悪口より、悪気のない言葉の方が
みっちゃんは薄く笑って、視線をわずかに持ち上げる。
それはあたしと、あたしの頭上に注がれていて。どちらかと言えば、覆い被さっているさっちゃんの方に同意を求めているように見えた。
「だってさー。どうせ赤点なるもん。勉強したって。無駄無駄」
顔を逸らしながら右手をひらひらと振る。ぶっきらぼうな言葉がひどく冷たい。
「なら、最初からしなくてよくね? ゴーリテキに」
「難しい言葉知ってんじゃーん。みっちゃんもベンキョーしたん?」
「ちげーし」
さっちゃんがやや間延びした口調でからかう。みっちゃんは鬱陶しそうに伸ばされた指先を払った。
喉の奥に泥が詰まったみたいな感じがする。みっちゃんのそれは彼女自身を卑下する言葉にも関わらず、なぜだろうか言いようのない虚脱感を覚えた。
「だからさ。意味あんのかなーって。や、嫌味とかじゃなくて。疑問なんだけど」
苦笑するみっちゃんに首を傾げられて、そうか、と思う。
「ウチらは無理」のなかの『ウチら』に、あたしも含まれているからだ。
虚脱感の理由。クラスという全体の中で、あたしと彼女を部分集合として括ったのは「同類」という要素だった。勉強が苦手を共通項にして、なんとなく集まったグループ。
だから、みっちゃんの自分を貶める発言が、自分に言われた言葉のように聞こえる。要素ごと否定するようなその言葉が。
きっと向こうはそんなつもりなんてないだろうし、あたしが気にしすぎなだけの気もするけれど。しょうもないことばっかり気付いてしまってどうしようもない。
あたしが返答に窮していると、「あー」。
フリーハンドで描いたみたいに口元の輪郭を歪めたみっちゃんが、生まれかけた沈黙を言葉で押し潰した。
「そんな熱血キャラだっけことり。恋愛をきっかけにキャラチェンした?」
「恋愛もキャラチェンもしてないってば」
「相手に影響受けるタイプだ?」
「いや知らんし。ありのままのあたしで十分可愛いっしょ」
「それはそうかも。そうやって調子乗ってるときの顔が一番可愛い」
「調子乗ってるとかじゃなくて事実事実」
おどける雰囲気に乗っかって、あたしも冗談っぽく返す。
それはあたしたち二人の間に生まれた、妥協案というか折衷案みたいなものだった。ギスりかけた空気をなかったことにする三文芝居。
空気というヤツは、見えないくせに大きな顔をする。どこにもいないくせに、一番大きな席を占める。鈍痛。どこにあるかも分からない筋肉が痛む。
「中学のころもいいたんよねー。彼氏できた途端、パタッと遊んでくれなくなっちゃった子」
「まーそんなもんなんじゃん?」
「や。邪魔しようとは思わんけどさ。寂しいっしょ」
みっちゃんが求めているのはたぶん、持続と安心なんだと思う。
グループとして変わらないことを通じて、自分も変らなくて大丈夫だという安心感を与え合う。それがきっと、この集団が存在する意義。
集団そのものの良い悪いは分からない。そこはあんま、重要じゃない。
真白ちゃんとの関係に現状維持を求めるのと同じように、事実こういう安寧は心地いいときもある。ときの方が多い。だからみっちゃんを否定する気にはなれなくて。
少なくとも、今のあたしがしていることと求められてるふるまいは、噛み合ってない。それを自覚するので精いっぱいだった。
「あたしはそんなんじゃないって。つかそもそも色恋じゃないし」
「だよねー。ウチも今はJK満喫したいわ」
「色恋ってJKじゃないん?」
「確かに? ヤバいんかな。行き遅れ的な?」
みっちゃんの自虐に三人同時に笑う。一瞬流れた微妙な空気は、初めからなかったみたいに消えていた。
空気め。デカい顔をするくせに、いつの間にかいなくなるのも性質が悪い。潮の流れが早すぎて溺れそうだ。
そう。少し待つだけで、嫌な空気は消えていく。だから喧嘩になんてなりようがない。
ほんの少しの我慢で、あたしたちの関係は維持される。一時のモヤモヤを解消するためだけに関係を悪化させるなんて、それこそバカのすることだ。
レストランで、一つ気に入らないことがあるだけで店にクレーム入れる人がいないみたいに。や、たまにいるけどそれは例外として。
他の九十九パーは気の合う友達だから。たった一パーの食い違いで喧嘩してたらキリがない。そんなんで喧嘩してたらやってけるはずがない。
だからっておどける必要はないけれど。こんな会話にしかならないのは、きっと正面からぶつかる勇気があたしにはないからだ。
「勉強できることりとか、それもうことりじゃないでしょ」
「いや分かる。メガネとか掛けだしたりしたら見つけれなそー」
続く言葉にさっちゃんが同意して、細い指先であたしの頬をつつく。なんでだよ。似合うだろメガネ。素材がいいし。
みっちゃんさっちゃんに悪気はない。それなのに、直の吐く露悪的な言葉よりも鋭く刺さるのはなんでなんだろう。
悪口より、悪気のない言葉の方が傷つくのは、たぶん。それがまぎれもなく本心から出た言葉だと分かってしまうからだ。
あえて傷つけようとしていないぶん余計に。お互いの理解とか思考に、矯正不可能な溝があると実感させられてしまう。
「たしかに、らしくなかったかもね」
「お? そうそう。根の詰めすぎも良くないってー」
あたしは肩に掛けられたさっちゃんの腕を持ち上げて外す。あたしの態度が軟化したのを見て取ったみっちゃんが、わずかに上半身を前に乗り出してくる。
「わかった。今日は付き合うよ」
「お! 流石!」
「その代わり、マイク離さないからね?」
「全然オッケー! いや、やっぱそうこなくちゃね!」
嬉しそうに笑うさっちゃんと同じ顔をする。自信はなかったが、きっとできているはずだと思う。
なんとなく断れなかった。よえー、あたし。いくらでも理由はつけられたのに。
真白ちゃんと直には後で連絡しとけばいっか。そもそも、毎日参加しなきゃいけないなんて約束はしてないし。
一日くらい許してくれるよね。たぶん、きっと、めいびーまいと。
真白ちゃんはともかく、直は口うるさく言ってきそうだ。ちらりと彼女の席を振り返って。目を逸らされた、気がした。




