出すもん出しな
「じゃあ、『せーの』で見せあいっこね? フェイントなしだからね?」
「『せーの』の、『の』の部分で出せばいいの? それとも一拍置いて、せーの、『はい』の部分?」
「……厳密にする必要あります? 適当でいいですよ、重要なのはことりが赤点取ってないかってだけですし」
がたり、と。コップが揺れ、水滴がテーブルに落ちる。聞き捨てならない発言にあたしが腰を浮かせた反動だった。
放課後。テスト期間は終わり、普段通りの下校時刻。
あたしたちは、全国どこにでもあるファミレスチェーンの一席を囲んでいた。学校のそばにあるだけに、生徒たちの溜まり場にされがちなお店。
時間帯が時間帯なだけに空席の目立つ店内は、時間の流れが鈍化しているようにも感じた。人目も憚らず談笑するバイト店員の横を、ロボット三原則を恨んでいそうな配膳ロボが通り抜けていく。
「なんであたしだけ名指しなの?」
「だって学力的に、赤点取る可能性があるのはあなただけじゃないですか」
「分かんないじゃん。解答欄ズレたりとか、名前書き忘れたりとかで」
「今時小学生でもそんなミスしませんよ」
あたしたちが火花を散らしていると、対面の席に座る真白ちゃんが視線を宙に彷徨わせてから口を開く。
「私はあったよ。小学生の頃、よくそれでバツ付けられてた」
「もちろん子どもならそういうミスすることもありますよね。ええ。可愛いことじゃないですか」
「アンタそのうち手首痛めるよ」
意見を百八十度転換させた直に白い目を向けながら、テーブルに付いた水滴をぬぐう。ごまかすためか隣に座る彼女が大袈裟に身振り手振りを始めたので、頭を下げてそれを躱す。
どちらが真白ちゃんの隣に座るか牽制しあった結果、グーパーで分かれてあたしと直が隣、真白ちゃんが一人席という配置になった。意味が分からない。
「そんなことより」
お喋りもいいけれど、今日はじゃれ合うためだけに集まった訳じゃない。緩く溶ける午後の空気を引き締めるように、あたしはテーブルに両手を叩きつける。
四つぶんのまなざしを受けながら、できる限り真面目ったらしい表情を作った。
「今回集まったのは他でもありません。――テストの結果が返却されました」
「なんですか改まって。各教科ごとに返却されてるんですし、もっと前から結果は分かってたじゃないですか」
「そこ。茶々入れない」
「コーヒーなら良いですか?」
「ドリンクバー頼んだんだから勝手にすれば?」
一回黙ってて。繰り返される合いの手を押しのけて、無理矢理に本題へ入る。
あたしはバッグから細長い紙切れを取り出す。なにを隠そう、これこそ中間試験で行われた全科目の結果をまとめた確認用の紙。
その用紙を裏返しにしたまま、将棋指しがするように三つ指で挟んでテーブルの真ん中に打ち付ける。くしゃりと乾いた音がして、二人の視線があたしの指先に沿って動いた。
「ん。出すもん出しな」
それからあたしは人差し指を突き立てて、自分の側に折り曲げる。おうおうとっくに期限は過ぎてんだよ。の、気分。
真白ちゃんは直の方を見て首を傾げ、直はそれに肩をすくめることで返す。この程度のノリについてこられないようじゃ女子高生は務まらないぞと言いたい。
催促された二人はやがて諦めたみたいに、ゆるゆると自分の用紙を取り出した。
「あたくし、結果ノールックでございます」
「え。全部?」
「うん。テストは返された瞬間ファイルに封印してた」
あたしが毅然と言い切ると、真白ちゃんが目を見開く。当然と言えば当然の反応。カレーじゃあるまいし、テストの結果は寝かせたって良くならないから。
しかしこれにはちゃんとした理由があった。「ほら」と指揮者みたいに指を振って、まとまらない理屈を整列させる。
「赤点取るとしたらあたしな訳で」
「自覚があるならなんで一回キレたんです?」
「先バレになってもショックが長続きするだけでしょ? だからこのタイミングで一挙公開しようと思って」
