私たちの、これから
「楽しそうな顔になったね。やっぱりシャーロットも競争するのは好きなんだから」
「競う必要はなくとも、互いに研鑽する相手がいることは楽しいですわ」
そろそろ日も傾き始めた。御者も待ちくたびれてしまったかもしれないわ。
ヴィクスに合図をして、立ち上がる。
「そろそろ外も落ち着いたようですね。わたくしたちは、お暇しようと思います」
「え、ヴィトリークも帰っちゃうの?」
「ええ、一緒の馬車で帰ってくるようにと言われています」
「僕が送るから、僕の宮で遊んで行かない?」
「ローレンツ、そうやって遊びに誘った結果、この間の騒ぎを起こしたのは誰だった」
「あ……でも、もう外には行かないから」
「シャーロットまで月に一回の登城に制限されてしまったのはお前のせいなんだからな」
露骨に機嫌が悪くなってしまったテオドール殿下にヴィクスがおろおろしている。
「ローレンツ殿下のせいではないですわ。あの件がなくとも、わたくしの方から申し入れる予定ではありましたの。申し上げたでしょう? 淑女教育に力を入れる時期だと」
「シャーロットにもうそんな教育必要ないのに? 教師たちが教えることはないって辞退していった話は聞いてるんだけど」
それはそうでしょうね。形だけでも、とお父様が読んだ家庭教師が4人も立て続けに辞退してしまったら、話題にもなるわ。
私だって、15歳であなたと結婚して30を超えるまで皇宮の女主人として過ごしたんだもの。今更ダンスや歩き方をやり直す必要なんてない。
でも、口実だとわかっているなら、それを察してくれるのが紳士というものよ。
「殿下、わたくしにも、夢があるのですわ。その夢のための時間と思って、こらえてくださいませんか」
「……一人で研究したいってこと?」
「いいえ、研究に関して殿下と話し合う時間はとても貴重で楽しいものであることは嘘偽りない本心です。ですが、わたくしのやるべきことのための時間をいただきたかったのです」
微笑んで、それ以上は踏み込むなと睨んでやれば、テオドール殿下は肩をすくめていつもの皮肉っぽい笑みに戻る。
「仕方ないな、これ以上淑女の秘密に踏み込んでしまったら、お母様に殴られてしまうかもしれない」
「あら嫌だ、そんなこと言ってはいけませんわ。皇后陛下はそんな暴力的なことはなさらないでしょう」
「叱られる時はものすごく怖いんだよ、母上は」
笑って見せたテオドール殿下とは対照的に、泣き出しそうなのがローレンツ殿下。
「だって、だって僕は来期までは普通級にいなきゃいけないし、学校でヴィトリークと過ごせる時間だって……」
「大丈夫ですよ、ローレンツ」
ヴィクスがそっとローレンツ殿下の顔を覗き込む。
「約束してますよね、僕に何かお願いしたいことがあるんでしょう? 僕は逃げたりしませんよ。お願い、ちゃんと叶えるために待ってますから。それに、明日またここで過ごせばいいんじゃないですか? 学校の中でどう過ごすかなんて、言いつけはなかったでしょう?」
パッとローレンツ殿下が顔をあげる。
このサロンは普通級とプラチナ級の間の教職員棟にある、高位貴族専用のフロアだ。
昼食をここで取ることにすれば、昼は必ず会えることにはならないかと、ヴィクスが提案する。
「あなた、毎日このサロンを借りるというの? 他に使用する人もいるのよ?」
「その時は、ローレンツと一緒に食堂に行きます」
ニコニコしているヴィクスに呆れて、それならそれでいいと話を終わらせた。
完全に、ジュノの主人になったことを忘れてるわね。あとで、少し話をしておいた方がいいかしら?
