バルサミコ酢?
「ねーねー。今日二人でカラオケ行くんだけどさ。ことりも来ん?」
「また? 昨日もそんなん言ってなかったっけ」
「昨日はボウリングだし。カラオケは一昨日」
「あんま変わんないじゃん。よく飽きないね……っても、この辺じゃ遊ぶとこなんてそのくらいか」
「ねー」
隣の席に座るみっちゃんが、不満を含んで間延びした声で同意する。彼女は椅子を傾けて足を浮かせる。
後ろ側二本足だけでバランスを取りながらゆらゆら揺れる姿は、不安定さと奔放さを同時に表しているように見えた。あたしは開いていた単語帳を机に伏せて、体ごと声の方に向き直る。
「てかさ。みっちゃんはなんでそんな余裕なのさ。テストまであと一週間だよ?」
「前も言ったじゃん。ハナから諦めてるから。さ!」
「威張って言うことじゃなさすぎる」
何をそんなに意気揚々と言うことがあるのか、みっちゃんは自慢げに唇の片側を吊り上げながらサムズアップする。
相変わらず気楽だ。彼女にとっては、テストよりも放課後歌うセットリストの方が重要な問題らしかった。
中間テストまで、残すところあと一週間。逆に、勉強会が始まって一週間が経ったとも言い換えられる。
そう。あの日の放課後以来、毎日勉強会に参加しているのだ。今のところ皆勤賞。あたし、非常に偉い。
おかげで、暗号でしかなかった数学もギリ読めるくらいにはなってきた。最近のキラキラネームくらい。
それに釣られてか、モチベーションもそこそこに高まっている。今までなら休み時間に単語帳とか絶対あり得なかったし。
と、言うことで。少し申し訳なくはあるけれど。
「ごめん。今日はパス」
「うぇー? 今日はってか、今日もじゃん。ぶーぶー」
「ちょ、やめ。どつくなグーで」
お誘いを断らせていただくと、唇を尖らせたみっちゃんが脇腹を小突いてくる。
可愛らしいじゃれ合いだ。その拳が的確に急所を狙ったレバーブローでなければの話だが。
「ごほっ……。今週はずっと勉強会って約束しちゃってんの。だからごめん」
「うっそマジ? 先週からずっとじゃん。……弱みでも握られてる?」
「されてないから」
「(無言で親指を折り曲げ、それを握り込む)」
「SOSのハンドサインじゃなくて。たまにリールで流れてくるけども」
自分が飽きっぽい性質であること自体は否定しないけど、そこまで言われるとなると流石に不服だ。
やはり信じられないふうに見つめてくるみっちゃんと無言で火花を散らし合っていると、背後から覆い被さるように体重が掛けられた。
「わ」
「どしたんことり。最近ノリ悪くね」
のけぞる形で後ろを振り返ると、鼻先が触れるくらい近くにさっちゃんの顔があった。ウェーブがかったサイドテールが頬に触れてこそばゆい。
ギャルズの片割れである彼女は口元をへらりと緩めている。みっちゃんの言う「二人でカラオケ」のもう一人も、きっと彼女だろう。
あたしはラジオ体操よろしく、上体を逸らしたままの格好で答える。
「ノリっちゃないよ。テスト期間終わったらいくらでも付き合うからさ」
「あー。テスト期間中に遊んだほうが楽しいって大学の研究結果で出てんの知らん感じ?」
「ソースは?」
「バルサミコ酢?」
「サラダバーに何かけるか聞いてんじゃねーんだよ」
「おお。この感じも久しぶり」
頭を揺らして軽い頭突きをお見舞いすると、さっちゃんは満足げにしししと笑った。彼女はこちらにしなだれかかったまま耳元でささやく。きもい。
「ことりもさー。勉強なんかやめて遊びいこーよ」
「赤点取ったら補習になるんだし、それなら先にやっといた方が良くない?」
「へーきへーき。三人なら補習も怖くないって」
「集団自殺じゃん。問題になるって」
「だめかー」
さっちゃんの脱力とともに背中に掛かる重量が増し、「ぐえ」と轢かれたカエルみたいな声が漏れる。階級差を考えろ。椅子の背もたれを掴んで潰れゆく体を支えた。
「なんなら二人も来る? 勉強会」
「いやあ。今更やっても石焼ビビンバじゃね」
「焼け石に水ね。有効活用しようとしないで」
「むしろことりがそんなに熱心なのが、ウチらにとっては意外っていうか」
息も絶え絶えに提案すると、スマホを取り出してカメラをこちらに向けながらみっちゃんが言う。撮ってないで助けてくれ。脊髄反射で形ばかりのピースを作る。
――同類。入学当初、知らない人間の方が多い教室で、あたしたち三人を繋ぎ合わせたのはそんな言葉だった。授業態度も良くなくて、成績も並み以下で、ラッキーパンチで受かった組。
だから、当然の反応なんだろう。群れの中で一人だけ仲間と違うことをし始めたら、変に思うのは当たり前だ。
写真をライブラリ送りにしたみっちゃんが、頭上に電球を光らせながら手のひらを打つ。見るからにロクでもないことを思いついた顔。
「分かった。やっぱり五十鈴さんっしょ」
「それだけは違う。このノリいくら払ったらやめてもらえる?」
げんなりして言う。ここまで来るともはや分かってやってるんじゃなかろうか。
もしかして、直に雇われた刺客とかじゃないよね。流石にないか。
直による間接的な嫌がらせを疑って、自分で否定する。不仲バレのリスクを極端に避けたがる彼女の性格から考えるに、クラスメイトまで巻き込むとは考えにくかった。
つまるところ、純然たる勘違い。それが一番厄介だなあ。
「はぁ―……。恋人できたら友達ほったらかしにするタイプか。悲し」
みっちゃんが目元を覆ってヘタクソな泣き真似をする。直のそれよりは上手だった。
「できてないししない」
「じゃなかったら勉強会なんておかしいって」
「舐めんな」
広義の意を込めてみっちゃんの肩をゆする。あたしにのしかかっているさっちゃんも一緒になってゆさゆさ。邪魔だ。
「いやさ、あたしもはじめは嫌々ではあったんだけどね? 分かってくると割と楽しいんだよ。レベルアップ、みたいな?」
自分が勉強のあれこれを語ると気が来るなんて思っていなかったから、妙に言い訳がましい口調になってしまった。ぎこちない直線的な身振り手振りを交えながら説得を試みる。
同じ学校にいる以上当然、赤点を取ったら補修になるのは二人も同じ。そうなると、二人ともしばらく遊びにくくなる。それはそれで嫌だった。
友達二人が補習食らってんのに、自分だけ悠々と遊びに行くのもちょっと気まずい。
……いや、なんで自分は赤点回避できる前提で喋ってんだ。そこが一番怪しいっつってんのに。
とにかく。真白ちゃんと遊べなくなるのと同じくらい、二人と遊べなくなるのも嫌だってこと。だから二人にも赤点を回避してほしい。そう伝えたかった。
「だからさ、まだ一週間あるし、二人も――」
「いやー。無理っしょ」
「え」
「ウチらバカだし。無理だって。ねえ?」