説明すると、真白ちゃんが「確かに」と頷いた。どうせ後悔するなら短い方がいい。だから公開を遅らせる。こんなことばっか考えてるから成績よくないんかなあ。
真白ちゃんは先んじて汲んでいたオレンジジュースを口に含んで、舌を濡らしてから直の表情を伺う。
「私たちはもう結果知っちゃってるけど……。それはいいの?」
「大丈夫。……ああでも、まだ言わないで!」
「うん、まあ」
両手を突き出して真白ちゃんの言葉を遮る。
わざわざ口にしなくてもよかったけど、真白ちゃんのことだからなにかの拍子に結果をポロっとこぼしてしまいそうだったので、鍵をかけておいた。
「結果が変わるわけでもなし。さっさと発表してくれません?」
隣に座る直がパタパタと足を踏み鳴らす。地面を通じて足の裏に伝わる微動が、あたしを急かしてくる。
くそう。自分は安全だからって適当にあしらいやがって。
恨みを込めた視線の先で、直は一足先にメニュー表とにらめっこを始めていた。ランチメニューのページで手が止まっているあたり余裕が察せられる。
「ちょっと待ってねー……」
あたしは胸に手を当て、大きく息を吸い込む。
同時に誰かが頼んだハンバーグの匂いが肺に滑り込んできて集中が乱された。おい。こっちは真剣なんだぞ。
とりあえず、このあと何頼むかは決まったけど。祝勝会になるか慰め会になるかはまだ未定。
「……ふぅ。よし!」
頬を叩き、決意を固める。ちょい強く叩きすぎて手のひらと頬両方熱い。
耳の奥に心臓の鳴る音を聞きながら、震える指先で結果の紙を手に取る。あたしがそれぞれに目配せしたのを合図に、真白ちゃんと直も用紙をつまんだ。
「じゃあ行くよ? ……せー、のっ!」
三人一斉に紙を裏返す。とは言っても、視線を集めたのはそのうちのひとつだけだったけれど。
そこに羅列された数字を理解するのに、たっぷり十数秒かけて。あたしは飛び跳ねるように立ち上がる。
「っしぇい! 赤点回避ィ!」
「うるさ。迷惑になるんで静かにしてください」
「っと、す、すみませーん……」
快哉を叫んだのも束の間。店中の眼差しが自分に向かっていることに気付いて、あたしは乾いた笑いとともにぎこちなく腰を下ろす。頬が高揚とは別の朱色に染まっていくのを感じる。
それでも、足元の浮遊感は収まらなかった。紛らわせるために小刻みに足踏みを繰り返していると、真白ちゃんが。
「よかったね、ことりちゃん。頑張ってたもんね」
「って言ってもギリギリですけどね。中間はともかく、期末はどうなるか」
直が手持無沙汰にコップを傾け、水を飲み干す。「まあ、私が教えたんですから」というぼやきとともに吐き出された息には、どこか気の抜けたような響きがあった。
「あーもう! 素直に褒めるとかできないわけ!? いいじゃん今回は乗り切ったんだし!」
こんなときでさえ水を差してくるとか、本当にひねくれているとしか。
いやまあ、範囲が広がればどうなるか分かんないくらいの点数であることは事実なんだけどさ。今は言わなくてよくないか。
けど、なんとかなったのもまた事実。飛び跳ねたい気持ちのベクトルを変えて身を前に乗り出すと、その拍子にテーブルが揺れた。
「これで心置きなく遊びに行けるね! 真白ちゃんはどこがいい!?」
「うーん……。私はどこでもいいよ。二人の好きなところで」
揺れたことで波打つジュースの表面に気を取られながら、真白ちゃんは興味なさげに答える。相変わらず甲斐がないというか、なんというか。
あるいは本当に、あたしが補習を食らっていたとしても気にしていなかったんじゃないかとさえ思える。でも、そのくらいドライな空気感でいてくれた方がいい。
どうかこのまま、自分に興味がないままでいて欲しい。変に期待されたり好かれたりするよりも、この距離感に安堵する自分がいる。
多分、好きな人に向ける願いとしてはちょっと変なんだろうけど。
「真白ちゃん」
「なあに?」
「――ずっと、友達でいてね」
「え? うん」
本当の気持ちをぶつけるには、まだ練習が足りないから。




