第16話 ドッグウォーカー「犬の前足」創業
子ども食堂で食事をした帰り、私の頭の中は犬だらけだった。
犬の散歩だけで100万円……犬の散歩だけで……その時、タテハちゃんが飼っているミカエル君が頭に浮かんだ。
気づいた時には既に自転車をコンビニの駐輪場に停め、キッズケータイを取り出して彼女相手に電話をかけていた。
「もしもし! タテハちゃん!? 今電話しても大丈夫!?」
「あむちゃん、いきなりどうしたの?」
「タテハちゃん、確かタテハちゃんの家では犬のミカエル君を飼ってたよね? よければ私が代わりに散歩させるけど大丈夫? 友情壊れるかもしれないけど、お金はもらうけどね」
「あむちゃん……家が貧乏だからってついに働くようになったのね。まだ小学5年生なのに」
「うん。せめてお小遣い稼ぎが出来ればなと思ってね。どう?」
「ごめんね。ミカエルの散歩は私がやってるけど特に困ってるわけじゃないの」
「うう……」
やっぱりだめか……通話を切ろうとした時だ。
「あむちゃん、ちょっと待ってね。お母さんが『雛森市愛犬家の会』っていう市内で犬を飼ってる人のLINEグループメンバーなの。その中には散歩で困ってる人もいるかもしれない。2~3日ちょうだい、調べてあげるから」
「え? お母さんが? 確か犬を飼いたいって言いだしたのはタテハちゃんだと聞いてるけど?」
「そうなんだけど、飼い始めたら今じゃお母さんの方が私よりものめりこんじゃって……調べがついたら連絡するから待っててね」
「うん、わかった」
通話が切れた。
上手くいって欲しい。親ガチャでハズレを引かされたから神様なんて信じてなかったけど、この時だけは本気で神様にお祈りしてた。
「自分の勝手な都合で態度をコロコロ変えやがって」って神様からグチを言われるかもしれなかったけど、あの時の私はそれしか出来なかった。
「ふーむ、なるほど。今日話したドッグウォーカーを本当にするつもりか」
「そうです。お客がいるかどうかも分かりませんけど」
家に帰って後は寝るだけとなった夜、今度は宮本さんと電話で話をしていた。
「そうか。あむちゃんにはまだ契約について何も知らないと思うから、もし本当にやるのなら契約書などの書類作成は代わりにやっておくよ。話が決まったらすぐ電話して欲しい」
「契約書……ですか。必要なんですか?」
「仕事でお金のやり取りが絡むときは必ず契約書を交わさないとダメだ。コンビニでグミを買うのとはわけが違うんだぞ。
口約束だと全て無かった事にされる。契約書という誰が見ても目に見える形で証拠を残さないと死ぬほど揉めるぞ。俺もそうだったからあのしんどい思いはしなくていい」
「は、はぁ……本当に良いんですか?」
「ああ、働いてお金をもらうっていうのを若いうちから体験できるのならいくらでもサポートするぞ。頑張ってくれ。ところで、そろそろ寝る時間じゃないのか? 良いのか?」
「あ、そうですね。今日はこの辺にします。おやすみなさい」
通話を切って寝る事にした。夜遅くまで起きていると照明の電気代がかかるってうるさいんだよね。
2日後の7月2日、タテハちゃんから結果が返って来た。学校の給食が終わった後の昼休みに1枚の紙を持って私の所までやって来た。
「これが、散歩で困ってる人のリストだよ」
紙には4人の飼い主の名前、飼い犬の名前と犬種、さらには困っている理由や電話番号も記載されていた。
「ふーん。ひざを痛めた、世話をしていた娘が結婚で家を出た……なるほどね」
「お母さんが調べた結果はこうだけど、どうかな?」
「ここまで調べてくれてありがとう。思ってたよりずっと詳しい所まで調べてあるよ」
タテハのお母さんは想像してたよりもずっといい仕事をしてくれていた。ここまでタダ働きさせちゃって少しだけ罪悪感が出ちゃうくらいに。
次いで、宮本さんに電話を入れる。
「もしもし、宮本さん? 今お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「あむちゃん、曜日や時間から言ったら学校にいないとおかしいんだけど、どこにいるんだい?」
「学校だよ。今給食が終わって昼休みの時間だから。昼休み中はキッズケータイ使っても大丈夫なんだ」
「なるほど、そういう事か。で、何の用があるんだい?」
私は話の本題を切り出した。
「この前言っていたドッグウォーカーの話ですけど、お客になってくれそうな人がいるみたいで本当にやりたいんです。契約書を作ってくれませんか?」
「そうか、じゃあ今日子ども食堂で会わないか?」
「!? え!? 今から作り始めて間に合うんですか!?」
「ああ、実は一昨日に話を聞いてから予め作っておいたんだ。じゃあ午後5時ごろでいいかな?」
「はい。分かりました」
通話を切った後は大人しく学校にいたけど、授業の内容なんて頭に入らなかった。早く学校が終わらないかな? そればかりだった。
学校が終わり、待ちに待った子ども食堂に着くと宮本さんが先に待っていた。
彼は封筒から数枚の紙を取り出して、私に見せてくれた。紙には堅苦しい漢字ばかりの文章がずらずらと並んでいて、とても読む気にはなれなかった。
「これは利用規約っていう、簡単に言えば契約書の一種だよ。あむちゃんによるドッグウォーカーというサービスをする上で
『どういうサービスを行うのか? 料金はいくらか? といった仕事に関わる約束事が書いてある重要な書類』だよ。
最初にお客様から契約を取る際には必ずコピーを渡すんだ。俺の方からある程度数は用意するけど、足りなくなったらコンビニのコピー機でコピーを取ってくれ。
で、これが同意書だ。利用規約を読んで理解しました、って言うのならこれに名前を書いてもらうんだ。1人の利用者に対して2枚サインしてもらって1枚はあむちゃんが、もう1枚は利用者に渡すんだ。
後で揉めてもこれが動かない証拠として有効になる。必ずやってくれ」
「うへぇ~、めんどくさーい」
「仕事なんて大抵、そんなめんどくさい事なんだ。でもここをめんどくさがって、やるべき事をやらないと後で何十倍もめんどくさい事になるんだ。ここだけはしっかりしないとダメだ」
宮本さんは何度も「めんどくさいを避けようとすると後でずっとめんどくさい事になる」と言っていた。余程の事があるらしい。
「それと、利用規約はよく読んで、暗記できる位に読み込んでおいて欲しい。俺が書いたから変な事は書いてないと思うけど、念のためだ」
「は、はい。とこでこの『犬の前足』って何ですか?」
「ああ、それはあむちゃんのドッグウォーカーサービスの仮の名だ。もっといい案があるのなら変えるけどいいか?」
「大丈夫です。これで行きましょう」
いよいよドッグウォーカー業が動き出した。現実感が無くて、何だか夢でも見てるみたい。




