第15話:夕暮れの分岐点、不意打ちの約束
「あー、楽しかった! 今日は付き合ってあげて大正解だったわね」
「うん、本当に楽しかった。素敵なキャットタワーも買えたし、小春もきっと喜ぶよ」
大きめの段ボールや買い出しの袋を両手に抱えた俺の左右で、真由美と小百合が満足そうに声を弾ませていた。すっかり夕日が傾き、山と海に挟まれた田舎町の坂道が、どこか切ないくらいの茜色に染まっていく。
それぞれの家へと続く、いつもの斜面の分岐点。ここで真由美のルートとはお別れだ。
「じゃあね、徹、小百合。月曜日、またいつものバスでね!」
真由美は少し名残惜しそうにしながらも、ハキハキとした調子で手を振り、軽快な足取りで坂を登っていった。
残されたのは、俺と小百合の2人。
2人きりになった途端、それまで賑やかだった帰り道に、どこかそわそわとした静けさが capitol 降りてくる。トントンと、俺たちの靴音が静かな坂道に響く。
「……徹くん、荷物、重くない?」
小百合が白いベレー帽の下から、上目遣いで俺の顔を覗き込んできた。ハーフアップの髪が夕日に透けて、きらきらと輝いている。
「全然平気だよ。工場の荷物に比べれば……あ、いや、なんでもない。これくらい軽いよ」
中身がおっさんの俺は、危うく前世の癖で答えそうになり、苦笑いでごまかした。
やがて、小百合の家の白いフェンスが見えてくる。もうすぐ、今日の特別なデートも終わりだった。
門扉の前で立ち止まり、俺は抱えていた荷物を持ち直して「じゃあな、小百合。今日はありがと……」と言いかけた、その瞬間だった。
「徹くん」
不意に名前を呼ばれ、俺が視線を落とした刹那。
小百合が小さく背伸びをして、俺の目の前に迫ってきた。
ちゅっ、と。
小降りになった雨の雫が弾けるような、微かな音がした。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。左の頬に、驚くほど柔らかくて、ひどく熱いものがほんの触れただけ。ハーフアップの髪から漂う甘いシャンプーの香りが、一気に俺の鼻腔を突き抜ける。
「――っ!」
中身が40歳のおっさんである俺の脳内が、その瞬間、真っ白にフリーズした。
どんな工場のトラブルにも、どんな女子のからかいにも動じなかった大人のメンタルが、10歳の少女の、あまりにも純粋で過激な猛アタックによって、一瞬にして木っ端微塵に打ち砕かれたのだ。少年の肉体の心臓が、耳の奥で爆音を立てて暴れ始める。顔が、これまでにないほどカッと熱くなった。
小百合は一歩後ろに飛び退くと、自分のベレー帽を両手でぎゅっと抑え、顔をこれ以上ないほど真っ赤に染め上げていた。大きな瞳には、涙が浮かびそうなくらいの恥ずかしさと、それ以上の強い決意が宿っている。
「……これが、私の本気だから」
小百合は消え入りそうな声で、でも真っ直ぐに俺の目を見つめて言った。
「言ったでしょ? 絶対に諦めないって。……早く、私を子供じゃなくて、特別な女の子にしてね。……バイバイ!」
小百合はそれだけ一気にまくし立てると、振り返りもせずに門扉を開け、脱兎の如く家の中へと駆け込んでいった。バタン、と激しくドアが閉まる音が、静かな夕暮れの住宅街に響き渡る。
夕日が完全に沈みかけ、辺りが薄暗くなっていく中。
俺は両手に荷物を抱えたまま、赤くなった頬を押さえることもできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
(……やべえ。大人の余裕なんて、1ミリも残ってねえわ……)
腕の中のキャットタワーの重みだけが、これが夢ではないことを告げている。
中学テニス部のイケメン彼氏というタイムラインを完全に消し飛ばし、暴走する学級委員長のアプローチは、ついにおっさんの鉄壁の防衛線を真っ向から踏み破っていった。
(第16話へ続く)




