ことりことりことり
「人と仲良くなるには名前で呼び合うのが一番なんだって。ネームコーリング効果って言って、研究もちゃんとあるんだよ」
「心理学を持ち出してくるあたり真白ちゃんらしいというか……ああ、見せなくて大丈夫」
スマホを操作し、証拠らしきネット記事を見せようとする真白ちゃんをやんわり制して。マジでメンタリストになるつもりか。
ぼんやりしているようで、変なところで理屈っぽい。あるいは感情の起伏が乏しいぶん、不足を文字と論理で埋めようとしているのかもと思う。
あたしは横目に五十鈴直を見やる。自分の頬が引き攣っているのが見ないでも分かった。きっと今凄い顔してるんだろうな。
「どうしましたことり? 早く呼んでくださいよことり。名前が分かりませんか? ことり。直ですよ五十鈴直。ねー早くー。ことりことりことり」
「自分はノーダメだからって……! ってかそもそも、下の名前で呼ぶの許可してないんだけど!」
「そうでしたっけ? いいじゃないですか、仲良しなんだし」
「誰が……あ、いや、そ、そうだねー……!」
名前を呼ばれるたび、鳥肌がひとつ増える。背骨の中心に電流が走るみたいにざわざわした。
仲良し、を否定しようとして、寸前で『約束』のことを思い出す。やっぱ絶交はキツすぎる。
名前。真白ちゃんから呼ばれれば嬉しくて、友達から呼ばれれば記号。嫌いな相手からだと……なんだ? 罵倒? っぽく聞こえる。不思議だ。
対する五十鈴直は、口角を吊り上げて勝ち誇った笑みを浮かべていた。あてつけがましく真白ちゃんに見えない位置で舌を突き出してくる。
引っこ抜いてやろうか。どうせ閻魔様に抜かれるだろうし、遅かれ早かれってものだ。
「ことりー? まだですかー?」
「ちょっと待って。心の準備が……」
コイツは以前から、馴れ馴れしくもあたしを呼び捨てにしていた。真白ちゃんには許可したけどさ。そのとき、コイツもそばにいたけどさ。それを勘違いしているらしい。
したがって、真白ちゃんの提案はあたしだけ一方的にダメージを負うもので。なんか悪いことした? いやしたか。だからこんなことになってるんだっけ。
(なんであたしを苦しめるようなことするの……!? もしかしてあたしのこと嫌い!?)
心の中でいくら叫んでも、周りに聞こえるはずもなくて。あたしの潤んだ瞳に何も思わない? 真白ちゃんはぽかんとした顔でこちらを見つめている。ダメっぽい。
どうやら、心理学の本を読んでも読心術は身につかないらしい。それもそうか。そしたら今頃世界はエスパーだらけのはず。
まあ、嫌いとか。そういうことじゃないはずだ。
真白ちゃんは誰かにひいきしたり、意地悪したりもしない。そういう性質の子だ。
その心が五十鈴直に寄っていないことを喜ぶべきなのか、あたし自身意識されていないことを悲しむべきか。
『嫌いじゃない』と言われたら『好きでもない』まで勝手に読み取ってしまうタイプのあたしは、こういうしょうもないことで複雑な気分になる。
とにかく。だからきっとこれは、純度百パーセント、善意から出た提案、のはず。それが巡り巡って試練と化していることなど、想像だにしていないんだと思う。
……名前呼びかあ。抜歯麻酔を受けたみたいに、口元が上手く動かない。「あー」とか「うー」とか、文章に満たない言い訳が歯の隙間からこぼれる。
「いやあー……。もう慣れちゃったし、今更恥ずいっていうか……」
「えー? 友達なんですし遠慮しないでくださいよおー」
ポンポンとあたしの肩を叩いて、五十鈴直が茶々を入れてくる。
二言目には煽りの飛び出すその口を、どうやって縫い合わせてやろうか。この前家庭科で習ったかがり縫いとかどうだろう。
「アンタは黙ってて。心の準備ってもんが……」
「アンタって言ったー! いーけないんだ、いけないんだー!」
「クソガキコイツ……!」
何歳だよこいつは。指を差して囃し立ててくる女児……あたしより背が高いから、女児とは形容しにくい。を、掴みかかりたい衝動に襲われるが、拳を握りしめて堪える。
ここで喧嘩になったら、それこそ元も子もないし。
「……無理にとは言わないよ。ことりちゃんのペースでいいから」
「そ、そう?」
「私はただ、仲良くしてほしかっただけなんだけどな」
「うぐっ……! わ、分かった。分かったから!」
真白ちゃんが、しょんぼりと擬音がつきそうなほどに肩を落とす。捨てられた子犬みたいな目が、心の一番柔らかい部分をチクチク刺激してきた。
友人に、好……きな、相手に。そんなことをされたら受け入れない訳にはいかない。
あたしは折れた。それはもうぽっきり。真白ちゃんのためだ。仕方ない。
「ニヤつくな。キショい」
「暴言ってレギュレーション違反じゃないんですか? 審判呼んでください」
「誰よ審判。こんなの、『友達』同士ならただのじゃれ合いでしょ?」
底意地の悪い笑みを浮かべる……直に投げやりに言い返して。
出そうと思っていないのに、「いー」とか「えー」とか、言葉にならない声が漏れる。このままいけば五十音コンプリートできそう。なんてくだらない考えを隅に追いやって、決意を固める。
「……な、直、ちゃん」
「…………」
「な、なんか言ってよ! ――――っ、終わり終わり! 真白ちゃんもこれで満足!?」
なんなんだこの辱めは。何時代の刑罰だ。
というか直。散々煽ったくせして、そっちが恥ずかしがってどうする。平気なフリしてるけど、耳の端が赤くなっているのをあたしは見逃さなかった。
やぶれかぶれに叫べば、無表情でサムズアップを繰り出す真白ちゃん。どうやらお眼鏡に叶った様子。それは大変よろしゅうござんしたね。もはやヤケクソだ。
「あー……、はっず。今後もこれで行かなきゃなんないの?」
「慣れれば平気だよ。私のことは名前で呼んでるんだし」
体内で膨張する熱に押し出されるようにして、全身から妙な汗が噴き出す。
手をうちわ代わりに扇いで、ワイシャツの胸元をパタパタ引っ張って。精神を源にする暑さは、なかなか引いてくれなかった。
そんな動作を売り返しているさなか、直の小さな呟きが耳たぶに触れる。
「なんでこんな。……はぁ。意識してるみたいで、馬鹿らしい」
それちょっとわかる。嫌なことのほうが、記憶に残りやすいらしいし。言いはしないけど、同意しておいた。




