第10話 胃がん
「お早う」
「……」
「おいあむ! あいさつ位しないか!」
「……おはよう」
私はお父さんを怖がっていた。敵意むき出しの眼力、普段お母さんを怒鳴っているのをさらにひどくした声はもちろん、特に髪の毛をつかまれた時は怖くて何もできなかった。
そんな「最悪」と言って良い家族の仲、さらにはお父さんお母さんと宮本さんとの仲もある出来事で修復される事になった。
◇◇◇
5月半ば。あむの父親は2週間ほど前の5月1日に行われた健康診断の結果が返って来るのと同時に、
スマホを持って健康管理室、学校で言う「保健室」に当たる所まで来てくれ。と産業医、学校では「保健室の先生」のような人物から呼び出しを食らった。
彼が行ってみると産業医の顔は真剣な表情で、少なくともユーモアの類は一切ない……余程の事があるのだろう。
「岩田さんですね、正直に申し上げます。あなたは『胃がん』にかかっている可能性が極めて高いです。スマホは持ってますよね?
この場で病院の精密検査を受ける予約をして、診断結果を持って病院に行ってください。ハッキリと申し上げます、あなたの命に関わるとても重要な事です」
がんの宣告……ドラマでは「余命半年」とか「余命1年」という言葉を添えられて告げられるものだが、まさか自分がそうなるとは……思ってもいなかった。
産業医の表情の深刻さから余程の事なのだろうとは思っていたが、実感はなかった。胃がんと言われても病状らしい病状が出ていないだけあって、特に。
「胃がんですか……『がん』って、あの『がん』ですか? ドラマで言う余命半年とかそこらって言われる、あの『がん』ですか?」
「ええそうです、その『がん』です。岩田さん、あなたは日常的にお酒を飲んでいるそうですが、それがまずかったようですね」
がんにかかっている可能性が高い……そう言われても自分の事として受け止めるのは困難だった。
まさか自分が「がん」にかかるだなんて、夢にも思って無かったからだ。自分に向かって言われているはずなのに、まるで自分じゃない誰かの事だと思っていた。
後日、病院に行き胃カメラで精密検査を受けた結果は……
「岩田さん、あなたは胃がんにかかってます」
「確定……なんですか?」
「ええ、確定です。がんを目視しました」
本当に「がん」らしい。ドラマの中でしか出て来ない物だと思ってたのに……彼は医者からがんだ、と告げられても現実感がなくフワフワと意識が宙に浮かんでいた。
「岩田さん、でも安心してください。がんと言っても幸い発見は早かったので内視鏡を使った手術と、術後に補助療法と言って術後のがん転移を防ぐための抗がん剤治療でほぼ完治できますよ。
うちなら手術は日帰りで出来て、抗がん剤治療も入院することなく通院しながらで出来ますから働きながらでも治療が可能です」
「そうですか。でも、お金かかるんですよね?」
「ええまぁ。手術費や術後補助療法と言って、手術後の抗がん剤投薬治療費として……少なくても50万はかかるかと思います」
「……わかりました。お金について考えさせてください」
あむの父親は、重い顔をして病院を後にした。日々の貯金すら出来ない身なのに、急な出費で50万円が必要になった。到底そんな大金は、出せない。
夫婦ともども血縁者からお金の事でこじれ切って絶縁状態になってる今、頼れるものは誰もいなかった。
◇◇◇
「? 何これ……え!? がん!?」
休日は家の掃除をすることになっていた私はお父さんの部屋を掃除していた、その時だ。
部屋にあった、健康診断の結果通知書や病院からの診断書を見て、お父さんが胃がんなのを知ってしまった。
「お母さん! これ見て! お父さんががんだって!」
「!! あむちゃんも知ってしまったのね。お父さんががんだって事」
お母さんは知ってるらしく、2人とも娘の私にはわざと内緒にしていたらしい。
「お母さん、まさかとは思うけどお父さんのがんに関しても……」
「しょうがないでしょ、ウチにはお金が無いんだから」
「お母さん! バカな事言わないで! お父さんの命がかかってるんでしょ!? まさかとは思うけどお金が無いからお父さんを諦めろって言いたいわけじゃ無いよね!? 無いよねっ!?」
「ごめんねあむちゃん。そのまさかなの。お金が無いから諦めるしかないのよ」
「!!」
私は反射的にケータイを手に取って、宮本さんに電話を入れた。それ位しか頼りになる人がいなかったって言うのと、
子ども食堂の先生に100万円の札束をポンと渡すくらいだ、何とかしてくれるはずという期待が入り混じっていた。
「もしもし? あむちゃんどうし……」
「宮本さん! 助けて! お父さんが死んじゃうからお金下さい!」
「!? ど、どうしたんだ、あむちゃん!? お父さんが!? ちょっと説明してくれ!」
「ご、ごめんなさい宮本さん、お父さんが胃がんにかかったって。でもうちは貧乏だから手術が受けられなくて、このままだとお父さんが死んじゃう! 助けて!」
「!? がんだって!? 分かった! 今すぐ何とかする! 今からあむちゃんの家に行って良いかい!?」
「うん、わかった! お願いします!」
電話してから20分後。宮本さんが家までやって来た。お父さんやお母さんと直接会うのはこれが初めてのはず。
「岩田さん、初めまして。私は宮本 進という者です。岩田さん、あむちゃんからお聞きしましたが、あなたはがんにかかってるそうですね?」
「……ああそうだ。それがどうした?」
「手術に関する費用は全額私が負担いたします。このお金は借金ではないので特に返さなくても構いません。なのでお金の面に関する心配は一切しなくて構いません」
手術費は全額持つ。その心強い言葉に私とお母さんは一気に救済された気になる。だけど……
「そのカネは、受け取りたくありません」
お父さんは、宮本さんからの支援を断った。
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