男子は三日、あたしは一日
『……? どういうところ?』
は?
不思議そうな声に聞き返されて自分の失言を悟る。平手打ちくらい素早く、自分の口元に左手を叩きつけた。
重力とか血管の弁とか全部無視して、頭のてっぺんに血液が一気に集まるのを感じる。
手のひらで触れている場所が、火傷しそうなほどに熱い。お風呂上りだからとか全く関係ない熱に、自分の体が壊れてしまったんじゃないかとさえ思った。
(あたし今、ぽろっとすごいこと言わなかった!?)
骨を通じて心臓の音が聞こえる。電話の向こうまで聞こえてしまいそうで息を止めた。
『ことりちゃん?』
「あっ、いや! なんでもないから!」
『そう? ならいいけど』
重ねて不思議そうな問いかけに、あたしはしどろもどろになりながら弁解する。
言った自分ですら誤魔化し方に無理があると思ったが、真白ちゃんはそれ以上追求しては来なかった。
真白ちゃんがドライで良かった。その冷淡さに胸をなでおろして。
(そっか。だから好きになったんだ)
同時に、自分がなぜ真白ちゃんに惹かれたのか、その理由を初めて言葉にすることができた。
真白ちゃんは何に対しても、「いいよ」とか「大丈夫」。そう言ってくれる。
これまではずっと、それが彼女の優しさ由来のものだと思っていた。
でも、それはちょっとだけ違っていて。真白ちゃんの「いいよ」は了承じゃなくて、「どうでもいいよ」の省略形なんだと思う。
真白ちゃんはきっと、クラスメイトも友達も、挙句自分のことでさえ、根っこでは興味もなければ期待してもいないんだろう。
入学して初めて喋ったあのとき、クラスメイトがサボったことに無感動だった理由もたぶん、そこにある。
どんなことも当たり前のように受け入れる寛容さは、無関心の裏返しで。良いとこも悪いとこも、海に小石を投げ込んだ程度の波紋にしかならない。
あたしが勉強会に参加するもしないも、真白ちゃんには些末なことでしかないのかもしれなくて。
あるいはあたしが急に転校することになっても、たぶん次の日くらいには普段通りに過ごしてるんじゃないかとさえ思える。
それが少し寂しくて、すごく安心する。
誰にも期待しないから、誰にも役割を望むこともない。だから彼女の前では背筋を縮こめないでいられる。彼女の無関心が、感じた安心感の理由だった。
『もし都合が悪いなら、無理に集まらなくてもいいんだよ? 電話なりメッセージなりで分からないところは聞けるし』
「それは……」
あたしはわずかに逡巡する。勉強会そのものが嫌ってわけじゃない。むしろ、邪魔者ありとはいえ真白ちゃんと過ごせる放課後は特別な意味を持っていた。
しかし帰りが遅れると、今日みたいにお母さんと鉢合わせる可能性が高まる。どうしようか、いや、こんなこと考えちゃダメか。
だって家族と話すのなんて、当たり前のことだから。
「ううん、大丈夫! ってか、家だと全然集中できないし。やっぱ周りに人がいないとサボっちゃってダメだね」
『そっか。そうかもね』
一瞬浮かんだ考えを振り払って、明るい声を作って言う。好きな相手には、暗い感情を吐き出したくない。自分がそうされて嫌だったから。
例えば、よくあるドッキリで。愛を確かめるために恋人に酷い嘘をついて、それでも信じてくれた相手との絆が深まる。みたいな話。
そんな、宝石を地面に叩きつけて硬さを確かめるような行為がよくできるなと思う。
もしそれが、思っていたよりもずっと脆いものだったら、彼らはどうするつもりなのだろう。
一度割れた宝石を接着剤で繋ぎ固めても、できるのはヒビの入った宝石で、元には戻らないのに。
何かの拍子に、また手のひらから滑り落ちたとして。ヒビの入った宝石は前よりずっと些細なきっかけで砕け散ってしまうに違いない。
お母さんに言い返せないのも、真白ちゃんに言葉を伝えきれないのも、一番深いところでは同じ理由。こういう、壊れることへの恐怖があるから。
反抗期もそれに似ている。親に面と向かって文句を言えるのは、どれだけ酷い言葉を放っても許してくれると、無自覚に確信しているからできることなんだろう。
つまるところ、プロレスみたいなものなんだ。
本当の意味で関係が崩れることなどないという信頼があって、その信頼のもとで、愛情を再確認するイベント。そんな台本通りの茶番が反抗期の正体。
そのうえであたしは、愛情を信頼できていない。嫌だとか嫌いだの一言で、あっさり関係が崩れてしまうんじゃないかと思っている。
それはなにも、親にだけじゃなくて。
先生も、友達にも、真白ちゃんにでさえも。
役割から外れてぶつかり合って、それでお互いの心が砕けてしまったら。
もう、元の関係には戻れない。そんな不信感みたいなものが、あたしの唇をつぐませていた。
「真白ちゃん、明後日からはバイトないの?」
『うん。その辺は調整してもらったから』
「それなら良かった。ちゃんと嫌なときは断るのも大切だよ?」
『大丈夫。分かってる』
「そっか。じゃあ、また明後日! 男子は三日かかるけど、あたしには一日で十分だから! 期待して待ってて!」
『うん、覚えておくね。また明後日』
「またねー!」
別れの挨拶を交わして、耳元にあてがっていたスマホに視線を落とす。あるのは見慣れたホーム画面。
「……こういうの、どっちが先に切るかみたいな駆け引きがあっても良くない?」
どうやら真白ちゃんは、会話が終わったと見るやすぐに通話を終了してしまったらしい。あたしは電話に出るか出ないかであんなに迷ったのに。
なんかもっと、余韻とか。好きな人との通話にしてはあっさりしすぎてないかなあなんて思うわけですよ。
「もう。ブレないなあ」
不服さに一度口元を結んでから、ふっと表情を緩めて苦笑する。こういう淡白さもまた真白ちゃんらしくて、それが気楽だ。
「はぁ……。やりますかあ。真白ちゃんに啖呵切っちゃった手前」
今日から頑張るって言っちゃったからには、やらないわけにはいけない。ベッドから抜け出し、スクールバックに手をかけたところで。ふと。
自分は役割の押し付けにうんざりしているくせに、真白ちゃんの「らしさ」には安堵してたなあ、と。
結局好きって、理想の役割を相手に押し付けるってことなんだろうか。
(だとしたら、あたしは)
もし真白ちゃんが――仮の話ね。真白ちゃんでなくたって。
もし誰かがあたしのことを好きだと言ってくれて、付き合うことになったとして。
そのときあたしは、「その人の恋人」という役割を演じることになるのだろうか。
それは、相談役として過ごしている今と何が違うんだろう。テストで聞かれないことばっかり気になっている。点数上がんないわけだわ。




