男爵令息ジュノ
馬車の中で眠ってしまったヴィクスをアニーが抱いて、ジュノの隣に座り直す。私はお父様の隣で目の前の男の子を観察する。
黙って外を眺めているけれど、とても警戒しているのがわかる。
こっちだって警戒してるのは、多分気がついているからだろう。
侯爵家に取り入るようにと命令を受けて、助け出されたふりをしているなんてことがあるかもしれないからだ。
彼は、あの冒険者たちがとっくに牢屋に入ったことも知らないはず。
今まで彼を虐げてきたことを考えたら、あの一味は奴隷に落とされる可能性もある。
誘拐は重犯罪だし、彼だけでも男爵家の子、ヴィクスは侯爵の子。貴族の子供を誘拐したのだから、奴隷どころではなく縛首になるかもしれない。
彼を買い取るのに、カレド領主が支払った金額はアルセン家が補填することで話がついたそうだけれど、「人身売買という重大犯罪の真似事」と父上が憤慨していたような額だったと。
私に知らせてくれるはずもないから、聞こえた会話から推察した話でしかないのだけど。
このままヴィクスを失ってしまうのかと、眠れない夜を過ごしたこの数週間。
父上が『灯台守』と呼ぶ何かを動かしていたのも聞いた。
夢の中では聞いたことのない言葉だった。
私を苦しめるあの悪夢は、一種の道標のようで。ヴィクスを助けることができたということは、あの夢のようにならない道が選べるということだと私は信じた。
いい子になるのは無理だったけれど、それでも、変えることはできた。
だって、あの夢の中でテベルス男爵の子どもは、戻ってこなかった。
でも、犯罪者は捕まって、ジュノも戻ってきた。
きっと……ヴィクスがいたから。
やっぱり、あの夢を否定するためには、ヴィクスが必要なんだわ。
私がいい子になる必要があるのは、ヴィクスに嫌われないため。
無理矢理いい子になろうとした私に怯えていたヴィクスは、わたしがいい子をやめると宣言した時確かに安心して見えた。
私は、私のままでいいと。
だから、私は私のまま、ヴィクスを守る。
学校生活だって、ヴィクスが入学すればきっとあの夢で辿った道とは違う出来事になるはず。
馬車が街の中に入る。
検問が張られていた時は物々しい空気だったけれど、もういつも通りの賑やかな街だ。
屋敷に近づくにつれ、ジュノの顔色は悪くなっていく。
どうしたのかしら、お家に帰れるというのに。
ウチに迎えがきているということで、侯爵家に立ち入ることで緊張しているのかしら。
でも、まるで今から猛獣の檻に入れられるかのような顔をするほどかしら。
「侯爵様、父は……本当に僕を探していたんですか」
目を窓の外に固定したまま、ジュノが硬い声でお父様に話しかけた。
「僕を確実に……処分するために、探していたのかもしれないとは、思いませんか」
ジュノの言葉に思わずお父様の顔色を窺ってしまった。そんなことがある? 長男が攫われて5年、何度もお父様に捜索を手伝ってくれと頼んでいたと聞いたのに。
お父様だって、なにも手伝わなかったわけじゃない、領地の中で攫われる子どもが増えていることもその行方も。でも、男爵の子だけを優先して探すわけにはいかないわ。
「そうだねぇ。私は男爵家の内情に関してはそこまで詳しくないからね、君はそう心配しているんだね」
「父は……いえ、なんでもないです」
「領地に戻って、殺されると思ったらウチに来てもいいよ。男爵家の跡取りとしての地位をなくしても生きていたいと思うのなら、ヴィクスの従者くらいには取れると思う」
パッと驚いた顔をお父様に向けて、ジュノの目がお父様とアニーに抱かれたヴィクスを往復する。
「それで、安心できるかな?」
「約束してくださるのなら」
真剣な顔で、ジュノはお父様に求めた。
頷いたお父様に、ジュノは軽く頭を下げてまた視線を窓の外へ向ける。
もう屋敷の門が見えてくる。ジュノは居住いを正して、足元に視線を落とした。
「おかえりなさいませ」
出迎えに手を振って答えて、まずお父様が馬車を降りる。
わたしも馬車を降りて、続いてアニーがヴィクスを抱いたまま馬車を降りる。
みんなが一斉に安心した顔を見せる。そして、その後からジュノが馬車を降りた。
「ジュノ!!」
「!! お、とうさ……」
テベルス男爵が今しも駆け出しそうになって、お父様の手前、体をなんとか押し留める。
「よかった……生きて、いたんだな」
「……」
逃げ出しそうな顔のまま、ジュノは数歩だけテベルス男爵に近づいた。
「イゾラが……助けてくれました」
「彼女にも、好きなだけ褒美を与えるよ。顔を見せてくれるか、大きくなったね」
「お母様は、お元気ですか」
「ああ……弟も生まれたんだ、会ってやってくれ。お前と同じように、お母さんに……お祖父様とよく似ているよ」
「!!」
ジュノの顔が、目がこぼれ落ちるのではというほどの驚きに染まる。
「私が、浅慮だった。許してくれ」
「お母様を、もう……傷つけないと、約束できますか」
「ああ、誓うよ。だから、お前を抱きしめてもいいだろうか」
無理やり足を動かして、膝をついた男爵の前にジュノが進む。
「父上、戻りました」
「よく、帰ってきてくれた」
わたしと同い年と考えると少し小さいジュノが男爵の腕の中に隠れる。
「ヴィトリーク様が……僕を救ってくれたんです」
「え」
「僕は、生き残るためにたくさん悪いことをしました。売られて行く子どもたちを送り出す手伝いもしました。殴られたり、具合の悪い子がいても、助けなかった。覚えている限り、情報は全部渡します、でも、死んでしまったと聞いた子もたくさんいます」
「いいんだ、いいんだよ。あとはお父さんに任せていいんだ」
「ヴィトリーク様と兄弟ということにして売られると言われた時、僕だけ逃げようと思っていたのに、ヴィトリーク様は、仕方のないことだからと……」
「それ、あの子多分深く考えて言ってないわよ」
思わず口を挟んでしまって、はしたなかったかしらとちょっと頰が熱くなる。
「あの子、危機感ってものがないの。わたしにたくさんいじめられても、わたしのことがどんなに怖くてもわたしがあの子にとって安心できる態度でいたら、安心するのよ」
そう、いじめないって何度も言って、優しくしてもずっと硬い顔を崩さなかった。
なのに、いい子になるのをやめると言った後、ヴィクスは安心していた。
「でも、そのヴィトリーク様が、僕にはとてもありがたかった」
たった数日一緒に囚われて、随分な心酔ね。素直すぎるんじゃないかしら。
「そう、じゃあいいわ。わたしが口を出すことじゃなかったわね、ごめんなさい。それじゃあ、疲れたからそろそろ応接室に向かっていいかしら」
「あ……申し訳ありません」
お父様に一礼して、わたしは自室に戻ると告げ、その場を離れる。
ヴィクスを寝かせるからと、アニーも一緒に。
でも、殺されるかもしれないと考えているお父さんと一緒の部屋は、まだジュノには辛いかもしれないわね。
部屋は分けてもらうように言っておこうかしら、お父様もそれくらいはしてくれているかしら。




