マジか。マジなんだ……
人が一人休みになったくらいじゃ、クラスの雰囲気は変わらない。それが目立つ子にしろ目立たない子にしろ。
勉強会をサボってしまった翌日。
教室に入ったあとで、そういえば今日は真白ちゃん休みだったなと思い出す。空白の机に違和感はあるけれど、それ以外はいつも通りの部屋に足を踏み入れる。
「ことりおはよー」
「おはよ」
他に休んでいる人はいなそうだった。途中で掛けられた声に返事しつつ自分の席に向かう。
毎日教科書を持ち歩くの、割にしんどい。これ以上身長伸びなくなったら責任とれんのかって。子供の仕事は勉強だって言うなら、労災を要求したっていいはずだ。
華奢な体には重労働なスクールバッグを机の上に置いて、肩を大きく回す。
「おはよう」
隣の席から声がかかる。みっちゃんがスマホを握り締めた手を振っていた。あたしも同じように「おはよう」とだけ返して席に着く。会話はそこで止まった。
……それだけ? 普段は口を縫い付けでもしない限り喋り続けてるくらいなのに。みっちゃんが今日はやけにおとなしくて、違和感を覚える。
昨日一緒に遊んだんだから、話題がないわけないし。クラス中がざわめきに満ちているぶん、あたしの周囲だけ静かなのも落ち着かなかった。
これ、なんか喋った方がいい感じかな。そんな思いを込めて横目で隣の席を盗み見る。
示し合わせたように、みっちゃんと視線がかち合った。控えめに化粧したまつげがたじろぐみたいに震える。
一瞬の沈黙があって、耐え切れなくなったのはあたしの方だった。「や」と、注意を引くためだけの音を発して。
「昨日は楽しかったね」
「あ。それな。ことりの歌めっちゃよかった」
「そんなことないって。それでいくとさっちゃんの方がヤバくなかった? リアル百点初めて見たんだけど」
「アレはノーカンっしょ。基準にしちゃダメなヤツ」
みっちゃんが苦笑する。少なくとも、表面上はいつも通りに見えた。
昨日少しだけ妙な空気になったので、そのせいで気まずくなったらどうしようってちょっと思っていた。
たぶん向こうもそんな調子で、テンションが迷子になっていただけなんだろう。一度きっかけさえ作ってしまえばこのとおり、平凡な日常のお帰りだ。
あたしもまた口角を上げる。笑顔は敵意がないことを伝えるサインだって真白ちゃんが言ってた。じゃあ何、いつも真顔なのは敵意むき出しってこと? 怖。
そう。へらへら笑って、相手の望む通りの受け答えをしていればいい。
会話はキャッチボール。わざわざ変化球投げたりとかヒネた卓球部みたいなことしないで、取りやすいところに投げるだけ。
ドラマチックにぶつかり合うなんてことしなくても、それだけで十分仲良くなれる。あたしは雑談を続ける。
「でもさ、なーんか自分にもできそうだって思っちゃわない?」
「まー確かにね。できる人って簡単そうにやるんよな」
「あたしも昨日、どうやったら百点採れんのか調べたかんね」
「ガチやん」
「まずは自分に合った音程の曲を探すところからなんだって。良さそうなのある?」
「どんぐりころころとか」
「一応同い年なんですけど」
一体コイツにはあたしが何歳に見えてんだ。小学生の平均よりは高い……はず。たぶん。平均を知らんけど。
「そんなに言うなら、今日も行っとく? ウチも歌い足りんと思ってたんよね」
「あー、いや、どうだろ」
昨日と同じみっちゃんの問いかけ。否定と遠慮がぶつかって、曖昧な返事を生み落とした。
これで勉強会があれば、二日連続で他の友達との約束をないがしろにするのも申し訳ないという口実で逃げられたかもしれないけれど。
あいにく、今日は休みってことになってるんだよねえ。
真白ちゃんが休みだってことは知ってるだろうし、直は口裏合わせてくれるか不明だし。ごまかすのはちょっとキツそう。
結局、昨日はあんまり勉強に身が入らなかった。ただでさえボーダーラインなんだから、本当なら一日休むのもどうなんだーってくらいで。
二日連続サボりはちょっと。流石のあたしもやばいかなーってことは分かる。
「えーっと。実は今月ちょい厳しいというか。ほら、スイーツショップとか行ったし」
「そうなん? カラオケ代くらい出すよ? ウチアプリ会員だから割引あるし」
