んぐぐぐぐ
四時間の疲れが、三、四十分で取れるわけないと思ったことがある。週休は三日がいいし、昼休みも三時間くらい欲しい。
解放感からか、やにわに騒がしくなりだした教室であたしは机を移動させる。
がたがたと木材のぶつかる音と、金属製の脚がきしむ音。それが収まったあと、机が三つ、「品」の字で集まっていた。
「あー、お腹空いた」
収縮する胃が痛い。あたしは鞄からお弁当箱を取り出しながらぼやく。珍しく知恵を絞ったからか、いつもより頭がぼんやりしている気がした。
時刻は昼食時。学校の中にあって、勉強から離れられる数少ない瞬間。実際勉強していたかは重要じゃなく。
ウチは親が両親とも忙しいので、お弁当は自分で作ることが多い。クラスメイトからのウケも割とよくて、ちょっとした自慢のひとつでもあった。
鼻歌交じりに足を揺らしながらお弁当箱の手拭いをほどいて、両手を合わせたとき。
「いっぱい食べて大きく育つんですよー」
「誰目線だよ……。それをいうなら、直こそ。そんなんばっか食べてたら体に悪いよ?」
真白ちゃんはいいけど、定食みたいなノリで直が付いてくるのだけ不満だった。
コイツさえいなければ完璧なのに。あっちいけ、しっしっ。
使い慣れない呼び方に、一瞬口ごもって。懸念していた通りの挑発をかましてきた直に反論する。昨日までならこれで一揉めくらいしていたかもしれない。
声のした方を振り返ると、うずたかく積まれた総菜パンの山が視界に入った。
おえ。見ているだけで胃がもたれそうになる。この光景もまた日常。
量も質も終わっている。別に、別にね。心配している訳ではない。が、単純な道徳の一環として忠告しておく。
「ほら、マイナス×マイナスでプラスじゃないですか?」
「まあ」
「不健康ぶんはエナドリで中和してるので」
「栄養は掛け算じゃなくて足し算だと思うけど。まあいいや」
でまかせをまき散らす直を無視して蓋を開ける。コイツが体壊す分にはどうでもいいし。むしろ、そっちの方がいいのか……?
いやいや。流石にそっち系の不幸を願うのはちょっとこう、違くないか。
こっちは体重を気にしてヘルシー志向のメニューを考えてるっていうのに。あんな滅茶苦茶な食生活で、直はすらっとした縦長のシルエットをしている。天人上嘘。
おかずのホワイトアスパラをつまんで、重ね合わせてみた。似ててウケる。
というか。ちょっとジャンクフードを齧っただけで、一キロ増えてたりすんのはマジでなんなの。人体に質量保存の法則は働かないんか。
人の不幸を願ってしまったことにわずかな罪悪感を覚えたので、首を振ってその考えを振り払った。
嫌がらせしたろと考えていたものの。怪我とか病気とか、そこまでは望んでいない。
とにかく向こうが我慢の限界を迎えて、弱点を晒してくれればそれでいい。
そのまま「こんなとこにいられるか!」みたいなセリフを吐いてどっか行ってくれたらそれがベスト。
「直ちゃんお菓子とかもいっぱい食べてるし、ちょっと心配」
「心配してくれるんですか? なら、真白が作ってくれてもいいんですよ?」
「私は……包丁持つの禁止されてるから無理」
「え?」
「不器用で危なっかしいからダメって、おばあちゃんが」
あたしと直は頬を引きつらせる。真白ちゃんの表情が一切変わらないのが、余計にガチっぽくて怖い。彼女は米粒を口の中に運ぶ作業を黙々と繰り返している。
「気休めにその辺の草でも齧ってたら? 春だしいい感じの野草が生えてんじゃない?」
「私のこと牛かなんかだと思ってます? 最低限文化的なものを食べさせてくれませんか」
いいじゃん、野草。動画サイトでたまに流れてくるテンプラとか美味しそうだし。
お前もヘルシー生活の無味乾燥さを知るがいい。彩りのためだけに添えられた、悲しきブロッコリーを持ち上げて。ふと手が止まる。
「じゃあさ。あたしのお弁当分けてあげよっか?」
自分の口角が吊り上がっていくのを感じていた。計画を実行する、最初のチャンスだと思った。
「やっぱり、『友達』としてぇ。健康には気を遣って欲しいじゃん?」
「どうしたんです急に。毒でも仕込んであるんですか?」
「そしたらあたしの方が先に死ぬでしょ」
「特殊な訓練を受けてて、毒効かない体質だったりとか」
「どこの暗殺者一家なの? 一般家庭出身ですけど」
胡乱な視線を向けてくる直に、満面の笑みで返す。嫌いなヤツにベタベタされることほど、気味悪いものもあるまい。ほら、どうだ。
「はい。あーん」
言いながら、摘まんでいたブロッコリーをそのまま直に向けた。樹木をデフォルメにしたみたいな、緑色の塊があたしと直の中間地点に浮かぶ。
(公衆の面前であーんを受け入れるのは、相当勇気いるでしょ。……自爆気味ではあるけど!)
