姉上との散歩
試験の結果が出るまではもうしばらくいつも通りの生活になる。
学用品などを揃えるのは『結果が出て、制服の採寸などを終えたら一覧を渡す』という形。
ようやく近づいて来た『シナリオ開始』を前に僕はもう一度日記帳を開く。
すべてプラチナ級に入ることが前提で組んだものだから、入れなかったら適宜変えていく必要が出てきてしまう。
入学式の後、ヒロインを探す。彼女がプラチナ級に上がるのは二年目から。そして今彼女はまだ学校には通っていないから中等部の普通級に入ってくるはず。
中等部プラチナ級にいるのは姉上とテオドール殿下。そしてサブヒロイン達。
クラリスは一緒に入学試験を受けていたから、僕と同時に中等級に入るはず。僕が入るのが初等級になるので、プラチナ級に入れなければここも接触できない。
シナリオに接触するつもりで計画しているけど、そもそもシナリオに接触できない場合どうしたらいいだろう。
ゲームのシナリオはプラチナ級の生徒の中で起こるものばかりだ。
ゲーム内では『ステータスを上げるコマンド』を選ぶだけでいいけれど、僕は現実で頑張らなくてはならない。
ゲーム内だって、かなりやることが多かったというのに……。
でも、入れなかった時にならないと、わからないかな。
『ヴィトリーク』だってシャーロットから『弟として恥ずかしくない成績』を求められて頑張ってきた。
もちろんそれは『プラチナ級に入る』ためのものだから。
一昨日は試験で、昨日はローレンツの来訪で、少し訓練の時間が少なかったから、自主練でもしておこうか。
小学生にしては、かなり筋肉もある方だと思うけど。
ストレッチを終えて、ひとまず屋敷の周りを3周。
これくらいはウォーミングアップにできるようになったんだから進歩している。嬉しい話だ。
さて次は何をしよう、と顔を上げると姉上が庭に出てきたところだった。
「姉上、お散歩ですか?」
「ええ。あなた今日のトレーニングは朝終わらせてなかった?」
「試験が終わって、時間があるので」
「そう、でもやりすぎは良くないはずよ。私とお散歩にしない?」
確かに、暇だからとやっていいことでもないのかもしれない。
明日あたりからはまた家庭教師の授業も再開するから、疲れすぎるかもしれないな。
「そうですね、そうします」
姉上の隣に並べば、姉上は嬉しそうに微笑む。
「今日は私、厩の方に行こうと思ってるの」
「馬、ですか?」
「ええ、もう少し大きくなったら、私にも馬を買ってもらおうと思って」
馬、買うって……いくらくらいかかるもの?
今の言い方だとプレゼントとしてねだりたい、んだと思うけど。
いや、貴族なんだから、ある。わかってる。知ってる。僕の金銭感覚と合致してないだけだ。
「ああ、乗馬も習っているのはそのために?」
僕も、もう少し大きくなったら乗馬も授業に入ると聞いている。
姉上はもう授業を受けているはずだ。
「いつ必要になるかわからないわ。教養の一つよ」
すましてそう答えたけれど、姉上の機嫌は本当に良さそう。
日傘を持って厩の方へ歩く速度も、僕より少しゆっくりで、植え込みの花などを楽しみながら歩いている。
「おや、どうなさいましたヴィトリーク様。あ、シャーロット様とお散歩ですか?」
厩の掃除をしている使用人が帽子をとって頭を下げる。
「ヒューは、いるかしら」
「ああ、居ますよ。呼んできましょう」
調教師を呼んで、姉上は僕の方を振り向く。
「あなた、どんな馬が好き?」
「えっ?」
「顔が可愛い子が好きとか、少し気が強い子が好きとか」
「わ、えっと……」
僕はまだ1人で馬と接したことはない。
父上やアニーの馬に乗せてもらっただけ。だから『どんな馬が』と言われても2人の馬は賢くて優しいということしかわからない。
「や、さしいこ、ですかね。アニーの馬も父上の馬も、賢くて優しいから」
