律儀に句読点を加えた吹き出しが、画面に浮かんでいて。
「――だ、そうですが。どうします?」
明日以降、色を失うって辞書で調べたら、今のあたしの顔写真が載ってるかもしれない。
そんな表情のあたしに、直が手に持ったスマホをぶらぶらさせながら言ってきた。




