ファールボールに気を付けて
放課後だというのに、バッティングセンターに客は一人もいなかった。店員の気配すらしない店内では、切れかけの蛍光灯と半世紀遅れのアーケードゲームが点滅している。
矢羽高校から徒歩十数分の立地にあってこんなに閑散としている理由はふたつ。駅の反対側だからって言うのと、あと単純につまらないから。
遊びなら他にいくらでもあるのにバット一本って。今時の子舐めんな。
駅から遠いのも致命的だ。遊びに行くってなって、わざわざ商業施設の少ないほうに来る意味もない。
そういうわけで、立地の割にこのバッティングセンターを訪れる人は少ないのだった。
「当ったんねー!」
「テストの正答率よりはマシなんじゃないですかー?」
「実際打率で三割あったら指名かかんじゃない、のっ!」
豪快な風切り音のあとに、背後のネットへボールが突き刺さる気の抜けた音。渾身のフルスイングはかすりもしなかった。
白線で区切られたバッターボックスに立つあたしに向かって、外野からの野次が飛んでくる。
「バットを大事にするのは良いですけど、使ってもらえないのも可哀想ですよ」
「わざとスカしてるわけじゃなから!? この、見てろ。次は当て、当て……」
「止まっちゃいましたね」
タイミングよく、いや悪くか。バットを握り直すのと同時に、弾丸のごとく飛び交っていた白球がぴたりと止まった。
まだまともに当たってすらいないのに、これじゃ消化不良だ。あたしは正面に設置されたピッチングマシーンを睨む。ききき、と機械のきしむ音が、嘲笑みたいに聞こえた。
あたしはポケットの中から本日四枚目となる百円硬貨を取り出す。あからさまにムキになっているあたしに、直があきれた様子で口を開く。
「まだやるんですか?」
「当たり前じゃん。スカッと一本打つまで終われないでしょ」
「野球部はまだ部員募集してるらしいですよ?」
「坊主は嫌」
「髪型の問題なんです?」
一番の問題でしょ。髪型の既定さえなければ、勢い任せに入部届を提出しているところだった。そのくらい頭に血が上っている。
あたしは瞳に対抗心を宿らせ、マシン裏のネットをバットで指し示す。予告ホームラン。
「そんなスポ根だとは思いませんでした」
「これでも中学時代テニスガチってたからね。そのぶん高校は遊びたくて部活入んなかったけど」
「それが再燃したと」
ここに連れてきたの間違いでしたかね、と直が肩をすくめながら付近のベンチに腰掛ける。
そっちの組んだデートプランなんだから文句言うな。それこそまともなヒット一本打てるまで、あたしとまともな会話は望めないくらいの覚悟をしておくことだ。
錆びついてざらざらした駆動音がして、マシンからボールが放たれる。思い切りよく振ったバットは、ボールの軌道より遥か下を通り抜ける。この台設定終わってんぞ。
たぶん平均的なストライクゾーンに投げ込まれてるんだろうそれは、あたしにとっては全部やや高めのコースに感じた。ただでさえ初心者なのに、なおのこと打ちにくい。
「私もやったことないんで適当なこと言えませんけど。打つ瞬間までボール見ろって言いますよね」
「見てるんだって。でもさあ、なんかアイツノーコンなんだよ。変なとこに投げてくる」
「身長の問題でしょう。ストライクゾーンが狭いことを喜ぶべきじゃないですか?」
「シックスティーンボールで実質ホームランになる? 景品貰えるかな」
「ごねてみてもいいですよ。私は知らない人のフリしますけど」
このバッティングセンターでは、ホームランを打つと景品が貰えるらしい。それが押し出しによるものであっても認められるかは知らない。直が続ける。
「あとは、嫌いな人の顔をイメージするとか」
「しねい!」強烈な当たり。直の顔面を思い浮かべてバットを振るうと同時、快音がセンターじゅうに響いてマシン裏のネットに突き刺さる。
「うま」
すげえ。この理論プロでも通用すんじゃね。あたしは覚醒した主人公の気持ちで自分の手のひらを眺める。適当に言った言葉が覚醒のきっかけになるってものそれっぽい。
「……はあ。誰の顔イメージしたかは聞かないでおきます」
直の的確なアドバイスを通じて、あたしの打率は飛躍的に向上した。言った本人はなんだかなあという顔をしていたが。
そのあとはだいぶコツをつかんで、ホームランとはいかずともそれなりの長打を放つことに成功した。両替した千円札を使い切ってしまわなくて一安心。
かくしてようやく念願のヒットを手にしたあたしは、MVP打者気分でネットをくぐり、区切られたバッターボックスから外に出る。
「ちょっと休憩。くっそ手ぇ痛い」
「見栄張って速いマシンにするからですよ」
「上腕二頭筋が上腕四頭筋になりそう」
「プラナリアみたいな体質してますね」
「ほら。次アンタ」
あたしは額の汗をぬぐいながらバットの持ち手部分を直に向ける。彼女はそれを見下ろして、わずかに目を見開いた。
「私も?」
「散々煽り散らかしといて自分だけ逃げるつもり?」
「そんなつもりないですよ。それに、逃げる必要なんてないですし」
「はー? 言ってろ口だけ番長」
直が挑発的に笑う。まなじりを丸める優等生スマイルとは反対に、眉を吊り上げる表情が印象的だった。
「なら、どっちが多くヒット打てたかで勝負しますか? ことりは最高記録参照でいいですよ」
「言ったな?」
「同じ球速とは言ってませんよね?
「同じに決まってんでしょ」
「打法は指定されてませんよね?」
「バント禁止」
せこすぎる。自分から提案したくせにずるがしこくルールの穴を突こうとする直の言葉を逐一修正して。
そんないがみ合いがしばらく続いたあと、言い訳も底を尽きた直が渋々といった様子で打席に立つ。
直がワイシャツの袖を捲ると、運動なんてしたこともなさそうな細い腕が露になった。バットを構える動作もどこかぎこちなかったので、あたしは見かねて言う。
「直。バットの持ち方違くない? ちょっとこっち向いて」
「そうですか? 別に違和感は――」
ぱすん、と。乾いた音がして、直の足元にボールが転がる。彼女が慌てて振り返ったときには、すでにマシンが二投目を振りかぶっているところだった。
「ばーーか! 騙されてやんの! 一球は一球だかんね?」
「こんの……! ファールボールに気を付けてくださいね……!」
「まずバットに当てるとこからだけどね!」
ひねくれたフリして意外と単純なところもあるらしい。意趣返しに成功しあざ笑うあたしに背を向けて、直は再度構えをとる。さっきまでの余裕はかけらも残っていなかった。




