第12話:日曜日の攻防戦、おっさんを揺るがす背伸び
日曜日。秋晴れの澄んだ青空の下、俺と小百合は2人で路線バスに揺られ、少し離れた大きめの町へとやってきていた。
目的は小春のキャットフードと猫砂の買い出しだ。……のはずだった。
「徹くん、こっちこっち!」
バスを降りるなり、小百合は俺の左腕をがっしりと抱え込んできた。
10歳の細い腕ではあるが、驚くほど強い力だ。小さな胸が腕にぴったりと押し当てられ、中身が40歳のおっさんである俺は、内心で「おいおい、ちょっと距離が近いな」と苦笑いした。少年の肉体が放つ本能的な動揺を、大人の理性でなんとかなだめ込む。
今日の小百合は、いつもと様子が違った。
普段のツインテールを大人っぽくハーフアップにし、お母さんのものだろうか、微かに甘い香水の匂いまで漂わせている。服装も少し背伸びをした大人びたブラウス姿で、完全に「買い物」ではなく「デート」の装いだった。
「小百合、腕、ちょっときついぞ。普通に歩こう」
俺は工場の現場で年の離れた後輩をなだめる時のように、穏やかなトーンで言った。しかし、小百合はさらに力を込めて、潤んだ瞳で俺を見上げてくる。
「ダメ。迷子になっちゃうもん。……それに、今日は真由美もいないんだから、私だけを見てって言ったでしょ?」
10歳という加減を知らない少女の真っ直ぐなアプローチは、町の雑踏の中でも周囲の視線を集めるほどに強烈だった。
大型のホームセンターに入り、キャットフードの棚へと向かう。
俺は実務に集中しようと、パウチの成分表をじっと見つめた。
「小春はまだ小さいから、こっちの離乳期用のやつがいいな。砂は紙タイプの方が片付けやすいし……」
「ねえ、徹くん」
俺の呟きを遮るように、小百合が俺の正面に回り込んできた。
彼女は両手で俺のシャツの裾をぎゅっと掴み、顔を至近距離まで近づけてくる。吐息が届きそうな距離だ。
「さっきからずっと猫のことばかり。……私、今日のために髪型もお洋服も、すっごく頑張ってきたんだよ? 少しは『可愛い』って言ってくれたっていいじゃない……!」
外見だけでなく、その健気な一生懸命さがあまりにも眩しくて、中身がおっさんの俺も、さすがに胸の奥がじんわりと温かくなるのを止められなかった。
俺は一歩も引かず、大人の落ち着きを持った目で彼女を優しく見つめ返した。そして、掴まれたままの彼女の手に、自分の手をそっと重ねた。
「小百合。お洒落してきてくれたのは、すごくよく分かってるよ。いつもと違って、すごく綺麗だ。嬉しかったよ、ありがとうな」
まずは彼女の努力を大人の包容力でしっかりと受け止める。そして、突き放すのではなく、今の俺の正直な気持ちを伝えるために、言葉を続けた。
「でもさ、俺は今まで不登校で、みんなにいっぱい心配をかけてきただろ? だから今は、学校をちゃんとやり直して、お袋を安心させたいんだ。そのために必死だから、余裕がなくて格好悪いところを見せちゃうかもしれない。だけど……小百合がこうして隣にいてくれるのは、本当に心強いし、すごく嬉しいんだよ」
優しく寄り添いながらも、自分の目指す『やり直し』の道のりを素直に明かす大人の対応。それは拒絶ではなく、「これからも一緒にいてほしい」という信頼の証だった。
小百合は俺の言葉をじっと聞きながら、掴んでいたシャツの裾をゆっくりと離した。
その瞳には、落胆どころか、自分を対等なパートナーとして認めてくれたことへの深い喜びが満ちていた。そして、から回りにも全く動じない俺の「大人の包容力」に触れたことで、彼女の胸の恋火はさらに優しく、しかし決定的に燃え上がってしまったようだった。
「……やっぱり、徹くんはズルい」
小百合は顔を真っ赤にしたまま、嬉しさを隠しきれない様子でフンと胸を張った。
「そんな風に言われたら、もっと好きになっちゃうじゃない。……いいよ、今は『一番の味方』でいてあげる。でも、絶対に諦めないから。私がもっと大人になったら、その時は絶対に、私を特別な女の子にしてもらうんだからね!」
中学でイケメンの彼氏ができるはずのタイムラインは、俺の「大人の対応」によって完全に消滅し、新たな未来へと書き換えられていく。
10歳の学級委員長の可愛らしい恋の猛アタックは、秋の街並みの中でさらに熱く、幸せに燃え上がろうとしていた。
(第13話へ続く)




