それから
それからしばらくお喋りしながら掃除を続けた。その間も、真白ちゃんの天然ぶりはとどまることを知らず。
「え? それでどうしたの?」
「道分かんないから線路沿いにずっと歩いて駅まで戻ったよ。二時間くらいかな」
「ニ!? 根性あるなあ……」
「根性っていうか、戻らないと夜ご飯に間に合わないし」
「そこじゃなくない? 絶対に」
今は、真白ちゃんが知らない街で迷子になったときのエピソードトークを聞いていた。ふと思い立って変な駅で降りて、スマホの充電を切らしてしまったらしい。
不思議な子もいるもんだ。中学生のころから喋っておけばよかったとますます後悔する。
でも、今日こうして友達になれた。高校三年間、思い出を作る機会はいくらでもあるはずだ。これから取り戻していけばいい。と、その前に。
「そろそろよくない? 机戻して、終わりにしようよ」
「そうだね。元々そんなに汚れてなかったし」
いくらでもあるからこそ、今日はこのくらいにしておこう。
折りたたんでいた背筋を伸ばして、あたしは提案する。固まった体から骨の鳴る音がした。
「……あ」
「ん? どしたの」
掃除用具を片づけていた真白ちゃんが、ふと思いついた様子で手を止める。
「チョークが短いのしかないって、先生言ってた」
「あー。あたし、職員室行って貰ってくるよ」
「いいの? じゃあ、お願い」
「おっけー! 戻ってくるまで休憩してていいから!」
ここまで来て、机を動かす重労働を真白ちゃんに任せるのは申し訳ないと思った。あたしはそんな伝言を残して教室を抜け出す。
一年生の教室が三階にあるのに対し、職員室は一階にある。これがなかなかにキツイ。遅刻寸前の朝なんか、教室が遠すぎてキレそうになるくらいだ。
そうして、職員室で新品のチョークを貰って、その奇麗な円柱に少し気を良くして。
真白ちゃんの待っている教室に戻ろうと、早足で廊下を歩いていたとき。
「あ」
「う」
通りかかった昇降口に、クラスメイトの姿を見つけた。
「五十鈴さん?」
声をかけると、長身の少女は渋い顔になる。しかしそれも束の間、次の瞬間には人懐っこい笑みに変わっていた。
「えー……っと。百瀬さんも今帰りですか?」
微妙な間をおいて言葉が返ってくる。今思い返すと、名前を思い出すのに手こずっていたんだろう。むしろ良く思い出せた方……ってのは、ハードルが低すぎかな。
「いや、まだだけど……。って、五十鈴さんも掃除当番じゃなかったっけ?」
「え? ……ああ! 用事が済んだら戻るつもりが、うっかりしてました!」
「なーんだ。うっかりかあ。だよねー。真面目そうな五十鈴さんが当番すっぽかして帰るわけないもんねぇ」
「いやあ、ごめんなさいごめんなさい。ついうっかりで」
「五十鈴さんも可愛いとこあるんだー。親近感湧いちゃったかも」
あははうふふ。和やかな空気が流れる。
しかし、某死神のノートを五周くらい読み返しているあたしは見逃さなかった。彼女の肩に掛かったスクールバックを指差して。
「戻るつもりなら、教室に鞄置いてくよね!?」
「くっ、存外鋭い……!?」
「そのまま帰るつもりだったでしょ。忘れてたって言い訳は通用しないよ?」
用事を挟んで忘れたならともかく、教室を出るときにバッグを持ち出していたなら意図的だ。流石に突っ込まざるをえない。
言い訳の矛盾を突かれた直が昼ドラの犯人のごとく動揺を露にする。そしてこれまた昼ドラの犯人のごとく、自分から本性を露にするのだった。
「はあ……。そうですけど、それがなにか?」
「コイツ、開き直った!?」
「言うじゃないですか、『バレなきゃ犯罪じゃない』って」
「あたしにバレてるけど」
「犯人が自分から動機を喋り出すときは、最後の抵抗をするときって相場が決まってますよね」
「消される!?」
すわ戦闘かと。反射的に半歩引いてファイティングポーズを取る。
黒幕じみた笑みを浮かべ、妖しく指先をしならせる直との睨み合いが続く。一触即発の緊張感を破ったのは、廊下から聞こえてきた話し声だった。
トーンや会話の内容からして、あたしたちと同じく新入生だろう。そんな女子生徒二人組が昇降口に近づいてきていることを察した直は、諦めたふうに両手を下ろした。
「……分かった、分かりました。戻ればいいんですよね?」
「そ、そうそう。もう、脅かさないでよ」
