間に合うか……?
ジュノと男爵はお父様が首都の屋敷の方へ送って行った。
昨日帰ってくる途中で男爵の屋敷に送っても良かったらしいんだけど、一応これからの話などもあったのでウチに連れてきた、ということだったそうだ。
僕は最後のお見送りをしただけ。
馬車のなかで眠ってしまってから、そのまま翌朝まで爆睡していたからだ。
「ヴィトリーク様、ありがとうございました」
「僕がお礼を言うべきです。助けてもらったのは僕も一緒、優しくしてもらえて嬉しかった」
「今後また、会うこともあるでしょう。その際はよろしくお願いします」
ジュノは黙って男爵の横に立っていた。
何か言い出したい顔はしていたのだけれど、最後まで何も言わず、深く頭を下げただけで馬車に乗り込んでいった。
「さて、ヴィクス。準備は終わっているかな?」
「えっ……と?」
「今日はお城に行く必要はないけれど、剣術の授業は再開するからね」
「あ、それなら終わってます。もうトレーニングも済ませました」
「よし、いい子だね。じゃあそれまでは好きに過ごしていなさい。お父さんも仕事にするよ」
ジュノと過ごしたのはほんの数日だったけれど、そのあとカレド氏の屋敷で過ごした時間を含めると結構な期間休んでいたことになる。
ひさしぶりに筋トレがちょっと辛く感じられてしまった。継続するって大切だ……。
部屋に戻って手帳を取り出そうとした時、入学試験の案内が目に止まる。
日付は、明日。
「えっ…………」
そういえば『学校に通う』ことはみんな当たり前のように、決定したかのように言っていたからそのつもりだったけど……試験まだ受けてない!?
慌てて手帳に書いたはずの試験項目を読み返す。一般教養、論述、計算、音楽教養、魔法基礎、、歴史と、体力テスト。復習をしておこうと思ったが、思ったままでほとんど手をつけていない……!
さっきの大丈夫かって、準備ってそういう意味だったのか!
僕が戻ってこられなかったら、試験は辞退するつもりだったのはわかるけど、戻ってきてすぐに入学試験は……剣術の時間に試験があるのかと思ってた!
終わった……のでは……?
一夜漬けでなんとかなるほど僕は自分の頭を信用できない。
かと言って、ザッと見直しただけでなんとかなるはずもない。
見直さないよりはマシだとわかっていても、絶望感で本棚に並んだ教科書に視線を向けたくない。
遊びに……いくか?
いや、こっそり出かけて誘拐されたばかり、あまり出歩きたくないな。
頭を抱えて、ソファに沈み込む。姉上に啖呵を切ったのはずいぶん前、あの時ですら『後で復習しておかないと』と思いながらだったのに……。
いや、今やっておこう。目標通りプラチナ級には入れなくても入学できないよりはよっぽどマシだ。入った後テストの成績でプラチナ級に移籍することはできる!
意を決して本棚から教科書を全て取り出し、机に積み上げる。
俺が僕になってから、そういえば一度も教科書は開いていない。
家庭教師たちも、もう試験範囲は終わったものとしてそれ以外の分野の話ばかりしていたから。僕が多少危なっかしい受け答えをしていても、新しく学ぶ分野だから、ということになっていたようだし。
「え」
頭から流し読むつもりで開いた教科書には、なんの書き込みもない、新品同様のページが終わりまで続いている……。
流石にどんなに僕の頭が良くても読んだだけで理解したわけはないだろう。ノートがどこかにあるんだ。そう、俺が知らないだけで。
俺ならどこにしまうだろうか、と考えて教科書と同じ段に並んだハードカバー本を一冊引き出す。
「これ、ノート……?」
立派な装丁、ちょっとした児童書くらいの厚さのそれは、開いてみれば幼い字がきっちりと罫線にそって並んだ、間違いなく学習ノートだ。背表紙の色が教科書と同じ色が、同じ教科のノート。
そのあたりの感覚は僕も俺と一緒のようだ、ありがたい話。
机に教科書を置いて、ノートの方を眺めていく。数ページ眺めてみて、予想通りだと軽く頷いた。
「『忘れてただけ』ってことかぁ」
やっぱり、ノートに書かれた内容を読み返すと、「既知の知識」として教科書のどこに書かれていたことをまとめたものかまで、思い出すことができる。
ほんとうに、しっかり勉強していたんだ。これなら、今日全教科を見直すだけで知識は思い出せるだろう。安堵して、ため息が溢れた。
「ヴィクス様。大公家からお迎えが」
「え? 早くない?」
「閣下が、お昼を一緒にどうぞと」
「あ、じゃあ、このノートを持って行ってもいいかな。明日の試験の前に見直してしまうから」
「そうですね、それくらいは構わないと思いますよ」
なんだか感慨深げな顔をしているアニー。どうしたんだろう、僕が入学試験を受けるほど大きくなったことかな。
それとも……。
「アニーは、僕が学校に入ったら、リュートの乳母になるんだよね」
「ええ、そのようにお話をいただいています」
「たくさん、心配かけてごめんね」
「いいえ、立派に大きくなって、これからもしっかり頑張ってくださると信じていますよ」
微笑んで頭を撫でてくれたアニーに笑い返し、鞄にノートを詰めて玄関に向かう。
「今日は、僕一人でいいよ」
「ですが……」
「ひとりでいく練習もしないといけないでしょ」
事故にあったルートは、あれ以降使っていない。まだ怖いと思うことはたまにあるけれど、馬車での移動もだいぶ落ち着いていられるようになったんだから。
木剣と着替えを馬車に放り込んで、ノートの詰まった鞄を抱えて、一人で馬車に乗り込んだ。
「お願いします」
「はい、かしこまりました」
アニーに手を振って、アニーが御者に合図すると、馬車はいつも通りに走り出した。




