なんかバグりました
階段を降りた先をまっすぐ進むと、正面入り口とは別に外へ通じる扉があった。
そこから中庭に出る。簡易的な喫煙所と公衆電話、あとは自動販売機が二台設置されていた。
一番最初に目に付いたストレートティーのボタンを押す。
夕方ということもあって外は涼しかったけど、知恵熱のせいで体は火照っていた。赤くなった頬にペットボトルを押し当てると、冷たさが心地よかった。
付近に置かれたベンチに腰かけて、植木を眺める。
屋内にいて気付かなかったが、そこそこ風が強い。ぼけっとしていると、体に詰め込んだはずの知識が耳から流れ出て、空気に溶けてしまいそうな錯覚に襲われた。
それが少し怖くなって、休んだらすぐに戻ろうとペットボトルの封を切る。ぱきりとプラスチックの割れる音と同時に、後方で扉の開く音がした。
「何、アンタも来たの?」
「『二人は頑張ってたから』ーって。追い出されるみたいに」
「意外と強情なとこあるよね、真白ちゃん」
振り返ると、直が右手をひらひらと振ってこっちに向かってくるところだった。
直はなんの了承も得ずに、しれっとあたしの隣に座ってくる。肩と肩が触れ合うくらいの距離だ。
ペットボトル傾けて喉を潤す。そのまままたボーっと……。
なんだろう。何かがおかしい。数秒考えこんで、ようやく違和感の正体を突き止めたあたしは、困惑交じりに聞く。
「……なんでくっつくの? 真白ちゃんもクラスメイトもいないのに」
「……あれ? そういえばそうですね。なんかバグりました」
ナチュラルに受け入れていたけど、今この瞬間において仲の良いフリをする必要はみじんもない。
向こうも向こうで疲れているのだろうか、直は不思議そうにしながら少し距離を取る。
その失態をごまかすかのように、直はわざとらしくワイシャツの胸元を引っ張って空気を呼び込みながら、こちらにチラチラと視線をよこす。なに。
「図書館って乾燥してますよねえ。たくさん喋って喉がカラカラです」
「その辺の草でも噛んでたら?」
「どんな極限状態ですか」
なんてこと言うんだ、とばかりに目をむく直。あてつけがましい言い方はさらに強まる。
「先生って辛い職業ですよねぇ。そうは思いませんか? どれだけ一生懸命に教えても、嫌われこそすれお礼なんて言われないんですから」
「む、それは……。じゃない、そもそもあたしへの嫌がらせが目的だったでしょ! 騙されないからね!」
「ちぇっ」
かすかに舌打ちして、直はベンチに深く座り直す。なおなおする。子供っぽく唇を尖らせる姿には、優等生の面影は欠片もない。
あたしの口元が意思に反してぐにぐに動く。まあ、教えてもらっといてなんもしないのってのも、なんかなあ。言い方がまどろっこしいからこっちも素直になりたくなくなるだけで。
「……ああもう、わかったわかった! 何がいいの?」
「え、いいんですか?」
「そっちがアピールして来たんじゃん。白々しい」
「じゃあコーラで。いやあ、ごねてみるもんですね」
ヤケクソ気味に立ち上がって聞く。なんでアンタが戸惑うんだ。
かと思えば、悪びれもせずに要求してくるし。直は足を組み替え、ご満悦の様子であたしがパシられるのを待っている。
あたしは再度自販機に向かい、コーラを探す。自分の目線より高い位置にある一番左上のボタンを背伸びしながら押した。
間もなく落ちてきた炭酸飲料。
浮かぶ気泡を眺めて、思い切り振ってから渡そうか悩んだが、僅差で良心が勝ったのでやめた。あたしはちゃんと道徳があるので、食べ物飲み物で遊んだりしないのだ。
「ん」
「ごちそうさまでっす!」
「野球部?」
そっけなく突き出したペットボトルを、直は両手のひらを上に向けて慇懃に受け取る。わざとらしい。
あたしはそのまま直の隣に座る。立ったついでに別の場所に座る手もあったが、そもそも先にこのベンチに座っていたのはあたし。なんで譲ってやんなきゃならないんだという意地が芽生えていた。
「残念だったね」
「うん? 何がです?」
「勉強会。嫌がらせのつもりだったんだろうけど」
「ああ。そのことですか」
「真白ちゃんと遊びに行くためなら、アンタのことも利用してやるから。敵に塩を送ってるだけなのでしたー」
残念。べろべろばー。顔の横に広げた手を持ってきて煽る。端から見たらエリマキトカゲに似てるかもしれない。
とまあ、直みたいな煽りはほどほどにして。――争いは同レベルでしか発生しない――。あたしの方が格上なのだから。五十ポイントぶん。
「まあでも。ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ助かった。数学って、答え見ても解説が無い問題とかあるしさ」
「ああ、まあ。それは分かります。難しい問題だけピンポイントで解説省略とか」
「あれなんかの法律に違反してたりしないわけ?」
図形とか証明とか。略すなよ。女子高生が製本してんのか。
「それとさ。こんなギャッ、て集中できたの初めてなんだよね。二時間も経ってたのかーってびっくりしたもん」
「教える人が良いからじゃないですか?」
「最初は真白ちゃんと遊ぶためって思ってたけど。勉強楽しいとかめちゃ久々だ」
直の戯言を無視して、ペットボトルに口を付ける。ツッコミを入れない理由作りに過ぎなかった。
対してダメージもなさそうな直が大きく伸びをした。身長にはだいぶ差があるのに、座高はそこまで変わらないのが腹立たしかった。
「とはいえ、結局は教わる側の問題なんですかね? ことりもことりで、物分かりは悪いですけど――」
「喧嘩?」
「――口も悪いですよね」
「文法おかしくない? 誉め言葉が来ないと辻褄合わないよ?」
真白ちゃんいないんだぞこの野郎。ここらで一発分からせておこうかとファイティングポーズを取ると、直が口角を三日月に吊り上げる。イタズラが成功した少年のような表情に、なんとなく毒気を抜かれた。
「まあ。それは冗談として。私もちょっと意外でした。まさかこんなに粘るとは」
「ふんだ。あたしだって、やるときはやるし」
「ええ、作戦は失敗みたいです」
直は正面を向いたまま言う。失敗、と口にするものの、そこまで残念そうには見えなかった。
「あなたみたいな人って大抵、口では偉そうなこと言う割に実際一枚剥いだら大したことない、芯のない人間だと思ってました」
「言い過ぎ言い過ぎ」
「世間的な陽キャのイメージってこんなもんじゃないですか?」
「その世間鬼しかいなくない?」
そんなひねくれてんのアンタだけだよ。コイツの陽キャへの憎しみみたいなのはどこから湧いてくるんだ。こういう偏見っぽいところも好きになれない。
「でも、少しだけ見直しました」
そっぽ向いた直が、春風に負けそうなくらいの声量で言う。
その赤らんだ耳をまじまじと見て。あたしは思いっきり後ずさりした。いつの間に偽物と入れ替わった? 休憩所に来るまでの間か?
「え、きも……。何が狙い? ジュース買うくらいしかお金持ってないよ?」
「私をなんだと……!? 分かりました。後半の部はもっと厳しく行きますから。覚悟することですね」
「なんで!?」
悲鳴じみた声を上げるあたしを残し、直は踵を返して館内へ戻っていく。後ろ姿はやけに早足で、追いかける気にもなれなかった。