それでも、敵により大きなダメージを与えられるならこの身を捨てる覚悟。
……ついでに嫌いなブロッコリーを処理しようという魂胆もあった。ちょっとだけな。
まるでナイフを突き付けられたかのように、直はそれを見つめ硬直していた。
飄々とした彼女の、初めて見る反応。気分が良い。あたしはまなじりを下げて煽り倒す。
「どーしたの? まさか遠慮してる? 友達同士ならこれくらい普通だよね?」
「……そうですね。じゃあ、遠慮なく」
「は?」
あたしがその言葉の意味を理解するよりも先に、箸の先端が見えなくなる。緩慢な動作のはずなのに、予想外の出来事すぎて動けなかった。
思わず、上半身を思い切りのけぞらせるようにして箸を引く。椅子が傾いて、後方にひっくり返りそうになった。
「ちょお!? 何してんの!?」
「んっ……!? い、いきなり引き抜かないでくださいよ。危ないじゃないですか」
「アンタ……!? ヤケクソにもほどがあるでしょ!? 負けず嫌いでもそこまでする!?」
「何のことです? 全然、これっぽっちも対抗心なんてありませんよ? ええ全く」
視界がぐらぐら揺れる。大きくなる拍動を骨で感じた。
猫っ被りな直のことだ。周りの目を気にして日和るだろうとタカをくくっていた。
しかし、あたしは彼女のプライドの高さを過小評価していたらしい。
耳を真っ赤にした直が、してやったりといわんばかりのドヤ顔でこちらを見下ろしていた。
咀嚼する顎の動きから、なぜか目が離せない。喉が山なりに脈打つ瞬間までまじまじ眺めてしまった。
意識なんてしたくないのに、視線は勝手に直の唇に吸われてしまう。思わず逸らした視線の先にあった、直の腕。
軽く捲った裾から伸びる白い皮膚に、尋常じゃないくらい鳥肌が立っていた。……いやアンタもだいぶ無理してんじゃん!?
「このくらい、友達同士なら普通……ですよね?」
「アンタ、まさか……!?」
最悪の予感が脳裏によぎる。ちょっと嫌がる顔が見れたらそれで満足だったのに。
もしかしたらあたしは、退路を断ちすぎてしまったんじゃなかろうか。追い詰められたネズミが抵抗するみたいに。
あたしが拒絶しにくい状況を作ってしまったせいで、直の中に立ち向かう、という選択肢が生まれてしまったのかも。
(もしかして――あたしと同じこと考えてたり、しない、よね?)
嫌いなヤツにまとわりつかれることほど、気味悪いことはない。
それはもちろん、こちらにも言えることで。
「私もお返ししてあげますよ。ほらこれ。一押しのチョコパンですはいどうぞあーん」
「待っ、あたしはいらな……んぐぐぐぐ!?」
「美味しいですか? 遠慮しないでください友達なんですから」
あたしの立てた仲良しのフリ作戦を逆手に取って、直は反撃を仕掛けてくる。
断る間もなく、菓子パンを口に押し込まれた。気道が塞がれて息が止まる。チョコで溺れるなんて、初めての経験だった。
ひたすらに美味しくない。歯が痛くなるくらいの甘さが口内を支配して、喉奥に張り付く。
真白ちゃん助けて。視線を送ると、「仲良しだねー」なんてのんびりつぶやく姿が目に入る。恋は盲目と言うけれど、そっちが盲目でどうすんだ。
……ああそう。そっちがその気ならこっちにも考えがある。
引っ込みがつかなくなったらしく、据わった目でパンを押し込み続ける直。酸欠と甘味の暴力でもうろうとする意識のなか、あたしは決意する。
徹底抗戦だ。どっちかが根をあげるまで終わらない嫌がらせ合戦が、幕を開ける。




