アンタのこと、嫌いだからだ
例えば、バンジージャンプのとき命綱を巻きつけるような。
役割という枷は、自分を守る盾でもある。行動の限界域を示し、居場所へと繋ぎとめるもの。危険から遠ざけこそすれ、縛り付けるものじゃないと。
「だから人間はみんな、退屈で平凡な日常を最高だなんて美化するんです。自分にとって一番安全なものこそ最良だと、自分を騙すために」
直にとって役割は、答えを導くための誘導式みたいなものなんだろう。それに比べてあたしはごちゃごちゃ言うばっかで。乗りこなすでもなく、ただ乗っかっている。
直が前触れもなくことりへ視線を移す。見透かすような眼差しとかち合って、反射的に顔を逸らしてしまった。
「あなただって、誘いを断るのが面倒だったからサボったんでしょう? 流された方が楽ですしね」
口角の端を潰して直は言う。言って欲しくないことだけを。
「真白と遊びに行くことより自分の居場所を優先するなら、その程度の気持ちってことなんじゃないですか?」
「それは、違う。みんなと友達でいるためには、仕方ないことで」
「それの何が違うんです? 結局保身じゃないですか」
酸素が足りないのか、視界の縁が白く染まっていく。頭の中がぐらぐら揺れて、ここにいるのが自分じゃないみたいな無重力感に取り囲まれた。
文句のつけようならいくらでもある。言いたいことはあるのに、その百分の一すら口にできそうにない。喉の奥が狭まるのを感じながら、途切れ途切れに吐き出す。
「違うから。アンタみたいな冷徹人間と違って、なんとかうまくやろうって頑張ってんの。保身とは違う」
「人づきあいを頑張るなんて、当然の行為ですよ。自分の身を守るためならなおさら」
かろうじて紡いだ言葉すら、直の吐息に凍らされてしまった。口喧嘩にも成績は関係あるのだろうか。一周回って生まれた脳の余白部分で、そんなことを考えた。
「居場所がなくなるのが怖いから。守るためには普通にしてるのが一番簡単だから」
簡単? 簡単って、簡単に言ってくれるな。それがどれだけ痛みを伴うか、分かりもしないくせに。
「求められるままに動くのが一番楽だから。あなたは結局、一番楽な道を選んでいるだけなんです」
「ふざけんな!」
直が目を見開いてこっちを見ている。喉から鉄の味がして、全身の毛細血管が破裂したように体が熱い。勢いよく立ち上がった拍子に、ベンチが音を立ててズレた。
「楽なもんか、楽なもんか! 好き勝手言って、喧嘩にならないようにって、仲良くいれるようにって! それをするたびに、あたしがどれだけの言葉を殺してるかも知らずに!」
漠然とした鬱屈は、まとまった言葉になりきれない。自分で何を喋ったのかすら曖昧なまま、直を睨みつける。
まなじりに力を込めたのはほとんど本能だった。そうしなければ、眼球の裏で沸騰する液体が漏れ出してしまいそうで。
飲み込んだ熱は運動エネルギーに変わって、あたしの肩を、声を震えさせる。
「だってあたしは、そうしないと生きていけないから! それ以外の繋がり方を知らないから!」
「そういう方法を選んだのもあなたです。やらされているんじゃなく、あなたは自分自身でそのやり方を選んだ。なら、それに文句をつける資格はない」
「そうだよ、知ってるよ! 文句ひとつも吐けないことが、どんだけムカつくかも!」
呆気に取られていた直が瞳を鋭くして、語気荒く反論してくる。噴出した情動を浴びせられても、依然として手加減の色は見えなかった。
こんなの会話じゃない。お互いの言いたいことを交互にぶつけあっているだけ。
「……んなの、分かってるよ。分かってるのにできないから、イライラするんだ」
きっと、人に勉強を教える事と似ている。
答えは知っているのに、行動に起こせない。そのもどかしさに苛まれるくらいなら、何も知らない方が良かったと思う。
結局は全て自分のため。役割がどうだとか被害者ぶったところで、そう生きているのは自分の責任でしかなくて。直の言うとおり、不満なんて言う資格ないんだ。
らしくないことをすれば、必然衝突が起こる。そして衝突が起これば、その後も同じ関係でいられる保証はない。いられる自信がない。
その恐怖から逃げるため、らしく振る舞うことを決めた。それはある意味で、あたしにとって一番楽な行動で、一番安全な選択肢だったのかもしれない。
ただ、それが最良だったのかなあと考えると、そうじゃない気もしている。
演じるたびに殺していった言葉たちが、墓石の下でうごめいている。傷つきたくないと思って付けた仮面が、自分の鼻と口を塞いでいる。
「もー! 分かんないんだって!」
ヤケクソ気味に叫んで、両手で頭をかき回す。セットに時間の掛かる癖っ毛が本性を現して、あちこち飛び跳ねるが気にする余裕はない。
「何なんだよオマエ! 人の嫌なとこグチグチさあ!」
「嫌だからでしょう。さっさとやれで終わるようなことで悩んでいる人間が、一番嫌いなんですよ」
「できないから困ってるって言ってんでしょ!? マジで人の心ないわけ!?」
苦手科目道徳もあながち間違いんじゃないんじゃないか。あたしは直に人差し指を突き付ける。
まるっきり子供の癇癪じみていると自覚しながらも、一度開いた口は止まらない。
「とか言って、アンタもそうじゃん! 楽だからーとか言って、真面目ぶりやがって! 今日だって、この前だって! 猫かぶっちゃって何アレ? キモいんですけど! あたしは犬派なの!」
「通りで遠吠えが多いわけですね」
「誰が負け犬か! 言っとくけど、アンタその感じだと真白ちゃんどうこうどころか、マジで一生友達できないかんね!?」
「……と、友達なんていりませんから! あなたと違って私は1人でも生きて行けますし!」
「はぁ!? カレー辛口だったくらいで泣きそうになってたやつが何言っちゃってんの!?」
「だ、誰が泣きそうになりましたか!? そこまでじゃないです! せいぜい涙目がいいとこでしょう!?」
「いーやあれは泣くね。間違いない。やーい子ども舌!」
「ガキはどっちだと……!? 揚げ足ばかり、何が喧嘩にならないように、ですか! 十分言いたい放題言ってますけどね!?」
「はぁ!? アンタだって――」
不毛な言い合いが次第にヒートアップして、やがて本当に小学生の言い合いレベルに突入したところで。わずかな違和感が首を持ち上げた。
あたしは不意に言葉を止める。直はもたれかかっていた壁がいきなり消えてしまったようにバランスを崩す。
「……なんです? ようやく反省して、謝罪の一言でも言う気になりましたか?」
「違う。あたしはなんも悪いこと言ってない。お前が謝れ」
「清々しいほどの他責ですね」
直の言葉を聞き流して違和感の正体を探る。顎に当てた手のひらに、バッティングの痺れは残っていなかった。
そもそもこういうふうに喧嘩したくなくて、余計な事言わないようにしてたのに。それがなぜか、盛大な言い合いに発展している。
さらに不思議だったのは、恐れていたような不安が浮かばなかったことの方だった。
相手がけしかけてきたから? それはあんまり関係なさそうに思える。言葉を飲み込むのはいつだって、相手ありきだった。
なら、なぜこれほどまで好き放題言えるのか。その理由を少し考えて。
「そっか」
至極単純なことに気付く。手のひらを叩いてうつむいていた顔を起こし、再度直と視線を合わせて結論を述べる。
「アンタのこと、嫌いだからだ」




