読者がごっそり消えた、再出発のための真剣な会議、その結果、鴎外に漱石を
桜「さて、自由になったことだし、今後の方向性を考えようか。」
翼「まず現状だけど、読者がごっそり減った。」
紬「そりゃそうよ。人気のライ様の物語を追い出したんだもの。裏切られた気持ちでいっぱいよ。」
桜「うちらの立場ってさ、ゲストで呼んだバンドが大好評で盛り上がったときに、はいはい、ご苦労様、もう帰っていいよ、って舞台に出てきて、さあ、またうちらと盛り上がろうって客席に声をかけたグループみたいになってる。」
翼「最悪なんですけど、それ。」
紬「帰れーって客席から舞台にものが投げ入れられそう...」
桜「仕切り直しは慎重に進めないと。何か案はある?」
翼「基本に立ち返ってこれまでの軌跡を振り返ってみよう。何が成功して何が失敗したか。」
紬「グリム童話とか坂本龍馬とか、誰でも知ってる話はわりと受け入れられたけど、あまり知られていないギリシャ神話のエピソードとか、ペローの青ひげとか、認知度の低いものを取り扱うととたんに反応が冷える。」
桜「認知度か....作者の常識が世間とズレているかもしれない。」
翼「それな。認知度といってもその内容はさまざま、名前だけやんわり知ってるけど何の話だっけというのはわりと多いかも。」
紬「たぶん“レ・ミゼラブル”もそうだったかも。」
桜「正確に記録は取っていないけれど、ファウストもフランケンシュタインもたぶん同じだったよ。読者に刺さらない。」
翼「恐怖で桜が失禁したジャンヌ・ダルクはウケたけどね。」
桜「余計なことを言うな。私は恥辱を売って読者を得るつもりはない。」
紬「そうだそうだ、私のベランダ失禁にも触れるな。」
翼「....自分から触れてる....」
桜「なので、制度的に認知が行き渡っている世界、そこがとりあえずの安全圏ではないか?」
翼「というと?」
桜「日本人はほぼ全員が中学校を出ている。義務教育だからね。そこで、中学校の国語の教科書で取り扱われる作品世界なら盤石ではないか?」
紬「おお、日本の管理層の視点。」
翼「ではさっそく検索してみよう。中学国語で読んで気に入った作品ベストテン…………はい、出ました。10位から行くよ。」
桜「1位からじゃないのか?」
翼「それやっちゃうとあとは下がる一方じゃん。」
桜「たしかに。」
翼「10位は...夏目漱石の“夢十夜”。」
桜「やばい。夢の話だから頭に残っていない。」
紬「介入しようがないような作品だったはず。何万匹の豚が突進するときに私たちは無力だ。踏み潰される。」
翼「では9位、森鴎外の“高瀬舟”。」
桜「これはいけるかも。親族の安楽死殺人。」
翼「うーん、短刀で喉をブスリで安楽死か?」
桜「いや、あれは自殺未遂を完遂させたのでギリ安楽死だろ。」
紬「貧しいのに自分が病身なので兄に迷惑をかけたくない弟が自殺未遂。なんとかできそう。ベルリンでもらったダイヤを1個プレゼントしようか?」
桜「解決はするだろうけど感動は消えるな。」
翼「資源は有限なんだからわがまま言って材料を減らすのは得策じゃないよ。舞姫に続いて鴎外二作目だけど、行ってみよう、高瀬舟。」
紬「弟が自殺を図る前ね。」
紬「日光江戸村だ。」
桜「日光江戸村だ、じゃないよ。高瀬舟は京都から大阪に罪人を護送する舟だよ。江戸に現れてどうするの?」
翼「女神様を頼らない自主転移だとこういう間違いが起こるからなあ。」
紬「私のせい?私のせいなの?」
桜「江戸時代=日光江戸村というイメージ固定が強すぎたんだな。」
翼「やりなおすよ。」
桜「着いた。京都だ。」
翼「喜助の長屋を探そう。」
紬「この時代はモブに訊けばだいたいのことはわかると思うよ。時代劇じゃそうなってるから。」
桜「変な京言葉は使うなよ。江戸から来た裕福な町娘という設定のほうが歓迎される。」
翼「まずは換金ね。ダイヤは異次元過ぎて怪しいから、ベルリンから持ち帰った銀貨と金貨。」
紬「江戸時代の換金はこれで3度目だから慣れたものよ。……ちょいとおまえさん、このあたりに両替屋はあるかい?」
モブ「両替商ならその角を曲がったところに三河屋はんがありますえ。」
紬「ありがとうよ。ほれ、ミルキー食べな。」
三河屋「外国の金貨と銀貨でっか。ほな鑑定させてもらいまひょ.....これだと小判3枚と一分銀20枚でんな。よろしゅおすか?」
桜「ああ、それで頼む。ついでに訊くが、このあたりに宿屋はあるか?」
三河屋「はい、あっちの橋を渡って1町歩くと山城屋という宿があります。ちょっとお高うございますが、食事はたいそう美味しいと評判どすえ。」
桜「そうか、ありがとう。これはお礼の西洋菓子のグミだ。子どもにはやるな。喉に詰まるかもしれないからな。よく噛んで食べるんだぞ。」
三河屋「おおきに。」
翼「江戸時代は同時代のヨーロッパより過ごしやすいんだよなあ。トイレは清潔だし風呂はあるし。」
紬「ホントそれ。今夜はゆっくり休んで明日に備えよう。」
桜「おまえ、なんか軽いな。成功の目安があるのか?」
紬「ふっふっふ、誰に訊いている?現国オバケの紬様だ。任せなさい。」
翌朝、3人は連れだって貧乏長屋がひしめく地域を訪れた。喜助の名前しか情報がない。弟の名前は作品内で言及されていない。だが病弱な弟とふたりで暮らす健気な喜助というだけで、モブ町人の聞き取り調査でわりと簡単に長屋の場所は割り出せた。
桜「ちょいとごめんよ。」
弟「ゴホッゴホッ...どなた様ですか?」
翼「おまえさんの兄貴の喜助の話を耳にしてな、何か助けになれないものかと思ってやってきた。」
紬「おまえさん、身体が弱くて働けないんだって?」
弟「はい、ふがいないことですが、兄に迷惑をかけてばかりで...」
紬「読み書きはできるのかい?」
弟「はい、寝たきりに近い生活なので、自ずと文字と触れ合うことになりました。」
紬「ならば物語を書いて金を作れば良いと思うぞ。」
弟「はあ...でも外の世界をあまり知らないので物語が思いつきません。」
紬「そんなことだろと思ってこれを持ってきた。」
紬はスマホに青空文庫の“夢十夜”を表示して弟に見せた。
紬「今すぐこれを書き写せ。正確にに書き写さなくてもいいからプロットだけでも。」
弟「は?ぷろっと?」
紬「あー、その、なんだ、物語の筋だ。」
弟「わかりました。お待ちを。」
紬「よし、それを元に原稿を書け。明日また来る。できた原稿を持って地本問屋へ行こう。きっと出版を引き受けてくれる。金がもらえるぞ。」
夏目漱石を投入して鴎外の悲劇を救済する。これぞ現国オバケ紬の真骨頂ですね。