「昇降口は人通りが多いですしね」
「場所によってはやられてたじゃん!」
割とマジな目をしながら忌々しげに言い放つ直。今にも舌打ちが聞こえてきそうだった。
仮にも乙女の顔つきではない。もはや抱いていた優等生のイメージは跡形もなく消え去っていた。
典型的な猫被り。
教師の前でだけいい子ちゃんぶるタイプで、逆に見られてさえいなければ掃除当番をサボるくらいには不真面目なヤツなのだ。さっき言った、委員長は偉い発言を返して欲しい。
「はぁ……。いいじゃないですか掃除くらい。誰も気づきませんって」
「ダメ。サボろうったってそうはいかないから」
ツイてない、とばかりに直は唇を尖らせた。もはや隠すつもりもないらしい。
端正な顔立ちが、今はイタズラのバレた少年のように歪められている。不相応に幼い表情が印象的だった。
「って言っても、あたしともう一人しか真面目にやってる人いないんだけど」
「なーんだ。じゃあいっそ、二人で抜け出しますか?」
「つまんないパーティじゃないんだから。机戻すくらいは手伝ってよ」
まだ少し不満そうな直を引き連れて教室へ戻る。あたしたちがくだらない言い争いをしているうちに、ただチョークを貰いに行くだけにしては長すぎる時間が経っていた。
(真白ちゃん、待ちぼうけ食らって怒ってるだろうな)
そう思いつつおっかなびっくり教室のドアをスライドさせると、そこにはなにもかも元通りの空間が広がっていた。
「あれ!?」
「あ。おかえり」
思わず上げた驚きの声に返事が返ってくる。
後方に下げられていたはずが、普段通りの位置に整然と並べられた机。あたしが使って出るときそのままにしていったはずの箒もなくなっている。
「ただいま……じゃなくて! 休憩しててもいいって言ったのに!」
「うん。だからこうやって」
「そう言うことじゃないじゃん……」
あたしがチョークを取りに行っている間に、ひとりで全部終わらせてしまったらしい。自分の席で平然と文庫本を開いている真白ちゃんに駆け寄る。
「いや、一緒に片づければよかったじゃん!」
「ああ、そういう……」
「えー、ごめん! 全部任せたみたいになっちゃって」
どうやら、うまく伝わっていなかったらしい。
あっけらかんと言ってみせるその姿に、なんだか肩の力が抜けてしまう。遅れたことへの恨み言のひとつやふたつ予想していただけに拍子抜けだった。
「いいよ。全然気にしてないから」
声に抑揚がないせいで、嘘か本当か分からない。でもきっと、さっき話した感じからして本当に気にしてないんだろうな、と思った。
「……これ、私が来る意味ありました?」
遅れて、首を傾げた直が近づいてくる。結果論いなくて良かったけど、来ない理由にはなっていない。
「あるよ。ってか真白ちゃん聞いてよ! コイツしれっと――」
「あーっと手が滑っちゃいましたあ!」
「んーっ!?」
帰ろうとしてたよ、と。告げ口するよりも早く口元を塞がれる。凄まじい反射神経だった。そんなに嫌ならはじめからサボらなければいいのに。
「……えっと? チョーク、貰ってきてくれた?」
「――ぷは。うん。ちゃんと持ってきたよ」
「そっか、ありがとう」
不思議そうな問いかけに応えると、真白ちゃんは静かに頷いて文庫本を閉じた。気になったけど、何の本を読んでいたのかは分からなかった。
告げ口しようとするあたしと、阻止しようとする直。攻防を続けるあたしたちをよそに、真白ちゃんは淡々と帰り支度を進めていく。
「じゃあ、百瀬さん待ってただけだから。私は帰るね」
「え、ああ、うん。じゃあね?」
「また明日」
そう言って、軽そうなスクールバッグを肩にかける。……それだけ?
もう少し追及されると思っていたらしい直と、二人して顔を見合わせる。あたしが戻ってきたのを確認したきり、完全に興味を失ってしまったみたいだった。
(真面目……とは、違うのかも)
真面目な子だと思っていた。しかし、ただ真面目なら、サボりがいた時点で怒るなり呆れるなり、とにかくなにか感情を見せても良かったはずだ。
彼女にはそれがない。真っ白だ。そう形容するほかなかった。
怒りもしなければ、楽しそうな顔一つしない。そんな彼女が、異様な、得体の知れないなにかのように思われて。
「そうだ。真白ちゃん」
「なに?」
「琴璃でいいよ。名前」
それから、彼女のことを目で追うようになっていた。