「いやいや、そんなん申し訳ないって」
強く拒絶して、昨日みたいな雰囲気になるのも避けたかった。身振り手振りを交えてまくしたてるあたしをみっちゃんが不思議そうに見つめている。
これはこれで妙な反応だという自覚はある。下手に嘘ついても心証悪くなりかねないし、どうにかそれらしく断りたい。国語もっとやっておけば、言い訳のレパートリーが増えてたのかな。
なんて、言い訳のことで頭がいっぱいになっていたからだろうか。みっちゃんの視線があたしに向かっていないことに気付くのが少し遅れた。
「――ごめんなさい。先約があるんです」
「ほあっ!?」
肩に手のひらが触れる。意識外すぎて全身が跳ねた。みっちゃんが思わずと言った様子で笑っている。なんだよほあって恥ずかしい。
誰があたしに恥をかかせたたのかと振り返ると、斜め後ろに外行き用の優等生然とした笑みを携える直が立っていた。
彼女は腰をかがめて頭の高さをあたしに揃えると、もったいぶった口調で言う。見せつけるような響きがそこにはあった。
「今日は私とデートの予定でしたよね、ことり?」
「は?」
何を言ってるんだコイツは。あたしの耳がおかしくなってしまったのか、はたまた直の頭がおかしくなったのか。
正気か疑わしくなって直の顔をじっと見つめる。柔らかいまなじりをさらに丸めて、人好きのする笑みを浮かべていた。この外面でみんなを騙してるんだろう。
「どうですかね、みっさん」
「みっさん……?」
話を戻して。もちろんそんな予定は入っていない。
というか、直とデートするくらいならカラオケでもなんでもどこだってついてく。紛争地帯以外。そのくらいありえない。
あたしの疑いなどお構いなしに、直が「ね?」と念押ししてくる。ねじゃないが。ねーよ。
内心突っ込みを入れていると、なにやら付近で色めき立つ気配。再度向き直った先にいたみっちゃんが頬を朱色に染めているのを見て、あたしは最悪を予感した。
(あ。これあかんやつや)
彼女は口元を両手で隠し、わずかに震える声で。
「わ、わー……。マジか。マジなんだ……」
「いいじゃん、仲良しで。したら邪魔できんね」
ぬるりと現れたさっちゃんがみっちゃんの背中を叩いて、あいさつ代わりに右手をあげる。そして彼女は、遠慮しろとでも言いたげにみっちゃんの椅子を自分の方に引き寄せた。
(いや勘違いだから。どうか気付いて! そして助けて!)
あっけにとられているうちに、話はどんどん変な方向に進んでいた。このままじゃ取り返しの付かないことになりそうだったので、親指を握り込むSOSのハンドサインを送る。
さっちゃんは訳知り顔で片目を閉じた。だめだ使い物にならない。握り込んだ親指を取り出して逆さに向けたい気分になった。
「ええ。ですから、今日の放課後だけはことりを貸して欲しいなーと」
「あ、うん! そういうことなら全然おっけー、です! アタシらはアタシらで勝手にやっとくんで、ごゆっくり!」
「いいなー。ねーみっちゃん。ウチらもデートってことにせん?」
「ななな何言ってんの!? こーゆーのはからかっちゃダメなんだって!」
「ふふ。ありがとうございます」
楚々に笑う直は、はた目から見れば絵画の登場人物のように映ったかもしれないけれど。あたしから見れば薄気味悪いだけ。意図が分からないぶん余計に。
「おーい。いつまで喋ってんだ。ホームルーム始めるぞ」
あたしが困惑していると、突然教室のドアが開いて、担任の伊藤先生が威圧的に手を叩きながら室内に入ってくる。
それを見た直が立ち上がると、周囲で聞き耳を立てていたらしいクラスメイトたちが一斉に顔を背けた。
ああこれ、絶対後で面倒なことになるヤツだ。
外見上に限って言えば、美人で成績優秀、品行方正な直は男女問わずそこそこ以上に人気がある。
そんな人物がクラスのど真ん中でデート宣言なんてしだしたらそりゃ注目されるに決まってる。仲良いアピールにしたってこれはやりすぎ。
去り際、直がまるで本物の恋人にするみたいに耳打ちしてきた。
「ということで。また、放課後に」
そして最後に、事態を呑み込めていないあたしと、姦しいギャルズがその場に残された。




