ホンマツ、テントー
勉強と掃除は相似。やれと言われるとやりたくなくなって、やらなくていいほうをやりたくなる。
変な『約束』を交わす少し前。真白ちゃんと初めて喋ったのは、入学して一週間経たないころの放課後だった。
ただでさえ見慣れない教室は、清掃のため机が全部後方に下げられているせいでなおさら違和感にあふれている。
あたしは手のひらの上で逆立てた箒のバランスをとる。やる気がないのを見透かされてしまったのか、五秒と持たずに傾きだした。
倒れゆく箒を慌てて掴んで、安堵の息を吐く。部活からしばらく離れていても、スタミナはともかく反射神経は意外と落ちないものだな、と。自分を褒めたい気持ちになった。
「飽きたー! めんどくさーい!」
投げ出したい気持ちが、言葉になって飛び出してしまう。そこまで大声のつもりじゃなかったのに、二人しかいない教室にはやたらと響いた。
生徒同士の結束力を高めるという名目で、班を作って教室を持ち回りに清掃する。矢羽高校の伝統らしい。中学時代の先輩に聞いた話だから本当か知らんけど。
しかし、その慣習はとうの昔に形骸化してしまっていて。今となっては真面目にこなす生徒の方が珍しいと、後から同じ先輩に言われて知った。張り倒してやろうかと思った。
「仕方ないよ、百瀬さん。みんな用事らしいし」
隣から抑揚のない声がする。宥める口ぶりに振り返って。
「いーや、絶対嘘だね! サボりに決まってる」
「そう、かな」
「そう!」
奥歯を噛みしめると、耳の奥で嫌な音がした。
事情を説明しにきたクラスメイトの悪びれない顔を思い出す。もっと申し訳なさそうにしてくれてれば、フォローのしようもあっただろうに。
まだ探り探りの距離感だったそのときは、どう呼ぼうか一瞬迷った。
とはいえ同級生かつ同性。一応は同じ中学校出身だったので、他の友達と同じように呼ぶことにした。
「嘘じゃなかったとしてもさあ。真白ちゃんも、押し付けられたらムカつかない?」
「うーん……? 別に」
「え、菩薩?」
「人間だけど」
「いや比喩だって。ボケにマジ顔で返すのやめて」
「マジ顔……って何?」
教室にいたもう一人の少女――真白ちゃんは無表情で言って、自分の頬を両手で挟んだ。
上下する手の動きに応じて、薄い唇が絶え間なく形を変える。伏し目がちで色白だから、儚げな雰囲気をまとっていたのに。変顔のせいでその印象は遥か彼方に吹き飛んでしまった。
「ぷっ……。あはは! なにしてんの?」
「変な顔してたかなと思って」
「なにそれ? こんな面白い子なら、もっと前に話しとけばよかった」
「もっと? 入学したばっかりなのに?」
「……え? 同じ中学校だったじゃん」
「え」
「……もしかして、あたしのこと覚えてない?」
「…………」
あたしたちの間に重い沈黙が流れる。マジか。
特別仲が良かったわけじゃないけど、同じ学校で三年間過ごしていれば自然と名前くらいは聞き覚えあるもんだと思っていた。ウチの中学、一学年百人もいなかったし。
自転が止まってしまったかのような静寂がたっぷり数秒続いたあと、真白ちゃんがはおずおずと口を開く。
「ごめん。あんまり人のこととか、覚えるの苦手で」
「あーいやいや! あたしも中学校のころはもうちょっと大人しかったっていうか? だから覚えてなくて当然、みたいな!?」
「同じクラスの人だったりしたら、良かったんだけど」
「二年のころ同じクラス……」
「あう」
失言だったとばかりにうつむいて、真白ちゃんは今度こそ完全に黙りこくってしまう。いや黙られても。
……気まずい。あたしもまた床に視線を落として間を埋める。
機械的に箒を動かしてはいるけれど、すでに掃除する必要があるのか分からないくらい奇麗だった。だから、掃除してるフリ。
「ごめんね。いつもこんな感じで、変な空気にしちゃうんだ」
「全然! 全然気にしてないから! マジで!」
「あ、ありがとう?」
大袈裟に身振り手振りを交えてノーダメージをアピールする。その勢いに押された真白ちゃんが少しのけぞって、また別の意味で微妙な空気。
(結束力を高めるって……逆に空気最悪なんですけど!)
新入生同士仲良くしてほしいという教師陣のおせっかいも理解できなくはないが、結局のところおせっかいでしかなかった。
大人だって子供のころはあっただろうに。なんで気持ちを汲み取れなくなるのか。いつ、どのタイミングでそうなるのか。不思議だ。
ここにいない生徒の姿を思い浮かべつつ、手を動かす。あてつけがましく指折り人数を数えても、教室にはあたしと真白ちゃんの二人しかいない。本体、班は五人一組のはずなのに。
(これじゃホンマツ、テントー? じゃん)
思いつつ、自分以外にもう一人いるだけに放り出しにくい。共通の敵を作るって意味では、ある意味目的は果たされてるのかも。
「それにしてもさー。何も悪いことしてないのに居残りとか、ありえなくない?」
「交流の機会を作りたい、のかな。同じ学校でも、知らない人と話す機会って意外とないから……」
「自分で言って傷つかないで? まあ、その理屈も分かるけどー……」
あたしは唇を尖らせたまま話を区切る。そうしないと、嫌な言葉が漏れてしまいそうだったから。
他人の愚痴なんて、聞かされても面倒なだけだろう。クラスメイトを責める前に、真面目にやってる真白ちゃんを誉めるべきだと思い直した。
「実際みんな帰っちゃったしなあ。……ああでも。五十鈴さんは先生になんか頼まれてたんだっけ」
「日誌、とかなんとか」
「委員長は大変だねー。ああいう人は偉いよ」
「でも」と真白ちゃんが続ける。
「百瀬さんも偉いよ。サボらずやってるんだもん」
「え? んー……そうかな?」
それを言うなら真白ちゃんもじゃん。サボらなかったくらいのことで、偉いと称されていいものなのか。
「うん。そうそう」
「そっか! あたし偉い! 凄い! 完璧美少女!」
「そうそう」
「適当に反応してるよね!?」
感情のこもっていない声。思わず真白ちゃんに箒の先端を突き付ける。対して、彼女は首を緩く横に振って否定する。
「本気だよ。それこそ私も、他に誰かいなかったら帰ろうと思ってた」
「そうなの? 意外」
「残っても何かあるわけじゃないでしょ? だから、それが普通だよ」
普通。なんとなく突き放すような言い回しだった。
人当たりよさそうなイメージとの差に驚いて、横目で真白ちゃんの表情をうかがう。そこには、怒りも不満も、呆れすら浮かんでいなかった。
(冷めてる、って言うのかな)
何かあるわけじゃないとしたら、サボるのが当たり前、みたいな。
人間は見返りがなければ動かない。きっとそんな考えが根底にあるんだと思う。だからこそ、あたしを指して「偉い」と評したんだろう。
事実、掃除当番を任されて残ったのは二人だけ。しかし、その考え方は少し、寂しいというかなんというか。最初から他人をマイナスで見るのは、ちょっと悲しい。
真面目だけど冷たい人間――そのときのあたしは、真白ちゃんにそんな印象を抱いた。