「それじゃあ、また明日」
殿下たちと別れ、馬車に乗り込んだ。一つため息をつくと、ヴィクスがまた何かを考え込んでいる顔をしていた。お父様が書類を眺めている時にそっくりの、あの顔。
「どうしたの? 何か忘れ物でもあった?」
「い、いいえ。ジュノが全部持ってきてくれたから」
そう、この、違和感。甘えることをやめた、ヴィクス。馬車の事故の、あのあたりから。
まるで他人事のように周りを見ていることがある。死にかけたことが、とても大きな影響だったというのは、今なら私にだってわかるわ。夢だと思っていても、あんなに恐ろしかった。それが、どうして起きたかわからないことならなおさら怖いのは、当たり前だもの。
その冷めた目の理由が、知りたい。私のことを怖がって、嫌っているだけじゃないのはもう気がついたから。
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」
「はい?」
声をかければこっちに戻ってきた視線は、見慣れたヴィクスの穏やかな目。私に対してだけは、もっと冷たかったけれど私はそれを気にしたことはなかったわね。
「あなた、なりたいものは何かあるの?」
「なりたいもの?」
「将来のはなしよ。学校卒業したら私たち大人なのよ?」
「ない、ですね。家は姉上が継ぐ方がいいと思うんです。だから僕は騎士になれたらいいなって」
「……もしかして、ずっと剣の練習をしているのは、それが理由なの?」
「それだけじゃないですよ。好きだから、です」
微笑んだ目は、やっぱりどこか空虚に見える。自分の将来を、というよりは辿るべき筋書きがあるというような。
「私、家を継ぐつもりはないって言ったら?」
「どうしてです? 絶対に姉上の方が領地の経営だって上手ですよ」
そんなわけないじゃない。国政に失敗して、私は死んでるのよ。そんなことを話したらきっと怖がらせてしまうけど。それに、騎士爵を得ることと侯爵家を継ぐことは同時にできないわけじゃない。私がやりたくないから押し付けてしまうことになるんだけど、でも、優しい子の子の方がきっといい領主だわ。
「騎士以外になりたいものはないの」
「以前は、冒険者になってもいいかなって思ってたんですけど。この間の一件で考え直しました」
冒険者に、という言葉が出た瞬間にジュノの目が鋭くなったけれど、それに気付かないままヴィクスは目を伏せる。自分に務まる職業など思いつかないと。
「あなた、自信を持つってことないの? 剣だって他の同じ年の子よりずっと進んでるのよ? プラチナ級の特待生入学なんて、私でも、取れなかった。何年も出ていないものを勝ち取ったんだから誇りなさいよ!」
「プラチナ級に入れたのは、姉上がたくさん……激励してくれたから、ですよ」
ジュノの手前言い直したわね? 私がバカにして散々いじめてきたから、必死に勉強するしかなかったのは事実なのよ。もうやらないって言ったってそれがなかったことにはならないと、父上にだって言われた。あなたが許してくれるわけないもの。
「私がどれだけいじめたからって、逃げなかったあなたの功績よ」
「だって、逃げたらあの頃の姉上はきっと僕が泣いたって殴ったでしょう」
「そうね、きっとそうしたわ」
ジュノが、噛みつきそうな顔で私を見てるけど、過去とはいえ事実だもの。
「もう殴ったりはしないわ、それは約束してる。でもね、あなたのそのメソメソした態度は大嫌いなの!」
思わず床を蹴り付けると、即座にジュノがヴィクスの前に出る。それを、ヴィクスは黙って止めた。
「自信を持つ方法、まだわからないんです。ごめんなさい」
仮面のような、紳士的な微笑み。ああ、また、戻った。そう、私がこうやって怒鳴りつけるから、何をしていても、この子の自信にはならなかった。私ができることができないのはおかしいと、私より優れているのは腹が立つと、怒鳴って殴ってきたから。
「ごめんなさい。でも、私よりあなたが優れている点があるのは、確かなの。そもそも私は金髪だけど、あなたはお父様と同じ銀髪だもの。魔力の量だってあなたの方が多いことは見たらわかることでしょう?」
「それは、自信になるものですか?」
「私なら、それも一つ誇りにするわね。私にバカにされたら、『私はもっと魔力を持ってるんだから、今に魔法だってあんたを追い越すんだから』って」
「なるほど、姉上の勝気な考え方だと、そうなるんですね」
「じゃあ、あなたはどう思うの?」
「姉上が僕と同じ歳の頃にできていたことが、僕にはできない。僕は銀髪ではあっても姉上の言うように情けない弟なんだろうな。と思いますね」
「できるようになる速さが違うことなんてよくあることだわ。それに適性が違うのなら発現する魔法だって違うのよ?」
「そう知ったのは、つい最近なんですよ。言い訳をするなって」
「もう、私がやってきたことだってのも認めるわ。でも、あなたはすごいの、それはちゃんと認めなさい。納得できなくてもいいわ、疑問があってもいいわ、でも事実の一つに数えなさい。私が、そう言った事実だけでいいの。嘘かもしれなくても、あなたは買い被りだと思っても私が今そう言った、それだけ覚えておきなさい!」
また床を蹴り付けそうになってグッと拳を握って抑える。
ああもう、どうしてこんな、めんどくさい弟にしちゃったの。この子が生き残らなければ、私はこれに気がつかなかったなんて、とんでもない話だわ。誘拐されても生還したり、一緒にジュノを助けられたり、特に殿下を庇って魔物と戦ったりしたことはこの子の功績、私なら胸を張って誇るようなことなのよ。それを丸ごと誰かのおかげにする気なの?
「じゃあ、姉上どうして領主になりたくないんです?」
「だって、私……」
一度失敗したんだから、今回は向いてないことをやろうとしないつもり、なんて。どう言ったらいいのかしら? どんな失敗をしたかは、私しか知らないわ。あれは未来、違う未来の話。
「領民の生活を守らなきゃいけないのに、あなたくらい慎重な方が向いてると思ったのよ」
「姉上がやりたいと思ったら、それでもやるじゃないですか」
あなた、私のことが嫌いなくせに、私のことよく知ってるわね。




