宝物
ヴィクスが、棘鹿と槍雀蜂に襲われた。それも皇宮で。
第二皇子殿下が無断で森に入って、という話だった。
幸い命に別状はなく、治療も簡単に終わったそうだけれど。
「と、いうことですの。わたくしもそろそろ勉学や淑女教育にもっと力を入れなくてはなりませんから、いいタイミングということでしょうね」
「そう? シャーロットはもう立派な淑女なのにね。おもしろい話だな」
テオドール殿下は相変わらず皮肉っぽい笑みを浮かべて頷く。
顔に出しはしないけれど、不満はあるみたい。私を呼んでは新しい魔法陣の試作や、古文書の解読などを行うから、研究の進度が遅れることが不満なのでしょうね。
「弟の不始末、わたくしからもお詫びいたしますわ」
「ローレンツがバカなことをしたせいだって、言ってもいいんだよ?」
「まさか。ローレンツ殿下の自立心の表れですわ。監視から離れたくなる気持ちは、テオドール殿下にだって心当たりがあるのではなくて?」
「無いとは、言わないけどね。それより、月に一回しか会えなくなるのなら、勉強会の方法を変えないとね」
冊子にまとめている魔法陣研究のメモを示すと、テオドール殿下は殿下は月に一回の登城は発表会形式にしようと提案する。
「自分たちで調べて、実験をして。それをここで教え合う。どうかな」
「勝手に実験を行うのはいけません。殿下は先週机を砕いたことをもうお忘れなのかしら?」
「まだ、シャーロットほど上手くはできないんだから実践する必要があるんだよ」
「学校で、先生に監督を頼んで行えば問題ないとはお考えにならないの?」
「だってそれじゃシャーロットに何を試してるかバレちゃうだろ」
「そんなもの、言われない限り詮索しませんわ。わたくしだって自分の研究を進めるのですから」
それはそれでつまらない、とぶつぶつ言いながらも、テオドール殿下は問題が出たら変えればいいと頷いてくれた。
「それじゃあ、本日はこの辺で」
いつもよりはかなり早いけれど、辞去しようとソファから立ち上がる。
「じゃあ、その前に。見せたいなって思ってたものがあるんだ、案内するからついてきて」
また、バラ園かしら。確かに季節によって植え替えられて見たことのない種類が咲くことはある。でも……夢の中では『見た』花ばかりなのに。
ため息を隠して、テオドール殿下のエスコートを受ける。
「殿下……こっちは」
「あ、気がついた? シャーロットは僕よりも城に詳しいもんね」
宝物殿だ。中に何が収められているかも、何度も何度も繰り返される悪夢のせいで全部知っているわ。夢の最後には、全て燃えてしまうけれど。
テオドール殿下に頭を下げて、警備兵が分厚い扉を開く。
「これ、僕こんなものがあるなんて知らなかったんだ。シャーロットは、これが何かわかる?」
危うく、悲鳴を抑えられないところだった。足元が沼に沈んでいくような、血の気の引く感じをなんとかやり過ごす。
「あら、美しい本ですわね。何が書いてあるんでしょう?」
「何も。中身は白紙。魔法陣が表紙にも裏表紙にもたくさん刻まれているだけで、おまけにナイフか何かが刺さった跡がある。でも、これ途中までしか開かないんだ。インクが張り付いているみたいで」
インクじゃないわ。それは、血なのよ。私の血。
どうして、これがあるの? あれは夢じゃないの? わたしは、あの夢の私は——。
「シャーロット?」
「ああ、それは、残念ですわ。インクで張り付いてしまっているのなら無理に開くわけにもいきませんものね?」
「そう。この傷もね、なんなのかなって。魔法陣が細かく重なってて、一つ一つを読み解くには書き写さないといけないよね」
そんなことをしたら——。
いえ、何が起きるというの?
私が、これを、知っていることが、バレてしまう?
私はこれを知ってる。夢の最後の場面で、この本を渡されたのは私。
これは、過去に戻る魔法道具。
背表紙から、血に浸した短剣で刺し貫いたページまで、人生を戻れる。
そう教えてくれたのは……誰だったのかしら?
それを知っている私は……これを使った記憶がある、私は……。
戻ってきたの……? あの夢は……戻る前の私なの……?
「シャーロット、どうしたの。顔色が悪いよ。疲れたから帰ろうとしていたのに、引き止めてしまったのかな。ごめん、送るよ。馬車まで歩けそう?」
テオドール殿下が私の手を取って促すけれど、床に足がついている感覚がない。
気がついたら私はヴィトリークの部屋の前にいた。
私が、あの夢の私——過去の私——とは違う道を歩けているという、確かな証拠。
死んでしまったはずの、ヴィトリーク。
夢の中では、ヴィトリークが死んでしまった後この部屋はリュートが使う部屋として、片付けられてしまった。
「ヴィクス、いるかしら」
「姉上? どうしたんですか?」
ノックして声をかければ、不思議そうにヴィクスが扉を開ける。
「姉上?」
そう、ヴィクスがいれば、大丈夫。私は、過去の私とは、違う。いい子には、なれなかった。でも同じことは絶対にしない。ヴィクスを、死なせたり、しない。
どうしてああなったのか、ちゃんと考えないといけない。
「何でもないの、顔が見たかっただけ」
怪訝な顔のヴィトリークに笑ってみせて、自室に戻る。
過去と同じ道に踏み込んでしまったら、きっとヴィクスは死んでしまう。
私がどれだけ気をつけて過ごすかに、かかっているのかもしれない。
このくらいの年頃のわたしは、何をしていたかしら。わがまま放題でお父様たちを困らせていたのは確かだけれど。学校でもたくさん問題を起こして……そうだわ、学校。ヴィトリークは学校に通うことはなかった。でも、もう新学期が始まればヴィクスは学生になる。
守らなくちゃ、私も、ヴィクスも。




