僕の紋章
「え、採寸?」
「ええ、今日ですね」
アニーに予定があるから出かけないようにと言われて、試験の結果を知る。
採寸があるということは、合格はしたということ。
合格通知、受け取ってみたかった……。
クラスまではわからないけれど、入学できることは、今わかってしまったから。
「でも、出かけちゃいけないの?」
「午前中に少しだけなら大丈夫ですよ。昼過ぎに仕立て屋を呼んでいます」
仕立て屋を、呼んでいる。
その、なんと耳慣れないことか。僕が屋敷の中で生活するだけならそれほど感じなくなっていたというのに。やっぱりウチは貴族なんだなと実感させられてしまう。
「シャーロットお嬢様も少し大きくなられましたからね。一緒に制服を新しくしようということだそうですよ」
アニーがテキパキと僕の身支度を終わらせて、家庭教師の先生が来るのは何時から、と今日の予定を確認させてくれる。
「あの、ね」
今更ながら、僕も一人で身支度をすべきなのではということに気がついた。
みんなが小さい子、として扱うからなんとなく流されていたけど。一人で出かけるものではないとはこの前初めて知ったし、でも身支度くらいはするだろう。
「僕、一人で着替えられるよ?」
「でも、アニーにやらせてくれませんか」
まぁ、時間がかかってしまうのは、否定できないんだよね。
小さな指はボタンをかけるのもうまくいかないことがある。この世界の服はとにかくボタンが多いから。
でも、俺だった時にはやっていたことだし。できないことではない。
服の構造だって、もう覚えている。
「アニーがおそばについていられるのも後少しです。ヴィクス様がお一人でできること、アニーは知っているんですよ」
でも、アニーがやってあげたいから、と。
「そっか」
僕が学校に入ったら、アニーは僕の乳母から外れる。
リュートと母上が外出するくらいからは、リュートの面倒を見ることになる。
「じゃあ、もう少しだけ、甘えるね」
「そうしてください」
学用品のリストも、おそらく父上のところに届いているんだろう。
ちょっとだけ、聞いてみようかな。
「父上、今大丈夫ですか?」
執務室のドアを叩いてみると、入っていいと応答がある。
「何かあったかい?」
「採寸がある、って聞いたから。学用品のリストも届いたんじゃないかと思って」
「おや、見てみたいかな?」
「どんな勉強をするのかは、気になります」
父上が机の方に手招きしてくれて、冊子になった書類を見せてくれる。
「これがリストだよ。他には入学式の注意事項や同意書だね」
ページを捲って、一覧になったページを僕の前に。教科書が14冊、補助教材、実習の時の必要品など。
「これ、一年用ですか?」
「そうだよ?」
自分が小学生だった時に、どれくらいあったかを覚えてはいないけど、これはかなり多いんじゃないだろうか。
貴族子弟でなければ揃えるだけでかなりのお金が……。
「驚いてしまったかな?」
「……うん」
「大丈夫、初めは少しずつだよ。わからないところがあったら家庭教師の先生に復習を頼むこともできるから」
すでにいくつもチェックが入っている項目がある。それはもう購入済みということだろう。
姉上の教科書や教材が残っているから、お下がりを貰えば事足りるということだと思いたいが……。
「これは、もう買ったもの、ですか?」
「ああ、少し早めに準備しておいたものだよ。制服のようにサイズを測らなくていいものはね。ヴィクスの紋を入れてあるからシャーロットのものと間違えることもないよ」
名前を書く訳じゃなくて、紋? 僕の専用の?
「僕の、紋?」
「改まって見せたことがなかったかな? ヴィクスの持ち物には全て入っているよ」
生まれた時にそれぞれの紋を決めてあるんだけど、と父上が。
慌てて僕はポケットから櫛を取り出す。
肌身離さず持っているもの、というものですぐに思いつくのはこの櫛だ。
「これだよ」
父上の指が櫛の歯の上に。確かに模様がある。植物と、ドラゴン?
大きな翼は、なんだか鳥のようにも見えるけど、たぶん鳥ではなさそうだ。
「翼竜と藤、月だね」
翼竜が家のシンボルマークで、それに僕の個人モチーフとして藤と月が組み合わせてあると。
「知らなかった、なぁ」
綺麗な模様だとだけ思っていた。
ハッとして袖口のボタンに目を向ける。ある。同じモチーフがボタンの装飾に。
「もしかして、僕のものには全部?」
「そうだよ? そのためのマークだからね」
シャーロットにはシャーロットのマークがある。もちろん父上や母上、リュートにも、と。
つまり、このボタンも、この櫛も、少なくともマークを特注して、作られている。
今更、貴族というものに目眩がするような困惑を感じた。こんな幼い頃から、全てのものに? それが、貴族の品位というものなんだろうという理解は、本当に知識の上でしかなかった。
「もしかして、マークが気に入らないかな。もっと他に好きな模様が入れたかった?」
「い、いいえ! 月も藤も、好きです! 翼竜だってかっこいいと思う」
慌てて答えた僕に、父上がなんとなく複雑な笑みを見せる。
「藤は強い植物だからね。ヴィクスがどこででも、強く生きていけるようにと思って選んだんだ」
「そう、なんですね」
植物には詳しくないから、藤と言えば観光地の植物のようなイメージがあった。確か領地の屋敷には敷地の奥に藤の木がある。山の中にだけど。
「ありがとうございます」
確認したかった学用品リストも見せてもらえたし、知らなかった自分の紋章のことも教えてもらう機会になった。
これ以上父上のお仕事を止める必要もないからと、僕は頭を下げて部屋に戻る。
「おかえりなさい、お昼まではもう少しありますけど、何をしたいですか?」
「本でも読んでいようかな」
アニーに答えて、読みかけの小説が、と机に置きっぱなしの本を手に取った。つい、まさかね、と思いながら表紙周りを確認する。
普通の本だ。刺繍の表紙もタイトルも。背表紙裏表紙まで。豪華では、あるけど。
「どうしたんですか?」
「父上が僕のマークのことを教えてくれて。僕のものには全部って言ってたから、まさか本にはないよね、って思って」
「ああ、ヴィクス様の紋章でしたらこちらに」
アニーが裏表紙を開く。裏表紙裏の部分にエンボス加工と箔押しの紋章。
「こ、この本、売ってる本だよね?」
「中身は書店で売ってるものですよ。ヴィクス様の蔵書とする時、表紙をつける時にこれを入れるよう注文しただけです」
目眩再び。本当に『僕の持ち物』には全て入っているようだ。本を買っただけなのに『表紙を付け替えて紋を刻む注文』を?
「気に入らないですか?」
「そんなことないよ、大丈夫」
今から装丁を変えようかとでも言い出しそうなアニーに慌てて首を振り、本を開く。
この、細かな刺繍の手触りも、特注品と思うと……なんだか、手が震えるほど落ち着かないけれども。




