ローレンツと遊びに
「久しぶりだね、いらっしゃい」
車留めまで走って出迎えれば、ヴィトリークが慌てて駆けてくる。
「そんなにお待たせしましたか? わざわざ出迎えになんて」
「ううん、待ち遠しかっただけ。ねぇ、今日はね、行きたいところがあるんだ」
まだ、従僕が連れ戻しにきていない。今の間なら、内緒話ができる。
「庭にね、抜け穴があるんだ。抜け出して、遊びに行かない?」
ぽかんと口を開けたヴィトリークが叫ばないようにシーッと合図をすれば、慌ててヴィトリークは手のひらで口を押さえる。
「そ、そんなことしなくても大きくなったら出られますよ?」
「でも、護衛が山ほどついてくるじゃないか」
「それは必要だからですよ、皇子なんですから」
「遠くまで行くわけじゃないんだから。ちょっとくらい出てみたいよ」
困った顔をしたヴィトリークに行こうとねだって、僕はそのままヴィトリークを連れて庭に走る。
庭園の隅、森の入り口の警備小屋から、それほど離れていない柵の一部。木の根が柵を捻じ曲げてしまった隙間から、僕はヴィトリークを連れ出す。
「ね、街に降りるわけじゃないから大丈夫だよ」
「でも、警備してたってことは危ない可能性があるんですよ」
「どうして? ここも城の中だよ。大丈夫だって」
ヴィトリークはまだ小さいから、僕が先を歩く。学校に通えば、学校でも野外学習はあるんだから練習みたいなものだ。少し遊んだら、帰ればいい。
「あの木、のぼれそうじゃない?」
「僕、木に登ったことなんかないですよ」
「やってみよ」
ほどよく節のある木だから、きっと登れるだろうと思って足をかける。
「簡単だよ、ヴィトリークもおいでよ」
中段まで登って、下のヴィトリークに手を差し出す。ここからでも、結構な高さに見えるけれど、上まで登ったら、少し遠くまで見えそうだ。
僕の真似をして登り始めたヴィトリークを待って、二人で枝に座って少しだけ休憩する。ツルツルした樹皮が意外と不安定だけれど、もう少し登れそう。
「僕、あそこまで登ってみるね」
「危ないです、もう降りましょう」
「でも、あそこまで登ったら、遠くが見えそうじゃない?」
「虫が出たりしたらどうするんですか」
「虫除けはしてるから大丈夫」
枝に立ち上がって次の枝を掴もうと手を伸ばす。もうちょっと……。つま先立ちになっても、指が届くだけで、掴むには少し足りない。
「えいっ」
思い切って枝を蹴る。なんとか掴んで、その枝によじ登れば、下からため息が聞こえてくる。
「降りましょう? 危ないですよ」
「もうちょっと景色を眺めてからがいい。ここ、よく見えるよ」
泣きそうなヴィトリークにちょっと申し訳ない気持ちになりつつ、でも予想通り遠くまでよく見える。でも、僕がギリギリだったってことは、ヴィトリークは登ってこられないだろう。僕が引っ張り上げたら、この景色を見せてあげられるのに。
「ねぇ、おいでよ。手を掴んだら、登れないかな」
「危ないから、僕はいいです」
「大丈夫だよ、枝だってそことそんなに変わらないくらいしっかりしてるよ」
枝に跨って、下に手を伸ばす。立っているヴィトリークなら僕の手を掴めば登れるはず。迷っている様子の彼に、街が綺麗だよ、と声をかけて手を振る。
「じゃあ、僕がそこまで登ったら、降りましょうね」
「うん。おいで」
手に捕まってくれたヴィトリークを落とさないように、枝にしがみついて、彼が枝に手を伸ばしたタイミングで上に引っ張り上げる。
「わぁ……」
枝の隙間から見える街は、遠くの屋根がキラキラ光っていてとても綺麗。それを見せられて、僕はとても満足だった。
「綺麗でしょ?」
「ええ、綺麗ですね。海まで見えそう」
「見えないかな」
「ちょっとだけ見えてるかもしれないですね」
微笑んで、眩しそうに空を眺めるヴィトリークにちょっとだけ見惚れてしまう。ちょっと無理を言ってしまったけど、一緒に見られて嬉しくて。
「……約束ですよ、降りましょう」
僕を振り返ったヴィトリークが、焦ったようにそう声をかける。
もう少し眺めていたっていい時間なのに、ヴィトリークは先に降りろと僕を促す。
「大丈夫ですか? 足元に気をつけてくださいね」
なるべく早く、と急かすヴィトリークは、僕が下の枝にたどり着くのを見届けて、自分も幹にしがみつく。順番に一つずつ下の枝に移動し地面にたどり着くと、すぐにヴィトリークが枝から飛び降りて、僕の手を取る。
「戻りましょう、羽音が……近いです」
羽音? と辺りを見回して、確かに耳慣れない音が響くのに気がついた。なんの音だろう、羽音、ってことはヴィトリークはこの音がなんの音か知ってるってことだろうけれど。
「なんの音?」
「見えないから、確証はないけど……蜂の羽音に、似てるんです」
蜂が、こんな大きな音を、立てたっけ?
「領地に帰るとき出た魔法を使う蜂が、こんな音をさせてました。魔物です」
城の、敷地の中で? でも、この森は確かに保護魔法の外だから定期的に兵士が見回りをする。
「きた道を、まっすぐ戻りましょう。先に行ってください」
「わ、わかった」
急かすヴィトリークに焦って、僕も振り返るけれど、どっちから来たかがわからない。多分こっち、と思う方向へ小走りに進む。音がどこからしているのかがよくわからない。でも、それほど城から離れてはいないはずだ。
「ね……ねぇ、ヴィトリーク。音が、大きくなってる」
「移動してきてるのかもしれないです。お城、見えませんか?」
「木が高くて、多分こっちだったと思うんだけど」
「殿下……もし無ければ、僕がなんとかしますけど、『緊急用の魔道具』とか持たされてませんか」
殿下って呼ばないでって、頼んだのに。でも、真剣な様子のヴィトリークにそんなことを言っている暇はなさそうだった。大きくなった羽音で、ものすごく近づいていないと声も聞き取れない。あたりの木から、不自然なほど木の葉が落ちてくる。
「そんなもの……知らない」
「わかりました。じゃあ、一旦太陽の方向だけ、確認します」
目を細めて上を見上げ、何かを考えた様子のヴィトリークは小さく同じはずとか、地図はどうなっていたか、とかをつぶやいて、僕に方向を示す。
次の瞬間、僕の背中を強く押して地面に飛び込んだヴィトリークと僕の目の前に興奮した棘鹿が飛び込んでくる。
それを追いかける、槍雀蜂。まとわりつく蜂を鹿は棘を飛ばして撃ち落としながら暴れている。
「殿下は、魔法使えますよね? 蜂だけなら姉上は炎の魔法で退治してたので、使えるなら、攻撃魔法で蜂を退治しながら逃げましょう」
魔物の注意を引かないように、小さな声でヴィトリークが囁いて、僕の背中を押す。
僕の手を取って、ヴィトリークが走り出した。