「馬は賢い生き物よ? それにお父様の馬は軍馬だから、かなり気の強い馬だと聞いたけど……」
「え、そう、だったんですか?」
そ、そうか。じゃあ僕を乗せてくれたり、おやつを食べてくれたりしたのは、父上が許してくれたから、ってことかぁ。
「お待たせしました、シャーロット様、ヴィトリーク様。お散歩したいですか?」
「ええ、少しだけでいいの。私も馬が欲しいなと思っていて」
「ああ、シャーロット様もそろそろお一人で乗れるようになる」
「もう少し先の話よ。でも、ヴィトリークもそろそろ馬に慣れておいてもいいかと思ったの」
頷いた調教師が僕たちを馬房の方へ促す。
初めて感じる動物の匂い、馬たちの息遣いに僕は驚いて足を止めた。
「怖くないですよ、みんな馬房に入ってますから」
促されてなんとか足を踏み出すと、ずらりと並んだ馬たちが僕たちの方を眺めている。
「シェリー。こんにちは」
一頭の馬に姉上が近づいていく。芦毛のその子は、ぱちぱちと瞬きをして嬉しそうに鼻先を差し出す。
「あの子が、いつもシャーロット様を乗せている子です。穏やかで優しい子ですよ」
「ヴィクスも、撫でてみる?」
おやつをあげながら、姉上が僕を呼ぶけれど。
馬、お、大きい!
僕の背丈はまだ馬の膝あたり。見上げるけれど、ちょっと、怖さの方が大きい。
頭を下げてくれようとする馬に、調教師が馬房柵を少し下げる。
「挨拶して」
「こ、こんにちは」
手を出していいのか、それともおやつをあげたりした後の方がいいのか。
まごついている僕の手に、調教師が野菜を持たせてくれる。
「おやつを食べさせてあげてください。驚かせないように手の匂いを確認させてあげて。そうしたら、背中……ちょっと届かないですね、首あたりを撫でてやって」
言われた通りに、まず、そっと手を差し出す。指を噛まれないように手首の辺りを、と注意を受けながら。野菜を差し出して、齧っている間に今度は首の辺りに手を伸ばす。
「熱が、あるの?」
触れた体温の高さに驚いて、調教師を振り向くと、姉上も調教師も笑っている。
「馬の体温は高いんです。熱があるわけじゃない」
「心配ないわ、ほら毛並みも綺麗でしょ」
体調が悪いわけじゃないなら一安心だ。
納得して、もう一度、その毛並みを撫でてみる。
しっとりしていて、艶やか。つるっとしているようにも感じる。
「気に入りましたか? 他の子を見てみたかったら、奥にもいますよ」
2人に連れられて、厩の奥へ歩いていくと、見覚えのある馬がいた。
「あ、あの子アニーの馬だ」
「覚えてらっしゃったんですか」
「模様が、あるから」
アニーの馬は確か、栗毛。茶色の体で鼻先から額にかけて白い。猫で言えばハチワレだ。
父上の馬も、どこかにいるんだろうなと思って見回すと、馬房から頭を出した馬が僕を呼ぶように鳴いた。
「あ、父上の」
「おやおや、好かれてますね」
あの子は鹿毛、でよかっただろうか? 焦茶色の馬が、僕におやつを要求するように首を揺らしている。
「アレは気性難でね。旦那様は好きだけど、俺たちは嫌いなんですよ。賢いから掃除なんかはさせてくれるけど、運動させるのに馬場に出しても、いうことなんか聞きはしない」
「そうなの?」
思わず馬本人……本馬に顔を向けると知ったことかと言わんばかりに、鼻を鳴らされる。
「僕、この間乗せてもらったね。ありがとう」
手を差し出して、おやつをあげて。
首を撫でさせてもらいながらお礼を言う。
「旦那様に似てるからでしょうね、機嫌がいい」
ヒューさんは調子のいいやつめと呆れた顔をしながら、馬房を一周させてくれて。
「ありがとう、私そろそろ戻るわ」
「あ、僕も戻ります」
「また、遊びに来てやってください」
「ええ、またね」
姉上と厩舎を出ると、意外にもお腹が空くほど時間が経っていた。
「お昼の時間ね。今日は一緒に食べてもいいかしら」
「はい」




